2010年2月17日水曜日

京成白鬚線


線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。 去年まで京成電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取払われた玉の井停車場の跡が雑草に蔽われて、此方から見ると城跡のような趣をなしている。

これは永井荷風の「濹東綺譚」ぼくとう綺譚 (岩波文庫)の一説です。ここでの線路とは東武伊勢崎線、東武博物館のある東向島駅(旧:玉の井)を少し北に行ったところ、そしてここに出てくる京成電車は白鬚線です。 白鬚線は京成「八広駅」と「曳舟駅」の間に以前存在した「向島駅」と現在隅田川に架かる白鬚橋の名前の由来となった白鬚神社を結ぶ路線であったそうです。1928年開業で1936年の廃線。 荷風がここを訪れたのは1937年昭和12年と言う事になります。 しかし何故旧玉の井の地に8年間だけ限定でこのような路線があったのでしょうか?

09 Photo-RailさんのHPに当時の京成路線図があります。


実は先々週建設中の東京タワー2代目、東京スカイツリーを見に行った折、その場所こそが、東武鉄道の旧浅草駅であり、それに接して京成電鉄のターミナル駅押上駅であった事を知りました。

昭和31年の押上付近の地図



マンハッタンでも、電化のできたペンシルバニア鉄道以外はハドソン川を超えられず、ニュージャージー側に古い鉄道のターミナル駅跡が幾つか残っておりますが、東京においても鉄道黎明期には既に都心の市街化が進んでいた事もあり、隅田川が障害となって鉄道は都心に入れずにいたのでした。

ハドソン川越に関してはこの日本語サイトが秀逸


東武鉄道が隅田川を越えて浅草に進出したのが昭和7年(1932年)、それまでは今の業平橋が浅草駅で、東武の本社は今もここにあります。また京成電鉄の本社もこの直ぐ近く旧京成始発駅の押上に所在地があるのです。 ついでに言っておきますと、現在の総武本線が両国から隅田川を越えお茶の水まで延伸したのも昭和7年、それまでは当時の円タクや東京市電で上野や東京駅に乗り継ぐしかなかったのです。 開通には関東大震災による市街地の廃墟化が大きく影響している事は言うまでも無い事です。

話しがそれましたが、京成電鉄は押上から浅草に進出したいと考えておりましたがなかなか許可が降りないので、上記の白鬚線(青線)を直進させ隅田川を渡河、王子電鉄(黄線:現在の都電荒川線)に繋ごうと言う野心からこの路線を敷設したのでした。 そうこうしているうちに日暮里-筑波間に鉄道敷設免許を有していた筑波高速度電気鉄道を1930年に買収。目出度く1933年には現在の京成本線のルートで上野駅に進出することが出来た次第。

それで御用の無くなった白鬚線は荷風が玉の井を訪ねた1937年には廃線となっていた訳です。 これでスカイライナーに乗ると何故京成電車は大回りするのか?が私は納得がいきました。 今では押上は都営浅草線に、東武鉄道は半蔵門線に繋がってそれぞれに都心へ進出していると言う事です。

東武亀戸線も東武鉄道の隅田川越えの野心からの延伸に他なりません。今はきっぱりと切断されていますが当時は総武鉄道(JR)と接続し両国まで行けたようです。


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