2010年10月30日土曜日

ムハンマド イスラームの源流をたずねて


僕は確かに「イスラム」についてよく知らない。飛行機の中継で2時間程飛行場にいた程度で、中東を旅したこともない。世界に大きく影響力を行使し始め、今後地球上において人口が爆発するグループであるにもかかわらず、「イスラム」とは何であるのか?は基本的な事ですら確かに何もわからない。9・11のようなテロリズムを擁護することなどできないが、イスラムについて基本的なことは押さえておきたい。

「17世紀以降、イスラム世界は西洋に対して劣勢に立ち始めた。壮麗な文明を誇ったイスラム世界は西洋の攻勢の前に後退し、植民地化の時代がきた。西洋ではイスラムを後進的な宗教として激しく否定する言説も造られた。しかしながらイスラム世界がイスラムを捨てなかった理由としてクルアーン的な革新がその中核にある。」

「クルアーン」とは「コーラン」のことだ。 コーランは英語の読みでしかない。同じようにモハメッドは「ムハンマド」である。僕らはイスラムを文明的に一段低いか、あるいはちょっと怪しげな「幻想を共有している世界」としか見てこなかったのではないだろうか。英米文化の枠組みの中で「イスラム」に対するステレオ・タイプの一様な知識が植えつけられてしまったのかもしれない。

「ムスリム達は自信を失いかけその原因を自問した結果が、『クルアーンとムハンマドの教えを正しく理解し、実践しないことが過ちの原因であった。』 クルアーンが時代遅れであるという替りに、自分達が時代遅れであると結論付けた。クルアーンは正しく理解すればいつの時代にも有効である。」 クルアーンはアラビア語以外への翻訳は禁止されながら、言語の異なる民族にまで大きく勢力範囲を広げていた。もしも取るに足らない宗教であるならば、こんな事はありえない。

しかしそもそも宗教との関わり合いが希薄な僕にとってこうした考え方は理解しにくい。

「『ムスリムはアッラーを信じている』という表現は適切ではない。彼らはアッラーが実在することを前提に暮らしているのである。それは、私たちが空気が存在するのを自明視している程度に、自明なこととみなされている。その意味では、アッラーは、手にふれるモノと同じように実在なのである。」

日本人から見れば唯一神(アッラー)の実在は理念でしかないが、例えば我々も「ある人との友情が現実だ」と思うのであれば、唯一神や預言者(ムハンマド)も現実でありうると考える必要がある。さもなくばいつまでたってもイスラム世界は「ありえない幻想を共有している世界」としか捉えられないだろう。


イスラム教の発祥はただ独りの預言者である「ムハンマド」が唯一神であるアッラーから啓示を受けた時に始まる。ムハンマドはAD570年頃の生まれで632年に没しているので、日本で言えば飛鳥時代に相当する。同じセム系宗教(アブラハムの教え)のユダヤ教やキリスト教からみると随分と新しい。
したがってムハンマドが啓示を受けた時点ではすでにユダヤ教もキリスト教も存在し、メジャーな存在では無いがアラビア半島にも信者は既にいたのだ。

イスラム教では天は7層からなり、ムハマンドは破壊されたイスラエルの民の神殿から昇天体験する。第一天ではアーダム(アダム)が迎え、第二天ではヤフヤー(ヨハネ)とイーサー(キリスト)が迎える。第三天にはユースフ(ヨセフ)、第四天はイドーリス(エノク:僕は知らない)。第五天がハールーン(アロン:モーゼの兄)、第六天がモーゼで第七天にはイブラヒーム(アブラハム)がいる。つまり大本の神はキリスト教もユダヤ教もイスラム教と同じようにアブラハムなのだ。

「身代金」という手段や、保護を求めたものには保護を与えるという考え方。イスラム教が世界の動向にますます深く関わり合いを持つようになった今日。昔、誤解をもとに喧嘩別れした友人のなつかしい手紙を読むようにこの本を読んでみてはどうだろうか。

2 件のコメント:

こくぴと さんのコメント...

イスラム地域には、私たちにとっては、ある意味空気のように存在している社会の秩序がないからこそ、それを埋める形でイスラム教が存在しているという分析をする人もいるようです。

http://blog.ohtan.net/archives/51314683.html


基本的にイスラム教が広まっている地域は、「万人が万人に対して闘争するホッブス的世界」だそうです。そして、イスラム化が社会の近代化と進歩を拒み、その結果先進地域との格差が生まれ、それが更にイスラム化を推し進める。。。という悪循環が続いていると。

取るに足らない宗教でないのは確かですが、勢力範囲を広げることが、必ずしもその宗教が人間に幸福をもたらすということを意味しないのも、おそらく確かだと思います。

Porco さんのコメント...

面白いブログですね。 いわく、「腐敗の横行、規律の無視あるいは規律そのものの不在、暴力事件の増加、新たな種類の犯罪の出現、家族の解体、物質的価値観の広まりによる、浮利の追及の優先、生産労働の軽視。社会の相互協力・連帯の精神の弱まり、都市と農村の双方での生活様式の沈滞……」。
まるで我々の事を言っているのかと空目しました。