2009年11月9日月曜日

退職金の140年 年金①



退職金の一四〇年 西成田 豊 一ツ橋大教授

確定拠出年金の事を調べようと思って歴史を遡っているうちにとうとう明治維新にまで遡ってしまいこの本に巡り遭いました。

従来、日本の退職金は江戸時代の商家の「暖簾分け」にあるとか、明治以降の日本国にとっての始めての対外戦争である台湾出兵時の戦死もしくは傷痍軍人に対する補償が起源であるとかのトリビア的な話は耳学問で聞き及んではいたのですが、制度史的な観点から適当な本は無いかと探していたのでした。

著者は退職金制度は日本の「後発工業化」によって産み出されたとしています。 これは例えば新橋・横浜間の官営鉄道の場合、当初は外人お雇い機関手や技師によって運営されました。 鉄道関係では1974年(明治7年)の段階でお雇い外国人は115名おりましたが、77年64人、80年37人、82年17人と急減していきます。 これは日本人技師や機関手が育成され来た為です。 そうして育った日本人技術者は貴重な技術をもっている訳で、当時勃興しつつあった、民鉄側からみれば是非スカウトしたい存在であった訳です。

そうなると現代のプロ野球と同じで待遇を良くして残ってもらおうと言う動きになります。 こうした中で制度的、年功的な職階や退職金が確立されて行きました。 勿論これは鉄道に限らず造船や炭鉱、繊維と言った当時勃興し始めた産業全般に言える事です。 ここで言う「後発工業化」は発展段階をゆっくりと踏みしめるのでは無く、西洋にあったものを輸入する訳ですから急激な発展過程を伴い常に熟練労働者不足に悩まされると言う事態になります。 ここに労働者を引き留める意味でも世界でも稀な日本独自の退職金制度が始まると言う訳なのです。

因みに英国では1911年に世界に先駆けて失業保険が成立しますが世界大恐慌を経て1934年仕切りなおしで失業扶助制度。米国でも1935年にニューディール政策の一環として社会保障法が制定され各州毎の失業保険が制定されています。たまたま土曜日の夜にオバマ大統領が公約としていたヘルスケア法案が下院を通過しましたが、これは1935年、1965年に次ぐ大きな出来事なのです。

これらから見ると日本の制度は「後発工業化」と言う条件下にあったとは言え、日本しては珍しく随分と気前の良い制度でありますが、こうした「経営家族主義」を昨今特に目につく日本の古い伝統に根ざす道徳心だとか美徳であるとか単純に捉える訳には行かないでしょう。 物事には原因と結果があります。つまり終身雇用に近い形態で年功的な報酬体系を設定する事は熟練工確保の観点から経営サイドから見ても理にかなった行動なのでした。

その後富国強兵策のもと勤労者の厚生は国家の発展(軍事的な)にも適うとの考えから「経営家族主義」から「家族国家観」、つまり主従関係の主が天皇であるとの考え方に沿って日露戦争後工場法の制定(1911年)をみます。 勿論これは労働者の待遇の制度化による底上げを狙ったものですから「経営家族主義」的な動きも景気の良い大企業には併行して残る事になります。

いつの時代もこうした制度は景気の良し悪しによって左右されるもので、昭和恐慌の大量失業者の時代には「経営家族主義」は影を潜め国家観が重きを成すようになります。こうした時代では企業対労働者と言うよりも企業対国家(官僚)の鬩ぎあいになります。 1936年の「退職積み立て金及び退職手当法」の成立では、2.26事件が渋る企業経営者怯えさせ柔軟にさせると言う効果もあったそうです。

従来「渡り職人」が多く年功序列や退職金制度などは戦後の産物だと言う乱暴な議論もありましたが、そんな事はありません。 但し日本独自の美徳だとか道徳だとかそんな話でもありません。歴史的な必然性に沿って制度は変革を遂げて来たのでした。 そしてこれからもそうした必然に逆らって歴史が刻まれて行く訳では無いのでしょう。


あとがきで筆者は5つほど主張してらっしゃいますが、そのひとつ。

労働の規制緩和と言う新自由主義的な恩恵に与った経営者が、新自由主義が説く「小さな政府」では到底成しえないセーフティー・ネットの強化を主張するのは首尾一貫していないばかりでは無く、確たる経営理念があるのかと疑問を呈さざるをえない、経営者としては、セーフティー・ネットを説く前に、労働者内部の格差を無くし、人材を大切にし、最後の最後まで雇用を守り抜くと言う強くて優しい姿勢が求められる。

これが歴史を研究してきた西成田先生からのメッセージでした。

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