2010年10月23日土曜日

もっとも美しい数学 ゲーム理論


誰もが快楽を好み苦痛を嫌う。道徳の至高の原理は幸福、すなわち快楽の割合を最大化することである。ジェレミー・べンサムによれば正しい行いとは「効用」を最大化することであって、社会全体の「効用」を最大化することは「最大多数の最大幸福」を意味するとした。 政治哲学における「ベンサムの功利主義」である。
「効用」と言う概念を経済学に組み込んだのはベンサムの信奉者でもあったディビッド・リカードだった。いくら「効用」と言う概念を造っても経済学においては幸せの量は比較しにくいのでマネーを使って計測することにした。つまり「富があれば幸せであろう」と言う経済学における大前提である。そして人は金銭で計れる「効用」を合理的に最大化すべく行動するであろうと考えることにした。

しかし人はいつも経済学でいう合理的な行動をするとは限らない、人間は感情という物を持っているので、なめられたりすると(尊厳を傷つけられたりすると)損を承知で「啖呵」を切ったりするものだ。「なんでぇ、そんな銭要らねえや!」という具合で、「貰っておけば良いじゃないかよ!相手だってそれで気が済むんだから」となる。

先日キャリア官僚である元国家公務員制度改革推進本部事務局の審議官だった古賀氏を「職務と関係ないことでこういう場に呼び出すやり方は、はなはだ彼の将来を傷つけると思います。優秀な人であるだけに、大変残念に思います」と「恫喝」した仙石官房長官はその後の記者会見で「彼のことを心配して言っただけの話だ。別に恫喝のつもりはない」と言い放ったわけだが、これなどは人はマネーで幸せを計測し「効用」を最大化するものであるという立場を鮮明にしていると言える。古賀氏が「金や地位」を失う事を親切に心配してあげているわけだ。もっともそうすべく圧力をかけるのが他ならぬ仙石さんご本人ではないのか?というところがオチなのだが。

では古賀氏は「効用」を最大化しようとしていないのだろうか? そうでは無いだろう。多分マネーだけが幸福の量を測れるわけではないと古賀氏が信じているからだろう。
21世紀に入りMRI(核磁気共鳴画像法)が発達すると、人間の脳はどうやら「効用」をマネーだけではなく脳内ホルモンである「ドーパミン」の量を最大化すべく合理的に行動しているのではないかと考えられるようになった。これであれば「啖呵」や「ヤセガマン」あるいは「正義を主張することによる満足」も説明がつこうと言うものだ。
しかしこうなると「効用」は一律には決まらないことになる。なにしろ人の感情(ドーパミン分泌量)と言うものは千差万別だからである。そうなると勝手きままに動く量子を計測するように確率的な捉え方をして全体像を把握すると言う方法も必要になってくるだろう。

随分と変な前フリになってしまったが、多分大きくは外していないだろう。「もっとも美しい数学 ゲーム理論 (文春文庫)」(原題 Beautiful Math:John Nash,Game Theory,and the Modern Quest for a Code of Nature)を読んだ。

2008年2月に単行本として発刊された本書がこの9月に文庫化されたもので、解説者によると文庫化に伴って丁寧に翻訳が推敲され直し非常に読みやすくなっているという。僕としてもこの本を読む意義や「効用」の前に、実はこの本はエンターティメントとしても非常に「楽しめる」本である事を強調しておきたい。

アイザック・アシモフがSF小説「ファウンデーション 」の中で天才数学者ハリ・セルダンに創始させた「心理歴史学」に「ゲーム理論」がどう近づいてきたか、そしてこれからの展望はどうなのか? 数式を殆ど使わずに「ゲーム理論」とは何かを分かりやすく物語風に解説した良書である。著者は科学ジャーナリストであるトム・ジーグフリードで、「合理的市場という神話」のジャスティン・フォックスや「アメリカ後の世界」のファザード・ザガリアなど続々と名著を出版する米国のジャーナリストのレベルの高さを改めて思いしらされる事になる。
末尾の解説者はこの本を「ゲーム理論がどのように森羅万象を解き明かす究極理論となるか、その可能性を知的に探求するルポタージュである」と評している。因みに解説者は「極東ブログ」さんである。本屋で解説を立ち読みしてから買うかどうか判断するのも手だろう。

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