2009年8月22日土曜日

ソロスと再帰性 reflexivity



福岡伸一さんのべストセラー「生物と無生物のあいだ」を読まれた方はご存知だと思うが、千円札の顔となっている野口英世の学術的な評価は我々が考えている程には高くはない。勿論偉人としての野口を否定するものでは無いが、梅毒、狂犬病、小児麻痺、そして野口を死に追いやった黄熱病等の病原体発見の業績に関しては、後にウィルスの存在が発見される事によって今では否定されている。

人間が目視できる小ささは目の良い人で、0.2ミリ。 殆どの人は1ミリ以下の物を明確には識別できない。 野口の発見したと考えた単細胞の病原微生物の大きさは1マイクロメートル(1ミリの1000分の1)、当時の光学顕微鏡で見えるぎりぎりの大きさであった。 発見当時は発病との因果関係が証明され学会で発表され、通説となり、真実として扱われる。 それより小さい物があるとは考えられなかったかったからだ。

ウィルスは1マイクロメートルの単細胞病原菌の大きさがラグビーボールとすれば、ピンポン球かパチンコ玉程度の大きさしかなく、存在は目視を伴わない実験によって1890年代に確認はされていたが、人類がその目でみるのは電子顕微鏡が発明される1930年代迄待たねばならなかった。 自身の発見した病原菌による免疫があるはずと考えていた黄熱病によって野口は1928年に亡くなってしまう。  その後発見したと考えていた病原菌が実はそれよりも小さいウィルスが原因であると訂正されている。  真実が訂正されたのだ。

物理学の世界でも対象が量子の段階に入ると観察の問題が出てくる。人間の身体も細かくつきつめて行けば、分子となり、それを構成する原子となる。

原子は原子核と電子からなるが、その電子を観察する問題が生じた。 何故なら我々が目視ないしは観察装置で測定する場合、電子を観察する為には電子を使わなければならないと言う問題に直面する。 光はその物体が反射する事によって我々は認識する。 電子を認識しようにも電子(光子)と電子をぶつけ合う事によってしか観察できないからだ。

つまり観察した瞬間に観察する為にぶつけた電子が観察される側の電子の運動に影響を与えてしまうと言う事だ。

1905年アインシュタインによって特殊相対性理論、1915年には一般相対性理論が発表されている。 それまでのニュートン力学を古典力学とし新しい真実となった。

一方で1925年にはシュレディンガーによる波動力学によって量子力学と言う、一般相対性理論では説明のつかない、未だに争点となる理論が発表された。

その後、理論上での話しだけであった量子力学の持つ不思議さは、実験装置の発達によって次々と観察、証明されて今日に至っている。


この欧州激動の2つの大戦をまたぐ時期、マルキシズムが吹き荒れ、ヒトラーやムッソリーニによる全体主義の嵐の中で、自然科学の発見が社会科学、取り分け哲学に及ぼした影響は大きなものがあった。 それを体現しているのがカール・ポパーであり、注目される投資家ソロスやタレブがポパー派と自らを呼び、著作物には必ず引用される理由となっている。

長々と書いてきたが、「スワンは白い」、「観察されたスワンは総て白い」、従って「スワンは白い」。(実はスワンを日本語で白鳥と言うと白い鳥になってしまうので、思考上の混乱が起きやすい。)

野口の例を見るまでも無く、これらは確率的あるいは暫定的に真実なだけなのだ。 何かが発見、黒いスワンが一羽でも発見されれば「スワンは白い」と言う命題は否定される。

またソロスの主張する「再帰性」は英語では"reflexivity"となる。 これは電子を測定する時に電子をぶつけてその後の運動に変化を及ぼしてしまうように、観察者それ自体が市場に影響を与えてしまうと言う意味だ。 これは効率的市場仮説でも想定されていないし、市場参加者が想定する景気予測マクロモデルでも本格的には扱われていない。 またソロスは当局も含め市場参加者はこの問題をきちんと捉えていないのでパラダイム転換する必要があると主張する。(The New Paradigm for Financial Markets 2008)

reflexivityは実際の職場でも応用可能だ。 社長が社員の仕事ぶりを見ようと事務所に登場すると、社員は社長に反応して普段よりは働いているように見せる。
それを信じる社長も今時いまいが、市場では同じような過ちが繰り返されているとソロスは言いたいのだ。    新版 ソロスの錬金術

土曜日の朝の雑感。

ソロスはもう少し読んでみる。 タレブの望月さんの丁寧な訳、索引、注、等に比較するとソロスの日本語版は(あなたも億万長者本のように)扱いが粗末だと思う。


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