2010年5月12日水曜日

高橋是清 ②


高橋是清と言う人は長生きをして様々な事をした人ですからwikiを読んでもその業績はわかりにくいかもしれません。


あえて是清の業績を3つに絞れば、

1。日露戦争時のファイナンス

2。昭和金融恐慌時の42日間の緊急リリーフ

3。金解禁失敗時の緊急リリーフ

日露戦争を含む前半生は以前のブログい書いておきましたので、今回はその後を簡単に備忘録としておきましょう。



1907 54歳 是清は日露戦争時のファイナンスの功績により男爵に叙せられます。それと同時に当時の明治の元勲達から一目おかれる存在となります。

1911     58歳 日銀総裁 
1913-14 60歳 大蔵大臣 1回目(山本権兵衛内閣)
1914-18      第1次世界大戦
1918-21 65歳 大蔵大臣 2回目(原敬内閣)
1921-22 68歳 内閣総理大臣兼大蔵大臣3回目(高橋内閣)
1924     71歳 商務大臣 
1925     72歳 政界隠退
1927     74歳 大蔵大臣 4回目(田中義一内閣) 昭和金融恐慌時42日間だけ
             再び隠退
1929         NY 暗黒の金曜日
1931     78歳 大蔵大臣 5回目(犬養内閣) 金輸出禁止 金本位離脱
1932     79歳 大蔵大臣 6回目(斎藤実内閣) 5.15事件により犬養首相暗殺
1934     81歳 大蔵大臣 7回目(岡田内閣)
1936     83歳        2.26事件で暗殺

合計7回蔵相、内4回は隠退後に勤めています。

第2、3回目の時は第1次大戦終了時です。 戦場とならなかった米国と日本は大きく輸出を伸ばし一気に債券国となります。
大戦終了時には反動を警戒する動きもあったのですが、欧州は生産設備が破壊されていたために供給に問題がありましたので、日米とも好況が続きます。
この時高橋蔵相は拡大路線を取り、本来なら特殊事情で拡大した日本の過剰な供給能力を削減しなければならなかったのですが、競争力の無い企業を生き残らせてしまいます。世間からは「放漫財政」とか「脱線居士」と言われて散々な評判になってしまうのです。またこの時のツケは大正の不景気として長い不況を産み昭和恐慌に至ります。これは後に是清が自分で整理する事になります。 

この落とした評判を取り戻したのが、商務大臣になった1924年の選挙です。彼は爵位を捨て(子に譲った)暗殺された同じ政友会、故原敬の地元盛岡から出馬して衆議院議院となるからです。爵位を棄ててと言うのが国民にアピールしたようです。但しこの後政争に嫌気した事と選挙で資金を使い果たし家族から止められた事から隠退してしまいます。

第4回の時は正に国難に際してリスクを負い、老体にムチを売って40日程度だけならと言う条件で引受ます。これは有名な「渡辺銀行破綻発言」で取り付けが全国に万延し、モラトリアムを行う事になった昭和金融恐慌時のリリーフです。

国民の是清に対する信頼感が無ければできなかったでしょう。

第5、6回が是清レシピでありケインズの先を行っていたとか呼ばれる事になる「高橋財政」です。緊縮の「松方財政」と並び称されます。

第1次大戦で停止していた金本位制を戦後各国は続々と復帰させていました。1920年米国、24年ドイツ、25年英国、28年フランスですが日本だけが復帰していませんでした。(1923年の関東大震災の影響もあります。)

金本位制を採用すると言う事は財政を健全化しなければなりませんから、金本位制そのものの功罪よりも財政規律の側面からこの制度は評価されるべきものなのです。

日本が財界等からの要望によって緊縮財政に入り金本位制復帰を決めたのは、運が悪い事にニューヨーク大暴落の翌年でした。 この暴落に対応した英米の公定歩合引き下げさえ正価獲得に好都合と判断していた期間もありますから、海外とは言え株式市場に結構無頓着だったのかもしれません。

しかし日本が復帰して間もなく皮肉な事に英国が金本位を離脱しポンドが33%切り下げられてしまいます。 緊縮財政に輸出不振で国内経済はどうしようもありませんから金本位はすぐに撤回、またまた是清が呼ばれる事になります。この時は日銀副総裁の深井英五が前日アドバイスに是清を訪問し、そのまま実行します。

ここで是清レシピです。金本位復帰の為に必要な事の反対をやります。

1。低金利政策
2。国債の入札発行を中止して日銀引受とする
3。日銀条例改正
4。不動産銀行活用による積極融資
5。時局救済事業
6。満州事変、上海事件の経費は国債発行にて賄う
7。通貨膨張と為替低落による資本の海外兆避を防止するため、資本兆避防止法、関税大改正

是清は決して好んでやった訳では無いようです。
「日本銀行国債引受発行の方法は著しい効果をあげたが、高橋氏は当初よりこれを一時の便法と称していた。」 深井英五「回顧七十年」より

軍事費の拡大もあり、結局ずるずると行ってしまい、日本は壊滅に向かっていきます。

以下は当時の為替レートです。 もともと大きい米国との国力差はさらに大きく開いてしまいます。



しかし高橋是清は凄い人です。 総理大臣を務めた経歴が霞んでしまうのですから。

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