2010年11月5日金曜日

中国法幣贋造作戦


昨今では「お札をドンドン刷れ」と言う政治的なグループがあるらしいが、第2次世界大戦ではお札は敵国経済撹乱の為に刷られたりしたものだ。

1945年5月、敗戦のドイツ、エルベ川から大量のポンド紙幣が発見されたが、それらはすべて偽札だった。それを見たBOEの首脳はこう言った、「ヒトラーがあと10日生きていたら、大英帝国は崩壊した」と。

ナチス・ドイツによるポンド紙幣偽造作戦(6F4号作戦:ベルンハルト作戦)は1億3200万ポンドの贋札を印刷したがこれは当時の流通ポンド紙幣の10%にも相当した。
1959年には贋札紙幣の原版や関連文書がオーストリアのトプリッツ湖から発見され事件の全容が明らかになった。この為に英ポンドの価値は下落し、偽造の主力であった5ポンド紙幣は戦後も商店で受け取りを拒否されるなど後々まで影響を及ぼす事になった。 この事件は2007年度にドイツで映画化された「ヒトラーの贋札」に詳しい。TUTAYAで借りられる。

日本でも昭和13年12月陸軍参謀本部に「中国法幣贋造に関する秘密計画書」が提出され、翌年8月には具体的な形となり「対支経済謀略実施計画(杉工作)」として贋札造りが軍事作戦として実行された。製造場所は現在明治大学生田校舎となっている登戸研究所だった。登戸研究所は第九陸軍技術研究所というのが正式名称であるが軍関係の研究所である事を秘匿するためにこう呼ばれたのである。

研究所は三部門に分かれ、
一科:通信機材や風船爆弾など物理部門
二科:秘密カメラ・秘密インキ・毒薬など科学部門
三科:贋札造り
の編成で「秘密」が示すように陸軍中野学校とは密接な関係にあった。

当時の中華民国では昭和10年に幣制改革を実行しそれまで入り乱れていた貨幣を統一し発券銀行を中国銀行・交通銀行・中央銀行・中国農民銀行の4行に絞り込んだ。これらを法幣と呼ぶ。統一されたと言っても各単位4種類の色やデザインの紙幣が流通し、偽札による経済混乱は付け入る隙があると見られた。目標は中国の紙幣発行量の10%である。

登戸には製紙に50名、印刷に200名と最新鋭の印刷機械が集められ、1日10万枚、100万円の贋札が造られた。それはあたかも内閣印刷局がもうひとつ出現したかの様相を呈していた。新品の紙幣が大量に出回ると疑われるのでわざとお札を汚し、折り目をつける機械まで導入されヒモや札束をシールする紙は中国で調達し銭荘(センチャン:中国の施設金融機関でお札のシールに検印を押す)の印まで偽造した。かくして中野学校出身者(スパイ)の手によって中国に持ち込まれた贋札は30億円に達したが、哀しいかな貧乏な日本は通貨制度混乱と言うよりは石油など物資調達に本気でこの紙幣を使用せざるを得なかった。

では当初の目的である偽造通貨大量発行によるインフレーション発生の目的は達せられたのだろうか?
昭和12年の中国法幣発行量は14億円であったが、昭和20年には5569億円にまで達してしまい日本がいくら印刷しても中国のインフレには追いつかなかったのだ。
日本が仕掛けるより先に中国は自身で強烈なインフレに見舞われてしまったのだった。結局贋札は総発行量の1%にも届かなかったのである。



さてどうして中国の通貨単位が「円」なのかと思う人がいるかもしれない。それは僕もそうだったからそう思うのだ。中国の通貨は「元」であったが「円」と表示された。幣制改革当時の100中国円は102~3日本円だった。
参考エントリー:ドルの起源


参考:「陸軍贋幣作戦」、山本憲蔵

2 件のコメント:

Shuji さんのコメント...

偽造作戦は知ってましたが、オチは知りませんでした。思わずパソコンの前で笑ってしまいました。

Porco さんのコメント...

中国側ではインフレが酷すぎて紙幣不足になっていたものですから、贋札と知ってて有り難く使っていたのでは?と言う話もあるようです。