2010年1月15日金曜日

相場師と落語


江戸の落語ではどうしても「熊さん八っつぁん」の下町のイメージが強いものですが、上方ではどちらかといえば大店の番頭さんや坊ちゃん嬢ちゃんの話とか、それに絡んだ茶屋の噺などが目につきます。実際には古くから江戸・上方両方の話が行き来して、「時うどん」が「時そば」になったりと話の交流は多いものです。三代目柳屋小さん、円馬などが大阪ネタの東京への移植に随分貢献したとされております。

さて古典落語の多くが成立した明治、大正期の大阪と言えば、堂島の大阪堂島米穀取引所において米相場が盛んな頃でしたが、「相場」を題材に取り入れた噺はそれほど多くはなく、私の記憶でも「米揚げ笊(イカキ)」か「住吉駕籠」に限られてしまいます。 どなたかご存知でしたら教えて下さい。


「米揚げ笊(イカキ)」のイカキは漢字そのままで、ざるを売る商売の事です。
ある日ぶらぶらしていた男(今で言えばニートでしょうか)が知り合いの紹介で笊売の行商のアルバイトを始めます。笊屋では馴れない人に多くの種類の商品を持たせても売りにくいだろうと、4種類の大きさに商品を絞って笊を持たせて街を売り歩かせます。

大豆用と中豆、小豆、そしてさらに小粒の米用です。 

で、この男、「おぉ~まめ、ちゅう~まめ、こまめに米を揚げる米揚げいか~~き」と言う風に声を張りあげて大阪の街中を売り歩いていたわけですが、丁度堂島の米穀仲買人の店の前を通った時にそこの主人に呼び止められます。 

この店は相場師が売り買いの火花を散らす堂島の中でもひときわ強気(ロング筋)で通った店でした。験を担ぐ相場師の前で「米あげ~いかき」とくる、米が騰るなんて縁起の良い符丁は嬉しくてたまりません。 なにしろこの店では主人が番頭を呼びつける時でも、呼ばれた番頭は頭を「下げる」のを嫌いそっくり返るしきたりです。また人を呼ぶ時も手のひらを下ににして「コッチにおいで」とは致しません。手の平を下にすると物がこぼれ落ちてしまいます。 ここでは手の平を上にして人を招くのです。これを「堂島のすくい上げ」と呼ぶのだそうです。 

店に呼び入れると、この男は「上げる、騰る、上の兄」とか、とにかく上がる事しか言わないので、すっかり主人に気に入られポンポンとお金や物をご祝儀に、おしまいには芦屋の別荘とお手掛はん(お妾)まで褒美に貰ってしまうと言うナンセンスな噺です。 その褒美のあげっぷりの良い事。

後はまあ噺を聞いていただくとして、「米揚げ笊」は東京に移植されると、「ざるや」になってしまい、米の相場師が株屋さんに変わり少しスケールが小さくなってしまいます。

大阪堂島米穀取引所

もう一つは「住吉駕籠(かご)」です。 これは住吉大社の前で客引きをしている駕籠屋の噺です。 噺の中に天保銭が出てきますし、お足は2分となっています。駕籠屋は明治に入って1872年頃には人力車に駆逐されたとありますから、江戸時代の設定の噺と言う事になります。

ここでも登場するのは堂島でも強気筋で鳴らした相場師2人、住吉で遊んで堂島までの帰り道、話しながら帰ろうかと言う事で、駕籠屋を騙して2人乗りを強行します。ひどいもんです。

ところが途中で2人は口論となり暴れたせいで駕籠の底が抜けてしまいます。ところが、なにしろ強気筋で鳴らした2人、相場で変節など絶対に出来たものでは無かったのです。 乗った相場は途中で降りたらアカンのです。

一旦乗った相場、弱気筋を締め上げる迄は降りる事はでけへん相談なんですね。 なまじ2人も入って狭い駕籠の中、抜けた底から足を出して堂島まで意地でも歩いて帰る(駕籠に乗ったまま帰る)と言うバカな噺です。落としはもちろん合計八本足の駕籠でクモスケです。 

この噺は江戸前では「蜘蛛駕籠」になっていますが、こういう馬鹿をやらしたらさすがの江戸っ子も上方のドアホにはかないません。
どちらにせよ意地っ張りで格好付け、大阪弁で言えば「伊達こき(伊達男という意味)」と言ったところでしょうか。当時の北浜や堂島の人間が世間からどう言うイメージで見られていたのか、中々に興味深いお噺です。


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