2009年9月3日木曜日

鳩山氏のNYT論文について 2


去る8月27日に鳩山氏の論文の抜粋が氏の署名付きでNYTに掲載されて以降、NYTのみならずWahington Postに迄掲載され波紋は全世界に拡がっている。

また本日になって日本の新聞が取り上げ始めた。

僕も9月1日にこの事をブログに書いたが、僕が氏の論文を気に入っている事には今も変わりは無い。
日本としては全文の掲載と鳩山論文の理念に対する理解に向け努力は必要だろう。

しかし、日本国の首相になる事がほぼ確実となった今、この論文が抜粋であったか?、鳩山氏が寄稿したのか?が問題の論点では無いだろう。

成程、全文のニュアンスを把握すれば、汎欧州主義を唱えたカレルギーを範とし、自由と平等のバランス良い追求の為の「友愛」を基本理念に置き、世界平和を希求することは誠に立派な事であるが、一方でいわば米国民の知見と利害を代表するNYTとしては、鳩山論文の対米関係に言及した項目だけを取り出して日本の対米姿勢を問う事は至極当然である。 今更本人が出稿を確認していたか、あるいは抜粋の拙さか翻訳の巧拙かはあまり意味のある議論では無い。

ここで両者を比較してみる、

NYT掲載文邦訳(産経新聞)
 一、日本は冷戦後、グローバリゼーションと呼ばれるアメリカ主導の市場原理主義に翻弄され続け、資本主義が原理的に追求されていく中で人間は目的ではなく手段におとしめられて、人間の尊厳は失われた。
 一、道義と節度を喪失した金融資本主義、市場原理主義にいかに終止符を打ち国民経済と国民生活を守っていくかがわれわれに突き付けられている課題だ。

鳩山氏HPより該当部分
冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。至上の価値であるはずの「自由」、その「自由の経済的形式」である資本主義が原理的に追求されていくとき、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失う。金融危機後の世界で、われわれはこのことにあらためて気が付いた。道義と節度を喪失した金融資本主義、市場至上主義にいかにして歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくか。それがいまわれわれに突き付けられている課題である。


先ず冷戦後の市場原理主義の行き過ぎの弊害についてであるが、この場合には市場原理主義の定義付けが明確では無い。 日本の場合どうしても小泉-竹中による郵貯民営化がこの言葉と直結して連想されやすいが、このソロスの紹介した市場原理主義と言う言葉は新自由主義との境界が曖昧なまま使われすぎている。 

レーガンやサッチャー改革にもこの用語が適応されるのであれば(当たり前の話だが)、斜陽化しつつあった米英にどれほどの貢献をもたらしたのか、この言葉を全面否定(それこそ原理主義的に)する前に考える必要がある。一方で冷戦の終結を促したのも新自由主義的政策の結果と言う主張もできるだろう。

世界の金融市場では、日本は「規制緩和が中途半端で頓挫した」と捉えている。 こうした認識のギャプを抱えたまま市場原理主義をグローバリズムと混ぜ合わせ、しかもその責任がアメリカにあって、日本は被害者とする立場は米国の知識階級には到底受け入れ難いだろう。   低金利で資金供給をしていたのはFRBだけでは無い。 鳩山氏はキャリー・トレードと言う言葉を忘れたようだ。 トヨタやキャノンやコマツ、総合商社、海運などはグローバリズムの恩恵を充分に受けたのでは無いか?

こうした独善的な社会科学的に裏づけの曖昧な用語の使い方を根拠に、今度はアメリカは終わりでアジアの時代だと捉えられては、素晴らしいカレルギーの、理念の中核である「友愛」も色あせて誤解されても仕方が無いかもしれない。

と言う事で結論は前回ブログと同じで、「思想家としては素晴らしい文章だが、実務家たる政治家としては情報管制も含めて稚拙」だろう。

この件に関しては韓国中央日報の記事が一番わかりやすかったので参照しておく。



以下参考までに比較

 一、今回の経済危機は、アメリカ型の自由市場経済が普遍的、理想的な経済秩序を代表しており、すべての国が経済の伝統と規制をグローバル(むしろアメリカの)スタンダードに合わせて修正すべきだとの考え方によってもたらされた。

今回の世界経済危機は、冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、グローバルエコノミーとかグローバリゼーションとかグローバリズムとか呼ばれた。 米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的な経済秩序であり、諸国はそれぞれの国民経済の伝統や規制を改め、経済社会の構造をグローバルスタンダード(じつはアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった。

 一、グローバル経済は日本の伝統的経済活動を損傷し地方のコミュニティーを破壊しており。グローバリズムが進む中で切り捨てられてきた価値に目を向け直すことが政治の責任だ。

グローバリズムが席巻するなかで切り捨てられてきた経済外的な諸価値に目を向け、人と人との絆の再生、自然や環境への配慮、福祉や医療制度の再構築、教育や子どもを育てる環境の充実、格差の是正などに取り組み、「国民一人ひとりが幸せを追求できる環境を整えていくこと」が、これからの政治の責任であろう。


 一、もうひとつの国家目標は、「東アジア共同体」の創設だ。むろん、日米安保条約は日本外交の礎石であり続ける。われわれは同時に、アジアに位置する国家として、地域の経済協力と安全保障の枠組みを築き続けなければならない。

「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れもなく重要な日本外交の柱である。同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならないだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなくてはならない。



 一、金融危機は多くの人々に、アメリカ一国主義の時代の終焉を予感させ、ドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせた。私も、イラク戦争の失敗と金融危機で、アメリカ主導のグローバリズムの時代が終わって世界が多極化の時代にと移りつつあると感じる。

今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感じている。しかし、いまのところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それがいま私たちが直面している危機の本質ではないか。


 一、現時点では、支配国家としてアメリカに代わる国も、世界基軸通貨としてのドルに代わる通貨も、ひとつとしてない。だが、中国が軍事力を拡大しつつ世界の主導的経済国家の1つになることは明らかだ。
 一、世界の支配国家としての地位を維持しようと戦うアメリカと、これから世界の支配国になろうと狙う中国との間で、日本はいかにして政治的、経済的独立を維持すべきか。これは日本のみならずアジア中小国の懸念であり、地域統合促進の主たる要因である。

アメリカは影響力を低下させていくが、今後2、30年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。また圧倒的な人口規模を有する中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくことも不可避の趨勢だ。日本が経済規模で中国に凌駕される日はそう遠くはない。覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか。これからの日本の置かれた国際環境は容易ではない。
 これは、日本のみならず、アジアの中小規模国家が同様に思い悩んでいるところでもある。この地域の安定のためにアメリカの軍事力を有効に機能させたいが、その政治的経済的放恣はなるべく抑制したい、身近な中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい。これは、この地域の諸国家のほとんど本能的要請であろう。それは地域的統合を加速させる大きな要因でもある。



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