2010年10月12日火曜日

世界を三周したウィスキー



元帥陸軍大将寺内正毅は第一次大戦中の1916年に総理大臣になった。頭の形が「大阪名物ビリケン人形」に似ていたことと当時の超然内閣(非立憲:ひりっけん)とをひっかけて巷ではこの内閣を「ビリケン内閣」と呼んでいた。 この時の外務次官が後の第2次大戦終戦直後に内閣総理大臣になる幣原喜重郎だった。

雑談で寺内は幣原に「きみらイギリスにいた連中は、ウィスキーなどという百姓の飲むような劣等酒を喜んで飲むが、品が悪い」と言い放った。寺内はフランス留学組だった。「それではあなたは一体何を飲みますか?」と幣原が切り返すと、寺内はコニャックが一番良いのだという。

「ところであなたは、ほんとうのウィスキーを知っていますか?」と幣原はウィスキーの薀蓄も踏まえ、自分秘蔵のウィスキーの自慢をして結局それを寺内に2本贈呈した。

しばらくして幣原が書記官長の児玉秀雄に会うと「あの君に貰ったウィスキーは存外に優秀品で、大将、これはおれが独りで飲むんだ。貴様ら飲んじゃいかんと言って飲ませないんだ」という。

幣原が寺内に会いに行くと「君のウィスキーは非常に好い。だから君にお返しをしなくちゃいけないんだが、陛下から頂戴したブランデーがあるから2本あげよう。君も2本くれたから」と言った、そこでイタズラ好きの幣原は「あなたは総理大臣で私はしがない次官です、双方対等に2本ということは無いではありませんか」と戯れると寺内はしぶしぶブランデーを3本届けたそうだ。

この幣原愛蔵のウィスキーはロンドンで知り合いになったディスティラーの役員がくれたもので、熟成の過程で樽のまま船に乗せ世界を3周させていたそうである。しかもこれには蒸気船はだめで帆船でなければならないと言う。そんな事をしていると船賃でコストはすっかり高くなってしまいとてもではないが商売用には採算が合わず、役員達が自分達の楽しみの為だけに造っていたのだそうだ。幣原はそれを分けてもらっていたのだ。

幣原はロンドン郊外にある下宿の近所の寄合でそのウィスキーを振舞うとイギリス人も「こんな美味いウィスキーは飲んだことが無い」と絶賛したそうで、幣原が欧州大陸に転勤が決まると近所の人達は彼の名残を惜しまずにウィスキーがなくなる事を抗議したと言う。今となっては銘柄はわからないし、もしわかったとしても非売品であるからどうしようもないのだが。

ポルトガル・マデラ産のワインを一旦アメリカに運んでからロンドンまで持ち帰ると、直送したマデラ酒の10倍、さらにインドを往復したマデラ酒は20倍の値段で取引されたとある。日本の灘の銘酒も樽廻船の杉樽で揺られて運ぶことで、江戸に到着した時には味が良くなったと言われているから、船の揺れはよほど熟成とはウマが合うんだろう。

幣原は1918年に米国大使となってワシントンに赴任するが、到着直後に日本の寺内から手紙が届いた。「君の外務本省在職中、君からいろいろ誠実な補佐を受けて、今も感謝の念が深い。君の米国赴任の節は、横浜まで見送ってあげたいと思ったが、何分病気で、大磯に引っ込んでいて、身体を動かすわけに行かない。それではなはだ残念だが、見送りが出来なかった。君は若くて身体もいいが、どうか身体を大事にしてくれ。この手紙はベッドの上で書いた。」

手紙を読んだ翌日、寺内の死亡電報がワシントンに届いた。幣原は「いく度となく手紙を読み返しては、無量の感慨を催した」とある。

「ケルトX.O」(Tour Du Monde KELT X.O. Grande)は現代のお酒だが、ブレンド後に樽詰された後に、船でわざわざ世界を1周させるそうだ。

幣原の著書「外交五十年」には、この他にも伊藤博文が会議中独り占めして誰にも飲ませなかった「いくら飲んでも絶対に頭のオカシクならない」という土中で寝かせた紹興酒の話など、お酒の話が結構入っている。

追記:キングス・ランサム(King's Ransom)と言う名のもうすでに発売停止になったブレンデッド・ウィスキーがある。このラベルにはRound the Worldと書いてあり、ブレンドして割水した後にもういちど樽詰して船に乗せて世界一周をさせたそうだ。『レモン・ハート18巻』にこのお酒の紹介がある。幣原はあるいはこの酒のブレンダーであるウィリアム・ホワイトリーと知り合いだったのかもしれない。

ビリケン像
元々は1908年にアメリカ合衆国の芸術家フローレンス・プリッツが制作した像で、彼女が夢の中で見た神がモデルになっているという。これが「幸福の神様」として世界中に流行した。当時のアメリカ大統領であったウィリアム・タフトの愛称が名前の由来とされている。また、セントルイス大学のマスコットになっている当時は大阪・新世界の遊園地・ルナパークにビリケン像が置かれていた。 wikiより

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