2010年2月27日土曜日

なんば花月の思い出



チャンバラトリオの南方英二さんが26日午後8時33分、大阪府内の病院で肝硬変のため亡くなったことが27日、所属事務所より発表された。77歳だった。通夜、告別式については親族の希望により家族葬で行われる。


プラザ合意の前やったから随分と昔の話しになります。

大阪で時間に余裕のある時には、新幹線で真っ直ぐ東京に戻ったりせずに、千日前の自由軒で「インディアンカレー」か「ちゃんぽん」を食べて、なんば花月でお笑いを見て、難波から近鉄特急で名古屋に出ると言うルートを多用していました。 実は私、「夫婦善哉」の織田作之助を愛読しているものですから、自由軒に貼ってある、「虎は死んで皮を残し、織田作は死んでカレーを残した」と言う張り紙が見たくて通っているような次第です。  最近東京に出てきている自由軒とは別の店です。

近頃の吉本には全く行かないのでどうなっているのかはサッパリわかりませんが、当時は漫才、コント、浪曲、アクロバットなんかも演目に入っており、最後に45分程度の新喜劇をやっていたと思います。当時の吉本新喜劇の座長は岡八や花紀京から間寛平、木村進、阿吾十郎なんかが座長をやっておりました。 難波の花月では午後と夕方の2部制で、私が観ていたのは午後の部の方で、料金は確か映画と同じ値段やったと思います。

平日の午後の部はガラガラでたまに観光バスの団体さんが入ってきていきなり満員になったりしてましたが、私が行く時には決まっていつもガラガラでした。
その当時は既にさんま、三枝、仁鶴さんなんかが全国区で売れていたのですが本家の劇場はそんな状態だったと思います。

その日もお昼を食べてから途中で入場したのですが、やっぱりガラガラで、入って席に着こうとしたら舞台から「どうもいらっしゃいませ」と声がかかりました。
それがチャンバラ・トリオでした。 見渡すとどうもお客さんは5人とはおらんような状態で「帰る時には一声掛けてくれ」とか色々とネタにされた記憶があります。

いつものとおりモナカを売る人が近寄ってきて「モナカいりませんか?」と言うのでいつものとおりにアイスモナカを食べながら漫才やらコントやら、正直あんまり面白くないところがエエんですが観さしてもらいました。 その時のお目当ては確か「オール阪神巨人」やったように憶えてます。

チャンバラ・トリオは大阪名物ハリセンの考案者です。「特許とってたら家が建っとるわ」と言ってたようですが真偽の方は定かではありません。

何や大阪の大事な物がまたひとつ消えて行くようで寂しい気持ちになりました。 

合掌。





織田作はちくま日本文学全集と新潮社から文庫が出てますが、読むのでしたら「六白金星」の載っている夫婦善哉 (新潮文庫)がお奨めです。 また青空文庫でも読めます。


PS: もうひとつの自由軒は新橋に支店を出してますが、ここも美味しいです。
関西は兄弟喧嘩が多い。

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