2010年5月18日火曜日

高橋是清 ⑤


高橋是清のエントリーが中途半端になっていますので、ある程度まとめておきます。

先ず日本銀行は日銀による国債引受(高橋レシピ)をこう評価しています。
「本行百年の歴史における最大の失敗」;
「多くの矛盾を抱えた戦時期と言う悪路を、ブレーキのきかない車で走るのにも似たものがあった」:日本銀行百年史

歴史と言うものはそれを評価する時代によって同じものでも見え方の違うものです。 日本は高橋レシピの後、一気に第二次世界大戦への道を歩んでいきますから、戦後の荒廃を目の当たりにした状況で高橋レシピを評価する事は戦争そのものへの評価と混同されがちである事は考慮されなければいけません。

一方で最近富みに盛んになった是清レシピ待望論は、そうした戦争へと導くに至った政治的背景を抜きにして、財政技術としての評価であると言えます。

いかに良い技術であっても使い方を誤ると大変な事になる。 日銀引受があたかも「打ちでの小槌」のような発言をする人には絶対に渡してはならない技術であるとも言えるのではないでしょうか。


当時の背景を軍と政党政治から整理しておきましょう。

軍部
日露戦争終了時には帝国陸海軍とも本格的近代戦の実戦経験がある唯一の軍であり、しかも鮮やかな勝利を収めていましたので、各国から軍人が大勢やってきて日本で勉強したそうです。 

ところが1914年から始まった第一次世界大戦で事情は一変してしまいます。 ドイツの租借地である青島攻略や駆逐艦隊地中海派遣など日本も部分的な参加はありますが、本格的な戦闘には参加していません。

この大戦では戦争テクノロジーに急激な変化が起こりました。 航空機と戦車、輸送用トラック等です。 従って大戦以降、特に陸軍では先進軍事技術に対するコンプレックスが生まれ、装備に関しては常に”あせっている”状況になりました。大陸への進出による出費もあり、近代化予算に対する欲求は満たされないまま恒常的に予算不足の状況が続きます。もちろん師団の数(兵員)を減らし近代装備に重点をおく選択もあったのでしょうが官僚化した陸軍が自分のテリトリーを狭めるというのは困難なことです。


政党政治
1925年に加藤高明内閣によって普通選挙法が成立します。それまでは参政権に国税納付額による足切りがありましたので選挙民は306万人、これは全人口比5.5%に限定されていましたが、この法律により納税額に無関係に25歳以上の男子1240万人が選挙権を持ちます。 一見民主主義が進化したかのように見えますが有権者の増加に伴い選挙に巨額の資金が必要になり、政党は財閥や利権へと接近して行き国民目線から見れば政治の腐敗が進化したとも言える状況になります。国家を憂う青年将校から見れば尚更です。

是清レシピの開始されたのは昭和6年(1931年)末の金兌換停止からです。前回も書いたようにこれによって円の極端な下落が始まり、翌年1932年上半期に解禁前100円=50ドルから26.5ドル迄下落します。

この時点では未だ日銀は国債引受をしていませんが輸出業者を中心に景気回復の兆しは見え始めます。

ところが同年5月15日に5.15事件が発生。 2.26事件に比較して軽く扱われ気味ですがこれは現役の総理大臣犬養毅が暗殺されると言う大事件です。 

当時の日本は議院内閣制ではありませんでしたので、必ずしも多数党が内閣を組成する訳ではありませんでした。 政治家の期待をよそに次期首相には海軍大将斎藤実が指名され犬養毅を最後に政党政治は終焉します。 官僚が政党政治家に代わって台頭してきますが、民意の背景を持たない官僚は後に簡単に軍部によって取り込まれてしまうと言う経緯に至ります。 

是清の死とその後
是清が拡張的な予算編成をしたのは昭和7年、8年のみで9年には早くも緊縮方針に転換します。 10年には誰も怖がって口にできない軍事費に言及、新聞記者からは絶賛されますが、結局これが原因で昭和11年に是清は2.26事件で命を落とす事になります。 その後は官僚を飲み込んだ軍部を中心に日銀引受と言うツールを乱用、戦時体制に向けて突き進む事になります。

このツールを使用する政治家、もしくは政党は国民からの高いクレディビリティが要求されると言う歴史的な教訓がある一方で、こうした間違いは何度も繰り返されるのかもしれません。

日銀のメンタリティは冒頭の通りだと思います。日銀が日銀引受を迎合するようでは逆に困るのではないでしょうか。 何か牽制できる手段を確保したいところです。



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