2010年5月15日土曜日

新島 襄


私が「新島襄」を話題にして人と語ったのはこれまでに一度きりしかありません。それも語ったというよりは、東北の酒場で地元の人の話を一方的に聞いたことがあっただけでした。

いま手元にベストセラー「もういちど読む山川日本史」がありますが、新島襄の記述はP262宗教界の動きに内村鑑三とならんで名前だけが列記されています。私もそれまでは大学体育会時代のライバル校である同志社の創始者として名前を知っているだけでした。


二年程前に盛岡から宮古まで走っている山田線に乗ることが目的で旅行をしたことがありました。その際に宮古から釜石に下り、遠野に宿をとりました。私は小さな町にいくと地元の居酒屋によくいくのですが、その夜も地元の居酒屋に行って地酒を飲みながら隣の客とお店の人と三人で話をした時の事です。

宮古経由で遠野まで来たと話しをすると、左側に座っていたお客さんが、宮古の出身らしく訥々と色々なことを話してくれました。欠けた記憶は補ってあります。

宮古には鍬ヶ崎と言うかつて東北随一の遊郭があったそうです。(地震後追記:唯一残っていた名残の建築物が津波で流されたそうです) 江戸から蝦夷地に船で行く場合には、ここが風待ちの港になります。風向きが悪かったり、天気がよくない時には船員や船客が待ちぼうけになりますからこうした遊郭は、当時非常に流行ったのだそうです。

“鍬ヶ崎では錨がいらぬ、三味や太鼓で船つなぐ”と言うほど殷賑を極めたようで、幕政期から昭和の初期頃まで栄えていました。

新島は函館で勉強(洋学修行)するという名目で上州安中藩から15両、自分の方で用意したお金10両と合わせて25両を持って江戸から船にのりますが、ここ鍬ヶ崎で足止めになってしまいます。

この時に新島の手持ちの学資25両が、散財の挙句に1両2分に迄減ってしまったと言うお話でした。話講巧者で人の興味をそそるように話してくれましたから、新島は鍬ヶ崎で遊びほうけて使ってしまった剛毅な男と言う話し建てでした。


新島襄は1843年上州安中藩江戸屋敷に生まれ、1864年江戸を離れ函館に行き国禁犯して米国に渡りました。この時の様子は新島襄が自ら綴った函館紀行に書かれています。

しかし函館紀行ではこの鍬ヶ崎で一体何があったのかの部分は誰かに切り取られていますので実は詳細はわからないのです。(多分お弟子さんが醜聞と思い切ったかもしれません) 一説には最初は函館で勉強するつもりであったが、金を無くし面目を失ったので外国に行ったのではないかとも言われているそうです。

事の真偽はともかく新島は函館から米国に脱出し、それから6年後の1870年にアマースト大学を卒業します。現代人の我々には想像もつかない苦労があったのだと思います。

このとき新生明治政府から派遣されていた初代米国公使森有礼と知り合い、密出国をゆるしてもらい正式の留学生となります。 高橋是清も藩名で留学したにも係わらず帰国時にはどう言う訳か仙台藩は時代と逆行して開明から攘夷になっていましたので、藩から追求されます。 その時もこの森有礼に助けてもらっています。 面倒見の良い人だったのでしょう。

ここからは、先週読んだ深井英五の「人物と思想」 昭和14年4月第3版にかかれている話です。

明治5年(1872年)岩倉使節団が米国に来た時、新島は森有礼の紹介で通訳として雇われ米国から欧州へと一緒に見聞します。 新島はお手当として200円受け取るのですが、これを両親に送金する事にしました。 お金は横浜の商館宛になりますが、両親は上州安中(群馬県)にいますから、はるばる横浜まで受取に行かなくてはなりません。

新島は手紙の中で、安中から東京までは以前と同じ道で徒歩で上り、新橋からは汽車に乗って横浜までくるように、汽車の乗り方も含めて細かく説明しています。その上で、もし分からない事があったら神奈川の県令(知事)を訪ねていくようにと県庁の場所まで書いてあったそうです。

しかし8年前にいなくなった息子から200円と言う大金が送られてきて、しかも、もしわからなかったら県令(殿様みたいなもの)を訪ねよと言うのは、さぞかし親も驚いたことだろうと思います。

この手はずをしてくれたのが、田中不二麿文部少輔。そして当時の神奈川県の県令は陸奥宗光だったそうです。みんな親切な人達です。

深井英五は新島襄先生の思い出にこのトピックを選んでいます。

深井は明治19年に奨学生を探しに群馬県を訪れた新島に見出され同志社に進学します。
授業料は月5円で、新島の提供してくれた奨学金が2円50銭。父がなんとかやり繰りして1円を造り、残りは群馬県の教会の有志が負担してくれたとあります。 奨学金は毎月新島から手渡しで渡されたそうです。そしてそれを払い込んだ。

「人物と思想」には昭和14年頃に書かれたり、講演した内容が収められています。もちろん「高橋是清の外債募集事跡」と言う話も入っておりました。


追記:このエントリーは「日露戦争、資金調達の戦い」を書く以前のエントリーです。


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