2010年10月11日月曜日

高橋是清 日本のケインズ―その生涯と思想


1995年 英国の名門マーチャントバンクであるベアリング商会はシンガポール支店のディーラーであるニック・リーソンによって約200年におよぶ歴史に終止符を打った。彼は架空取引口座を利用して日経225先物や日本国債のディーリングの損を隠蔽し、最終的には1380億円の損を出したが、これはベアリングの自己資本を超えていた。

ベアリング商会の正式名はBearing Brothers & amp; Coであり、1806年にドイツからの移民であるフランシス・ベアリングが創立した。ナポレオン戦争では英国政府を金融面から支援し、一時はイギリス、ロシア、ドイツ、オーストリア、フランスに次いで世界6番目の大国だと言わしめたほどの隆盛を誇った。

1880年代にはロンドン市場においてアルゼンチン・ブームが起こり一時は当時の新興国アメリカを抜いてロンドンの海外投資の半分を占めるようになったが、穀物不作と政治クーデターが起こりアルゼンチンは破綻しアルゼンチン公債は債務不履行となってしまう。このブームを金融面で主導していたのがベアリング商会でこの時に破綻寸前のところをアメリカのモルガンを含む当時の同業他社によって救済されている。従ってベアリング商会は20世紀の初頭には世界6番目と云うような力は既に失っていたのだが、それでもロンバート街では国際取引に強みを持つ銀行として以前として力を持っていた。

日露戦争の日本公債ファィナンスの当時、ロンドンで力を持つ銀行は大まかに2つの形態に分類できた。ひとつは資産家を中心とする勢力で、プライベートでありパートナーシップの形態であるNMロスチャイルド、ベアリング商会、カッセル卿などのマーチャント・バンクであり、もうひとつはいわゆる株式会社形態の銀行で香港上海銀行、チャータード・バンク、どちらかと言えば内国銀行であるパース銀行、ミッドランド銀行などであった。

この中でカッセル卿と云うのは個人であり、マーチャント・バンクやブローカーを持ってはおらず、資産家として活躍していたが当時の英国国王エドワード7世の財政顧問であり、今風に言えばFPでもあった。



高橋是清 ―日本のケインズ その生涯と思想 リチャード・J.スメサーストを読んだ。新刊書である。スメサースト氏はピッツバーグ大学の教授で専門は近代日本経済史、高橋是清の研究をしている。

この本は是清生誕から2・26事件で暗殺されるまでを対象としているが、今回は当ブログでカバーしている日露戦争時における日本公債のファィナンスに絞って感想を述べたい。趣味の素人が学究の方に意見を云うのもはばかられるが、もしかしたら彼には日本語と云うハンディがあるのかもしれない。気づいた事を書いてみる。

ひとわたり読んで気がついたのは、カッセル卿の記述の部分である。
カッセル卿はアメリカのユダヤ系金融資本であるクーン・ローブ商会のヤコブ・シフとは盟友で、シフがアメリカで投資先を目利きし、カッセル卿がロンドンで資金を集めるというような役割分担で両者とも繁栄してきた。これはちょうどJP・モルガンがアメリカで彼の父ジーニアスがロンドン・ピーボディー商会にいて同様の事をしていたのと対比できる。シフとカッセルはもともとドイツ系なので資金集めもロンドンに限定されずにハンブルグなど広範囲にわたり欧州全体のユダヤ人資産家を顧客にしていたとも言えるだろう。

さてこの中で、これまでの研究との重要な認識の違いは、シフが日本の公債募集に引受け団として参加してくれると決まった後の事である。カッセル卿がシフの裏方で動いていたことは間違いがなく、そのGreedさから考えても手数料を要求したというのは説得力があるのだが、

高橋是清日記の5月7日の記述である。

スメサースト版p181 5月7日「キャメロンが来てこう言った。アーネスト・キャッスル(カッセル)卿は、もしイギリス人だけだったら自分は(日本の国債を)1ペニーも引受けないだろうが、アメリカ人が入ったので5万ポンドを引受けたいと言っている。後略」

藤村欣市朗版(高橋是清と国際金融上:外債募集英文日記)p140
「キャメロンが来て言う― エルンスト・キャッスル(Casttle)卿が、もしイギリス人だけだったら(コミッションを)1ペニーも受け取らんだろうが、アメリカ人が入ったので5万も取る気だと言っている。キャッスル卿は怒りっぽい金融家だ、と。」

金融の常識から言うと5万ポンドの引き受けでカッセル卿が「がたがた」言う可能性は極めて低い。私は残念ながら英文日記の原本を見たことが無いので想像の範囲を超えられないが、多分スメサースト版は間違っていると思う。

また同書は大蔵省証券(Bill)と日本公債(Bond)の分け方も不明瞭であるし、公募と私募もしくは融資の区別も明確にされていないと思う。(教授には手紙を送ってみるつもりだ。)

しかしこのシフが引受けるに至る経過にスポットライトを当てて探求している部分は詳細で興味深い。また当時の松尾日銀総裁の文書、カッセルとシフの書簡など今迄参考資料として使用されていなかったものが多く使われ、そうした意味ではあるいは上記の私の指摘も間違っている可能性は否定しない。ただカッセル卿が手数料を要求したのかそうでは無いのかは全体のストーリーに大きな差を生むことになる。

マニアックなエントリーでした。


追記(2012/03/16):日本公債の米国販売引受のリストを入手して、カッセル卿の米国分引受シェアが5万ポンドであることを確認した。この部分はカッセル卿に対する手数料替わりである可能性が高いだろう。

追記(2013/10/10):先日高橋是清のお孫さんであり、関係資料を収集されている井上氏と会う機会があり、原文の英文を見せて頂いた。これはどう読んでも手数料ではなく、アロットメント、つまり5万ポンド分の引き受けである。

さらにスメサースト先生とお会いする機会もあり、先生はこのエントリーをお読みになっており、あらためて引き受け分であることを確認した。




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