2008年11月18日火曜日

大山巌 捨松

今日、神田の古本屋で溜まっていた古本を売却した帰り、九段坂を登っていると靖国神社のお堀側に長州の品川弥二郎と並んで明治陸軍元帥大山巌の像があった。

今から3ヶ月程前だろうか、新聞の書評か何かで大山巌の妻、大山捨松の「鹿鳴館の貴婦人」と言う本を知り読み入ってしまった。久野明子さんと言う曾孫さんの書かれたものだった。

捨松は津田梅子を通して教科書で馴染みがあると思うが、初めての米国女子留学生5名のうちの1人である。

大山巌は西郷隆盛の従兄弟で司馬遼太郎の「坂の上の雲」等でも好意的に扱われ良く知られているが、奥様の事は私も全く知らなかった。

捨松は会津藩国家老山川家の娘で、会津落城の際には幼いながら戦い負傷もし、その後も下北半島、親と離れて函館と過酷な目にに遭いながら、12歳で米国に留学する。

才女メリル・ストリープも卒業した米国東部名門女子大バッサーを明治初頭にトップクラスで卒業し、卒業生代表も勤めており、大学には最近まで彼女を記念した特別室まであったそうだ。写真も残っているが美しい人である。

 これに対して大山巌も、明治維新の戦が終わるとスイスに留学に出かけ3年ほどを過ごしている。大山巌は会津攻城の際の砲兵隊長でアームストロング砲で容赦なく城に砲弾を撃ち込んでいるわけだが、その目標地点で将来の嫁である捨松は消火に勤しんでいたそうだ。捨松の兄(浩)嫁は砲弾によって目の前で戦死している。これほど凄絶な関係の夫婦もないだろう。

大山の最初の妻(吉井友実の娘)が3人の子を残し早世した後、吉井が自分で探し充てた後釜が、朝敵会津の娘だったと言うわけだ。この時「逆臣ですから」と断る兄、山川浩に対して、説得に来た西郷従道は「私も逆臣(西郷隆盛)の弟です。」と言ったそうで、浩も受けざるを得なくなったらしい。やがて2人は恋に落ち仲睦まじい夫婦になるのだが、最初はお互いに会津弁、薩摩弁が解らず英語でやっと話しが通じたそうだ。結婚式は完成したての鹿鳴館。

大山巌像の写真を撮りながらしばしタイムスリップしてしまった。

大山巌は軍人だが、警視総監も兼務していた折、猟の最中に警官に咎められた。凡庸な官僚であれば「無礼者!」と一喝するところであるが、大山は真面目に勤務する警官に対して、自身の身分も明かさず素直に取調べに応じていたような威張らない人間だ。 また本来なら大山神社でも在る程の偉勲だが、本人が固く戒めたそうだ。 ちなみにこの像は軍人には珍しく、刀も銃も無く丸腰である。 「らしいな」と思った次第。 本は是非お勧め。Porco shop (左上)の和書に入れておく。

また捨松のもう一人の兄、山川健次郎は苦労の後、エール大学を出て東京帝国大学の総長になっている。

実はこの会津攻城戦の時、ライフルの名人で城側のスナイパーとして戦っていた女性がおり、後に彼女が同志社大学創始者新島襄の奥方になるのだが、この話はまた今度。

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