2010年4月1日木曜日

新酒番船 樽廻船レース


飛行機で旅をしていると、着陸間際に床下からブーンと機械音がしてきます。 NYや欧州便などの長旅の帰りでは、「もう日本に着くな。」と言う合図でもあるのですが、この音、ひとつは車輪を出す音でもう一つはフラップを出す音です。 窓際の座席で翼の見える位置にいますと細い翼が驚くほど大きく拡がるのが見えます。 これは着陸の際に減速しても失速しないよう揚力を確保する為に翼の面積を広げているのです。 翼の揚力は速度の2乗に比例します。


第2次大戦時の飛行機にはフラップがついていましたが、複葉機の時代には未だフラップはありませんでした。
これが何を意味するかと言うと、高速を出すためには揚力の強い大きな翼は邪魔になります。 つまり高速を出すには揚力の弱い翼を持たせなければならない為に離陸速度を確保できる長い離陸距離、長い滑走路が必要な訳です。



ここで我々の感覚にそぐは無い事が起こっています。 シュナイダー・トロフィー・レースと言う飛行機の最高速度を競うレースが第1時大戦を挟んで開催されていました。

ここではどう見ても空気抵抗の大きい水上機、あるいは飛行艇が最高速度を競っていたのです。 何故空気抵抗の少ない陸上機で無かったかの理由は翼にあります。 海面や水面では長く滑走距離を取れた為に揚力の低い、つまり速度の早い翼を採用できたからです。 空気抵抗よりも滑走距離が重要な時代だったのですね。


ジブリの「紅の豚」に登場する主人公ポルコ(イタリア語で豚)の乗るサボイアS21やライバル米国人カーチスの乗るカーチスはシュナイダー・トロフィー・レースをモチーフにしています。ポルコのサボイアS21は実在のレース機マッキM33をモデルにした架空の飛行機ですが、カーチスの乗るカーチスは1925年の優勝機カーチスR3C-2がモデルになっています。


この時の優勝パイロットは後に日本本土を初めて空襲したB-25による爆撃隊指揮官ドーリットルでありました。酷評された映画「パール・ハーバー」でお馴染みですよね。「レッド・オクトーバーを追え」のアレック・ボールドウィンが演じてました。




このシュナイダー杯、英、仏、伊、米で競われました。 ドイツは第1次世界大戦敗戦で空軍を持てませんでしたからこの競争には参加していません。いずれかの国がレースに3回連続で優勝するとレースは終了する約定になっていましたから、英国が1927、29、31年と優勝してしまいこのレースは終了します。 1913年の優勝者は時速72km、最終年1931年の英国スーパーマリーンS6Bは時速547kmを出していますから、意地をかけた戦いがいかに技術進歩に寄与したか分かろうと言うものです。 この時のエンジンはロールスロイス社製で実に2300馬力をひねりだしています。  画像等はThe Schneider Trophy and Vintage seaplaneのサイトからです。 日本人の方が綺麗なイラストを提供したりしてますので是非見て下さい。


さて大変長い前振りになってしまいました。

今回の主役は「新酒番船」

教科書で江戸時代の海運と言うと、菱垣廻船、樽廻船ですが、これらもシュナイダー杯のように元禄から明治2年まで約160年間に渡って毎年上方から江戸への一番乗りレースが開催されていました。 スコッチ・ウィスキーの「カティ・サーク」で有名な英国の中国-ロンドン間のクリッパーによる紅茶一番茶争い、ティー・レースよりも古い伝統を持っていた訳です。 

お酒は腐敗しやすかったので、積荷を混載する菱垣廻船では積載に時間がかかってしまい都合が悪かったのです。 そこでお酒運搬船用につくられたのが樽廻船です。

1833年に江戸に持ち込まれた酒が4斗樽で約100万樽、この内約半分が灘(摂津の他の地域は除く)から送られていました。江戸の人口を女子供も入れて100万人とすると、一人4斗=72リットル。成年男子はざっくり半分でも一人1日4合。地酒もあってでしょうから大酒飲みぶりにも驚きますが、灘からだけでも毎年50万樽が船で江戸まで輸送されていたのにはさらに驚かされます。 航海中の程よい揺れが杉材の樽からエキスを抽出して、ウィスキーやワインのように味がよくなっていたと言われています。

一番大きな樽廻船で1800石、単位換算では1800x10斗=324トンですが、大体2000樽(144,000リットル)程積載できたようです。 50万樽を運ぶのには平均的な船の大きさが半分の900石としても500艘の樽廻船が必要な計算になりますね。

競争のおかげで航海技術は進歩し、船も大型化して行きます。 天候にもよりますが、上方から江戸まで平均で1週間、早い船は2.4日で到着していたそうですからやはり何でも民営化、競争するのが一番のイノベーションのようです。

さて江戸っ子は初鰹に大枚をはたきますが、その年の新酒一番乗り、つまりレースの勝者の酒はご祝儀も相まって相場の5倍程で販売できたそうです。また一番を獲得した船は「惣一番」と言ってその年は品川沖、大阪で後から入港しても荷役は順番を飛び越えて一番にして貰える特権が付与されていたようで。 簡単に言うと大儲けができたと言う話しですね。英国のティー・レースでも中国からもたらされる一番茶は非常に珍重され高値がついたと言われています。

ここまで予備知識があると楽しめるのが、天保新酒番船。 このレースをテーマにした小説です。 それと山本一力の「蒼龍 (文春文庫)」の中の「節別れ」は灘からの酒をテーマにしています。山本一力は他の小説でも龍野の酒を扱っていますが、龍野はご存知のように淡口醤油の名産地、17世紀には酒造で栄えていましたが、水質が軟水で、酒造りに必要な硬度が無く腐敗しやすかった為に18世紀以降酒造は廃れています。彼はもちろん知っていてあえて龍野桜を小説で扱っているのだと思われます。 日本史の意外な一面が覗けて面白いですよ。

結局前振りの方が長くなってしまいました。

3月に読んだ歴史本はこれで本当に打ち止めです。


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