2010年4月30日金曜日

西郷伝説 龍馬伝説


国難に遭遇すると、国民はとかく過去のヒーローの登場を待ち望むもののようです。
最近はNHKテレビ「龍馬伝」になぞらえて、我こそ龍馬と名乗る政治家も多いようですが大概は顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうのがオチのようですね。

そもそも現実世界に存在してくれれば!と言う願望なのですから、裏返せば目の届く範囲に存在しないのが現実なわけで、そんな人に自身を擬(なぞら)える事がプロパガンダとしてはそもそも間違っているわけです。 自称自薦では無く、国民から彼こそは今龍馬だと言われるような人が是非現れて欲しいものです。

日露開戦にあたって、37年前に死んだ坂本龍馬が明治天皇の皇后・昭憲皇太后の夢枕に白無垢を着て現れ、「海軍の事は当時より熱心に心掛けたる所に候らえば、身は亡き数に入り候らえども、魂魄(死者の霊魂)は御国の海軍に宿りて忠勇義烈なる我が軍人を保護仕らん覚悟にて候」と伝えたと大々的に宣伝されました。

これにより龍馬が帝国海軍の祖であると言う伝説が成った訳ですが、これは薩長派閥に圧倒されていた土佐藩出身の田中光顕や香川敬三らが、維新における土佐派の重要性を再認識させる為に流布したものだと言われています。 

派閥抗争に使われたのでは龍馬の意図とは全く馴染みませんが、ロシアとの戦を恐れる国民を鼓舞しただけで誰の迷惑にもなってはおりません。 「極めて不快感を持っている」と言うようなコメントをする人もいなかったようです。


一方で西郷伝説。

かつて九州地方では日清、日露戦争が起こるたびに、生き延びていた西郷が現れ参謀になって日本軍を勝利に導くと言う噂が流布されたようですが、一時期全国レベルで世間を騒がせた事件があったそうです。

大津事件は1891年5月、ロシア皇太子ニコライⅡ世がウラジオストックで行われるシベリア鉄道極東地区起工式参加時に日本にたちよった際に起こった事件です。
ロシアの圧迫から国を慮(おもんばか)る滋賀県巡査津田三蔵がサーベルでニコライに斬りつけた事件と言われています。

この頃一通の西郷伝説が同年3月の「鹿児島新聞」に投書され、1週間後全国紙の「東京朝日新聞」に転載されました。

西郷、桐野利秋、村田新八らは城山陥落の前々夜に城山を抜け出しロシア軍艦でウラジオストックに上陸。シベリアの兵営に潜み密かにロシア兵の訓練に従事していたと言うものです。 黒田清隆が密かに兵営に西郷を訪問するに、日本の将来を話し合い兵を連れてニコライとともに日本に帰ってくると言う。現状の政治に不満な国民は西郷さえいれば不平等条約の改正もうまく行くであろうし、大陸にも雄飛できようと期待が高まったのでしょう、ニコライ来日が近づくにつれ朝日新聞に限らず各紙が連日報道するようになったそうです。 

ここで朝野新聞に明治天皇の話しとして「戯れに侍臣に宣わすらく、隆盛帰らばそれ彼の一〇年の役(西南戦争)に従事せし将校らの勲章を剥がんものかと承る。」と掲載されました、多分いい加減な記事だったのでしょうが、西南戦争従軍者はたまりません。

巡査津田三蔵は西南戦争で勲七等を貰っていましたので、西郷が戻ると勲章を剥ぎ取られて大変な事になってしまいます。ロシア軍などよりずっと恐ろしかったのだと思います。そしてその不安はニコライを目前に見て頂点に達しのでしょう。

これは大迷惑な話しです。津田にとっても、ニコライにとっても、生まれたての大日本帝国にとっても。

投資情報を期待されている読者の皆さん、実にタイムリーで無いエントリーで申し訳ありません。

ソビエト連邦崩壊によって古い資料が開示されてきています。 2005年は日露戦争100周年であった事もあり、新視点によるいくつかの本がまとめて発売されているようです。 今はそのあたりを読んでいます。 

上記2冊をまとめたような内容なのが、検証 日露戦争 読売新聞取材班
読み物として読むのであればこれが楽しめるでしょう。 日露戦争が第0次世界大戦であったと主張するロシア軍事史の専門家ジョン・スタインバーグ博士の章も独立してあります。

日露戦争時の日本国債を調べていましたら、どんどんと範囲が拡がってきてしまいました。 この時代不安定なのは日本だけでなく、南北戦争を経たアメリカや欧州ではプロシアの台頭によるドイツの成立、イタリア統一と世界中が揺れ動いています。一方でそうした中、金本位制を基盤として非常にグローバルな金融市場が展開されています。資金のある先進国から成長国へ。

当時ロンドン市場で取引される債券の四分の三は外国債だったそうです。

2010年4月28日水曜日

ギリシャの公務員デモ


3月にユーロで起こっている事と言うエントリーを書きましたが、 その時のユーロ/ドルのチャートをアップデートしておきます。1ユーロ=1.3174ドル

ユーロの問題は金融政策が共通であるのに、財政政策が国別に採られると言う点です。

本来であるならば、ギリシャの財政破綻懸念は、通貨が売られたり切り下げによって対処されます。結果インフレが起こり、ユーロ圏でのギリシャ国民の購買力が低下、ギリシャ通貨での借金は目減りしますから住宅ローンで借金しているギリシャ人も国内では問題が少ないのです。 公務員給与もギリシャ通貨建てならば財政再建策で多少は給料を減らされても痛みはそれほどでは無いでしょう。

ところが今回は通貨がユーロのまま、切り下げが出来ない分、あたかも自国通貨の切り下げが行われたように総てが目減りする必要があるのです。
したがって今回のPIIGSの問題は、財政支援もさる事ながら、ギリシャ国民が収入を減らし、尚且つ目減りしないユーロ建ての借金に耐える必要があります。

ポイントは生活レベルの低下を容認できるか?
ギリシャは労働人口の4分の1が公務員です。


 緊縮財政を余儀無くされたギリシャでは、政府が打ち出した増税や公務員の賃金削減などに反対する労働者の大規模なデモが行われました。
 ギリシャ最大の公務員組合のデモが始まりました。ボーナスの大幅カットなどに一斉に反発しています。
 財政危機に喘ぐギリシャ。国際社会から支援を受けるため、政府が打ち出した財政健全化計画が市民生活に影響を与え始めています。
 「ガソリン代が上がって運送代がかさむ。何とか値上げを我慢しているんだ」(小売店経営者)
 食料品や酒、ガソリンなどが軒並み増税され、さらに労働人口の4分の1を占めるといわれる公務員は、ボーナスや手当てが大幅にカットされました。その不満が、デモやストライキになって現れています。
 アテネ郊外の市役所に勤めるサヴォプロスさん。小学校の教員の妻との収入はボーナスの3割カット。管理職手当てのカットで年間40万円減りました。さらに政府が追加対策を打ち出せば、年間100万円のカットになるといいます。
 「生活が破たんしないようにみんなタバコや外出、休暇を控え始めている。住宅ローンが払えなくなったら、車や自宅が押収されてしまう」(市役所勤務のサヴォプロスさん)
 増税に加え、収入の減少に苦しむギリシャの人々。同じように財政赤字と巨額の債務を抱える日本にとって、決して他人事ではありません。(28日05:33)


VIX指数が急上昇しています。 今まで米国市場は企業収益の好調さから不思議なぐらいユーロには無頓着でしたが今回は意識し始めました。 一方でケース・シラー指数やコンファレンス・ボード消費者信頼感指数は好調です。

上海は以前から怪しいですが、下に切れそうです。


こうしたチャートはStockChart.comで無料で見れます。

2010年4月26日月曜日

太り過ぎだからジムに行きなさい


明治36年の晩春、経済界の不況につき日銀の重役会で金利の引き下げを決定しました。当時金利の変更には大蔵大臣の認可が必要なので、日銀山本総裁は情報管理の為に重役会を解散せずに曾禰荒助大蔵大臣に面会に行きます。日銀の政策金利変更は午後四時過ぎ、株式市場引け後、夕刊の記事にできない時間と決めてあったからです。 ところが大蔵大臣は米の出来・不出来による輸入超過を慮り(おもんばかり)「利下げの時期にあらず」と認可してくれません。

そこで日銀副総裁の高橋是清は、「貴方がたは聡明な方々たるに相違ありせんが常に多岐多端の政務に心を配られねばなりません。我々はそれと異なって二六時中経済界のこと、ことに金利政策に最も重きをおき、不断に考えているものであります。ゆえにその専門的に専一に考えている者どもの意見は尊重せらるるが当然ではないかと思います。もし政府において、今日利下げをすることは国家としてよろしくないという、何らか他に政治上の理由があれば格別。(中略)それでも信任できないとおっしゃるならば、御信任の出来る人をもって局に当たらしめられたらよかろうと思います。」と言うと曾禰大臣は考え直して認可したそうです。(是清自伝)

さて、すっかり前置きが長くなってしまいました。 先週は決してメジャーなイベントではありませんでしたが、私が思うに後世の歴史家が参考史料として取り上げるであろう重要なイベントが2つありました。

1つはG20財務省・中央銀行総裁会議出席中の白川総裁による「中央銀行の政策哲学再考」と題するエコノミック・クラブNYでの格調高い講演です。

ここでは慎重に言葉が選びぬかれていますが、要旨は「おわりに」にあります。 中央銀行の存在意義は安定的な金融環境とそれを通じて持続的な成長を実現する事の再確認と、物価安定および商業銀行の健全性が金融システムの安定と同義である考え方は時代遅れになったと言う論点です。あくまでも日銀に与えられた金融政策と言う権限の中での話しに終始して、日本の成長力の問題は別の問題に起因すると暗示している事が重要だと思います。

もう1つは、実は白川総裁とは話しが噛みあっていないのですが、対立軸として登場したともとれる「民主党デフレ脱却議連」。

先週の会合で講師を務めた飯田泰之・駒澤大学経済学部准教授の発表です。
モルガン・スタンレー証券のレポート、ジャパン・ブリーフィングから引用させて頂くと飯田氏の提言の要旨は以下の通りです。

(a) 食品・エネルギーを除くCPI を、インフレ目標の指標として用いる
(b) 政策決定における時間軸、CPI 前年比上昇率1%超1 年以上継続することをトリガーとする
(c) 量的緩和への回帰
(d) 国債利回りの1%への抑制を行うため、日銀による国債買い切りを実施
(e) 無制限介入を通じて、120 円/ドルへの円安を促す
(f) 大規模な財政支出計画とともに、日銀が債券を吸い上げる
(g) 日銀法を改正し、3 段階の金融政策決定システムを創設
i. CPI 変化率が1%-3%間は日銀が政策決
ii. CPI 変化率が1%未満の場合、財務省/政府が政策決定
iii. CPI 変化率が3%以上になった場合、日銀・財務省・政府・民間の専門家による独立委員会が意思決定

株式投資家として中長期の観点に立てば、経済成長の無い国の株式は良いリターンを産みません。 実態の無い中で株式市場が上昇する事はありますが、所詮泡沫、バブルと呼ばれ後に大きなツケを払わされる事になります。 今日本はそのツケを20年間も支払続けています。

市場の目から見ると、欧米がこの20年間成長を続けているにも係わらず、日本が低迷し続けている原因は、欧米にあって日本に無いもの、CPIに現れない資産価格の下落であり、農業保護によるFTAや郵政に象徴される中途半端な規制緩和であり、高すぎる法人税であると映ります。 リーマン・ショック後の彼我の株式市場の位置関係も欧米が奈落の底に沈み我々は無事であったわけでは無く、ショック前とは変わっていません。 そしてそれらの原因を取り除く仕事は中央銀行では無く政治家の仕事に他なりません。

しかるに片方で規制緩和の象徴である郵政の肥大化を放置し、農業者戸別補償にバラマキを強化しながらFTA問題は俎上にも登らず、地方の道路にもバラマキを復活させながら金融政策だけに焦点をあて、冒険的な金融政策を中央銀行に強要する姿勢は大きな違和感を持たせます。 デフレ脱却に取り組む事は悪いことではありませんが、本来政治の機能としてするべき事があるのでは無いでしょうか。 「民主党経済再生議連」と言う名前では無く、「デフレ脱却議連」と狭い範囲に限定したネーミングに問題を認識しながらウケを狙う政治家としての「後ろめたさ」を感じさせますし、それはとりも直さず昨今の前原誠司氏の「うかない」顔つきを見る毎に感じてしまいます。

別に自民党が良いと言う訳でもありません、一方で過去のしがらみから成長戦略における対立軸を提示できない自民党が内部崩壊していくのは歴史的必然でしょう。 鳩山弟も離党した今、戦術的にはもう自らの票田としては期待できない郵政問題を政策論争の軸にする事が有権者の興味を惹きつけるポイントだと思います。 もっともそれが出来ないから低迷しているのでしょうけれど。

最初にこれらのイベントが後世の歴史に残ると指摘しましたが、これらは決して大事件ではありません。 しかし白川総裁の講演は中央銀行の政策哲学のひとつの時代の区切りとして、また民主党デフレ脱却議連は時代の政治家の怠慢な事例として、後世の凝り性な歴史家に引用されるのでは無いでしょうか。

どう見てもメタボな民主君がどちらかと言えば痩せ気味の白川君に「君、太り過ぎだからジムに行きなさい」と言っているようにお見受けします。

2010年4月23日金曜日

クーンローブ商会 ヤコブ・シフ


日露戦争開戦直前の日本政府による戦費見積もりは、約4億5千万円でした。 10年前の日清戦争の経験からそのうち約3分1の1億5千万円は、兵器、弾薬輸入による海外支払いになると見込まれます。

当時日銀の正貨(金銀貨幣)は5千2百万円しかありませんでしたので、最低でも1億円は当時の金兌換の基軸通貨である英国ポンドでファィナンス、つまり外債を販売せねばなりませんでした。 本当にお金が無い状態で戦争を始める事になったのです。

ここで高橋是清日銀副総裁は資金調達係として大日本帝国の運命を背負ってニューヨーク、ロンドンへと赴く訳です。 「坂の上の雲」読者にはお馴染みの話しだと思います。

1904年に是清はロンドンでパース銀行(ミッドランド銀行:現RBS)を主幹事に銀行団と交渉に入りますが、当時の日本の実力では500万ポンド(5000万円)以上の募集は困難だと言う事になり、それでも半分でも無いよりいいやと、取り敢えず500万ポンドだけ募集する事になります。 条件は6%、7年、発行価格93%。

この仮契約の祝いの席で、米国クーン・ローブ商会、ヤコブ・シフ氏と知り合います。  なんと驚いた事にその翌日、シフは米国だけで5000万円分を引き受ける事を申し出てくれて、合計1億円、日本は戦争遂行の為の資金上の危機を乗り切ると言う感動の話しとなります。

この事を告げられた是清は、私はシャンド氏(パース銀行支配人)の言葉を聞いてあまりに突然なるに驚いた。 何しろシフ氏とは昨夜ヒル氏の宅で初めて紹介されて知り合いとなったばかりで、私はこれまで「クーンロエブ商会」とか「シフ」とかいう名前は聞いたこともなく、従って、シフ氏がどんな地位の人であるか知る由もなかった。(是清自伝より) とあります。

因みにクーンローブは1977年にリーマンと合併し、Lehman Brothers, Kuhn, Loeb Incとなり、1984年アメックスに買収された時にShearsonLehman American Expressとなり社名から消えてしまいます。
結局2008年にはこの会社も世界中を恐慌に落としいれて消えてしまいましたけれども。

さてクーンローブはそれほど無名な会社だったのでしょうか?

確かに当時アメリカはまだ資金を必要とする途上国で当時のウォール街の王者モルガンも欧州から資金を呼び込む仕事で財をなしていました。

モルガンは孤高の王者でしたが、それでも敢えてライバルを1人挙げるとなると、それはクーン・ローブのシフだったようです。(The Big Board: Sobel 1965)

当時1900年から1909年にかけて米国市場はある種の外債ブームだったようで、この間合計で25億ドル(約50億円)、英国でさえ、ボーア戦争の為にニューヨークでファィナンスしています。 その他にもカナダ、中国、スゥエーデン、ドイツ、ロシアなどなど。 ドイツ・フランクフルト生まれのユダヤ人のシフはドイツのファィナンスのお世話をしています。(当時の為替は1ポンド=5ドル=10円)

ですから是清さんも驚いている場合でなく、本来は当時のNYの大蔵省、日銀、横浜正金銀行(東京銀行⇒MUFJ)の駐在員に厳重注意をしなければなりませんね。何を見てるんだおまえらと。
何しろ彼らはNYでは資金調達は絶対に無理と言っていたのですから。

シフは当時ロシア帝政によって抑圧されていたロシア領内のユダヤ人を救うと言う大義の為に、困難を承知で日本国債を引き受けました。

結局日露戦争後に決算されたこの戦争の軍事費は17億4600万円で、これに各省の臨時経費増加分をたしあわせると合計は19億8400万円と事前予想の4倍にもなりました。 近代戦は予想よりも遥かにコストのかかるものでした。是清は8億2千万円も海外から資金調達する事になります。 

明治元老達が早く戦争を止めたかったのがよくわかります。 こうした債券の担保は関税収入だったり、鉄道収入だったりするのですから、たとえ戦争に勝ってもこれ以上のファィナンスはもう無理だったのです。

クーンローブのシフ氏は戦後の1906年2月、この資金調達の功に対する叙勲の為訪日します。 そしてその時の日本旅行記が残っています。 この時シフは日本各地で救世主として熱烈大歓迎を受けました。 歯医者で治療してもらっても「シフさんからお金を頂戴する訳には参りません。」と言った具合です。

シフは鉄道株でも資産をなした男、交通機関を非常に細かく観察しています。この来日も日露戦役の勝利獲得品である満州鉄道の権益も関係していました。

日露戦争に投資した男 ユダヤ人銀行家の日記 新潮新書 田畑則重著



浅草に行ったり、日光、箱根、京都、大阪と当時の風俗を知るに貴重な文献と言えるでしょう。
鉄道マニア、特に歴鉄は必見ですね。x東武鉄道x日本鉄道が特別列車を仕立てたりしています。


追記:
当時の貨幣価値ですが、これは難しい問題です。
夏目漱石の坊ちゃんが明治三八年(1905年)に松山中学の教師で赴任したときの月給が40円。
石川啄木が翌年盛岡中学中退で尋常小学校の代用教員になった時が8円です。凄く差がありますが、学歴の差です。坊ちゃんは物理学校を卒業しています。

このまま現在の価値が1万倍だとして考えるとしたら、戦費の18億円は18兆円ですかね。
現代とは経済規模があまりに違いますから比較は困難です。

当時の連合艦隊旗艦「三笠」の建造費用は船体88万ポンド、砲など兵器類32万ポンド合計120万ポンド。
当時で約1200万円一万倍で、現在の価値で1200億円。 イージス艦「ちょうかい」が1056億円ですから同じようなものなのでしょうか。

1900年の名目GDPは約24億円、中央政府一般会計+特別会計合計が4億4300万円しかありません。
8億円の対外債務は対GDP比33%。  実に現実的な政府です。
明治の元勲達が今の財政赤字を見たら「世界中の国と戦争でもしているのか?」とびっくりした事でしょう。(データ:近代日本経済史要覧:東大出版会)


2010年4月22日木曜日

政府「法人税ゼロ」検討


このブログでも何度が扱ってきましたが、法人減税の問題が日経ビジネスの記事でスクープとして記事になっています。

成長戦略で外資の参入促進、シンガポール並み優遇に

政府が6月にまとめる成長戦略の目玉として、新たに日本に進出する外国企業を対象に、法人税を大幅に減免する外資導入促進策を検討していることが明らかになった。

 日本の法人税率は主要国で最も高い水準にあり、日本企業の国際競争力を減殺するだけでなく、日本市場に進出するチャンスをうかがう外国企業にとっては最大の参入障壁となり、日本経済が閉鎖的と批判される要因ともなっていた。

 鳩山由紀夫首相は日本企業の法人税負担も軽減する方針を示しており、自民党政権下では手が付かなかった法人税改革が進む機運が高まってきた。



法人税は、簡単にすると、

EPS(一株当たり利益)=(税前利益-法人税)÷発行株式数

ですから、

税前を10、法人税率を40%とすると、
10-4=6
だったものが仮に法人税率0%とすると、
10÷6=1.67 
ですから EPSが67%増となります。
EPSが上昇すれば、ROA、ROEが上昇します。 当たり前ですね。


この不景気で10%増益でも凄いのに67%も一気に上がってしまう。
配当も主に税引き後から配当されるので、配当利回りも上がる。
内部留保も税引き後から蓄積されるので、企業価値も上がる。

もともと企業収益は、国(税金)か株主(配当と内部留保)の分け前の取り決めな訳です。
(ここでの国は地方政府も含めます。)

逆に言えばこれまで他の国に比較して、日本では国への配分が多すぎた。
成長戦略がどうしたとか振興策がどうだとか過去現在色々と検討されてきましたが、税率を下げれば企業収益は一気に上昇します。 高すぎたんですよ。

実際に妙な制限を設けて特定の業種、企業の実効税率を0%とし、他の企業は若干下げるなどと言う策は不公正な競争を産みがちです。 ここは一律どんな企業も実行税率を20%程度(タックス・ヘブンぎりぎり)当たりにおいて、どうしても来て欲しい業種があるなら別の政策で優遇すべきだと思います。

懸念は日本は株主を優遇し過ぎてきたなどと言うトンチンカンな民主党の一部勢力。配当性向への規制などとパッケージ化されないように見守りたいところです。

しかし企業寄りのはずの自民党は何故こんな簡単な事が出来なかったかったのでしょうか?

実効税率20%でEPS33%増、この政策の信憑性が高まる毎に日本株への投資配分比率は高まると思います。また企業価値は複利効果で増加する事を思い起こして下さい。税金の影響はとても大きいのです。

以前の法人税率(実行税率)関連のエントリー
過去の実効税率推移、他国との比較検討

アジア勢との比較、EUは税率を下げても税収は減らなかった。



2010年4月18日日曜日

週末雑感 100418


全体相場
今のマーケットを長期的に展望するならば、85年から始まったいわいるグレートモデレーションと呼ばれる長期強気相場の調整局面である事は何も変わってはいない。
ここでは企業も家計、特に米国の家計は債務を重ねレバレッジを上げ積極的な消費を行う事によって持続的で安定した経済成長を謳歌してきた。 それが2007年頃から変調をきたし、民間の債務を国家が肩代わりする事で急激なショックを和らげている。 PIMCOの言うところのニュー・ノーマルである。 その辺の事情は何も変わっていないし、ギリシャを代表する財務問題で、ここのところ一層顕著になってきたところだ。 米国で言えばケース・シラー住宅指数は9年4Q頃から戻りが悪くなってきているし、個人のクレジットカード債務の与信残高が減少し続けている事など傍証は揃っている。

以下はMSCI各国別インデックス
こうした景気の極端な落ち込みを緩和してきた中国やブラジル、インドも株価を見る限りでは09年4Q辺りで頭を打って、どちらかと言えば米国市場のみが元気であったと言う印象だ。

各国の製造業景況感指数を見るとそのあたりはもう少しはっきりと見てとれる。

日経ヴェリタスより、

底打ちの過程で戻しが期待を上回ったと言う感じでは無いだろうか。

一方東京市場の個別株式で見ると、今週の日経ヴェリタスの表紙は「脱危機宣言 企業競う 『リーマン』超え、攻めの経営で出口へ」とあるように、先行きの企業収益予想は強気の見通しを示し、株式市場のテクニカルインジケータ類が逼迫しそうな状況下にありながら強気なコメントも散見される。 投資銀行分野でも金額面では大型銀行増資のあった昨年程では無いにしろ、CDSの低下や一応の市場の底打ち等を捉え増資話しやIPOも件数は出てきそうな見通しだ。

したがってセンチメントが再び奈落のそこまでちる事は無いだろうが、適当な調整が必要なポイントにさしかかったと言えるだろう。  特に内需関連株に期待がシフトするようでは少々こころもとない感じがする。

ゴールドマン
ゴールドマンの提訴では内部での驕ったメールのやり取りが取りざたされ、会社は「訴えには根拠が無い」と反論しているが、これは常套文句でネットバブル時のメリルだって徹底抗戦の構えはしていた。 GS対政府と言うよりもGS対選挙民の戦いになる可能性が高い。 クルーグマン教授などもNYTのブログでアカロフの論文などを持ち出して、この手の話しではGSの味方は少ないのだろう。 問題はGSの当面の収益では無くインチキ臭い(少なくともそう見えてしまう)商品群への投資意欲の問題だろう。投資する機関投資家もそれがほんのしばらくの間であったとしてもマヌケにはなりたくないだろうから。 リーマンのいわいるレポ105に絡む破綻報告書の問題もこれをきっかけに再燃する可能性が高いだろう。今週のヴェリタスはフォーカスのコラムでこの問題を取り扱っている。



公募投信残高が3年ぶりに増加した。
2005年には株式投信の全体の残高に占める銀行経由の比率が一時50%を超えたが、07年9月の金商法改正以降銀行の投信販売が急減速、09年には証券経由がその他の2.7倍の規模を持つようになったそうで、メガによる個人向け投信販売における系列証券の位置関係に影響を及ぼすだろう。 但し長期投資と言うより回転率の高いトレーディングの様相も呈しているようだ。


1Q84 村上春樹
今や国民的第ブームとなって世代を問わず購入すると言う1Q84 BOOK 3だが、金曜日にアマゾンから届いた。 これは昔FF5やFF6が待ち遠しかったように、今では発売が毎回楽しみなものになってしまった。 私にとっては村上春樹の小説はどの作品も明確なメッセージを持っているのだが、今回は何らかの政治的メタファーは実はあまり感じない。 むしろ、今回の作品の印象を2つのキーワードで表すならば、「レトリック」であり、「オッカムの剃刀」。 小説の技法的な側面を読者として強く意識してしまう。 作品自体がまるでレトリックの辞書であるかのような様相を呈している。(そのクセ無駄が全く無い。) したがって登場人物を書き込むこれらの表現がページ毎に非常な楽しみとなっている。

高橋是清
一通り是清関係の小説、自伝、随想録、また、和文・英文日記を分析した「高橋是清と国際金融」なども通読したが、今は後の日銀総裁で欧米に同行した深井英五の「回顧七十年 (1948年)」を読んでいる。 これは時間がかかりそうだ。本物の良書だ。 松方正義関連も少し読む必要がありそうなので適当な本を探している。



今回はですます調を変えてみました。

2010年4月15日木曜日

川田龍吉 グラスゴー


ペルー銀山事件の失敗で失意のどん底にある高橋是清を、もう一度世に出すべく日本銀行の建築現場に採用してくれたのは、岩崎弥太郎とともに三菱創業に貢献した土佐郷士出身、第3代日銀総裁である川田小一郎でした。

1977年夏、函館近郊。トラピスト修道院の近くの、ある古い農場の倉庫にあった金庫から89通の英文の手紙が発見されました。差出人はJeanie Eadie、かつて英国グラスゴーに住んでいた19歳の金髪の敬虔なクリスチャンの少女。1883年から1884年にしたためられた約130年ほど前のラブレターでした。

宛先は川田龍吉(1856~1951)、小一郎の長男で、三菱重工業の前進となる横浜船渠の創始者であり、函館ドックの再建にも尽力しました。今でも横浜みなとみらいでイベントが行われるドライドック(船渠)は彼が造ったものです。 彼は引退後函館の近くで川田農場を創立し川田家の爵位から名付けられた男爵イモはご本人の名前以上に今では一般にひろく有名になってしまっています。

龍吉は21歳の時に三菱のスポンサーシップで造船の勉強の為にスコットランドにあるグラスゴーの造船所に留学します。

当時グラスゴーは人口100万人を超える英国第2位の都市で(現在は約半分にまで減っています。)、1900年前後には街を流れるクライド河の沿岸は世界の蒸気船の約半数が建造されるほどの造船のメッカとも言える地域だったのです。皮肉なことにこれらの造船所が衰退した理由に龍吉達が技術を持ち帰った日本の造船業の隆盛がある事は言うまでもありません。もちろん日本の造船業にもおなじことが起こりました。労働集約的な造船業は先端分野を除き先進国には向いていないのです。

龍吉は身長155センチと小柄です。危険の多い造船所で大男にまみれて力仕事もこなす内に肉体的な劣等感も感じるようになったのでしょうか、グラスゴーではうつ病に悩まされていたようです。

そんな日々、龍吉はグラスゴーの駅前にある本屋で働くジニーと出会い恋に落ちます。そして手紙のやり取りが始まるのです。今から130年も昔の話です。

明治男性の欧州人女性との恋は、「舞姫」に見られる森鴎外とエリス、広瀬武夫中佐とロシア貴族令嬢アリアズーナ、ニッカ・ウィスキーの竹鶴と妻リタとそれ程珍しい訳でもありませんが、婚約まで織り込んだラブレターは可燐で、成就できなかった恋は読む者を切なくさせるものがあります。 

彼女を残して帰国した龍吉は結局外国人女性との結婚を許されなかったのでしょう、また日本帰着後の手紙は一通もありませんから多分両親が廃棄してしまったものと推察されます。そして龍吉の手元にあった手紙は金庫の奥深くしまわれ、それでも棄てきれずに残されていたのでしょう。


これらのラブレターを集めて本にしたのが、


この事実を掘り起こしたのが著者であり、関連番組も制作した元NHKディレクターの伊丹政太郎氏です。番組は1979年に制作されているようですが、その後も新たに電子化され開示された英国の戸籍データ等を駆使しジニーのその後の行方も追いかけています。

良本ですが高価です。せめて新書でもう少し値段が安ければ良いのですが、大きなお世話ながら興味のある方は図書館の利用が良いと思います。
読み始めると止まりません。


2010年4月11日日曜日

高橋是清


高橋是清は有名人ですのでWikiで調べれば直ぐにどんな人であったのか簡単にわかる訳ですから、あらためてブログに書くまでも無いのでしょうが、ここのところ是清関連の本を随分読んだので、ブログの更新が滞っている事もあり、敢えて書いてみる事にしました。

高橋是清は明治以降の日本において二大財政家と呼ばれている昭和恐慌期に活躍した大蔵大臣です。 もう一人は開国から金本位制を確立するまでの混乱期、つまり資本主義の成立過程の舵取りをした松方正義、松方財政として教科書でも習ったかと思います。

是清の生涯はまさに「真実は小説よりも奇なり」と思えるほど、どんな想像力の逞しい人がストーリーを考えたとしてもこれには及ばないと言えるほど波乱万丈に満ちています。 是清の人生は前半部分と後半部分に大きく2つに分ける事ができますが、前半は様々な職業を経て日銀副総裁となり、日露戦争時の資金調達を目的に欧米で日本国債を販売した時まででしょう。

後半は日銀総裁となり、政界に転出、普通であればこれで貴族院議員として比較的地味な余生を送れたのかもしれませんが、是清は大蔵大臣を経て首相に上り詰めます。 そしてその後首相経験者であるにも関わらず昭和恐慌時には三度も請われて大蔵大臣を務め恐慌を乗り切り、最後は2.26事件で暗殺されると言う非常に数奇な人生を送る事となってしまいます。


是清の実父は幕府御用絵師川村庄右衛門、時に47歳。 この人は酒と色に弱く、近在の魚屋から行儀見習の為に奉公に上がっていた16歳の「きん」に手を付けます。そうして生まれたのが是清で、生後間もなく仙台藩の足軽高橋家に養子に出されてしまいます。 それから是清は寺で勉強したり、仙台藩から開港したての横浜で英語の勉強に出されたり、横浜大火の後は横浜外国商館の銀行でボーイをしたりしながら英語を習得し、明治維新の前年に米国に留学します。

留学の際仙台藩は悪い米人御用商人に騙され、是清は奴隷(正確には年季奉公)として売り飛ばされ、本人はそれとは気付かずサンフランシスコの対岸オークランドで奴隷同然の生活をします。 しかし留学とは何か、どう言うものなのかを知りませんからそれはそれで不満が無かったりはしているのですが、あれこれしながら結局明治維新時には日本に帰国しています。

その後森有礼の知遇を受け大学予備門で英語を教えたり、共立学校(開成高校)で教師をしたり(NHKの坂の上の雲で子規と真之の出会いで登場しました)しながら当時の売れっ子芸者東屋桝吉のヒモになったりしますが、そのうち官途に就き日本の特許制度を整備したりします。そうしてようやく生活が安定してきた頃、ペルー銀山の話が持ち上がり請われてペルーに赴きますがこれが詐欺で大変な目にあってしまいます。

そうこうしているうちに日銀の建築事務所(今現在の建物建築の為の工事事務所)に非正規社員として雇われ、やがて頭角を現し横浜正金銀行(旧東京銀行)頭取、日銀副総裁となり、日露戦争時には困難と思われた日本国債販売の全責任をもって欧米に旅経つと言う前半生です。この時が53歳。

これでもかなり端折って書いていますから実際に自伝でも読まれたらもっと驚く事請け合いです。

しかし時に、こうした経歴をひとつひとつ列挙するよりも一葉の写真がその人となりを多く物語ってくれる事もあります。


資金調達の為に英国にいた時の写真です。 遠近感が狂っているのかと思うほどの前列右の大きな人が「達磨蔵相」事、高橋是清です。

人から愛されたと言うのがよく分かりますよね。右端で横を向いている一見小柄に見える人がこの時是清が指名して唯一連れて行った深井英五、同志社の出身で後の日銀総裁となります。

高橋是清を読むにはどの本がお勧めか。
「熱い嵐 高橋是清の生涯:松浦行真」と言う産経新聞の論説委員の方が書かれた小説です。 1979年に初版となり、直後にTBSで森繁久彌主演でドラマ化されています。また1998年には津本陽が「生を踏んで恐れず 高橋是清の生涯」を書いていますが、この両書とも今は絶版ですから中古か図書館でしか読むことはできません。 一方で新書では「高橋是清―財政家の数奇な生涯 (中公新書)」が出ていますが、これは1969年に初版、1999年と2006年に復刻版が出されていますので、広く読まれている事がわかります。 1冊ですまそうと思うのなら高橋財政にページを割いているこの中公新書版がお奨めです。

しかし何と言ってもこれらの小説や新書の1次資料となっている、「高橋是清自伝(上下)」中公文庫を読む事を強くお奨めします。普通1次資料と言うものは読みにくい事が多いのですが、出版されたのが1936年と時代が近い為に文章がとても読みやすいからです。 中公文庫で言うと1976年初版、2009年に19刷が発売されています。 小説は消えていくが、1次資料は読み継がれて行く。データもこれを読めと示唆していますね。

この自伝の冒頭、本人と編者上塚司記によるまえがきの日付が昭和11年1月31日となっていますが、高橋是清はその翌月2月26日の2.26事件によって暗殺されてしまいます。 死の直前にまとめられた本と言う事になります。 但しこの自伝は是清53歳、日露戦争当時の日本国債販売の下りまでで集結しています。

後半生では、高橋義夫さんのドキュメンタリー「金融恐慌 蔵相 高橋是清の四十四日」と言う週刊ダイヤモンド企画による本もありますが、是清はこの時代の主役ですから昭和恐慌を扱った文献には当然ながら数多く登場する事になります。

自伝は高橋是清の人生でもありますが、明治と言う時代の系譜にもなっていますので、軍主体に書かれた「坂の上の雲」と別のアングルを変えた「明治」と言う読み方もできるのではないかと思います。

私はと言うと今は前出の深井英五の「回顧七十年」の到着を待っているところです。 この本は日銀での教材にもなっているそうです。



2010年4月3日土曜日

The IMF Does Europe ケネス・ロゴフ


ケネス・ロゴフがProject Syndicateに記事を書いてました。
著書 This Time Is Different以降、一時のルービニ先生みたいに弱気派に受けている訳ですが、PIMCOのコメントに再三登場するように、ストラテジーを担当する人達には深く共有されるべき知識となっております。 こうした本は市場参加者の頭の中にパイプラインを徐々に延長していき、一旦何か起こった時には、各人の中で同じような急激な流れを作る可能性があります。 以前情報カスケードで紹介しておきましたが。そうした時には市場は一方向に動きます。

ともかく一応意訳しておきましたのでご参考に。誤訳の責任は持てませんのであしからず。

Kenneth Rogoff

2010-04-02

CAMBRIDGE – With the International Monetary Fund playing a central role in the eurozone’s blueprint for a bailout of Greece, the multilateral lender has come full circle. In its early days after World War II, the IMF’s central task was to help Europe emerge from the ravages of the war. Once upon a time, the Fund had scores of programs across the Continent (as Rong Qian, Carmen Reinhart, and I illustrate in new research on “graduation” from sovereign debt crises.) But, until the financial crisis, most Europeans assumed they were now far too wealthy to ever face the humiliation of asking the IMF for financial assistance.

IMFがユーロ圏におけるギリシャ救済の青写真を描く中心的役割を担う事になり、この多国籍融資機関の活動領域は広範なものとなった。 第2時世界大戦後の早い時期、IMFの中心的役割は戦争で破壊された欧州の復興を手助けする事であった。 その昔IMFは大陸を縦断するプログラムの総譜(指揮者用の楽譜)を握っていたのだ。( Rong Qian, Carmen Reinhart and Rogoffによる新しい研究「国家債務危機からの卒業」参照)。 しかし金融危機以前、殆の欧州の人達はIMFに財政的援助を請う屈辱にまみれるには自分達は既に充分に金持ちであると考えていた。

Welcome to the new era. Europe has become ground zero for the biggest expansion of IMF lending and influence in years. Several large Eastern European countries, including Hungary, Romania, and Ukraine, already have substantial IMF loan programs. Now, the eurozone countries have agreed that the Fund can come into Greece and, presumably, Portugal, Spain, Italy, and Ireland, if needed.

新しい時代にようこそ。 欧州は数年に渡るIMF融資とその影響力の最大限の拡大に関して言えば元の木阿弥の状況になってしまった。いくつかの東欧の国々、ハンガリー、ルーマニア、ウクライナは既に多額のIMFローンプログラム下にある。 そして今回、ユーロ圏の国々はギリシャ、これはつまり必要とあればポルトガル、スペイン、イタリアとアイルランドもファンドのお世話になる事に同意してしまったのだ。

The IMF’s resurgence over the past year is breathtaking. Castrated by populist rhetoric during the Asian debt crisis of the late 1990’s, the Fund had been struggling to re-anchor its policies and rebuild its image. When France’s Dominique Strauss-Kahn took over the helm in the fall of 2007, even poor African countries were shunning the IMF like a leper, preferring to make deals with non-traditional lenders such as China. Absent new business and new revenues, the Fund was facing dire cutbacks to ensure its own survival.

ここ数年のIMFの復活は目をみはる物があった。 フランスのドミニク・ストラウス-カーンが2007年の秋に支配権を握った時、貧しいアフリカ諸国でさえまるでのけ者(レプラと言う単語を使用している。)のようにIMFを忌避し、中国のような非伝統的な貸し手との取引を好んだ。 新規のビジネスも収入も無く、IMFは自身の生き残りを掛けての大胆なリストラに直面していた。

What a difference a crisis makes. Now the IMF has ascended Mount Olympus. In April 2009, G20 leaders approved a quadrupling of the Fund’s lending capacity. The increase was perhaps exaggerated in the heat of the moment, but a good chunk of the money actually appears to have materialized. And for Europe, the help has come none too soon.

金融危機は何をどうもたらしたのか? いまやIMFはオリンポスの山を登りつめてしまった。 2009年春、G20のリーダー達はファンドの貸出枠を4倍に拡大する事を承認した。 その時には拡大は大袈裟だと思われたが、現実には相当な量の資金が使用される事になった。欧州向けの救済資金はあまりにも早く無くなってしまったのだ。

Does the IMF’s arrival in Europe signal the beginning of the end of the region’s staggering debt woes? Hardly. The Fund does not bestow gifts; it only offers bridge loans to give bankrupt countries time to solve their budget problems. Although countries occasionally can grow their way out of debt problems, as China did with its 1990’s banking crisis, bankrupt countries usually face painful budget arithmetic. Short of default and inflation, most countries are forced to accept big tax hikes and spending cuts, often triggering or deepening a recession.

IMFの欧州登場は地域の揺れ動く財政赤字問題の終わりの始まりを意味するのだろうか? 多分そうでは無い。 IMFは贈り物を贈呈する訳では無い。財政問題を解決する為に時宣に応じて破綻国家にブリッジ・ローンを供給するだけなのだ。 1990年代の中国の銀行問題の時のように稀に自力で赤字問題の頚きを脱して成長する国もあるが、破綻国家は通常痛みを伴なう財政問題に直面する事になる。 債務不履行やインフレに陥る前に、殆の国はリセッションのきっかけや深化の原因となる大幅な増税や歳出削減を受け入れさせられる。

To be fair, the Fund’s reputation for imposing austerity is mostly an illusion. Countries usually call in the IMF only when they have been jilted by international capital markets, and are faced with desperate tightening measures no matter where they turn. Countries turn to the Fund for help because it is typically a far softer touch than private markets.

公平に見て、緊縮財政を強要すると言うIMFの悪評判は勘違いだ。 国家がIMFに助けを求める時は国際的な資本市場から冷たくされ、どうしようも無く絶望的な引き締め局面にある時に限られる。 国家がIMFに助けを求めるに至るのは、大体の場合においてそれが市場よりもよほど優しいからなのだ。

But gentleness is relative. It will be very tough – not only for Greece, but for all the other overextended countries of Europe – to tighten fiscal policy in the midst of recession without risking a deepening spiral. Simply put, no one wants to be the next major IMF supplicant.

しかしその優しさは時と場合による。 ギリシャだけで無く、欧州の財政的に拡張し過ぎた国家、つまりリセッションの最中にスパイラルの深みに入る事無く、財政政策を緊縮しなければならない国家にとって、IMFは非常に厳しい態度を取るだろう。


Nor does the IMF’s arrival mean that bond holders are off the hook. As Qian, Reinhart, and I document, there have been numerous instances in which countries enter IMF programs but end up defaulting anyway. The most famous case is Argentina in 2002, but other recent examples include Indonesia, Uruguay, and the Dominican Republic.

IMFの登場によって債券保有者は危機を脱する訳では無い。私たち(Qian, Reinhart)が調べたところIMFプログラム下にあっても結局破綻した国家の事例は数多くあった。 有名なところでは2002年のアルゼンチン、それ以外にも最近の例としてインドネシア、ウルグアイ、ドミニカ共和国など。

The endgame could be the same for many European countries. Ukraine is already struggling. But, for the most part, the sovereign default process is slow-motion Kabuki theater. Why should a country choose to default as long as there are rich benefactors willing to lend money to preserve an illusion of normalcy? Bond markets are easily lulled.

多分終盤戦は多くの欧州国家も同じだろう。 ウクライナは既にもがいている。 しかし多くの場面において破綻の過程はスローモーションな歌舞伎の世界だ。
通常と言う幻覚を継続するための資金を出してくれるお金持ちの後援者がいるにもかかわらず国家がデフォルトを選んだりはしない。 債券市場は簡単に一時的な小康状態になる。 

The stakes for the IMF in Europe are huge. It is not going to be an easy balancing act. If the Fund attaches tough “German-style” conditions to its loans, it risks provoking immediate confrontation and default. This is the last thing that it wants to do. So far, it has been pretty soft in Eastern Europe, endorsing programs that depend on optimistic projections of both future budget cuts and economic growth.

IMFの欧州への融資は巨額である。簡単な綱渡りではない。 もしIMFが”ドイツ式”の厳しい条件をローンに付加するならば即刻対立と破綻を惹起させる危険がある。 そしてそれは一番望まれ無い事でもある。 今のところ将来の楽観的な歳出削減と経済成長予想双方に基づき承認されたプログラムによって東欧にはかなり柔和な態度で接している。

The problem with being “Mr. Nice Guy” for too long is that, even with its vast new resources, the IMF cannot let clients hang on forever. If it does, it might not have sufficient funds for the next crisis, which will inevitably come, possibly from an unexpected quarter such as Japan or China.

長く”ナイスガイ”であり続ける為の問題点は、直近の巨額な投入資源を持ってしても、IMFはその顧客を永遠には顧客として扱え無い事だ。 もしナイスガイであり続けたら、次の必然的な、そして日本や中国など多分予想外な方面からやってくる危機に充分な資金を確保できないだろう。

Moreover, if the Fund loses all credibility for catalyzing budget reform, its magnanimous bailouts will only serve to exacerbate the larger global sovereign-debt crisis that is brewing not just in Europe, but in the United States, Japan, and elsewhere. Slow growth, aging populations, and soaring deficits are a dangerous mix.

さらに、もしIMFが財政改革を促す信頼性を損ねたら、その寛大な救済処置はさらに大きなグローバル規模の、欧州だけで無く、米国や日本やその他の地域でも醸成されつつある国債危機をさらに悪化させる事になるだろう。

The question for the IMF in Europe is not whether it has a plan viable for getting in. It has landed in force. The question is whether it has a plausible exit strategy.

欧州におけるIMFへの課題は始動可能な計画を持っているかと言う事では無い。これは強制着陸なのだ。 課題はもっともらしい出口戦略を持っているかと言う事なのだ。



2010年4月1日木曜日

新酒番船 樽廻船レース


飛行機で旅をしていると、着陸間際に床下からブーンと機械音がしてきます。 NYや欧州便などの長旅の帰りでは、「もう日本に着くな。」と言う合図でもあるのですが、この音、ひとつは車輪を出す音でもう一つはフラップを出す音です。 窓際の座席で翼の見える位置にいますと細い翼が驚くほど大きく拡がるのが見えます。 これは着陸の際に減速しても失速しないよう揚力を確保する為に翼の面積を広げているのです。 翼の揚力は速度の2乗に比例します。


第2次大戦時の飛行機にはフラップがついていましたが、複葉機の時代には未だフラップはありませんでした。
これが何を意味するかと言うと、高速を出すためには揚力の強い大きな翼は邪魔になります。 つまり高速を出すには揚力の弱い翼を持たせなければならない為に離陸速度を確保できる長い離陸距離、長い滑走路が必要な訳です。



ここで我々の感覚にそぐは無い事が起こっています。 シュナイダー・トロフィー・レースと言う飛行機の最高速度を競うレースが第1時大戦を挟んで開催されていました。

ここではどう見ても空気抵抗の大きい水上機、あるいは飛行艇が最高速度を競っていたのです。 何故空気抵抗の少ない陸上機で無かったかの理由は翼にあります。 海面や水面では長く滑走距離を取れた為に揚力の低い、つまり速度の早い翼を採用できたからです。 空気抵抗よりも滑走距離が重要な時代だったのですね。


ジブリの「紅の豚」に登場する主人公ポルコ(イタリア語で豚)の乗るサボイアS21やライバル米国人カーチスの乗るカーチスはシュナイダー・トロフィー・レースをモチーフにしています。ポルコのサボイアS21は実在のレース機マッキM33をモデルにした架空の飛行機ですが、カーチスの乗るカーチスは1925年の優勝機カーチスR3C-2がモデルになっています。


この時の優勝パイロットは後に日本本土を初めて空襲したB-25による爆撃隊指揮官ドーリットルでありました。酷評された映画「パール・ハーバー」でお馴染みですよね。「レッド・オクトーバーを追え」のアレック・ボールドウィンが演じてました。




このシュナイダー杯、英、仏、伊、米で競われました。 ドイツは第1次世界大戦敗戦で空軍を持てませんでしたからこの競争には参加していません。いずれかの国がレースに3回連続で優勝するとレースは終了する約定になっていましたから、英国が1927、29、31年と優勝してしまいこのレースは終了します。 1913年の優勝者は時速72km、最終年1931年の英国スーパーマリーンS6Bは時速547kmを出していますから、意地をかけた戦いがいかに技術進歩に寄与したか分かろうと言うものです。 この時のエンジンはロールスロイス社製で実に2300馬力をひねりだしています。  画像等はThe Schneider Trophy and Vintage seaplaneのサイトからです。 日本人の方が綺麗なイラストを提供したりしてますので是非見て下さい。


さて大変長い前振りになってしまいました。

今回の主役は「新酒番船」

教科書で江戸時代の海運と言うと、菱垣廻船、樽廻船ですが、これらもシュナイダー杯のように元禄から明治2年まで約160年間に渡って毎年上方から江戸への一番乗りレースが開催されていました。 スコッチ・ウィスキーの「カティ・サーク」で有名な英国の中国-ロンドン間のクリッパーによる紅茶一番茶争い、ティー・レースよりも古い伝統を持っていた訳です。 

お酒は腐敗しやすかったので、積荷を混載する菱垣廻船では積載に時間がかかってしまい都合が悪かったのです。 そこでお酒運搬船用につくられたのが樽廻船です。

1833年に江戸に持ち込まれた酒が4斗樽で約100万樽、この内約半分が灘(摂津の他の地域は除く)から送られていました。江戸の人口を女子供も入れて100万人とすると、一人4斗=72リットル。成年男子はざっくり半分でも一人1日4合。地酒もあってでしょうから大酒飲みぶりにも驚きますが、灘からだけでも毎年50万樽が船で江戸まで輸送されていたのにはさらに驚かされます。 航海中の程よい揺れが杉材の樽からエキスを抽出して、ウィスキーやワインのように味がよくなっていたと言われています。

一番大きな樽廻船で1800石、単位換算では1800x10斗=324トンですが、大体2000樽(144,000リットル)程積載できたようです。 50万樽を運ぶのには平均的な船の大きさが半分の900石としても500艘の樽廻船が必要な計算になりますね。

競争のおかげで航海技術は進歩し、船も大型化して行きます。 天候にもよりますが、上方から江戸まで平均で1週間、早い船は2.4日で到着していたそうですからやはり何でも民営化、競争するのが一番のイノベーションのようです。

さて江戸っ子は初鰹に大枚をはたきますが、その年の新酒一番乗り、つまりレースの勝者の酒はご祝儀も相まって相場の5倍程で販売できたそうです。また一番を獲得した船は「惣一番」と言ってその年は品川沖、大阪で後から入港しても荷役は順番を飛び越えて一番にして貰える特権が付与されていたようで。 簡単に言うと大儲けができたと言う話しですね。英国のティー・レースでも中国からもたらされる一番茶は非常に珍重され高値がついたと言われています。

ここまで予備知識があると楽しめるのが、天保新酒番船。 このレースをテーマにした小説です。 それと山本一力の「蒼龍 (文春文庫)」の中の「節別れ」は灘からの酒をテーマにしています。山本一力は他の小説でも龍野の酒を扱っていますが、龍野はご存知のように淡口醤油の名産地、17世紀には酒造で栄えていましたが、水質が軟水で、酒造りに必要な硬度が無く腐敗しやすかった為に18世紀以降酒造は廃れています。彼はもちろん知っていてあえて龍野桜を小説で扱っているのだと思われます。 日本史の意外な一面が覗けて面白いですよ。

結局前振りの方が長くなってしまいました。

3月に読んだ歴史本はこれで本当に打ち止めです。