2009年7月28日火曜日

ウィスキーと私 - 竹鶴政孝


本書も先週末に入手したもので、今週末の楽しみに取っておこうと思ったのだが、2,3ページパラパラとめくると止まらなくなってしまった。

本書は昭和47年、発行者はニッカ・ウヰスキー、著者はニッカの創始者であり、かつサントリー山崎蒸留所の設計者竹鶴政孝氏となっている。



この本に既視感があるのは、様々な洋酒関係の書籍での引用元となっている事と、ニッカのHPでも竹鶴氏の事に関しては詳しく説明されているからであろう。

この本は日本経済新聞の「私の履歴書」に加筆されたものだ。

竹鶴は1894年(明治27年)広島県竹原市の酒造家に生まれた、今でも生家を引き継いだ親戚が竹鶴酒造を経営しこだわりの地酒を造っている。

その後大阪高等工業学校醸造科(現大阪大学)を卒業、第1次世界大戦中の1918年に米国経由でスコットランドに留学している。 大西洋を渡る際には目の前で同航していた客船がドイツ海軍Uボートの攻撃回避の影響で衝突事故を起こし沈没している。 

官費による留学では無かった為、頼りは英文に翻訳された大阪大学の卒業証書のみ。グラスゴー大学になんとか入学するが、その苦労たるや我々の世代では想像を絶するものがあったと思う。 故郷を懐かしめる味は馬鈴薯のふかしたもののみ。日本人食料品店などありはしない。

3年半の留学の後帰国、奥様リタさんを伴っての帰国であった。 リタさんの実家は今ではカーカンテロフ市の市役庁舎に使われているほどの名家であり、写真からも相当の美人であった事が伺える。 当時として日本人と結婚し、東の最果て日本に来ると言う事だけでも大変な事であったと思う。

本書ではこの後、日本のウィスキーの正に歴史そのものを作った竹鶴氏の話しで満たされている。 リタさんのその後を知りたければ是非読んでほしい。この本は発売当初は非売本であったが、関係者に広く配布されたらしく今でも中古市場で購入できる。

私の履歴書の冒頭では「私は大阪高等工業の醸造科に入り、ウィスキーに興味を持ってから、ただ一筋ウィスキー造りだけに生きてきた。その意味では一行の履歴でかたずく男である。」 と記されている。

竹鶴氏とリタさんが精魂込めた北海道余市蒸留所は、本場スコットランドの蒸留所よりもむしろ大きく整然とした立派なものだ。今なお石炭でポットスチルを焚く蒸留工程を維持しているのは世界中でここだけである。

もし訪問するならば、積丹半島のウニが美味しい6月中旬あたりが狙い目だ。  ウニのおいしい食堂が正門近くにある。(正門の受付に教えて頂いた。) 


PS 1998年出版の「リタとウィスキー」はプレミアムがついてとても買えない。

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