2010年6月9日水曜日

日露リスク・プレミアム・スプレッド


前回は各国別のリスク・プレミアムを観察しましたが、
今回は日露戦争の推移と日本・ロシア間の金利スプレッドの関係を見てみましょう。
当時の日本公債のリスク・プレミアムの推定はヘブライ大学のYishay Yafeh教授がレポートを出していますが、日本とロシアの金利差を比較するのは世界初では無いでしょうか。

データはThe Timesから月次データを取得し、利回りは指標となるコンソル公債と同じ計算方法であるクーポン÷価格で単純に計算しました。

Yield関数で計算すれば正確な利回りは簡単に計算できますが、当時の市場参加者の心理も含めて簡便法が良いとの私の判断です。1899年4%ポンド建日本公債は55年債で償還は1953年、なんと昭和28年末に設定されていましたので、簡便法でも差は大きくなりません。

グラフはクリックすると大きくなります。

1903年11月から日満交換条件を前提に交渉に入ります。これは日本はロシアに満州をあげるから、韓国は日本のものと認めて欲しいと言う、当時の中国や韓国の主権を全く無視したロシアに対する要求です。  ロシアはこれに対して本気で相手にしてくれません。年末に向かい緊張を高めて、2月6日に国交断絶、10日に宣戦布告します。

こうした中、日本公債は年末から3月に向けて売られていきます。(利回りが上昇して行きます。)兜町が2月4日がボトムでしたから1ヶ月ほどロンドン市場はラグがある事になります。

利回りが3月でピークを打ったのは、
1。帝国海軍がロンドン市場が想定していたより強く、旅順口にロシア太平洋艦隊を封鎖してしまった。
2。そのため黄海の制海権を日本が取り、陸軍の朝鮮半島における上陸地点を北上させる事ができた。
3。その結果黒木軍は2月中旬にソウルを確保、3月19日には平壌に入り、四月には鴨緑江河畔に布陣する事ができた。

当初の陸軍の目標は韓国領内からロシア軍を駆逐する事でしたからあっけなく目標到達できたように見えたのです。

五月1日に終了した鴨緑江の会戦はロシア軍としては本気で死守する気は無く遼陽まで撤退しながら戦う作戦でしたが、欧州の新聞を見ていると、初めての本格的な陸上戦と言う事もありこの戦いのイメージによる影響はロシアが考えているよりは遥かに大きかったと思います。つまり注目度から考えて、手を抜いてはいけなかったのです。グラフは月次ですが日次でみるとその影響がわかります。鴨緑江は英語表記ではYa-lu River, ヤールーですから発音もしやすかったらしく、以前紹介したO・ヘンリーの小説でも「ヤールーを越えるような勢いで」という風にレトリックにも使用されています。キーワードとして捉えやすく、キャッチ・フレーズになった可能性が高いと思います。

O・ヘンリーはこの頃ニューヨーク・ワールド誌の日曜版に毎週短編小説を掲載していました。以前紹介した「ブローカーの恋」もこの頃の作品です。

しかしこれを見て一番感じるのはドッガーバンクにおけるバルチック艦隊の英国漁船誤射事件です。この後にスプレッドは急激に降下していきます。バルチック艦隊に対する評価が固まり始めたのかもしれません。金融市場は本当によく見てます。

そして旅順要塞陥落、日本海海戦で日露間のスプレッドは完全に無くなってしまい終戦に至ります。
しかしよく考えてみると、日本のリスク・プレミアムは終戦でやっとロシアと並んだと言う事です。
また戦争が終わると賠償金を要求されなかったロシアの金利も低下しています。

このグラフで面白いのは英国コンソル公債です。すごく安定していますね

ドッガー・バンクにおいてバルチック艦隊は日本の水雷艇がいるのではと言う疑心暗鬼に陥りましたが、潜水艦への恐怖もかなりあったと言われています。

当時の帝国海軍は潜水艦を所有していませんでしたが、ロシアは持っていました。
1904年6月のロシア潜水艦の事故の記事です。

Source:The Times 1904/06/30

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