2010年5月14日金曜日

高橋是清 ④


高橋是清レシピは、

1。不景気の時に国債を発行して日銀に引受させ、金をばらまく。
2。ばらまいた金によって景気が回復すれば税収が増えるので国債を償還する。

というレシピではありません。時間軸が少し違うのです。

国債を一旦日銀で引き受けて後、折を見て国債を市中に売却する手法でした。
データを見れば明らかです。ソースは「日本金融史資料・昭和編」第27巻P25です。



日銀が引き受けた国債のうち85%をかなり早い段階で市中消化しています。
高橋が1936年2月26日に暗殺されるまではこの傾向は続きます。
未成熟な国債引受市場に替わって一旦日銀が引受け、後に市中に売却する。市場流動性の調整の手法とも言えるのです。



当時の為替の変化をもう一度見ておきましょう。

1931年の12月12日に是清は蔵相になります。
翌13日の金輸出再禁止を断行。17日に金兌換停止とします。
この時点で大幅な円安になってしまい交易条件が好転し輸出の伸びによって景気回復の糸口がつかめているのです。

日銀による国債引き受けは発表が翌年3月8日です。さらに6月18日に法的処置つまり発券制度の抜本改革、実施は11月25日ですから既に大幅な円安になっていました。

円安で輸出が大幅に伸びます。4割以上減価してますからインパクトは強烈です。
国債発行で急に内需が伸びた訳ではないのです。また国債発行で円安になったわけでもありません。金輸出再禁止は典型的な「近隣窮乏化策」でした。

この間、各通貨圏のブロック経済化は進んでいきます。
旧英国植民地圏は1932年のオタワ会議でスターリング・ブロックを形成、次いでドイツマルクの東欧圏を含むマルク・ブロック、日本は朝鮮・満州を入れた円・ブロックを形成します。フランス・フランも旧植民地圏で同様の処置に出ました。

1933年、最後の金本位国(注)アメリカはルーズベルトが3月に大統領就任すると4月には金本位離脱、銀行がバタバタと倒産する中、各国のブロック化に業を煮やし英国をプシュしてロンドン国際経済会議を開催します。

みんなで為替を安定させようよ。改正金本位とかはどう?と言う会議ですが他の国はあまり乗り気ではありませんでした。67カ国が招待され、資金難のパナマが欠席して合計66カ国。日本は国際連盟を離脱していましたが、この会議には大国の1つとして招待されています。

深井英五はこの時に後にハル・ノートで日米開戦のきっかけとなる国務長官コーデル・ハルと親密になります。日本代表としてでは無く、通貨制度の権威としてアメリカ側から色々と意見を求められています。

ロンドン地質博物館を会場に当時としてはど派手な国際会議を催しますが、結局そこでは何も決まりませんでした。 ですからこの会議は教科書にはあまり登場しないのです。

翌1934年日本は満州帝国を建国します。

今回の米国の回復要因で顕著なのは昨年末までのドル安でしょう。
今ユーロ安ですから、米国企業収益は相対的に重くなるんでしょうね。


(注)フランスとイタリアは金本位を維持していましたが、復帰時に切り下げをしています。

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