2010年5月27日木曜日

FTの論調


今日は為替が反発、株式市場もひと息ついたかのように見えます。

日経平均週足とMACD


ここのところのFinanacial Timesの一連の記事は以前からPIMCOロゴフの言ってきたようなシナリオを追いかけています。

その内容を簡単に言ってしまうと、ギリシャはしばらくすれば債務のリスケに至る、そしていつかは破たん処理を迫られる。

公務員給与をカットし、緊縮財政を行いながら経済成長も実現すると言う事は奇跡でも起きない限りは難しいと言うコンセンサスが形成されつつあります。
これらの現実をユーロ自身が納得するまでの時間、市場はBid とAskの離れたボラティリティの大きなものになります。

情報の発信源がブローカーの場合、経済指標は強気時には遅行指標として扱われますが、こうした環境下では希望の灯りとなりがちです。

実際には欧州やその他のユーロにエクスポジャーを持つ金融機関は損失処理を早めて、前を向かなければならないと言う教訓は九〇年代の日本がイヤと言う程示してきましたし、その当時は欧米の金融機関もあきるほどに日本に対してアドバイスを寄せてくれたものです。

何か書こうにも基本的には5月7日に書いた雑感とあまり変化が無いのは残念な事です。

貨幣中立説では、経済活動の本質は全て物々交換であり貨幣はその仲介を行っているに過ぎないと言う考え方があります。

ギリシャがドイツから物を買うにはギリシャも何かをドイツに売る必要があります。もちろん物には限りません、サービスでも狭義の観光でも何でも交換できる物であればかまいません。 これまでのように不動産の値上がり益を交換にBMWを購入していたのであれば、日本のバブル期の不動産王と何ら変わりはありません。

しかし金融の逼迫により、不動産価値が下落し始めた以上、以前のように交換できるものは無くなってしまったと考えるのが正しいのかもしれません。
後に残るのは不良債権と言う資産です。 不動産(資産)価格が再度上昇しないのであれば、不良債権は処理しない限りは消える事は無いでしょう。

わかっている事は緊縮財政の下、競争力のある(輸出力のある)産業構造を再び構築しなおす必要があるとい事です。
しかも切り下げできないユーロと言う通貨の下で。

ユーロは解体するだろうと予想する人が増えてくると思います。




2010年5月25日火曜日

サンオ級潜水艦


今日のマーケットの下げは、欧州債務問題に絡む欧州銀行セクターの信用不安、米オバマ政権の新たな金融規制導入、中国の金融引き締め懸念、これらによる海外株安、円高に加えてさらに「北朝鮮の軍に対する戦闘準備命令が出された」と言う聯合ニュースに韓国―北朝鮮情勢の不安が大きくクローズ・アップされ市場に影響を及ぼしました。

何がおこるか分からないリスク。 バッフェトの「秘訣は、することがないときには何もしないことだ。」が思い起こされます。


韓国哨戒艦を沈めた魚雷は北の「CHT-02D」、音響追尾型磁気感応信管付き250キロ炸薬搭載の重魚雷で、水深30メートルでも活動可能なサンオ級潜水艦により発射された可能性が高いようです。  音響追尾型とはホーミング魚雷でスクリュー音を追尾して目標に接近します。ナチスドイツが原型を開発しているぐらいですから難しい技術ではありません。 磁気感応型信管は直接目標に命中させ信管を接触させる必要が無い為、目標物への接触角度も問題にならず、今回のような浅海では深度調整さえしておけば喫水線下の真横に命中させるよりも防御力の弱い艦底を下から持ち上げるバブルパルスによる大きな破壊力を得る事が出来ます。

サンオ級潜水艦の水中速度は8ノットしかありませんから、静かに海底で待ち伏せしていた姿が想像されます。また炸薬を250キロフルに充填していた事から撃沈の確信犯であったとも推定できるでしょう。 指紋のはっきりした血のついた凶器が出てきたのに「私はやってません」と言っているようなものです。

2012年に韓国に移管する予定だそうですが、現状では朝鮮半島有事の作戦統制(指揮)権は米軍にあります。
従って韓国による反撃は米軍にお伺いをたてる事になります。

現在報道が減ってきていると思いますが、F22が派遣されると言うニュースが2日程前にありましたから、もう既に東アジアにスタンバイ状態で配備済みでしょう。
空母が出張るかどうかは未定だそうですが第7艦隊は黄海に進出するようです。

中国の武大偉・朝鮮半島問題特別代表は25日国連安全保障理事会での協議を求めている韓国への支持を明言しませんでした。
北朝鮮との経済交流と、一旦事が起こった時の鴨緑江越えの難民流入問題、現状では北朝鮮を刺激したく無いとの思惑でしょう。

極東以外の地域からみると日本は隣接地域です。
いずれにせよ緊張状態は続きそうですね。


2010年5月23日日曜日

事業仕分け 宝くじの件


TVを観ていて気になったニュース②

「この事業は国から1円も貰っていない」 総務省OBの伊藤祐一郎鹿児島県知事

この知事さん、別の発言が問題になっていますが、私はむしろ上記の発言に様々な問題が集約されていると思います。




日本には刑法185条 賭博罪があります。 私も店頭デリバティブスで随分お世話になりました。 限定列挙で書かれていた有価証券取引法では店頭デリバティブスは有価証券の範疇に入っておりませんでした。 本邦ではこれを売買すると賭博罪にあたると言う解釈がなされた時期があったのです。 さらに187条は 富くじ発売罪、富くじ発売取次罪、富くじ授受罪 と言う法律です。 簡単に言えば宝くじは賭博と同じで懲役を伴なう違法行為なのです。 但し公認であれば話しは別です。

当せん金付証票法が宝くじ事業の根拠法となっています。

つまり宝くじ事業は特別に認められて独占的に行われている事業なのです。

この独占権を金額評価すればいったいいくらになるのでしょうか。
入札でもしたらとんでも無い金額になると思います。
条件によりますが、ギリシャの借金程度ならなんとか面倒みれるのではないでしょうか。

その他の半官の事業では郵政も含めてこの認識が基本的に欠落している為に官業の非効率さを産み、ひいては日本の財政赤字を拡大させている根本問題となっているのではないでしょうか。

「コノジギョウハクニカライチエンモモラッテイナイ」



参考サイト:


PS 架空の宝くじ販売の利権だけで3億3千万円も集める事件が起きてます。5月24日

日本の不動産に触手を伸ばし始めた中国人資産家たち


TVを観ていて気になったニュース①

「上海や北京のマンションは高すぎて買えないから、それと比べると東京の物件は安くてお買い得です。特に港区が良い。」



90年頃のマンハッタンで、不動産やホテルを買い漁っていたのは、日本の不動産会社、生保、銀行ばかりではありません。個人投資家が随分と買っていました。

ある日、日本から美容チェーンを展開する40代の結構な美人投資家が銀行マン(地銀)と証券マンをお供にNYのオフィスを訪ねてきました。 彼女は多分君島、かなにかの上品なスーツにフェラガモの靴。時計はカルティエのベニュワールみたいな楕円形でよく手入された左手の指にはリングはありませんでした。 つつしみ深いメイクとアクセサリーはとても知的な印象を醸し出して、とうてい成金には見えませんでした。若いオトコをふたり引き連れている以外には。

事前に日本の某支店長から電話で「大事なお客様だから宜しく頼む」としつこく頼まれていた私はとてもじゃないが私とも思えないぐらいの笑顔で応対に出ました。

トレーディング・ルーム見学の時(当時は結構平気で来客を入れていた。)彼女は私のブルンバーグを観て、「あら、これ為替がわかるのね」と言って、まんざらでもない証券マン君に日本に帰ったらすぐ手配するように指令していました。



彼女の目的はマンハッタンのハイライズ(高層マンション)の購入でした。当時これが意外に流行っていました。そりゃ日本と比べれば床面積の割りには安いと誰でも思います。

「東京や大阪のマンションは高すぎて買えないから、それと比べるとアメリカの物件は安くてお買い得です。特にマンハッタンが良い。」

マンハッタンのコンド(マンション)の価格はその後一旦下落、銀行マンが同行している事から推察されるように、この手の投資は借金で行っていましたので、日本の地価下落とともに皆投げてしまいます。

マンハッタンの地価はその後大きく上昇、今回の米国不動産バブルに至ります。我慢して持ってた人は何倍にもなったでしょう。 安値で買っていれば今回の不動産不況であっても充分余裕があると思います。

ちょっと違う点は現在持ち直したとは言え、日本の不動産はずっと下がり続けている事。

「XXノブッケンハタカスギテカエナイ、ソレニクラベルト〇〇ハヤスイ」
呪いの言葉でしょうか。


週末雑感 Re-regulation


ニュー・ノーマルな世界のDDR

De-leveraging 債務の整理
De-globalization グローバリゼーションの後退
Re-regulation 規制緩和の再規制

先週世界の市場を騒がせたのは、Re-regulation

1。EU財務理事会

2。ドイツ連邦金融監督庁

3。米国規制改革法案






1。EU財務理事会

18日、ヘッジファンドの活動やその従業員の報酬を制限する方針を決定 代替投資ファンド運用者(AIFM)指令案

  • ヘッジファンド、PE等を認可制に、検査・監督を義務付け
  • レバレッジ等情報開示を義務付け、レバレッジの制限
  • 最低資本金を12.5万ユーロとする自己資本規制
  • EU域外の第3国に籍をおくファンドにもEU並の規制
  
EU圏のヘッジファンドの8割が本拠をおくイギリスはもちろん反対です。最低資本金の上昇と検査・監督コストが上昇、マン・グループとか大手には朗報。 小型ファンドは域外脱出の傾向が強くなるでしょう。
FT紙では”むしろ、「ラインラント」なるストラクチャード・インベストメント・ビークル(SIV)を通じて債務担保証券(CDO)のお祭り騒ぎに興じ、揚げ句の果てに事実上破綻したIKBドイツ産業銀行のような銀行こそ責めて然るべきだった。しかし、ドイツがドイツ国内の産業銀行や地方銀行を監視するようEU当局に要請したという話を、筆者は寡聞にして知らない。”と皮肉っています。 



2。ドイツ連邦金融監督庁

18日、
  • ソブリン債クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)のネイキッド・ショートの禁止、ユーロ圏16カ国の国債およびドイツ金融株の空売り禁止
  • 19日から2011/3末まで

いつの日も市場に対する規制強化と言うのは評判がよくないものです。現物を持っていない投資家のショート(ネイキッド・ショート)の禁止は”持ち”かどうかの確認が難しい。 結局ずるい奴には屁でもありません。それにドイツにいなければ規制は関係無い訳だから、ドイツにいる真面目な投資家は突然不利になってしまいます。 それにしてもこのやり方にドイツ連邦らしい知性が感じられ無いことに不安を感じる投資家の方が多かったでしょう。 EU内でも事前根回しが無かった事でブーイングが出ました。


3。米国規制改革法案、上院可決

20日、大手金融機関に対する監視や消費者保護の強化、デリバティブ(金融派生商品)規制などが柱。 ボルカールールの採決が行われなかったので、金融業の収益懸念に対する極端な警戒感は解けました。

このニュースとは無関係ですがボルカー・ルールを簡潔にまとめたもの。 日本経済研究所



週末、リュック・ベッソン制作、ピエール・モレル監督の映画「パリより愛を込めて」を見ました。このコンビの前作「96時間」がとても良かったので行きましたが期待どおりでした。どちらも舞台はパリです。

映画館は土曜日の夕方にもかかわらず空席が目立ちました。アリスとか他に大作が多かったからかもしれません。 主演はジョン・トラボルタ。 本当に良い役者ですね。 リュック・ベッソンを見たことの無い人は一度観ておく事をお奨めします。 娯楽映画として緊張感の継続は第1級です。

これは米国のCIAの要人警護、テロ対策チームの話しですが、これに出てくる米国国務長官がヒラリーならぬ、なんとメルケルそっくり。 わざとやってますね。 多分。

この映画のサイトのトリビアは面白いですよ。

そうそう。 帰りにクォーターパウンダー買ってしまいました。


2010年5月21日金曜日

金本位制度


ユーロの通貨システムは19世紀の金本位制度に似ています。
共通通貨を持ちながら、財政制度が個別に採られるからです。


そっくりだから大変だとか煽るつもりは全くありません。 歴史は繰り返しますが全く同じ事はめったに起こったりはしませんから。

それでも明治期の日本の外貨建て国債発行の動きを調べていると、かつての金本位制度と現在のユーロ・システムの動きは重なって見える部分も多いのです。その崩壊の過程も含めて。

金本位制はwikiによると、1816年の英国貨幣法に始まります。そして1921年にはナポレオン戦争中に停止していた金と正貨兌換の再開が行われます。一般的にはこの1921年が金本位制度開始と扱われています。

1金オンス=3ポンド17シリング10.5ペンス と金価格とポンド価値を固定させたからですが、これは18世紀から行われていた事の追認でした。

実際には1844年のイングランド銀行券発行高を金準備量により制限するピール条例により現在考えられている金本位制度は確立されたのではないでしょうか。 この時の首相 ロバート・ピール穀物法にも絡んでいます。

19世紀後半は各国がこぞって金本位制の採用に走ります。当たり前の事ですがメリットがとても多かったからです。 通貨の安定は貿易に貢献します。為替レートの変動に苦労しなくてすみますし、国際決済の為に金を持ち運ぶ手間とコストが削減されます。 またファィナンスにおいて、自国通貨での借金もその通貨が金価格と連動してさえいれば可能になります。(自国通貨のファィナンスは余り必要ではありませんが。)

したがって貿易が盛んになり産業資本が必要になると各国が金本位制に走り、金本位を採用する事は1等国の証ともなります。

”承認の印章”とも呼ばれます。

各国通貨が対金価格で固定されますから、マルク、ポンドと呼び名は異なっても、金と言う同じ通貨を使用していると言う事です。

金本位制採用の時系列です、
1873年 ドイツ、スウェーデン、ノルウェー金本位採用+フランス銀貨鋳造制限。アメリカは貨幣鋳造法によって銀貨を鋳造硬貨リストから排除、後に「1873年の犯罪」と呼ばれる。(「貨幣の悪戯」フリードマン参照)
1874年 ラテン同盟本位銀貨鋳造制限
1875年 オランダ、スイス銀貨鋳造停止=実質金本位
1876年 フランス、ベルギー、スペイン、ロシア銀貨鋳造停止=実質金本位、アメリカ貿易銀の法貨資格停止(メキシコ・ドル)
1892年 オーストリア=ハンガリー金本位制実施
1893年 アメリカ シャーマン法(銀価維持)廃止、インド金本位制
1897年 ロシア、日本金本位制実施

見てもわかるように金本位でなければ銀本位であるか、あるいは両方併行して使用するかであって、金本位採用は銀本位でなくなると言う意味でもありました。

各国銀を売って金を求めます。この為以前金銀硬貨の話しで書きましたが、金銀の価格比は幕末時点1:15であったものが、20世紀には1:30程度にまで変化します。つまり銀価格は半分ほどに低下してしまいます。 こうなると銀本位の国の購買力は半分になったと言う事ですから、皆金本位を目指す訳です。ちなみに清国を始めとするアジア圏は銀本位が多かったのです。


日本のポンド建公債価格を見ると、金本位採用の1897年以前のロンドン市場におけるコンソル公債に対するリスク・プレミアムは300から400bps.
採用後は一時期を除いて200から250bps程度に収まります。 一時期と言うのはロシアに宣戦布告した時に350bpsぐらいまでジャンプするからです。世界の金融市場が日露戦争をどう見ていたかがわかります。 

それとこれはあくまで表面利率です。実際にロンバート街の連中はアンダーライティング・フィーにものすごい差を付けます、つまり足元を看るのが商売みたいなものですから調達金利ではもっと差がでるのです。 弱い国のファィナンスでは1000bpsの手数料もザラです。日本の場合でも350bpsほど取られています。

民間の貯蓄が積み上がっていたロンドンは、こうした各国のファィナンス・ニーズに応じます。つまり資本輸出国となります。 1875年に10億ポンドであった残は、1914年には40億ポンド、これは当時のGDPの1.6倍に相当します。

データ時期がずれますが、ロンドンの公社債市場規模は発行残ベースで
1875年 英国債 7.1億ポンド 外国債 23.4億ポンド
1905年 英国債 6.4億ポンド 外国債 32.2億ポンド

金本位制がいかに金融の国際化を進展させたかがわかります。
メリットが多かったのです。

このあたりは最近復刊された ロンバード街―ロンドンの金融市場 (岩波文庫) ウォルター・パジョット が詳しい。

明治、大正、昭和初期の国際金融マンには必読の一冊だったようです。パジョットはThe Economistの編集長で経済に限らず政治・法学でも名著が多く、明治期の日本の学校で政治学のテキスト等として使われています。 「ロンバート街」は長谷川光太郎著の「兜町盛衰記」においても1900年頃に兜町で読まれていたと記述があります。

日本は松方正義の緊縮財政と1894年の日清戦争の賠償金を元手に金本位制度を採用しますが、金本位制度は松方財政に見られるように本来財政に対して強い引き締め圧力を持っています。 そのあたりはwikiに書いてあります。



2010年5月18日火曜日

高橋是清 ⑤


高橋是清のエントリーが中途半端になっていますので、ある程度まとめておきます。

先ず日本銀行は日銀による国債引受(高橋レシピ)をこう評価しています。
「本行百年の歴史における最大の失敗」;
「多くの矛盾を抱えた戦時期と言う悪路を、ブレーキのきかない車で走るのにも似たものがあった」:日本銀行百年史

歴史と言うものはそれを評価する時代によって同じものでも見え方の違うものです。 日本は高橋レシピの後、一気に第二次世界大戦への道を歩んでいきますから、戦後の荒廃を目の当たりにした状況で高橋レシピを評価する事は戦争そのものへの評価と混同されがちである事は考慮されなければいけません。

一方で最近富みに盛んになった是清レシピ待望論は、そうした戦争へと導くに至った政治的背景を抜きにして、財政技術としての評価であると言えます。

いかに良い技術であっても使い方を誤ると大変な事になる。 日銀引受があたかも「打ちでの小槌」のような発言をする人には絶対に渡してはならない技術であるとも言えるのではないでしょうか。


当時の背景を軍と政党政治から整理しておきましょう。

軍部
日露戦争終了時には帝国陸海軍とも本格的近代戦の実戦経験がある唯一の軍であり、しかも鮮やかな勝利を収めていましたので、各国から軍人が大勢やってきて日本で勉強したそうです。 

ところが1914年から始まった第一次世界大戦で事情は一変してしまいます。 ドイツの租借地である青島攻略や駆逐艦隊地中海派遣など日本も部分的な参加はありますが、本格的な戦闘には参加していません。

この大戦では戦争テクノロジーに急激な変化が起こりました。 航空機と戦車、輸送用トラック等です。 従って大戦以降、特に陸軍では先進軍事技術に対するコンプレックスが生まれ、装備に関しては常に”あせっている”状況になりました。大陸への進出による出費もあり、近代化予算に対する欲求は満たされないまま恒常的に予算不足の状況が続きます。もちろん師団の数(兵員)を減らし近代装備に重点をおく選択もあったのでしょうが官僚化した陸軍が自分のテリトリーを狭めるというのは困難なことです。


政党政治
1925年に加藤高明内閣によって普通選挙法が成立します。それまでは参政権に国税納付額による足切りがありましたので選挙民は306万人、これは全人口比5.5%に限定されていましたが、この法律により納税額に無関係に25歳以上の男子1240万人が選挙権を持ちます。 一見民主主義が進化したかのように見えますが有権者の増加に伴い選挙に巨額の資金が必要になり、政党は財閥や利権へと接近して行き国民目線から見れば政治の腐敗が進化したとも言える状況になります。国家を憂う青年将校から見れば尚更です。

是清レシピの開始されたのは昭和6年(1931年)末の金兌換停止からです。前回も書いたようにこれによって円の極端な下落が始まり、翌年1932年上半期に解禁前100円=50ドルから26.5ドル迄下落します。

この時点では未だ日銀は国債引受をしていませんが輸出業者を中心に景気回復の兆しは見え始めます。

ところが同年5月15日に5.15事件が発生。 2.26事件に比較して軽く扱われ気味ですがこれは現役の総理大臣犬養毅が暗殺されると言う大事件です。 

当時の日本は議院内閣制ではありませんでしたので、必ずしも多数党が内閣を組成する訳ではありませんでした。 政治家の期待をよそに次期首相には海軍大将斎藤実が指名され犬養毅を最後に政党政治は終焉します。 官僚が政党政治家に代わって台頭してきますが、民意の背景を持たない官僚は後に簡単に軍部によって取り込まれてしまうと言う経緯に至ります。 

是清の死とその後
是清が拡張的な予算編成をしたのは昭和7年、8年のみで9年には早くも緊縮方針に転換します。 10年には誰も怖がって口にできない軍事費に言及、新聞記者からは絶賛されますが、結局これが原因で昭和11年に是清は2.26事件で命を落とす事になります。 その後は官僚を飲み込んだ軍部を中心に日銀引受と言うツールを乱用、戦時体制に向けて突き進む事になります。

このツールを使用する政治家、もしくは政党は国民からの高いクレディビリティが要求されると言う歴史的な教訓がある一方で、こうした間違いは何度も繰り返されるのかもしれません。

日銀のメンタリティは冒頭の通りだと思います。日銀が日銀引受を迎合するようでは逆に困るのではないでしょうか。 何か牽制できる手段を確保したいところです。



2010年5月17日月曜日

ブレトン・ウッズ


今から15年ほど前になるでしょうか。 私はニューハンプシャー州にあるブレトン・ウッズに旅行に行きました。

ここは第2時世界大戦末期に連合国通貨金融会議が開かれたところで、ブレトン・ウッズ協定の際に使われたホテルは15年前も現役でしたし、今も営業しているそうです。 当時は随分シャビーだったのですが(料金もとても安かった)、写真を見ると今では綺麗にリニューワルされているようです。

私の泊まった部屋のドアには「トリニダート・ドバコ代表」と書かれたネームプレートが貼りつけてありました。 その時は「フムフム」と納得していたのですが、今になって何となく引っかかるものがあったので調べてみるとこの国は英国自治領になったのが1956年ですからどうなんでしょうね?

このホテルは木造です。ゴルフ場、オールタイル貼りの室内プール。 ディナーは3種類くらいのプリフィクスのみでリブ・ステーキを食べた記憶があります。 美味しかったなあと言う記憶はありませんが、冴えないバンドがダンス・ミュージックを演奏して老夫婦カップルが何組か踊っていました。



ここに行った目的は特にブレトン・ウッズ・コンファレンスを偲ぶ為では無く、近くにあるマウント・ワシントンのコグ・レールウェイに乗る為でした。

1869年完成で1400メートルの頂上まで蒸気機関車で登ります。

傾斜も37度で世界で2番目に急なのだそうです。

調子にのって「月まで登れ」と言う開発秘話のビデオを買ってしまいましたが、それは今でも大切に保存してあります。

この鉄道の建設計画がニューハンプシャー州議会に提出された時には創始者シルベスター・マーシュは物笑いの種となり狂人扱いされましたが、この機関車は結局21世紀になっても未だ煙を吐いて山を登っています。 一方でボストンから麓の駅を繋いでいた常識的な鉄道はとうの昔に廃線となっていることは歴史の皮肉でしょう。

前振りが長過ぎました。

ブレトン・ウッズ協定では2つの国際機関が創設されます。国際通貨基金(IMF)、と国際復興開発銀行(IBRD)いわいる世界銀行です。 役割としてはIMFが短期、世界銀行が長期融資と言う性格ですが、この時人事に暗黙の了解がありました。 IMFは初代総裁がケインズ、以降ヨーロッパから総裁は選ばれますが、世界銀行はアメリカ人から選ばれると言う風に住み分けがなされました。


2010.5.17 19:31  産経ニュース
【ワシントン=渡辺浩生】ギリシャの財政危機に端を発した欧州の信用不安を防ぐために欧州連合(EU)が合意した総額7500億ユーロの安定化策をめぐり、国際通貨基金(IMF)が融資する2500億ユーロについて、IMF内部で不協和音が生じている。十分な事前調整がなされずに欧州主導でまとめられたという不満が新興国を中心にくすぶっているという。
 安定化策は、欧州発の金融危機の連鎖を阻止するために、EU財務相理事会が10日未明に合意内容を発表。EUが5000億ユーロの安定化基金を創設し、IMFが最大2500億ユーロを融資するとしている。2500億ユーロについては、ストラスカーン専務理事の主導で「IMFが全体の3分の1を担う」という了解をもとに積み上げられた金額という見方が濃厚だ。
 IMFはこの数字を公式に認めておらず、関係筋によると、EU財務相理事会に先立ち、9日にワシントンで開催されたIMF理事会でも言及されなかった。このため、中国やブラジル、インドなど新興国メンバーを中心に「事前の打診を受けていない」との不満がくすぶっているという。
 アジアや中南米諸国は90年代の経済危機でIMF融資を受けた際に厳格な融資条件をIMFに押しつけられた経験がある。このため、今回の欧州危機で、IMFの現行融資能力に匹敵する規模の支援が、条件などの十分な検討を経ないで打ち出されたことに、不公平感が一部にあるという。

ブレトン・ウッズは英国から米国への覇権国の交代儀式とも言われていますが、この記事はパックス・アメリカーナの基盤が具体的に変わりつつある事を示唆しており、とても興味深い記事です。

以前のエントリーでユーロ問題は金融政策が共通で財政政策が各国で別れている事が問題であると指摘しておきましたが、上記の安定化基金による国債買い付けやECBによる国債を担保として受け入れる際の適格要件の緩和等により、財政政策との境界が曖昧になりつつあります。

為替は相場ですから行ったきりと言う事はありませんから適当な水準を取り敢えず模索する事になりますが、ユーロの体制としての行方は以下の3つです。

1。財政政策も共同で行う。ユーロ圏がひとつの国になる。
2。ユーロを解散するか、参加国を絞り縮小する。
3。その中間。

しばらくは3しか選べないでしょうから不安定な状態は続く事になると思います。



PS  こんなものもありました。 Conway Scenic Railroad

2010年5月16日日曜日

ミンスキー・モーメント FIH vs EMH


この週末、PIMCOのHPにポール・マカリーのGlobal Central Bank Focus 5月号がアップしました。今回の記事は先月15日から3日間にわたって開催された第19回ハイマン・ミンスキー・コンファレンスにおける晩餐会のスピーチをまとめたものになっています。 

今回のコンファレンスのテーマは「危機後の金融のあり方」で金融規制がテーマになっており、スピーカーの一人であったクルーグマンも既にニューヨーク・タイムスのOpinionにこのことを書いています。

ポール・マカリーはスピーチの中でハリー・マーコビッツとのエピソードを挿んでいます。彼はEMH(効率的市場仮説)をベースにした「ポートフォリオ選択理論」で有名です。EMHの権化とも言えます。

「ポール君、ミンスキーで何か1冊読むとすれば、一体どれが良いだろうか?」

「ハリー、それは今迄ミンスキーを読んだ事が無いって意味? お願いだよ、少なくとも一冊ぐらいは読んだって言ってくれよ。」

「いや、本当に読んだことがなんいんだよ。でも今は読みたいと考えているよ。思うに、多分僕は、もう古すぎんるんだよ。



ポールのスピーチ全体はもう少ししたら邦訳されるでしょうから、簡単にしておきます。彼の金融規制に対する考え方は、スピーチの最後の方の彼の家庭における親子のやり取りに集約されています。

18歳になった息子が、もう大人なんだから好きにやらせてくれと言います。好きにやるのは良いが、経済的に”Bank of Dad”(親のお金、カードを作る時の信用とか)を使い続けている間はルールを守ってもらう。親は子供のイノベーションの邪魔をしたい訳ではありません、是非大きく育って欲しい。 

だけれどもBank of Dadを利用し続ける限りは規制が必要だというのです。何故ならBank of Dadが潰れたら終わりでしょ。影の銀行もFED(国民の資産)を使用するならば規制に従うべきであると言う考え方です。


話しを戻してハイマン・ミンスキー(FIH)とハリー・マーコビッツ(EMH)の関係に戻ります。ここで言うFIHとEMHは、

The Financial Instability Hypothesis FIH 金融不安定性仮説
The Efficient Market Hypothesis EMH 効率的市場仮説

と言う風に、最近(2007年以降)は対抗軸として並べて書いてある記事や文献が増えました。

EMHはご存知のとおり全ての情報は価格に織り込まれている。 裁定が働いて市場は均衡状態にあると言う考え方でファィナンス理論はこの考え方をベースに構築されていますし、モデル化するのに都合が良い。

FIHは今回の恐慌で広く知られるようになりましたが、それでもまだ一般的では無いと思います。 私は経済評論家でも学者でも無いし、ミンスキーの原典を読んだ事もありませんが、私なりに説明してみようと思います。 これからの市場の大勢を考える上で大切です。 ポール・マカリーの2007年3月の記事を参考にしています。

ミンスキーは経済活動において以下の3種類のユニットがあると考えます。ユニットとは経済主体あるいは市場参加者と考えても結構です。

ヘッジ金融ユニット:
キャシュフローで債務の支払が元本金利分とも可能なユニットです。 つまり収入から必要経費を支払った残りで元本分+金利を充分に支払えるユニットです。会社で言えば金利の支払い義務の無いエクィティ部分が多ければこの金融ユニットである可能性が高くなります。家庭で言えば給料に見合ったローンを持っている状態。

投機的金融ユニット:
ここでは元本は返せないが、金利だけは支払っていける状態のユニット。 住宅ローンで元本はしばらく結構ですから金利分だけ支払って下さい。と言う状態。 街金で言えばジャンプしている状態です。
EMHではこの状態で退場してしまうはずです。

ポンツィユニット:
ここではもう通常の営業キャシュフローでは金利分すら支払えない状態。資産を売却するか、さらに借り入れを増やして利子の支払いの為に借金をする状態です。多重債務者。そう言えば我が国もあやしいですね。ポンツィ国家なんでしょうか。ポンツィはマドフ事件で有名になりましたがねずみ講の意味です。

このユニットは一度決まってしまえば永久にそのユニットのままと言う訳では無く、ヘッジ⇒投機的⇒ポンツィへと移行しやすい。 逆は何か強制的な動きが無いと起こりにくい。例えば借金棒引きとか借金で買っている資産を売却するとか考えられます。資産価格が上昇しても良いのですが、大概上昇分を担保にしてさらに借金したりします。

ファィナンスに問題のあったリートを思い出せばわかり易い。(2010年当時)
最初はヘッジ金融ユニットで事業計画しますが、拡大を目論む段階で資産価格の上昇をアテにしてレバレッジを上げると投機的ユニットに近づきます。 そして新しい建物を獲得した頃になってみたら、想定された入居者がいなかったという事態。景気の波があるから次回の上昇期を待つかと考え始めるとポンツィユニット化します。債務の借換の頃に銀行がやってきて、B「もう貸せません」、R「金利は少々高くても結構です、ここをしのげば大丈夫です」、B「金利の問題では無くて、あなたの信用の問題なんですよ」と言うストーリーで崩壊しました。

第1定理
ヘッジ金融が多数を占める場合は安定した経済システムといえるが、投機的金融やポンツィが増えてくると不安定な経済システムとなる。

第2定理
長期にわたり安定が続くと不安定化する状態に移行する。 

土地神話など永遠に資産価格は上昇すると市場参加者の多くが考え始めるとレバレッジを高くする者が増える、ヘッジ金融から投機的金融、ポンツィへと移行するものが増えると言う考えてみれば分かりやすい話です。

大事なのはここからで、ポンツィ・ユニットが我慢の限界にきて資産を投げ売りし始めるとそれまで投機的ユニットであったものも資産価格が急落してポンツィ化する。 スパイラル的に資産価格が下落する。 そしてこれはあるポイントから急激に起こる。 

この臨界点をミンスキー・モーメントと呼びます。 例によってポール・マカリーが1998年のロシア債務危機の際に名付けました。

今回のミンスキー・モーメントはBNPパリバがオフ・バランス・ビーイクルのひとつを凍結した2007年8月9日としています、


参考エントリー EMHは終わったか?

2010年5月15日土曜日

新島 襄


私が「新島襄」を話題にして人と語ったのはこれまでに一度きりしかありません。それも語ったというよりは、東北の酒場で地元の人の話を一方的に聞いたことがあっただけでした。

いま手元にベストセラー「もういちど読む山川日本史」がありますが、新島襄の記述はP262宗教界の動きに内村鑑三とならんで名前だけが列記されています。私もそれまでは大学体育会時代のライバル校である同志社の創始者として名前を知っているだけでした。


二年程前に盛岡から宮古まで走っている山田線に乗ることが目的で旅行をしたことがありました。その際に宮古から釜石に下り、遠野に宿をとりました。私は小さな町にいくと地元の居酒屋によくいくのですが、その夜も地元の居酒屋に行って地酒を飲みながら隣の客とお店の人と三人で話をした時の事です。

宮古経由で遠野まで来たと話しをすると、左側に座っていたお客さんが、宮古の出身らしく訥々と色々なことを話してくれました。欠けた記憶は補ってあります。

宮古には鍬ヶ崎と言うかつて東北随一の遊郭があったそうです。(地震後追記:唯一残っていた名残の建築物が津波で流されたそうです) 江戸から蝦夷地に船で行く場合には、ここが風待ちの港になります。風向きが悪かったり、天気がよくない時には船員や船客が待ちぼうけになりますからこうした遊郭は、当時非常に流行ったのだそうです。

“鍬ヶ崎では錨がいらぬ、三味や太鼓で船つなぐ”と言うほど殷賑を極めたようで、幕政期から昭和の初期頃まで栄えていました。

新島は函館で勉強(洋学修行)するという名目で上州安中藩から15両、自分の方で用意したお金10両と合わせて25両を持って江戸から船にのりますが、ここ鍬ヶ崎で足止めになってしまいます。

この時に新島の手持ちの学資25両が、散財の挙句に1両2分に迄減ってしまったと言うお話でした。話講巧者で人の興味をそそるように話してくれましたから、新島は鍬ヶ崎で遊びほうけて使ってしまった剛毅な男と言う話し建てでした。


新島襄は1843年上州安中藩江戸屋敷に生まれ、1864年江戸を離れ函館に行き国禁犯して米国に渡りました。この時の様子は新島襄が自ら綴った函館紀行に書かれています。

しかし函館紀行ではこの鍬ヶ崎で一体何があったのかの部分は誰かに切り取られていますので実は詳細はわからないのです。(多分お弟子さんが醜聞と思い切ったかもしれません) 一説には最初は函館で勉強するつもりであったが、金を無くし面目を失ったので外国に行ったのではないかとも言われているそうです。

事の真偽はともかく新島は函館から米国に脱出し、それから6年後の1870年にアマースト大学を卒業します。現代人の我々には想像もつかない苦労があったのだと思います。

このとき新生明治政府から派遣されていた初代米国公使森有礼と知り合い、密出国をゆるしてもらい正式の留学生となります。 高橋是清も藩名で留学したにも係わらず帰国時にはどう言う訳か仙台藩は時代と逆行して開明から攘夷になっていましたので、藩から追求されます。 その時もこの森有礼に助けてもらっています。 面倒見の良い人だったのでしょう。

ここからは、先週読んだ深井英五の「人物と思想」 昭和14年4月第3版にかかれている話です。

明治5年(1872年)岩倉使節団が米国に来た時、新島は森有礼の紹介で通訳として雇われ米国から欧州へと一緒に見聞します。 新島はお手当として200円受け取るのですが、これを両親に送金する事にしました。 お金は横浜の商館宛になりますが、両親は上州安中(群馬県)にいますから、はるばる横浜まで受取に行かなくてはなりません。

新島は手紙の中で、安中から東京までは以前と同じ道で徒歩で上り、新橋からは汽車に乗って横浜までくるように、汽車の乗り方も含めて細かく説明しています。その上で、もし分からない事があったら神奈川の県令(知事)を訪ねていくようにと県庁の場所まで書いてあったそうです。

しかし8年前にいなくなった息子から200円と言う大金が送られてきて、しかも、もしわからなかったら県令(殿様みたいなもの)を訪ねよと言うのは、さぞかし親も驚いたことだろうと思います。

この手はずをしてくれたのが、田中不二麿文部少輔。そして当時の神奈川県の県令は陸奥宗光だったそうです。みんな親切な人達です。

深井英五は新島襄先生の思い出にこのトピックを選んでいます。

深井は明治19年に奨学生を探しに群馬県を訪れた新島に見出され同志社に進学します。
授業料は月5円で、新島の提供してくれた奨学金が2円50銭。父がなんとかやり繰りして1円を造り、残りは群馬県の教会の有志が負担してくれたとあります。 奨学金は毎月新島から手渡しで渡されたそうです。そしてそれを払い込んだ。

「人物と思想」には昭和14年頃に書かれたり、講演した内容が収められています。もちろん「高橋是清の外債募集事跡」と言う話も入っておりました。


追記:このエントリーは「日露戦争、資金調達の戦い」を書く以前のエントリーです。


金子堅太郎


金子堅太郎

日露戦争 日米外交秘録 石塚正英編 長崎出版社

これは昭和4年に出版された本の新版として1986年に発売されたもの。
アマゾンにも在庫無しなのでリンクはしていないが、神保町なら造作無いと思います。

何処で行われたかはわかりませんが、昭和2~3年頃教育者達を相手に本人が講演したものになっています。
講演会は3回に分けて行われたようで合計で5~6時間といったところでしょうか。

金子堅太郎は米国大統領セオドア・ルーズベルトとハーバード大学での同窓生。この関係を活かして、日露戦争中の米国における良好な対日世論の形成の為に派遣されます。



印象に残ったところをトレビア風に、

米国はロシアと仲が良い(日露戦争前)
南北戦争時、南部の綿農家が英国の紡績産業と深い関係にあった為に英国は南軍の側に立ちます。 戦艦を輸出したり、軍需物資も提供します。 NY湾にも艦隊が停泊し威圧したりしていたようですが、その時牽制の為ロシア海軍も艦隊を派遣しNY市では大歓迎であったそうです。 また米国の金持ちが爵位欲しさにロシア貴族と結婚する例も多々あったそうで、金子の事前の分析では「米国はロシアびいき」だったそうです。 派遣を固辞する為の言い訳かもしれませんが。

ルーズベルト大統領は武士道にはまり柔道に凝った。
ルーズベルトは講道館茶帯だそうで、これは海軍駐在武官竹下勇中佐が手ほどきをしていたようです。駐在武官の立場でアポなしでホワイトハウスを訪問できるのは極めて異例であったそうです。 またホワイトハウスには畳も入れていたとあります。 この本と別件ですが、米海軍兵学校でもこの時期柔道を取り入れ講師には山下 義韶(やました よしつぐ)が雇われ年棒8000円だったそうで、この時の海軍中尉の年棒が400円。 参考HP 意志力道場

都合の悪いニュースは電報が送られてこない。
敷島、八島が旅順沖で機雷によって轟沈した時も海外経由のニュースしかなく、コメントを求められて往生しています。戦後聞くと国民に知られたらパニックになるから伏せてたそうですが、領事館や外国銀行からすぐに噂となって広まったと思います。

シベリア鉄道のロジスティックを担当した男
沙河の戦いの後、参謀本部の計算よりも多めの兵力増強がロシアによってなされます。戦後わかった事ですがシベリア鉄道の経営はヒルコフ公爵と言う人がやっていました。
ロシアで破産し米国に移り線路工夫をしていましたが優秀なのでトントンと出世、鉄道システムを充分に勉強して帰国したそうで、直ぐにシベリア鉄道大臣になりました。
レールや機関車は米国製を調達、貨車や客車は片道にして捨てたかのように言われていましたが、実はハルビンにトラック(線路)をたくさん作ってそのまま兵舎や倉庫にしたそうです。建設の手間も省けると言うメリットもあったでしょう。

乃木将軍の人気
旅順要塞が陥落しそうな時、乃木将軍の敵将ステッセルへの降伏勧告状は事前に米国にも渡っており、新聞に掲載され米人も感服、折からの武士道ブームもあり大人気となったそうです。

我が天皇陛下はいたずらに無辜の兵をころし、無益の血を流すをもって非人道と思い召される。この際投降せば武人の名誉を保って帯剣のまま旅順を出て北方の露軍に投軍すること聴許あるべし。

これにステッセルが以下のように答えました、

我輩は決して降伏しない。 臣(ステッセル)は日本皇帝の降伏勧告を拒絶したのみならず、臣はここに祖国に対し最後の決別をなす。臣は旅順をもって墳墓の地となさん事を決す。

これも新聞に掲載されニューヨークではステッセルも大人気。 ロシア皇帝も大感激です。

ところが何の事は無い、降伏して登場すると兵は着ているものも靴もボロボロなのに、将官連中はピカピカ。

先ずここで大きく評判を落としたようです。

その後、ステッセルは帰国途中の長崎において夫婦で美術品を含む土産物を5000ドル(当時で1万円:海軍中尉の年棒が400円)分賈った事がスクープされるとアメリカにおける人気は最悪となったそうです。 訂正:結局ステッセルは軍事裁判で死刑判決を受け、後減刑されて禁錮10年。


日本海海戦
金子はこの日アトランティック・シティーに滞在。友人宅で食事後11時頃にホテルに帰ると客と従業員が大勢フロントに集まって金子の帰りを待っていました。赤電(国際電報)が届いていたのです。ひとわたり読むと皆が声にだして読めと言う、「長崎駐在のアメリカ領事によればロゼストビンスキーの艦隊と東郷艦隊と対馬海峡で衝突した、敵の軍艦6隻撃沈、9隻捕獲し東郷艦隊無事。」読み上げるとそこらじゅうで歓声がわきシャンパンを抜いて大騒ぎになったそうです。当時米国とは回線の関係で長崎が一番近かったのです。 太平洋海底ケーブルは未だできていません。



などなど、他にもたくさん。 面白い本でした。

JPモルガンはルーズベルト大統領の従兄弟モンゴメリー・ルーズベルトを通じて金子に戦後の満州鉄道建設資金の融資を働きかけていました。 シフ・ハリマンの動きを牽制していたのです。

この後金子+井上準之助=モルガンのラインが出来たと思われます。
公演中是清の名前が出たのは1度だけでした。


2010年5月14日金曜日

高橋是清 ④


高橋是清レシピは、

1。不景気の時に国債を発行して日銀に引受させ、金をばらまく。
2。ばらまいた金によって景気が回復すれば税収が増えるので国債を償還する。

というレシピではありません。時間軸が少し違うのです。

国債を一旦日銀で引き受けて後、折を見て国債を市中に売却する手法でした。
データを見れば明らかです。ソースは「日本金融史資料・昭和編」第27巻P25です。



日銀が引き受けた国債のうち85%をかなり早い段階で市中消化しています。
高橋が1936年2月26日に暗殺されるまではこの傾向は続きます。
未成熟な国債引受市場に替わって一旦日銀が引受け、後に市中に売却する。市場流動性の調整の手法とも言えるのです。



当時の為替の変化をもう一度見ておきましょう。

1931年の12月12日に是清は蔵相になります。
翌13日の金輸出再禁止を断行。17日に金兌換停止とします。
この時点で大幅な円安になってしまい交易条件が好転し輸出の伸びによって景気回復の糸口がつかめているのです。

日銀による国債引き受けは発表が翌年3月8日です。さらに6月18日に法的処置つまり発券制度の抜本改革、実施は11月25日ですから既に大幅な円安になっていました。

円安で輸出が大幅に伸びます。4割以上減価してますからインパクトは強烈です。
国債発行で急に内需が伸びた訳ではないのです。また国債発行で円安になったわけでもありません。金輸出再禁止は典型的な「近隣窮乏化策」でした。

この間、各通貨圏のブロック経済化は進んでいきます。
旧英国植民地圏は1932年のオタワ会議でスターリング・ブロックを形成、次いでドイツマルクの東欧圏を含むマルク・ブロック、日本は朝鮮・満州を入れた円・ブロックを形成します。フランス・フランも旧植民地圏で同様の処置に出ました。

1933年、最後の金本位国(注)アメリカはルーズベルトが3月に大統領就任すると4月には金本位離脱、銀行がバタバタと倒産する中、各国のブロック化に業を煮やし英国をプシュしてロンドン国際経済会議を開催します。

みんなで為替を安定させようよ。改正金本位とかはどう?と言う会議ですが他の国はあまり乗り気ではありませんでした。67カ国が招待され、資金難のパナマが欠席して合計66カ国。日本は国際連盟を離脱していましたが、この会議には大国の1つとして招待されています。

深井英五はこの時に後にハル・ノートで日米開戦のきっかけとなる国務長官コーデル・ハルと親密になります。日本代表としてでは無く、通貨制度の権威としてアメリカ側から色々と意見を求められています。

ロンドン地質博物館を会場に当時としてはど派手な国際会議を催しますが、結局そこでは何も決まりませんでした。 ですからこの会議は教科書にはあまり登場しないのです。

翌1934年日本は満州帝国を建国します。

今回の米国の回復要因で顕著なのは昨年末までのドル安でしょう。
今ユーロ安ですから、米国企業収益は相対的に重くなるんでしょうね。


(注)フランスとイタリアは金本位を維持していましたが、復帰時に切り下げをしています。

2010年5月13日木曜日

高橋是清 ③


私が興味を持っているのは日露戦争時のファィナンスの部分なのですが、今日も是清レシピで質問を受けましたので、本職ではありませんが、株屋として是清レシピをどう受け止めているかを説明しておきたいと思います。

あいにく手元に原資料が無く、メモだけなのですが、昭和13年に元日銀総裁深井英五が京都大学経済学部に呼ばれ「日本銀行の国債引き受けと財政経済」と言う題目で特別講演をしています。聴衆は当然国債引き受けに批判的です。

  • 一般経済学では中央銀行による国債引き受けは財政規律の観点から宜しからぬことである事は充分にわかっている。
  • これら需要創造は供給力に合わせて(インフレに配慮して)充分に管理されながら行われている。
  • 昭和6年の国債発行残高は48億円、内日銀持分は2億円(4.16%)、これが昭和13年で国債発行残高132億円、日銀持分12億円(9%)である。
  • 政府債務の貨幣化をしている訳では無い。
是清による赤字公債引受は昭和7年3月から。
昭和13年の名目国民総生産は265億円

つまり実際には日銀が国債をガンガン引き受けて飲み込んだのでは無く、引受シ団等によって国債をいきなり市中売却する代わりに、一旦日銀口座に入れて資金供給し、市中に購買力が出た時点で買い取った国債をセカンダリーで売却すると言う手法を取っています。従ってこの講演の時点では日銀の国債保有残高はコントロールされていると言う風に理解してます。

最近よく言われる「国はドンドン借金してお金をバラマケ」と言う話しとは少し違います。 今ハヤリのバラマキ案「高橋財政を見習って」と言うのは私には違和感があるのです。

高橋是清と深井英五が天国で、

「深井君、世界の中央銀行は大変な事になってるね。」

「ええ、膨れ過ぎた民間債務を国債発行や買い入れで国が肩代わりしてショックを吸収すると言う手法ですよね。出口模索が難しいでしょう。」

「深井君、我が日本は民間の過剰債務などあったのかね?」

「いえ、今回の日本は危機以前から政府債務が問題でした。」

「では軍部が予算に圧力をかけていたのだな。実にけしからん奴らだな。」

「是清さん、今の日本には軍部はありませんよ。」

とか言ってるのではないでしょうかね。

2010年5月12日水曜日

高橋是清 ②


高橋是清と言う人は長生きをして様々な事をした人ですからwikiを読んでもその業績はわかりにくいかもしれません。


あえて是清の業績を3つに絞れば、

1。日露戦争時のファイナンス

2。昭和金融恐慌時の42日間の緊急リリーフ

3。金解禁失敗時の緊急リリーフ

日露戦争を含む前半生は以前のブログい書いておきましたので、今回はその後を簡単に備忘録としておきましょう。



1907 54歳 是清は日露戦争時のファイナンスの功績により男爵に叙せられます。それと同時に当時の明治の元勲達から一目おかれる存在となります。

1911     58歳 日銀総裁 
1913-14 60歳 大蔵大臣 1回目(山本権兵衛内閣)
1914-18      第1次世界大戦
1918-21 65歳 大蔵大臣 2回目(原敬内閣)
1921-22 68歳 内閣総理大臣兼大蔵大臣3回目(高橋内閣)
1924     71歳 商務大臣 
1925     72歳 政界隠退
1927     74歳 大蔵大臣 4回目(田中義一内閣) 昭和金融恐慌時42日間だけ
             再び隠退
1929         NY 暗黒の金曜日
1931     78歳 大蔵大臣 5回目(犬養内閣) 金輸出禁止 金本位離脱
1932     79歳 大蔵大臣 6回目(斎藤実内閣) 5.15事件により犬養首相暗殺
1934     81歳 大蔵大臣 7回目(岡田内閣)
1936     83歳        2.26事件で暗殺

合計7回蔵相、内4回は隠退後に勤めています。

第2、3回目の時は第1次大戦終了時です。 戦場とならなかった米国と日本は大きく輸出を伸ばし一気に債券国となります。
大戦終了時には反動を警戒する動きもあったのですが、欧州は生産設備が破壊されていたために供給に問題がありましたので、日米とも好況が続きます。
この時高橋蔵相は拡大路線を取り、本来なら特殊事情で拡大した日本の過剰な供給能力を削減しなければならなかったのですが、競争力の無い企業を生き残らせてしまいます。世間からは「放漫財政」とか「脱線居士」と言われて散々な評判になってしまうのです。またこの時のツケは大正の不景気として長い不況を産み昭和恐慌に至ります。これは後に是清が自分で整理する事になります。 

この落とした評判を取り戻したのが、商務大臣になった1924年の選挙です。彼は爵位を捨て(子に譲った)暗殺された同じ政友会、故原敬の地元盛岡から出馬して衆議院議院となるからです。爵位を棄ててと言うのが国民にアピールしたようです。但しこの後政争に嫌気した事と選挙で資金を使い果たし家族から止められた事から隠退してしまいます。

第4回の時は正に国難に際してリスクを負い、老体にムチを売って40日程度だけならと言う条件で引受ます。これは有名な「渡辺銀行破綻発言」で取り付けが全国に万延し、モラトリアムを行う事になった昭和金融恐慌時のリリーフです。

国民の是清に対する信頼感が無ければできなかったでしょう。

第5、6回が是清レシピでありケインズの先を行っていたとか呼ばれる事になる「高橋財政」です。緊縮の「松方財政」と並び称されます。

第1次大戦で停止していた金本位制を戦後各国は続々と復帰させていました。1920年米国、24年ドイツ、25年英国、28年フランスですが日本だけが復帰していませんでした。(1923年の関東大震災の影響もあります。)

金本位制を採用すると言う事は財政を健全化しなければなりませんから、金本位制そのものの功罪よりも財政規律の側面からこの制度は評価されるべきものなのです。

日本が財界等からの要望によって緊縮財政に入り金本位制復帰を決めたのは、運が悪い事にニューヨーク大暴落の翌年でした。 この暴落に対応した英米の公定歩合引き下げさえ正価獲得に好都合と判断していた期間もありますから、海外とは言え株式市場に結構無頓着だったのかもしれません。

しかし日本が復帰して間もなく皮肉な事に英国が金本位を離脱しポンドが33%切り下げられてしまいます。 緊縮財政に輸出不振で国内経済はどうしようもありませんから金本位はすぐに撤回、またまた是清が呼ばれる事になります。この時は日銀副総裁の深井英五が前日アドバイスに是清を訪問し、そのまま実行します。

ここで是清レシピです。金本位復帰の為に必要な事の反対をやります。

1。低金利政策
2。国債の入札発行を中止して日銀引受とする
3。日銀条例改正
4。不動産銀行活用による積極融資
5。時局救済事業
6。満州事変、上海事件の経費は国債発行にて賄う
7。通貨膨張と為替低落による資本の海外兆避を防止するため、資本兆避防止法、関税大改正

是清は決して好んでやった訳では無いようです。
「日本銀行国債引受発行の方法は著しい効果をあげたが、高橋氏は当初よりこれを一時の便法と称していた。」 深井英五「回顧七十年」より

軍事費の拡大もあり、結局ずるずると行ってしまい、日本は壊滅に向かっていきます。

以下は当時の為替レートです。 もともと大きい米国との国力差はさらに大きく開いてしまいます。



しかし高橋是清は凄い人です。 総理大臣を務めた経歴が霞んでしまうのですから。

2010年5月11日火曜日

The Romance of a Busy Broker


株式ブローカーのマックスはいつもの美人アシスタントを連れて出社した。

彼は出社するとすぐに書類とティッカー・テープの山と化したデスクに座り、引っ切り無しに鳴る電話とカウンター越しにがなりたてるお客の売り買いの怒声の中に埋没していった。

寄り付きから少し落ち着いた頃、人材紹介会社が、新しいアシスタントの候補者を連れて来たが、今いる彼女から見ると下品で魅力の無い女だった。 第一、彼はそんなもの頼んだりした憶えは無かったのだ。 人材紹介会社の担当者は怒り心頭で帰っていったが、彼にとって今のアシスタントは充分過ぎるぐらいに満足だったのだ。

午後になると市場は乱高下を繰り返し、彼の忙しさはまさに頂点に達しようとしていた。


すると少し離れたほうから芳しい香りがしてきた、それは香水の芳香とかでは無く、良い女にしか醸し出せない特有のものだ。


彼は目の回るような忙しさの中、どうしてもこれだけは済ませておかねばならぬと思い、アシスタントの彼女のデスクに突進してこう言った、

「ほんのちょっとしか時間がないんですが、そのほんのちょっとした時間の間にお話したい事があるのです。 ぼくと結婚してくれませんか? ぼくは、世間一般の手順を踏んであなたに求婚する暇が無かったんです。 でも、心からぼくはあなたを愛しています。 どうかすぐ返事して下さい・・・・・・・あの連中がいまユニオン・パシフィックの株を売り叩こうとしているんです」

「まあ、何をおっしゃってるの?」
彼女には彼の言っている意味がさっぱりわからなかった。


こう言う市場は首が上下に振れすぎないように週足をしっかり見ておくと良いかもしれません。


ユニオン・パシフィックはハリマンの会社

2010年5月10日月曜日

"Our Crowd" Stephen Birmingham


この本も高橋是清の日露戦役時の起債について調べている過程で見つけた本です。東京地区でアマゾン経由発注したら翌日に届きましたから日本でも結構売れているのでしょう。

広瀬さんのブログMarket Hackの下段にこの本が推奨図書で入っていたのを見つけたのは発注した後の話しです。シフを研究している私のブログを見て入れておいてくれたのかもしれません。

内容はニューヨークにおけるユダヤ人コミュニティーの歴史で、多くの部分が以前紹介した当時のユダヤ資本大手投資銀行クーン・ローブ商会ヤコブ・シフの話で蔽われています。 もの凄く面白い本と言っておきます。  なにしろPrefaceの次のページにある人物相関図はGS、リーマン、メーシーズを始めセリグマン、グッゲンハイムと現代を騒がす名前はもちろん、歴史上の重要人物達が狭いページにぎゅぎゅう詰めになっていますから。

この本の圧巻はノーザン・パシフィック鉄道買収事件 "The Battle of the Gianats"。 JPモルガン+一方の鉄道王ヒル 対 シフ+鉄道王ハリマンのアメリカ証券市場を恐怖のどん底に追いやった超大型買収戦争でしょう。

モルガンにすればこの事件はUSスティール買収後の隙をつかれた戦い。 シフにすれば乾坤一擲、清水の舞台から飛び降りた一世一代の戦い。 最後のとどめを刺す段階で、シフはユダヤの祈りの時間に仕事はしないと言う理由でその手を止めてしまいます。 謎の行動なのでしょうか。モルガンはこの事件以降シフの扱いを単なるユダヤの銀行家から、PAR(対等)の扱いに改めます。

この事件を立場を変えてJPモルガンの伝記的小説モルガン家:ロウ・チャーナウで読むと細部で表現が微妙に異なっていて面白いものがありますよ。

ちょうどこの騒動の収まった頃、ロシアと戦う金欠気味の日本から大男の高橋是清と神経質そうな悩める小男、天才深井英五がコンビを組んで資金調達に登場します。 シフは是清とは偶然の出会いを装いますが、日露戦争が始まった段階で日本へのファイナンスを既に決めていたと言う証言もあるのです。

モルガンとシフの手打ちの後、まるで打合せたかのようにモルガンは大西洋の航路に手を伸ばし、シフ+ハリマンは太平洋に向かって進みます。 太平洋航路のいきつく先にシベリア鉄道が見えていたと言うのは考え過ぎでしょうか。 桂・ハリマン協定と言うのもありますね。


ヤコブ・シフは伝記の執筆をCyrus Adlerと言う人に自身で依頼しました、シフの莫大な遺産の中に伝記の印税六ドルの小切手が残っていたそうです。

この伝記も最近キッシンジャー出版から再販されています。 Jacob H. Schiff:His Life and Letters 日本の起債の部分を期待して読んだのですが、この部分は深井英五が依頼されて英文で書いており、何も校正されずにそのまま掲載されているそうです。 従ってせっかく読んだのですが期待した新しい情報は何もありませんでした。


回顧七十年 深井英五


深井英五は高橋是清とともに日露戦役の折、ロンドンにおいてポンド建て日本国債発行の任にあたった人で、この本は彼自身による回顧伝です。 昭和16年(1941年)の出版。

明治四年 上州高崎藩の高格の家に生まれながら維新動乱の困窮の中、同志社普通学校を卒業後、しばらく時期をおいて国民の友社に入社します。
ここで社主徳富蘇峰に可愛がられ、日清戦争従軍記者となりそこで得意の英語力を駆使、陸軍参謀次長川上操六による高い評価のもと、陸軍臨時雇い等を経て、蘇峰と共に欧米視察の旅に出ます。 
徳富蘇峰は日清戦争時、情報面において海外新聞社、特にタイムズにかなり便宜を図っていましたので、日本を代表するジャーナリストとしての待遇を欧米で受けます。 タイムズの各国の記者と談じ、トルストイにサインを貰い、3国干渉以降ロシアに警戒していましたからシベリア鉄道の情報収集等を行います。

帰国後深井は松方正義大蔵大臣秘書官を経て日銀入行、これは当時としても横すべり入行は珍しかったそうで、今で言う中途入社でしょうか。入行後直ぐに松方正義公爵外遊のお供、欧米に知己を増やし、帰国後は高橋是清と共に三年間NYとロンドンにて資金調達の任につきます。 
 
 戦後は日銀に残り1918年理事、翌年第一次大戦後のパリ講和会議で西園寺公望に同行、1921年ワシントン会議、1922年ジェノア会議、関東大震災時に防火活動、1927年昭和恐慌、1928年副総裁、この年「通貨調整論」発刊、この本は英訳され英国で極めて高い評価を受けます。 1933年ロンドン経済会議全権委員、1935年日銀総裁、翌年2.26事件で高橋是清暗殺、辞意を固めるも辞められず辞任は1年伸ばされます。

もう少し此の本について気のきいた事を書きたかったのですが、書き様が極めて平板にも係わらず、あまりに内容が濃すぎて時系列でしか紹介できません。

彼はいつも局所において「積極的に当たれ」とか、「考えすぎる性だから」とか、高橋是清との初対面では「あなたは学問が好きだそうで、結構だが、後には仕事がして見たくなるかもしれない」と風にあまりガンガンと仕事するタイプでは無く、どちらかと言えば沈思黙考型。 経歴こそ運が良さそうに見えますが実際には合間合間には浪人して何をやったら良いか悩んでばかりと言う人です。 日銀も入りたかった訳ではないそうです。

通貨が非常にプリミティブに捉えられていた時代から実体験に基づいて起債、金本位制との取り組み等が順を追って書かれていますので、いきなり貨幣論的な小難しい本を読むよりは、無理なく金本位制の利点、欠点、実際にどうなったか、また通貨政策が経済成長に対して出来ることの限界等が理解しやすく書かれていると思います。 永らく日銀のテキストであったと聞きますが金融史のテキストとしてそれもうなずける内容のものです。

彼自身が自身の功績について非常に控えめにしか書きませんのでいきおい参考文献を多く読まざるをえなくなるのもこの本の特徴でしょうか。
そうした参考文献の中では、伝記叢書85「徳富蘇峰」早川喜代次著は格別に面白い作品でした。 日本のジャーナリズムの歴史書と言えるでしょう。

作家、小島直記が「回顧七十年」を学生時代に購入して毎年毎年繰り返して読んだと中公文庫 「日本策士伝」に書いてあります。 中古では高い本なので図書館で借りるのが正解でしょう。早く岩波文庫で出せば良いと思うのですが。

私は結局繰り返し読みそうなので購入してしまいましたが。
ここのところ根を詰めて重い本ばっかり読んでいたので少々疲れました。

2010年5月8日土曜日

オーケストラ Le Concert


帝政ロシア時代からユダヤ人に対する迫害はポグロム‐集団組織的大虐殺と言う形となり酷いものがありました。

歴代皇帝はユダヤ人を領内から追放しようと策をめぐらせるのですが、皮肉にもその領土欲からポーランドを分割領有することよって、結果としてポーランド領内に居住するユダヤ人を取り込んでしまい追放を無意味にしていました。 そこでエカテリーナ2世はユダヤ人の拡散を防ぐため、定住地域であるゲットーを黒海からリトアニアに渡る一帯に定めるる事によってユダヤ人の居住地域を制限しました。 「屋根の上のバイオリン弾き」の舞台です。

この当時はロシアに限らず欧州のいたるところでユダヤ人の居住空間を都市内の一画にゲットーとして制限していました。土地の制限が在るために建物は上に高くのびる事になったそうです。 

以前のエントリーで紹介したヤコブ・シフもフランクフルトのゲットーで生を受けます。産まれた家はロスチャイルドと同じ建物を縦に2分して、建物の片方にはロスチャイルドの赤い盾(roter Schild)が描かれ、シフの家の側には船(Schiff)が描かれていたそうで、後にドイツ・ロスチャイルドがシフの家の部分も購入したそうです。

ソビエト社会主義革命にはユダヤ人が開放を求めて多く参加し、実際に革命成就後しばらくはうまく行っていたのですが、スターリンによる大粛清はユダヤ人におよびソビエト連邦となっても迫害は続きます。



この映画はユダヤ人を迫害するブレジネフ政権の最後の頃、ボリショイ劇場管弦楽団のメンバーがユダヤ人であると言う理由やそれを助けたと言う理由で解雇されてしまい、指揮者は清掃人に、他の楽団員は救急車の運転手であったり、AVの効果音係であったりとすっかり落ちぶれてしまったと言う設定から始まります。

ところがちょっとしたきっかけで楽団員が再び結集しボリショイとしてパリでコンサートを開催すると言う話です。 そしてリユニオンには意味がありました。演奏曲はチャイコのバイオリンコンチェルトでなければならなかったのです。 

話しの大枠は真面目ですが、中身はほとんどロシアをパロッたり荒唐無稽に近い喜劇となっていますので、見ている方も「そんな理由は無いでしょう」と言うリアクションになってしまいます。 
ところがコンサートが始まるとすべてが変わります。
悲しくも無いのに、涙が止まらない、計算された音楽と映像のせいです。
ストーリーなど、どうでも良くなってしまうのです。 
この効果を出すために、ヒロインは圧倒的に美しくなければなりません。
タランティーノ+ブラピのイングロリアス・バスタースに出演していたメラニー・ロラン

マイケルのThis is it に感動した人は必見とだけ言っておきましょう。
バイオリンの練習を嫌がる子供には是非見せておきたい逸品です。


PS 5月9日に銀座シネスィッチに再度観に行ってきました。相変わらずの混雑ぶりでした。 前回観た時から妙に気になっていた既視感の原因は映画「砂の器」だとわかりました。
そう言えば最初に「砂の器」を観たのは体育会の学生寮に暮らした時代、生協でかなり古いけれど格安の大型中古テレビを皆で担いで持ち帰ったその夜です。 TVで放映していたのです。
7~8名で観ていたと思います。お酒も混じっていたでしょう。 皆涙がとまらずに往生しました。
翌日朝の天気予報の時間に、そのテレビは長くも短い(私達にとっては)生涯を、突然かつおごそかに終えられました。 まるで私達に「砂の器」を観せるのが最後の使命であったかのように。

その後再び亡骸を担いで生協に行ったのは言うまでもありません。
しかもかなり怒って。
(5月10日記)


2010年5月7日金曜日

週末雑感 100507


アルゴリズム取引の影響かあるいは誤発注なのか未だ原因ははっきりしていませんが、NY市場でのザラ場安値は株式投資家の肝を冷やした事は間違いないでしょう。
ここは買い場かどうかは色々と意見があるのでしょうが、ギリシャに端を発する問題も昨日のインターバンク・レートの上昇から直近は欧州債務危機と言う表現が増えています。PIIGSの破綻がEU圏内にとどまらず世界の銀行ポートフォリオの時価評価を悪化させ金融引締と同様の効果を及ぼし成長力を阻害するとの懸念を持つのは当然でしょう。

さらに最近は世界の金融市場の相関が高いことから、最近のBRICKS周辺の株価が頭打ちであった事も不安感を増幅させていますし、原油価格との相関による資源国マネー撤退への不安など、自国市場だけ無事と考えるのは合理的ではありません。

企業収益のファンダメンタルスは良好だからパニックの間に押し目を拾おうと言う考えもあるのでしょうが、企業収益予想の根底にある各国国家の成長予測に今回の出来事がいよいよ影響を及ぼしてくるのであれば、少し様子見を決めようと言う考え方にたどり着くと思います。

週末はエコノミスト・ストラテジストがもう一度「ニューノーマル」な世界について考えを及ぼすのでは無いでしょうか。 ボトムアップ個別企業収益予想は遅行します。

De-leveraging 過剰借金体質からの脱却
De-globalization グローバリゼーションの逆行
Re-regulation 規制強化

先進国で政府や中央銀行のとった緊急避難的処置、つまり民間の借金を政府が肩代わりした行為はDe-leveragingとは相反する行為でした。  出口を失くした政府が今のギリシャ、緊急避難処置の副作用です。  そして協調をいやがるドイツ。 MBSを1兆4000億ドル抱えた米国。 ロゴフが何か発言しそうですね。 急激な下げが続くとは思いませんが、切り返すかどうかは微妙です。

ユーロドルチャート


「株式市場の暴落が広く一般に予期されている場合は暴落はおこらない、何故ならば、買い控え懸念が市場に浸透するからだ。」と言う見方は1907年のウォール街暴落以降通用しなくなっている。



2010年5月6日木曜日

CDS市場 The Treasury Borrowing Advisory Committe


ギリシャを筆頭にユーロでソブリン債(国債等政府機関系債券)問題が燃え盛る中、5月4日に米国で 財務省借入諮問委員会(The Treasury Borrowing Advisory Committe)が開催され、米国政府債務の今後の見通しを始め、CDSの存在意義等について議論がなされています。 この委員会にはGS,JPM、ソロス、ムーア、ドイチェ、PIMCO、RBS、チューダー、バンカメ、ブラックロック、アライアンス・バーンスタイン等々が参加者として名を連ね、使用されたプレゼン資料はネットで見る事ができます。


ブルンバーグ・ニュース

そもそも国債は歴史的にリスク・フリーと考えられていたので、優良企業の無担保債と同じで担保設定がありません。従って委員会としてはCDSを通じてヘッジをする事はessential:必需品であり、ギリシャ危機に直面するユーロ首脳からのCDSと言う商品そのものに関する非難に対しては明確にソブリンCDS市場を擁護しています。

但しギリシャが2日前に同意した1100億ユーロの借款は無担保とは行きません、ギリシャ公務員の給料、年金カットおよび租税強化等が条件になっています。
国民がこうした条件を呑む事がいかに困難を伴うか、ギリシャでの流血反政府デモが示しています。

データでは約半分のソブリンCDSが金融機関による企業や政府などに対する潜在的なカウンター・パーティ・リスクのヘッジ目的で使用されています。

3月に主要金融機関がユーロの規制当局と会議を持ち、当局は投機的なCDSの使用の禁止を呼びかけましたが、この件に関しても今回の委員会は「CDS市場は国債価格に影響を及ぼすほど大きくは無いし、これまでもそのような事は無かった」と結論付けています。

市場規模として、バークレーズとDTC(Depository Trust & Clearing Corp)のデータからソブリンCDSの残高は2.3兆ドル、ネッティング後は2300億ドルだそうです。

歴史を紐解くと1904年に日本が日露戦役資金をロンドン市場で外貨建国債発行によって調達する際には、担保設定で揉めています。
日本として担保には税関収入を充当するのですが、前例として清国が資金調達した際に税関に債権国から係官を派遣して関税収入の管理にあたらせていた為に日本にも同じ形態が要求されました。 高橋是清は日本はかつて既発債で一度も不履行を起こしたことは無い事を理由にこの要求を突っぱねています。植民地に対する扱いですね。しかし今回のギリシャは同じような状況に陥ろうとしている訳ですからそもそもプライドが許しませんよね。

プレゼンの中身を少し紹介しておきます。クリックすると大きくなります。
図表はFRBのプレゼン資料からです。PDFの21ページ以降がCDSです。

CDSの概要
PIIGSが特に多く取引されている。
5年が主で、10年もある。
呼値は年間ベースで、支払いは四半期ベース。
デフォルト・イベントは別ページで詳しくあります。



銘柄別のネット残高。 一般企業も混じっています。

各国債務に対するCDSのネットの規模です。 ポルトガルで5%程度
CDS Net NotionalはCDSネットの金額規模、その下が政府債務の規模 

主要市場参加者

右のコラム、ナチュラルセラーは「はっきりしない」となっています。 この事が現物市場に対してCDSが限定的な流動性しかもてない原因となっている。


ディーラー以外の投資家のポジション
濃い線が投資家危機以前は買い手であっが、売り手に変化している。
薄い線は取引されているCDS相当分の現物債換算金額

CDSスプレッドと格付けの関係



西ヨーロッパ中心なので日本国債への言及はありませんが、そもそもこの資料は米国債務の問題を扱っていますので他にも興味ある資料が満載です。

時間をかけてゆっくり見たいと思いますが、先ずは紹介だけ。


2010年5月3日月曜日

コンソル公債


日露戦争当時の日本国債ファイナンスについて調べたのですが、その前にいくつかその前提となるアイテムを整理しておく必要があります。その中のひとつ、当時の金融市場でベンチマーク金利として使用された英国のコンソル公債について今回はエントリーしてみます。

メモ替わりに使ってますので非常に趣味性の強いものになりますが、当時の金融市場は単純なので本質を探求するのには色々と参考になると私は思っています。

ましてやこの週末にでもギリシャは債務返済の為に国民に窮乏を強要せねばならなくなっています。 日本も遠い事ではないなと思った人も多いのではないでしょうか。 国債について考えるには良いテーマだと思います。


もともと欧州の専制君主達は戦争の軍資金が必要になるとジェノアやアムステルダム、ロンドンの商人や銀行家から借金をして工面していました。戦争に勝てば新たに領土が獲得できるかもしれないし賠償金を得たりできます。 また君主達は資産や領土内の徴税権を持っているのでそれらも担保としての価値を持っていました。

しかし君主が死亡すると後継者(他所の国の王子だったりします)は相続を放棄したり、君主自身も強権を発動して借金を棒引きにしたりするので、こうしたローンや債券は市場金融商品として売買され流動性の付与されるようなしろものではありませんでした。 君主の私的債務なのか国の公的債務かの区別も曖昧だったのです。 

日本でも封建時代に度重なる徳政令が出されたり、蔵前の札差が処分されたりと君主ともなると好き勝手が出来た訳です。なにしろ武力(暴力)を独占していますから。 しかしこうなると高いデフォルト・リスクを反映して金利は高いものに成らざるを得ませんし、債務の円滑な金融市場と言うものは当然の事ながら成立などできないのです。

イギリスでは名誉革命による権利章典(1689年)によって”国王の徴税権は議会の同意が必要となった”事で、英国国債は公的債務として捉えられるようになりました。つまり誰の借金かが明確になったと言う事です。 専制君主から憲法による立憲君主へ、君主が気まぐれで散財したりはできなくなりました。

18世紀の中頃にヘンリー・プレハムと言う英国の首相兼財務大臣が、クーポンの支払い、つまり国庫負担を減ずる為に、それまでの表面利率やテナー(期間)の異なる債券をまとめて(consolidateして)コンソル公債と言う永久債をつくりそれまでに発行されていた各種国債を一本化しました。

 その後クーポン・レートは変更されますが当初は3%クーポンを与えられた永久債として市場性のある債券が登場したのです。 1947年を最後にコンソル公債の新規の発行は止まっていますが、今でもわずかにコンソル債は取引されています。英国政府としてもクーポンの低さから(1923年以降2.5%)当面は償還するつもりは無いようです。

こうして多くの債券をまとめると、期間は永遠、表面利率は1つですから一銘柄に統一されます。当然商いもしやすく、価格計算もクーポン金額÷市場金利と簡単ですから流動性も大きいものとなります。 。 LIBORなどの無い時代にはこのコンソル公債がいわいる金利として、言い換えればリスクフリー・レートとして様々な債券のベンチ・マークとなります。 したがって19世紀後半の日本を始めとする各国の国債のリスクプレミアムはこのコンソル公債に対する上乗せ金利で測られる事となるのです。 

こうしてロンドン市場ではコンソル公債金利(クーポンでは無く価格から逆算した金利)が古くからの市場取引記録として今日まで残されているのです。


これを見ると第2次世界大戦までの期間コンソル公債は非常に安定した金利水準であった事がわかります。 英国ポンドは基軸通貨で金本位制を採用していましたし、安定した経済成長の下こうした状況が続いたのでしょう。 日露戦争の1905年前後も金利は上昇基調ではありますがまだ低位安定の時代でした。

当時の各国のリスクプレミアムを説明するには文章が長くなってしまいますので次回とし、今回はベンチマークとしてコンソル公債と言うものがあったとの話しにとどめておきます。


参考:

コンソル公債(永久債)の特徴。
この債券の特徴を見てみましょう。 大学でも教材に使われているようです。 

償還期間が永遠で、クーポンが決まっていると価格計算がしやすくなります。 キャシュ・フローを見れば良いですね。

額面100円で毎年5%(5円)クーポンの債券があるとして、これの現在価値を求めると、
1年後:5円+2年後:5円+。。。。。。。。。 割引率が無いので合計は無限大ですね。つまり価値は無限大と。

しかし仮にインフレ率が2.5%とすると、1年後に受け取るクーポンの現在価値は、インフレ分減少するので5円÷1.025です。
1年後:5円÷(1.025)=4.878円+2年後:5円÷(1.025^2)=4.759円+3年後:5円÷(1.025^3)=4.643円。。。。。。。

これは初項:100円x5%÷1.025、公比:1÷1.025の無限等比数列となります。

つい最近も国会で乗数効果の計算ができずに管さんがイジメられていましたがそれと同じ式です。

従って、公式から無限等比数列の和=無限等比級数=初項÷(1-公比)



つまりコンソル債の価格は、クーポン金額÷インフレ率
他に指標金利があるならばインフレ率を市場金利あるいは利子率と入れ替えても良いでしょう。

インフレ率が10%だと、5円÷10%=50円
インフレ率が2.5%だと 5円÷2.5%=200円
インフレ率が1%だと 5円÷1%=500円
インフレ率が0.1%だと 5円÷0.1%=5000円

グラフにすると、


グラフを見て気づくのは、左側、利子率が低くなると急激に価格が上昇すると言う特性です。
このグラフは流動性選好説の説明、流動性の罠でよく使われる事例となります。

Wikiから引用しておきます。

コンソル公債の例
毎年、固定で100円の利子が支払われることが約束されたコンソル債券が有る。この債券を2000円で買えば毎年の利子率は5%となる。債券市場で取引が行なわれ、価格が2100円になったら利率は4.76%となる。債券の価格が上がることは同時に利子率が下がるを意味する。
利子率が1%になると債券価格は10000円になる。もし利子率が1.1%になると、債券価格は9090円と910円急落する。極端な場合、利子率が0.1%の場合は債券価格が10万円となるが0.2%であれば5万円となる。このように、この債券の仕組み上、利子率が非常に低い場合は債券価格の変動が利子金額を大きく上回って非常に激しくなる。このため、利子率は一定以上低下しにくい。

流動性の罠
債券価格の上昇(利子率の下落)が極端であると、人々は債券の値下がりを予想して、貨幣で資産を保有するようになり、貨幣供給が増しても、貨幣保有が増すだけで、資金は債券購入に回らず、市場利子率はそれ以上低下しようとはしなくなる。
これを流動性の罠という。ケインズはこのことを、「ジョン・ブルはたいていのことは我慢するが、2分の利子率には我慢できない」という言葉を引いて、市場金利には下限があることを示した。

ケインズが流動性選好説を説明するときは上のグラフはXY軸が入れ替わります。

以上参考まで、




2010年5月2日日曜日

明治を歩くバリューコース


昨日の散歩+食事コースはなかなかバリューがあったので紹介しておきましょう。

昨日は映画の日、毎月1日は映画料金通常1800円が一律1000円で見れる日です。知ってました?

そこで映画オーケストラ、16:30を少々並んでも良いから観ようと銀座シネスィッチに3時10分頃行くと、係員が「今並べば座ってみれます。大変混雑が予想されます。」と言うので、1時間も並ぶのではつまらないと言う事であっさりと止めにして日比谷公園をぶらぶらする事にしました。オーケストラやアイガー北壁など欧州系の映画は公開館が少ない割りに人気があるので非常に混んでます。 第9地区は空いてましたね。

と言う訳で思いつきで日比谷公園に言ったのですが、先ずは日比谷パークセンター。喫茶店兼ビア・ガーデンのような店ですが、オープン・テラスで緑が気持ちよい場所です。
ソーダ類400円、ビールは小グラスで450円。 木陰で1Q84でもゆっくり読むと良さそうですよ。 嫁と2人で850円の出費。 サービスの密度が薄い分長居もできそうです。1時間程いました。

そこから松本楼、時間は未だ5時でしたが5分程待って着席。HPを是非見て欲しいのですが、松本楼は数多くの歴史上の人物がここの料理を食していますし映画にも度々登場します。 映画「阿修羅のごとく」の黒木瞳、八千草薫の食事のシーンは印象的でした。 高いのかなと思って敬遠しがちですが1Fのグリルは街の洋食屋さんの価格です。 ここでGWスペシャルメニュー、蟹クリームコロッケと牛ヒレ肉のソテー+ボリュームのある何とかサラダ+赤ワインキャラフェで締めて3740円。 緑の綺麗な居心地の良い店です。

ここまで来るとちょっと贅沢をしたくなります。

帝国ホテルの歴史あるバー、日本のバーの頂点と言っても良いでしょう。 オールド・インペリアルバーに行くことにしました。
ここは建築家フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルの面影を残しています。重厚な雰囲気、規律ある技術から作り出されるキレのあるカクテル。

浅草「フラミンゴ・バー」の蒔田さんから、バーマンの実力が一番分かるのはジンフィズだ。と言われて以来、お試しはいつも基本カクテル、ジン・フィズと決めています。

帝国ホテル120周年記念カクテル「ライト・カクテル」、フランク・ロイドからのネーミング+これ以上は無いと言う「ジン・フィズ」の2杯で3047円。

ホテルのバーは基本チャージが無いので1杯なら銀座の老舗バーより安いのですが、何杯も飲むと逆に高くなります。1杯だけ味わって帰るのが基本でしょう。 満足度の高さは保証します。

これで3店合計7637円 一人3800円。
映画代もなかったので居酒屋並でした。

明治39年の地図でルートを書いておきました。
帝国ホテルの位置が少し違いますね。華族会館は鹿鳴館の跡です。



で、この後がいけなかった。調子にのって銀座のバーへ、満足度は高いもののすっかりバリューコースでは無くなってしまったのでした。

昨日の日比谷公園はThe ラジオパーク in 日比谷と言うイベントをやっていました。 Meitoホームランバーが「当たりがでるまで食べつくせ」と言う勇ましいキャッチでブースを出してましたよ。 他にもラジコンが抽選で当たるとか色々出てましたのでお子さんが喜びそうです。 カレーパークin Hibiyaも開催、色々有名店が出店してましたからB級グルメにもOKです。