2009年9月1日火曜日

鳩山由紀夫の友愛 New York Times


New York Times(NYT)紙にNew Path for Japanとして掲載された鳩山由紀夫氏の「祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印」は反米的なエッセイとして米国での評価は芳しいものでは無かった。

これは雑誌Voiceに掲載された氏の論文の要約と言う形で、鳩山氏本人のクレジットで掲載されたものであったが、氏はインタビューでNYTに寄稿はしていないと言ったので問題となった。 現状では鳩山事務所内の不手際とされても仕方の無いものになっている。

ここで焦点となったのは、日本語原文(全文英語訳と韓国語訳が鳩山氏のHPに用意されているが)とNYTに掲載された英訳・要約版の差異についてである。伝えたい事が正確に伝わっておらず、反米的な箇所だけ要約文として取り上げられ誤解を生む記事となっている点だ。

僕も残念ながら日本語原文の存在にも気付かず、NYTの英文の方を先に目にしてしまった。その際にはこのエッセーは安易な米国主導市場原理主義批判にしか見えず、具体的な方策も無いままのアジア統一構想などを語る、おおよそ一国の宰相にあらざるものであると感じてしまったのだ。 また「友愛=fraternite」と言う柔弱で曖昧な基準を持ち込む社会主義的な危険な香りまで醸し出していた。

ところが僕は原文を読んで、ある種の感動を覚えてしまった。 このエッセーは素晴らしいと今でも思う。 政治信条がきちんと表明されている。 少なくとも、選挙期間中の自民党等のネガティブ・キャンペーンのチラシや、理念の説明無く、頭を下げ「お願いします」を連発する古参大物議員の姿をTVを通じて見せ付けられ続けた身としては非常に新鮮で、ある意味日本にも理念を持った政治家がいるものだと感じいった次第だ。 

僕も丁度、ブラック・スワンのナシーム・タレブやソロス、彼らに影響を与えたカール・ポパーやアインシュタインなどを最近読む機会が多かった事も手伝って同時代のクーデンホフ・カレルギーの提唱した概念 博愛・友愛=fraterniteはしっくりと来るものであった。


本文から部分引用させて頂くと、
 カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。 「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」 ひたすら平等を追う全体主義も、放縦に堕した資本主義も、結果として人間の尊厳を冒し、本来目的であるはずの人間を手段と化してしまう。人間にとって重要でありながら自由も平等もそれが原理主義に陥るとき、それがもたらす惨禍は計り知れない。それらが人間の尊厳を冒すことがないよう均衡を図る理念が必要であり、カレルギーはそれを「友愛」に求めたのである。

友愛は自由と平等のバランスの基準となるものであると説明されている。

この本文はA4、8ページに及ぶが是非とも強く一読をお勧めする。道州制に関しても、地域主権国家の理念、小さい中央政府など考え方が明確に記されている。若干偏りはあるものの、無差別に市場至上主義を否定している訳でも無い。

日本が日露戦争に勝利した時、列強による帝国主義的支配からの劣等民族(当時)による始めての解放として賞賛した国も数あったが、英米は警戒を強めて行った事は「坂の上の雲」でも一読すれば分かる事である。 今回の友愛も、グローバリズムに翻弄され、東欧諸国などマルキシズムやヒトラーによる全体主義の被害を受けた国の国民からは賞賛を受けるであろうと思う。 ジョージ・ソロスやナシーム・タレブは賛同するだろう。 「市場の変相」のエラリアンや「暴走する資本主義」のロバート・ライシュの共感を得るかもしれない。

しかし、金融を国家の基幹産業とし、今回危機の被害は受けたものの、これまで市場至上主義やグローバリズムの恩恵をエンジョイしている英米、さらに生活水準を高め日本との差を縮小してきたアジア諸国から見ると「友愛」は異なった景色となる事は想像に難くない。 グローバリゼーションは日本国民を不幸にしたかもしれないが、世界のフラット化の恩恵を受けた国は非常に多い。 日本以外の総ての国と言っても良いかもしれない。

今回の騒動を英文でレポートしているTobias HarrisのブログObserving Japnaではたとえ全文でもその意味は大きく変わらないとし、それよりも、一国の宰相候補による政治理念の他国への提示の仕方についてその技術的な粗雑さを指摘している。

またFinancial Timesでは理念に共感は示すものの、実行力を評価の基準とすべき政治家としての理念の実現性について懐疑的な論調のコメントを(日本語)掲載している。

こんな程度のエッセーに感激してしまうとは、我々はこれまでにあまりに稚拙な理念なき政策の応酬を見せつけられ過ぎたのかもしれない。 それでも僕はこの「友愛」は大変気に入っている。 妙なマニュフェストよりはよほど分かり易いからだ。 問題は友愛の差配する自由と平等の配分比率だろうし、経済成長をグローバリズムを拠り所に、自由貿易を望む途上国に日本はどう答え、どのように理念希求の為のアジアでのリーダーシップを獲得していくかだろう。

ロマンティックな思想家はこうした危機下ではお呼びでは無いのかもしれない。

PS. 本日の大前さんのブログは、「私自身が2003年に自民党から依頼されて執筆したマニフェストを、今回、一般に公開した。若干古いものだが、皮肉なことにその後何も実現していないので陳腐化はしていないと思う。」と政治家の哲学の無さと不勉強を指摘している。 併せて読むと興味深い。

僕は特に民主党を支持する者では無い。

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