2010年5月21日金曜日

金本位制度


ユーロの通貨システムは19世紀の金本位制度に似ています。
共通通貨を持ちながら、財政制度が個別に採られるからです。


そっくりだから大変だとか煽るつもりは全くありません。 歴史は繰り返しますが全く同じ事はめったに起こったりはしませんから。

それでも明治期の日本の外貨建て国債発行の動きを調べていると、かつての金本位制度と現在のユーロ・システムの動きは重なって見える部分も多いのです。その崩壊の過程も含めて。

金本位制はwikiによると、1816年の英国貨幣法に始まります。そして1921年にはナポレオン戦争中に停止していた金と正貨兌換の再開が行われます。一般的にはこの1921年が金本位制度開始と扱われています。

1金オンス=3ポンド17シリング10.5ペンス と金価格とポンド価値を固定させたからですが、これは18世紀から行われていた事の追認でした。

実際には1844年のイングランド銀行券発行高を金準備量により制限するピール条例により現在考えられている金本位制度は確立されたのではないでしょうか。 この時の首相 ロバート・ピール穀物法にも絡んでいます。

19世紀後半は各国がこぞって金本位制の採用に走ります。当たり前の事ですがメリットがとても多かったからです。 通貨の安定は貿易に貢献します。為替レートの変動に苦労しなくてすみますし、国際決済の為に金を持ち運ぶ手間とコストが削減されます。 またファィナンスにおいて、自国通貨での借金もその通貨が金価格と連動してさえいれば可能になります。(自国通貨のファィナンスは余り必要ではありませんが。)

したがって貿易が盛んになり産業資本が必要になると各国が金本位制に走り、金本位を採用する事は1等国の証ともなります。

”承認の印章”とも呼ばれます。

各国通貨が対金価格で固定されますから、マルク、ポンドと呼び名は異なっても、金と言う同じ通貨を使用していると言う事です。

金本位制採用の時系列です、
1873年 ドイツ、スウェーデン、ノルウェー金本位採用+フランス銀貨鋳造制限。アメリカは貨幣鋳造法によって銀貨を鋳造硬貨リストから排除、後に「1873年の犯罪」と呼ばれる。(「貨幣の悪戯」フリードマン参照)
1874年 ラテン同盟本位銀貨鋳造制限
1875年 オランダ、スイス銀貨鋳造停止=実質金本位
1876年 フランス、ベルギー、スペイン、ロシア銀貨鋳造停止=実質金本位、アメリカ貿易銀の法貨資格停止(メキシコ・ドル)
1892年 オーストリア=ハンガリー金本位制実施
1893年 アメリカ シャーマン法(銀価維持)廃止、インド金本位制
1897年 ロシア、日本金本位制実施

見てもわかるように金本位でなければ銀本位であるか、あるいは両方併行して使用するかであって、金本位採用は銀本位でなくなると言う意味でもありました。

各国銀を売って金を求めます。この為以前金銀硬貨の話しで書きましたが、金銀の価格比は幕末時点1:15であったものが、20世紀には1:30程度にまで変化します。つまり銀価格は半分ほどに低下してしまいます。 こうなると銀本位の国の購買力は半分になったと言う事ですから、皆金本位を目指す訳です。ちなみに清国を始めとするアジア圏は銀本位が多かったのです。


日本のポンド建公債価格を見ると、金本位採用の1897年以前のロンドン市場におけるコンソル公債に対するリスク・プレミアムは300から400bps.
採用後は一時期を除いて200から250bps程度に収まります。 一時期と言うのはロシアに宣戦布告した時に350bpsぐらいまでジャンプするからです。世界の金融市場が日露戦争をどう見ていたかがわかります。 

それとこれはあくまで表面利率です。実際にロンバート街の連中はアンダーライティング・フィーにものすごい差を付けます、つまり足元を看るのが商売みたいなものですから調達金利ではもっと差がでるのです。 弱い国のファィナンスでは1000bpsの手数料もザラです。日本の場合でも350bpsほど取られています。

民間の貯蓄が積み上がっていたロンドンは、こうした各国のファィナンス・ニーズに応じます。つまり資本輸出国となります。 1875年に10億ポンドであった残は、1914年には40億ポンド、これは当時のGDPの1.6倍に相当します。

データ時期がずれますが、ロンドンの公社債市場規模は発行残ベースで
1875年 英国債 7.1億ポンド 外国債 23.4億ポンド
1905年 英国債 6.4億ポンド 外国債 32.2億ポンド

金本位制がいかに金融の国際化を進展させたかがわかります。
メリットが多かったのです。

このあたりは最近復刊された ロンバード街―ロンドンの金融市場 (岩波文庫) ウォルター・パジョット が詳しい。

明治、大正、昭和初期の国際金融マンには必読の一冊だったようです。パジョットはThe Economistの編集長で経済に限らず政治・法学でも名著が多く、明治期の日本の学校で政治学のテキスト等として使われています。 「ロンバート街」は長谷川光太郎著の「兜町盛衰記」においても1900年頃に兜町で読まれていたと記述があります。

日本は松方正義の緊縮財政と1894年の日清戦争の賠償金を元手に金本位制度を採用しますが、金本位制度は松方財政に見られるように本来財政に対して強い引き締め圧力を持っています。 そのあたりはwikiに書いてあります。



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