2011年12月31日土曜日

今年読んだ本を振り返って


年末なので今年読んだ本を整理しておく。

今年は新刊書をあまり読んでいない。新刊書を買う場合には評判を確かめてから買うことが多いのであまりハズレというものはない。カーメン・ラインハートの「国家は破綻する」はすっかり有名になったが、アタリの「国家債務危機」もまとまった良い本だと思う。カーメン・ラインハートのデータを使いまくっているのでご本家を読むよりも簡単かも知れない。意外によくまとまっているのが新書で松田千恵子氏の「国債・非常事態宣言」、 何も目新しいものは無いがこれ1冊あれば国家破綻について簡単な議論はできるだけのデータが入っている。そして実務家の眼からはみずほ証券高田氏の「世界国債暴落」は具体的だ。市場関係者にはこれが良いだろう。

津上氏の「岐路に立つ中国」は早めに書評を書いてブログに載せてみた。アマゾンで結構買って頂いた。中国関係の基礎知識習得には抑えておきたい1冊。津上氏にブログを見られても良い状態にしておかないと。

脚注が全体の3分の1を占めるという水野氏の力作「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」は正直に言って読みづらかった。その為に途中で一旦中止して同氏の新書版「超マクロ展望 世界経済の真実」を先に読むことにした。そこから水野氏の考え方を理解する為に、一連の「世界システム論」関係の入門書を読むことになってしまった。これは実に楽しい作業だったし、今も続いている。年末用にジョヴァンニ・アリギの「長い20世紀」というとんでもなく分厚い本を用意してある。本文だけで542ページ。

橋下・堺屋の「体制維新―大阪都」は「ちきりんのブログ」で推薦していたので読んだ。なるほど確かに体制維新の根拠がよくわかる。読んでおいて損は無い。実は平松大阪市長の先代関市長の時に大阪の将来を憂うそうそうたるメンバーで経営分析を実施している。これが「行政の経営分析 大阪市の挑戦」マッキンゼーの上山信一+大阪市役所著で2008年12月に刊行されている。この発刊時点では関市長ではなく組合の押す平松市長になっていた。最近取り寄せたばかりで中身はパラパラとしか見ていないが大阪在住の人にはデータ満載で面白いと思う。

『「通貨」を知れば世界が読める』は手元に何も本が無い時に本屋に積んであったので買ったが、ちょっと残念な本だった。歴史的記述に間違いが多く、いかに2時間新書とはいえ雑に過ぎる。例えばP38 「たとえば最初に世界に覇を唱えたスペインも、金貨を使っていた。まさに金正貨本位制というべき経済体制であった」。 「無敵艦隊」の名前はサッカーを通じて有名なので、何も知らない人にはスペインはいかにも覇権国家らしく通りは良いが、スペインは覇を唱えようとしてかなわなかった国であり、金貨もあったが圧倒的に銀貨である。これがなければポトシ銀山産出の大量の銀供給(これだけではないが)による「価格革命」の説明にも繋げないだろう。玄人による書評が無い不思議な本である。代わりと言っては何だけれど、昨年発行の同じようなテーマで日銀OBの岩村充氏の書いた「貨幣進化論」がある。第1章のタカラガイの譬え話には好き嫌いはあろうがこれはお奨め。

岐路に立つ中国  津上俊哉
世界国債暴落  高田創
炭鉱に生きる      山本 作兵衛
国家は破綻する  カーメン・ラインハート
国家債務危機  ジャック・アタリ
国債・非常事態宣言 松田千恵子 新書
体制維新―大阪都                  橋下 徹・堺屋 太一 新書
ランダム・ウォーカー 10版         バートン・マルキール
マネーの進化史                   ニーアル・ファーガソン
ダニエル・カーネマン真理と経済を語る  ダニエル・カーネマン
終わりなき危機                   水野和夫
超マクロ展望 世界経済の真実  水野和夫 新書
場末の酒場 ひとり飲み           藤木TDC       新書
日本中枢崩壊                      古賀茂明
「通貨」を知れば世界が読める  浜矩子 新書

新刊書では無いが仕事がらみでクルーグマンの国際経済学の教科書を初めて読んだ。貿易と為替上下2巻。1日1章と決めて22日かかった。
これは第8版で、英語では第9版が既に出ているそうだから年明けには読もうと思う。ユーロ問題等を考える際の貿易・為替の基礎理論、戦後の時系列での歴史等結局この本が一番しっかりとカバーしている。教科書なんだから。中途半端な本を数冊読むぐらいならば覚悟を決めてチャレンジするのも良いと思う。
「日本農業の真実」は自民党石破議員が推薦していたから読んだ。TPPを考える時に農業問題は真実がわかりにくい。

実験経済学入門 ロス・M・ミラー
クルーグマンの国際経済学 上下 ポール・クルーグマン
貨幣進化論 岩村 充
日本農業の真実 生源寺 眞一

趣味関係では今年は本当に読書が少なかった。丹波達身寺は実家のお墓の近くにある寺である。工作途中の仏像が大量に発見された。地元の郷土史研究家である船越氏は平安・鎌倉期に仏師の養成所があったのではないかと推論している。伝承では織田信長丹波平定の際に明智光秀によって大きな伽藍を持っていた達身寺は焼かれたことになっている。丹波・丹後地方への旅行の機会があれば一度訪ねてみてはどうだろうか。安城理奈さんも住んでいるという。
児玉清氏はお亡くなりなったので1冊読んでみたものだ。僕は児玉氏が有川浩氏のために書いた「阪急電車」のあとがきが一番のお気に入りである。

達身寺花曼荼羅 中松弘子
丹波達身寺 木彫仏像の源郷 船越 昌
負けるのは美しく 児玉清 文庫

今年は本を書いていたので日露戦争関係の専門書を多く読んだ。昨年読んだものを加えると80冊ぐらいを本を書くために新規に読んだことになる。

産業革命と企業経営  阿部武司
明治経済政策史の研究  神山恒夫
アメリカ金融資本成立史  呉天降
帝政ロシアと外国資本  中山弘正
マーチャント・バンキングの興隆  スタンリィ・チャップマン
もうひとつの日露戦争  コンスタンチン・サルキソフ
鉄道の地理学  青木栄
アルゼンチン海軍観戦武官の証言  マヌエル・ドメック ガルシア
黄昏の詩人  工藤美代子

また次は何を書こうかと、お気楽なことを考えていて、ひとつは日露戦争以降の大正・昭和史が頭にあったので整理の意味でたくさん読んだ。

大収縮1929-1933 フリードマン
昭和金融恐慌の研究 岩田 規久男
金融恐慌の歴史 キンドルバーガー
大陸に渡った円の興亡 上下 多田井 喜生
アジア・太平洋戦争史 中山恒
日本経済を殲滅せよ エドワード・ミラー
日本の金本位制時代 小島 仁
戦時通貨工作史論 桑野仁
あの戦争と日本人 半藤利一
戦前日本のグローバリズム 井上 寿一
日中戦争下の日本 井上 寿一
第二次世界大戦 1-4 チャーチル 文庫
模索する1930年代―日米関係と陸軍中堅層 加藤陽子
ニューヨーク・タイムズが見た第2次世界大戦 上下 池上彰
日本の選択 対日仮想戦略オレンジ作戦 NHK
パックス・ブリタニカ 上下 J・モリス
帝国の落日 上下 J・モリス
アメリカ外交50年 ジョージ・F・ケナン
孫文 上下 陳 舜臣 文庫
孫文の辛亥革命 保阪 正康 文庫
日本人はなぜ戦争をしたか 猪瀬 直樹

また金融史をブログで書こうと考えてメソポタミアあたりから始めたのだけれど、途中で時期尚早(基礎知識不足)と考えて断念してしまった。それでも読書は続けた。 川北稔氏が高校生向けに書いた「砂糖の歴史」は面白い。辻邦生の「春の戴冠」は今年小説を読む機会が少なかったこともあり、フィレンツェの当時のメディチ家の状況を楽しみながら体感しようと読んだ本だ。凄い日本人小説家がいるものだ。「投機と先物取引の理論」杉江雅彦氏は堂島の米相場の研究家。堂島に興味のある人には面白いと思う。フェルナンデス―アルメストの「世界探検全史」は世界システム論的な歴史観からも面白い作品だ。日本のような最果ての周辺国も丁寧に扱っているのが好感。
この分野はまだまだ読まなければいけない本が順番待ちになっている。
英語原書は今年は1冊もまともに読めなかった。歴史関係の本はデータ参照用に購入したものだ。フォールト・ラインズは昨年原書で読んでいたが、今は翻訳が悪くてすっかり有名になった日本語版を読んでいる。今年中に読み終わるか?

愚者の黄金 ジュリアン・テッド
お金から見た幕末維新 渡辺口男 新書
簿記の生成と現代化 フラマン
古代ギリシャの農業と経済 岩片 磯雄
振り子の金融史観 平山賢一
お金の歴史全書 ジョナサン・ウィリアムス
世界経済史 中村勝己 文庫
ファィナンス発達史 J.B.バスキン
ゴールド  ピーター・バーンスタイン
金貸しの日本史 水上 宏明
ケインズ  ロバート・スキデルスキー
株式会社 ジョン・ミクルスウェイト
入門日本金融史 落合功
金・銀・銅の世界史 村上隆 新書
堂島のDNAを取り戻せ 柳沢 逸司
投機と先物取引の理論 杉江 雅彦
歴史が教えるマネーの理論 飯田 泰之
貨幣の悪戯 フリードマン
金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス 本山 美彦 新書
新版 バブルの物語 ガルブレイス
ローマ経済の考古学 ケヴィン グリーン
世界探検全史 上下 フェリペ・フェルナンデス‐アルメスト
ウォーラーステイン 川北稔
イギリス近代史講義 川北稔 新書
略奪の海 カリブ 増田義郎 新書
メソポタミア文明 ジャン・ボッテロ
四大文明 メソポタミア NHK
シュメール ヘルムート ウーリッヒ
詳説世界史 山川出版
メソポタミア―文字・理性・神々 ジャン・ボッテロ
バビロニア ジャン・ボッテロ
数学の歴史 上垣 渉
シルクロード ジャン‐ピエール・ドレージ
陸と海と カール・シュミット
歴史入門 フェルナン・ブローデル 文庫
ブローデル「地中海入門」 浜名 優美
砂糖の歴史 川北稔 新書
オンリー・イエスタデイ F.L. アレン 文庫
1984年 ジョージ・オーウェル 文庫
春の戴冠 1-4 辻邦生
The London Stock Exchange: A History R. C. Michie
The Global Securities Market: A History R. C. Michie
Famous First Bubbles: Peter M. Garber
A History of Interest Rates Sidney Homer, Richard Sylla

全部で109冊だった。除夜の鐘を聞いてすべて忘れたりしたら嫌だね。でも煩悩よりも1つ多い。

来年も宜しくお願いします。






2011年12月24日土曜日

大きな石のお金の話


日比谷公園を有楽町側から入り池の端沿いに少し歩くとフェィと呼ばれる直径1メートルほどの石貨がさりげなく置かれている。横にある説明板にはこの石貨は南太平洋ヤップ島(ミクロネシア連邦)の貨幣で、大正13年頃には1000円位で通用したと書かれている。

ヤップ島では古くから直径30センチから3メートルまでの石を貨幣として使っていた、重たくて持てやしないだろう。しかもこの石貨の材料はこの島には無く、500キロ離れたパラオ島から持ち込まれたものだった。島民はパラオ島に航海し、そこで自ら石灰石から貨幣を掘り出しヤップ島に持ち帰っていたのである。パラオ島で石貨が使われていたわけではなくヤップ島独自のものである。

この石貨には注目すべき特徴があった。この貨幣を使用して何か、例えばコプラとかと交換する時に、この石貨は移動させる必要がなかった。(もっとも重たすぎて簡単には動かせないのだが)石貨は広場や道端など村のどこかにおいてあり、所有者が代わったことだけを双方が了承すれば良かったのである。現金の持ち運びは必要でなかったのだ。
また、ファツマク老人という人がいて、彼は村一番の資産家だったが、誰も彼の石貨を見たことがなかった。彼の2,3世代前のご先祖様が巨大な石をパラオで削り出し、持ち帰ろうとしたが時化に会い途中で失くしてしまっていたのだ。しかしこの時の沈んだ石貨の素晴らしさや大きさが証人によって誓約されていたので、たとえそれが海の中にあろうが交換価値のあるものとして素朴に認められていたのである。購買力は維持されていた。

1871年にアメリカ人デービッド・オキーフが島に漂着した。彼は何とか香港に戻るとパラオ島に石を削る機械を持込み石貨を造ると、機帆船でヤップ島に持ち帰りコプラを買い大儲けをした。wikiによると王侯貴族のように振舞ったそうである。但し彼の石貨はあまり値打ちが無かった。何故ならば採取に苦労をしていないし、そうした物語がついていなかったからである。魂が入っているかどうかの違いなんだろう。

1899年になるとドイツがスペインからこの島を購入し、1901年にドイツ人が派遣されるとオキーフは島を出て行った。その後1903年にアメリカ人の人類学者ウィリアム・ヘンリー・ファーネスⅢ世がこの島に滞在しこうした記録を書き綴ったのである。

島内の道路網を整備しようとしたドイツ人がいくら島の人間に指図をしても全く働かない。そこでドイツ人は島にある石貨にペンキで☓印をつけ石貨をすべて没収した。没収したといっても印をつけただけだが、返して欲しければ働けと宣言すると島民は破産を恐れて一生懸命に働いたそうである。道路が出来ると石貨のペンキを消していった。そうして島民は資産の回復を祝ったのだった。

さて、これをくだらない話だと思うだろうか。あなたはヤップ島の人間は頭が弱いのだと思うだろうか。

1931年から33年にかけてフランス中央銀行はアメリカが金本位を放棄するのではないかと懸念していた。そこでフランスはNY連銀に頼んで連銀に預かってもらっている手持ちのドルを金(ゴールド)と交換してもらったのだ。そしてそのゴールドをNY連銀のフランス政府口座に移管してもらった。連銀では物理的にゴールドについたラベルを「連邦銀行」から「フランス中央銀行」に張り替えた。ちょうどドイツ人の官吏が石貨に☓印をつけたように。こうしてこのラベルの付け替えはアメリカから金が流出していると大騒ぎとなり1933年の金融恐慌の原因になったともいわれているのである。

こんな素敵な話は当然僕のオリジナルでは無い。ミルトン・フリードマンの「貨幣の悪戯」からである。


2011年のイブはこんなことを考えているんだな。僕は。

2011年12月16日金曜日

ユーロ問題111216


最近書かれたブログや記事等を見ていると12月9日のEU首脳会議の結果に対してポジティブな意見を持つ人もいらっしゃる。そうした人の根拠は、おおよそ①ECBによる期間3年の資金供給オペ、②ユーロ共同債発行の可能性の2つにあるようだ。

元々ユーロの「バズーカ砲」とは①の流動性供給処置に対して欧州中央銀行(ECB)政策委員会メンバー、フランス銀行(中銀)のノワイエ総裁が語ったものであって、欧州単一通貨ユーロ圏がIMFに拠出しようとしている2000億ユーロの話では無い。期間3年の低利の資金供給がユーロ圏の銀行に対してなされれば、「民間銀行の諸君もソブリン債券(国債)をどんどん買うことによって利鞘を充分に稼げるではないか」という話だろう。つまり銀行への資本注入ではなく、ゲルマン的に厳格な行動規範を持つECBに成り代わって国債を購入するスキームにも見えるわけだ。

しかしどうなのだろうか、FTも指摘していたが、今、ユーロの銀行は不良債権化しそうな国債のエクスポジャー(投資配分比率)をどんどん売却しているところである。財務状態の悪い国は長い償還期間の債券発行は困難であろうから満期償還による借り換えニーズに対しては短期の資金超調達に追われることになるだろう。それを民間銀行が繋いで時間稼ぎをしようということなのだろうか? これがノワイエ総裁のいう「バズーカ砲」なのだろうか。

②のユーロ共同債発行に関しても、具体的に触れられなかっただけで、来年6月に向けて継続協議というのが市場のコンセンサスだろう。要するに何も具体化はしていない。但しこれに関してよく解っていることは、共同債発行とは財政の統合を意味するものであって、問題のある諸国の中途半端な財政処置ではドイツ(メルケルではない)議会の了承は得られないということだろう。実績を見せて行く必要があるということだ。つまりは時間がかかる。その間にユーロ経済がボトムを打ち切り返すという可能性に関しては、いくら先のことはわからないにせよ、目先何かアクションを起こさねばならないほど至近距離にはないと私は考えている。

2011年12月13日火曜日

ユーロ問題111213


一週間程前にサンケイ・ビジネス・アイに「ドイツはどこで折れるのだろうか?」というコラムを書いたが、結果からいえばドイツほとんど折れなかったようだ。12月9日以降一時的にユーロが強含む展開もあったが、今では欧州金融機関によるレパトリ、つまり海外資産の売却もしくは融資の貸し剥がしであったと市場では見られている。今以上の欧州金融機関の逼迫は中南米やアジアでのさらなる資金供給の先細りを意味するだろう。ユーロの問題は世界経済の成長に大きく影を落とす。

そもそも今回のユーロ危機を解決する上で市場で期待されていたものは、1.中長期的にはユーロ共同債を視野に入れた財政統合。2.短期的には欧州中央銀行(ECB)によるほぼ無制限なソブリン債の買い支えだったのである。言い換えれば1は財政規律の再構築であり、2は市場流動性の供給であった。

しかし予想されていたように共同債発行に関しては触れられず(触れられないことが反対に発行の可能性を匂わせてしまった程だ)、ECBが市場での買い支え規模を拡大する見通しは断たれてしまった。これはつまり燃え盛る火は鎮火されることもなく見て見ないふりをしたまま、ユーロ最大の強国ドイツの理想論に流されたまま燃え続けることになってしまったのだろう。

今回はさらにもうひとつ大きなイッシューを生み出してしまった。これも予想されていたことではあるがイギリスの離反である。正確にいうとユーロ圏の財政規律を強化する新しい欧州連合(EU)条約を拒否した。ドイツとフランスはEU条約改正に頼らずに賛同する国家だけで別の条約を結ぶべく動いたが、13日のFTでは法的側面からこの条約の実効性について疑義が提示されている。この条約下では共同債の発行すら困難ではないかというのだ。

アメリカがそうであったように格付け機関による格下げは国家が対象である場合にはまだしも、ユーロの個別金融機関に広がりを見せるようならばその影響は軽視できまい。ユーロの困難は年越しである。市場はどこまで大人しくしていられるか、財政的に脆弱と見られる国家の債権、個別金融機関は投機筋の絶好のターゲットとなりかねないだろう。

2011年11月11日金曜日

ユーロ問題111111


イタリアは財政黒字である。実際は長期的な成長過程では金利は成長率を上回っているものであるが、プライマリーバランスがちょうど均衡しているときに成長率が金利よりも高ければ財政赤字は減少していく。これが「ドーマー条件」と呼ばれるものだ。簡単に言えば金利が高くとも成長率がさらに高ければ何とかなるのである。

イタリアの実質金利は4.5%、2000年から07年の実質成長率が1.5%であるから現実には「ドーマー条件」を満たしておらず、今後の歳出削減や政府資産売却、3%ほどの経済成長の上乗せが必要となるわけだが、ユーロ圏の銀行が信用を収縮している段階でそうした成長は非現実的だと断定せざるを得ないだろう。政府高官で「イタリアの金利はユーロ統合以前の水準に戻っただけだ」と発言する人もいたが、だとすればユーロ統合後の低い金利とそれによる債務の積上げは無理なファイナンスであったことを裏付けるだけの話だ。

FTはルービニ教授が挙げる4つの選択肢を記事にしていた。
1.積極的な金融緩和 ユーロ安によってユーロ中核国の景気刺激を追求する
2.周縁国(既にイタリアも含む)の構造改革とデフレ調整、実質的な名目賃金の切り下げである。
3.中核国が競争力の無い周縁国に恒久的に融資し続ける道
4.ダメな国はデフォルトし、ユーロを解体する道

1.は現在の問題を持つ国に対しては間接的な効果しか持ち得ないし時間軸的に市場が待ってはくれないだろう。
2.ギリシャのデモを見るまでも無く、そもそもこうした財政規律を守れないような国の議会が仮に名目賃金の切り下げに同意したとしても実行は困難に違いない。
3.これは金財分離がユーロ問題の本質である中で、ユーロがあたかもひとつの政府であるように振る舞うわけでこんな事ができるのならば事態は現在のようにはこじれてはいない。クルーグマンはECBが問題国の債務を多少引き受けても現状ではハイパー・インフレにはならないと発言したようだが、問題はそこには無い。第一リスボン条約にECB引き受けによる国債発行を禁止する項目を盛り込ませたドイツが納得するわけがない。

となると俄に4のケースが現実に肉眼で見えるような距離までやってきたように思える。ドイツ・キリスト教民主同盟(CDU:メルケル首相の党)はユーロ離脱の手続き作りを既に開始しており来週の党大会の議題にするようである。手続きの前にそうした事態への対処策作りが肝心だとは思うのだけれど。

「イタリアは政府債務が巨額だがそのほとんどは国内資金によってファイナンスされているので国債が売り崩されることは無い」と長い間信じられていた。



2011年11月10日木曜日

北極海航路と中国


今朝の日本経済新聞第三面に「中国、北極圏で足場固め:資源・航路開拓狙う」という記事があった。

デンマークに属するグリーンランドが自治権を拡大、周辺に埋蔵する原油・天然ガスを始めとする鉱物資源の開発について外国政府と直接交渉ができるようになった為、中国が接近しているという記事だ。また近年の地球温暖化によって北極海の氷が溶け北極圏航路(北東航路)の実用化に現実味が出てきたというポイントも指摘されている。北東航路を取れば欧州―極東の距離はスエズ運河経由よりも40%も短くなるのだ。

時代は遡ってスペインやポルトガル、そこに集う北イタリアの商人、探検家達がマルコ・ポーロの東方見聞録を頼りに欧州から中国への航路を模索していた頃、当時の地図から見当をつけるならば、コロンブスのように西へひたすら帆走するという考えや、南アフリカを回って東行するというアイデアと同時にヨーロッパの北回りで中国へ辿りつけるのではないかと考える冒険家はいた。

1553年5月10日、スペイン・ポルトガルが南回りの航路を確保し、種子島には既に鉄砲が伝来していた。そんな頃ロンドンのサー・ヒュー・ウィロビーとリチャード・チャンセラーの率いる3隻の船が毛織物と18ヶ月分の食料品を満載して北東に向かって航海を始めた。北極海を抜け相手はキャセイ(中国)の目論見だった。アテもないのに大した冒険心である。200名の投資家から集められた資金は6千ポンド。投資家もかなりのリスク・テイカーであるが、当時アメリカ銀の欧州への流入が中部ヨーロッパ銀山の衰退を招き欧州全体が不況に陥り毛織物の販売先に苦慮していたのである。要するにイチかバチかのチェレンジだったのだろう。

この航海は失敗に終わりウィロビーは凍死したもののチャンセラーは何とか白海のアリハンゲリスクから命からがらモスクワまでたどり着きイワン雷帝と面談、中国には辿りつけなかったが英露の通商路を開くことに成功したのである。実は1530年代からイギリス商人と船乗りは何度かこのルートにチャレンジしては失敗を続けていたのだった。

英国の最初の特許会社は「東インド会社」ではなく1555年の「モスクワ会社」である。イワン雷帝との通商を独占権として特許状会社を設立、売買可能な株式を売りだしたのであった。とは言っても残っている記録では1689年のロンドンで取引が可能だった株式は全部で15社で合計時価総額90万ポンドだったとあるから、本格的に頻繁に株式が売買されていたわけでもない。いずれにせよこの「モスクワ会社」はパッとしないまま1630年代には表舞台から消え去ったとある。

しかしそれにしても16世紀末の三浦按針も南アメリカ・ホーン岬越えで日本に辿りつているし、彼らの冒険心には全くあきれてしまうのである。


とまあ、こんな事を書きながら以前この時代の北東航路に関する面白い本を読んだのだがそれが何であったかが思い出せないでいる。海運の歴史だったか、ロシア海軍の歴史だったか今夜は眠れないかもしれない。

参考エントリー 三浦按針の生きた時代

2011年11月5日土曜日

ビジネス・アイのコラム

ここのところなかなか忙しくてブログの更新が思うようにならない。

そこで最近フジサンケイ・ビジネス・アイに書いたコラムをリストしておく。

12.26 自然利子率の低下に見舞われた世界

12.06 ドイツはどこで折れるのだろうか

11.03 われわれはもはや横暴なる王である

10.21 市場との戦いは少しも終わっていない 

10.05 理想と現実の差に荒れるユーロ

09.14 リーマン・ショック3年 善意が惨禍をもたらす因果

2011年10月21日金曜日

金・銀・銅の日本史


西洋の古いコインと東洋の古いコインの差は歴然としている。西洋のものは金や銀の小さな塊りを台座にのせハンマーで打ち付けることによって刻印がなされる。「バン」と打刻するのである。一方で中国文化圏の日本や南はベトナムまでコインは溶解した金属を鋳型に流しこむ鋳物なのである。従って和同開珎に穴が開いているように打刻方式ではできない四角い穴が中央に開いていたりするのだが、西洋のコインにはこうした穴は一般的に開いていない。

この穴は便利に使われた。穴に紐を通し100枚単位でまとめたものを緡銭(さしせん)と呼び蓄銭する際に使われることになった。歴史書を読むとよく銭何貫というような表現が出てくるがこれは一般に銭1000枚を表している。貫は重さではなく貫く(つらぬく)ほうの意味が由来である。

広島県福山市の草戸千軒町遺跡からは地下の瓶から13世紀後半の1万2951枚の銭(北宋銭)が発見された。これらは合計130緡からなり一緡は83枚から107枚にばらついてはいたが10緡1塊の合計枚数はおしなべて970枚であった。これは短陌とか省陌と呼ばれ97枚をもって100枚とするという当時の東アジア全域での商習慣からきている。小銭をまとめあげれば3%の手数料がもらえると考えてもいいだろう。

さて、草戸千軒町遺跡から発見された銭は中国は北宋のものだった。日本では708年の和同開珎を始めとして958年の乾元大宝まで皇朝十二銭と呼ばれる十二種類の銅貨が年をおって鋳造された。しかし政府はコインの品位低下にもかかわらず発行ごとにデノミを実施したためにすっかり貨幣としての信用を失ってしまう。日本では十一世紀初頭をもって貨幣の使用の記録は歴史からなくなってしまい物物交換の世界に逆戻りしてしまったのである。その後は十二世紀後半、平清盛による日宋貿易により大量の宋銭が輸入されて再び日本に貨幣経済が戻ることになった。現在確認されている出土備蓄銭だけでも350万枚もあるそうだから、これがほんの一部分とすればいかに大量に銭が輸入されたのか、まさに想像を絶する量である。その後日本で銭の鋳造が再開されるのは徳川幕府まで待たなければならなかった。いわゆる貨幣の空白期である。

20世紀に高校で日本史を学んだ者は、日本最古の銭を「和同開珎」と習っている。しかしいま、山川出版の「もう一度読む山川日本史」(これはベストセラーだそうだ)をもう一度読むとさらに古い銭として「富本銭」が書き加えられている。

富本銭:1999年(平成11年)に、奈良県の飛鳥池遺跡で富本銭とその破片など33点が、7世紀後半の地層から出土した。これにより富本銭が、それまで最古の貨幣とされた708年鋳造の和銅開珎より古いことが明らかとなった。「日本書紀」の683年の記述に、「今より以降、必ず銅銭を用いよ」とあり、これが富本銭と考えられる。

この年は同時に大英博物館においてもそのコレクションの中から富本銭が発見されたが、これが古いものであるのか江戸時代に作られたレプリカであるのかは行ってみないとわからない。因みに大英博物館のHPでは珍しい銀製の和同開珎が日本最初のコインとして表示されている。Silver Wad tsho coin。残念ながら西洋の本では、大英博物館のジョナサン・ウィリアムスにしろピーター・バーンスタインやフリードマンにしろ東洋の貨幣にはさほどの興味を示してはいないのである。

金・銀・銅の日本史 (岩波新書)」を読んだ。著者の村上隆氏は、飛鳥池遺跡で富本銭の調査を行ったその人である。この本は銭の歴史に限らず、金銀銅を中心とする日本の金属史がコンパクトにまとめられている。材料や製造法から歴史の謎を解いていく。まさに歴史学の科捜研みたいな人である。読後には日本の高度な「もの作り」の原点がここに凝縮されているような感想を持った。お薦めの1冊である。

2011年10月20日木曜日

株式会社の歴史


メソタミア文明の時代では既に財産の所有関係が石版に記され、商取引も記録されていたことは以前のブログで書いた。ハムラビ法典ではこうした所有権の確定をもとに担保ベースでのローンが細かく規定されていた。また同法典は高利貸しの問題に敏感で銀ベースの貸出には20%、穀物では33.3%と上限金利が定められていた。 穀物でのレートが高いのは、収穫期の穀物価格への配慮と不作の時の担保落ち執行猶予が考慮されていたからだと考えられている。日本を含むアジア圏ではこのレートはおしなべて50%であるが、これは筆者が思うに灌漑農業によるメソポタミアの麦作と天候依存度の高い米作との収穫の確実性に対するリスクの差なのかもしれない。

こうして法律で貸付条件が規定されるとローンが優位に立ち、収穫を分け合うエクィティというものは二の次になる。第一金だけを出して働きもしないのに収穫の一部を頂戴しようという考え方は成り立ちにくかったに違いない。また出資する側としてもこうした農民が働き者であるのか、あるいはこれまで働き者であっても出資によって現金を得た今年も真面目に働いてくれるのか目利きが必要になるだろう。またローンは通常種まきから収穫まで一年一期である。継続性を求められる現代の株式のようなものは未だまだ時期尚早だったと言えるだろう。

一方でメソポタミアから遠隔地域への冒険的な通商行為はこうしたリスク・マネーには適していた。担保を確保しにくいし、荷を預けた商人が帰ってこなくても罰則を与えることができない。持ち逃げしほうだいである。これこそ投資家は人物に対する目利きが必要になってくる。これを会社という組織形態から見るとメソポタミアでは既にパートナーシップ契約まで存在していた。アムル・シュタルという商人が運用するファンドには14人の投資家が金26単位を投資し、それに運用者であるアムル自身が4単位を追加して現在でいうファンドが運用されていた。ファンドの契約期間は4年で利益の3分の1はアムルが頂戴する仕組みだった。こうした条件は現代のヘッジ・ファンドに酷似している点が面白い。

  ローマでは「ソエキタス」という会社組織が政府に代わって徴税業務を請負う一方で剣や盾の製造販売もしていた。「すべての会社はローマに始まる」と言われる根拠となっている。そこでは「ソキイ」と呼ばれる共同出資者が経営上の意思決定を「マギステル」に委任していた。「マギステル」は現代でいう雇われ経営者にあたる。日本の平安貴族と守護地頭の関係もそうであるが、こうしたエージェント契約が結ばれた時点で現代における「エージェンシー問題」は避けられないものだった。法が支配している間は良いが一旦政権が弱くなると受託者が遠隔地で好き放題しても抑止できる武力(暴力)が必要だった。パックス・ロマーナのパックスとは「暴力」とは正反対の「平和」という意味である。覇権国家が存在して初めて「平和」がもたらされる。パックス・ブリタニカも英国海軍の軍事力であったし、パックス・アメリカーナもご存知の通りである。

12世紀に入るとフィレンツェなどのイタリア諸国で「コンパーニア」と呼ばれる同族会社の発展したものを形成し始めたが、現代の株式会社組織と異なる点は「有限責任制」の有無であった。投資家は資本を出資するが経営は経営者に委託し損失は出資分に限定される。債務の元利払いを控除した持分に対して利益を得る。こうした投資家を保護する「有限責任」の概念が成立しなければリスク・マネーは集められなかった。メディチ家は大きく発展し栄華を誇ったがしょせん同族企業で今日的な意味での大企業とは言えなかった。

1602年に国王が独占を保証するオランダ東インド会社(VOC)が設立されるが、王からの特許状には投資家の「有限責任」が明記されていた。権利関係で曖昧さが無くなり氏素性に関係なく売買できるこの株式は1611年に世界最古の常設株式市場であるアムステルダムで取引されることになったのである。

会社の発展形態は1.共同出資に始まり、2.法人の成立、3.有限責任制の導入、4.特許会社から準則会社、つまり公の許認可無しで誰でも会社設立が出来る状況への4段階の飛躍があった。そして現代でも問題になる企業統治やエージェンシー問題は経営を他人に委託する時点から懸案となり続けているのである。

タイムズの記者であるジョン・ミクルスウェイトとエイドリアン・ウールドリッジの共著になる「株式会社 (クロノス選書):The Company」を読んだ。最近乱読しているのでどうしてこの本に辿り着いたかは忘れてしまった。引用元等が省略されているが古い時代の出典はカール・ボランニーの「人間の経済」あたりだろう。筆者達の実に広範囲な英国知識人としての歴史書の読書量が感じられる良本である。途中から冗長になるが現代ではエンロン問題によるエージェンシー問題の再燃までがカバーされている。この分野での専門書ならばいくつかあるが会社組織の歴史書としてコンパクトにまとまっているユニークな本である。


2011年10月19日水曜日

ユーロ問題について 111019 バズーカ砲


日本時間19日英ガーディアン紙は、現在4400億ユーロとなっている欧州金融安定ファシリティー(EFSF)を2兆ユーロに拡大することで、フランスとドイツが合意したと報じた。(ロイター)

週末にパリで開催されたG20財務相・中央銀行総裁会議は内容を伴わないもののその積極姿勢が評価され、これまでの過度な悲観論が後退し週明けの為替株式市場は大きく戻した。欧州委員会のレーン委員(経済・通貨担当)は、域内の債務危機封じ込め策は「数日以内」により明確になるだろうと述べ、20カ国・地域(G20)当局者らはIMFによる欧州への支援拡大の可能性も示唆している。だが威勢の良い発言とはうらはらに具体的な内容はすべて今後の期待に委ねられていた。ユーロ問題の中でギリシャは具体的に財政破綻が懸念されているが、次の段階として懸念されるスペインやイタリアに対しては未だ市場の疑念が大きく支配している。

市場からの観点で今後具体的に示されるべき(期待される)対策を今一度整理しておく。

ユーロ圏銀行資産の実態開示
7月に行われたストレス・テストで余裕を持って合格したはずのベルギー・フランス系銀行デクシアが早々と破綻した。正確に言えば破綻回避のために政府資金を受け入れた。市場から見れば元々信頼感の低いテストであったが、問題解決の為には当局であるEBA(欧州銀行監督機構)の信頼回復が肝要だ。ポイントはギリシャを始めとする国公債の時価評価につきるだろう。その上で初めて資本増強による自己資本比率(Tier1)の目標値を7%あるいは9%にするのかが議論され必要な資金が算定されるのである。このプロセスを曖昧なままEFSFの拡充策を模索しても市場は納得しないだろう。州立銀行を抱えるドイツは一律9%の自己資本比率目標には難色を示している。

誰が銀行の資本増強をするのか
「勤勉なドイツ人が怠け者の・・・」このロジックの真偽のほどはともかく、ドイツは基本的に各国個別の負担を求めている。一方でフランス以下の国はEFSFを拡充してユーロ圏全体での対応を期待している。従ってレバレッジを使って規模を大きくするなどEFSF拡充策に対する積極性は国によって異なっているのが現状だ。またIMFによるバック・アップに関してはG20においても総論賛成の中、日米による具体的なコミットメントは得られなかった。

ギリシャ国債の元本削減率(ヘアカット)
12月以降実施される予定の第2次ギリシャ支援策では民間金融機関の負担分としてヘアカットが議論されている。具体的には償還時に100あるべきものを50に削減しようというのが市場参加者からのコンセンサスになりつつある。民間がこれを受け入れた場合にEUがギリシャを支援しようというものだ。だがこれには影響の大きいフランスとECBが反発している上、50%のカット率は「金融機関による自主的な」受け入れが個別行でスムーズに運ばず格付会社によるデフォルト認定の問題も絡む。EUの意思決定にかかわらず民間からギリシャはデフォルトとされてしまうかもしれない。FTでは35%~40%程度ではないかと観測されている。

これらの問題は23日に予定されているEU首脳会議までに方向性を示し、来月3日から開催されるG20首脳会議までに結論を出す必要がある。しかし現実にはそこまで細部に渡って調整がなされるとは考えられない。それが18日(火曜日)に出されたのが市場の過度の期待を抑えるべくドイツ・メルケル首相から発信された「23日に予定されているEU首脳会議は危機解決の最終ステップでない」という発言だった。

しかしこれでは市場は納得できまい。そこで起死回生の1発と考えられたのが冒頭の「欧州金融安定ファシリティー(EFSF)を2兆ユーロに拡大」である。リーマン・ショックの時にポールソンが名付けた「バズーカ砲」に相当するだろう。これであればその巨額な金額の提示だけで詳細は後に回せる。問題は出資国(特にフランス)の格付けを含む財政事情であるが、何もしないよりは遥かに事態打開に向けて前進していると言えるだろう。後は真偽のほどである。

こうした中ギリシャ議会は19日から増税や賃金および年金削減、公務員の削減などを盛り込んだ緊縮策の成立を目指し、これに対して労組側では過去最大規模のゼネストを予定している。議案は可決見込みであるが、解散による失業を恐れた議員が賛成に回っているという笑えない話も漏れ伝わってくる。

関連記事:EFSFのレバレッジ、ユーロ圏新発債の保証案が有力=EU筋【ロイター】
仏独、EFSFを2兆ユーロに拡大することで合意=英紙

2011年10月13日木曜日

ユーロ問題について 111013

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ユーロ問題は前回9月29日にアップデートした時点から、いくつかの進展を見た。


1.EFSF(欧州金融安定基金)の4400億ユーロへの拡張案に対する最後の承認国であったスロバキアも承認が見込まれている。しかしこれも前回書いたように4400億ユーロでは既に不足が懸念されている。


2.ベルギーとフランスを拠点とするデクシアが私的整理に入ることになった。この銀行は7月のストレス・テストでは合格していたのだからEUのテストの信頼性を損なうことになった。とは言ってもストレステストそのものの脆弱性は市場では既に消化済みだったのだが。


3.11日にはS&Pが「スペイン経済の短期的な見通しは悪化し、不動産市場の動きは引き続き抑制されており、資本市場の変動は激しくなっている」としてスペインの銀行10行を格下げ、フィッチ・レーティングスも7日にスペイン・イタリアのソブリンを、11日には銀行を格下げした。


4.ギリシャ入りしていたトロイカ(EU:欧州連合、IMF:国際通貨基金、ECB:欧州中央銀行)査察団は第1次ギリシャ救済パッケージの第6回分融資80億ユーロを来月初めに実行することを示唆したと伝えられている。また7月21日に合意された1090億ユーロの第2次ギリシャ救済パッケージ変更の議論の土台となるレポート提出は10月20日前後になるとしている。


第2次ギリシャ救済パッケージ執行の肝はPSI(Private Sector Involvment:民間部門関与)である。ユーロ圏の民間の金融機関がギリシャ債務のヘアカット(債務削減)をどこまで飲めるかという問題だ。これは7月21日合意の時点では21%と想定されていたが現状では50%がコンセンサスとなりつつある。
第6回融資分までは第1次救済パッケージでギリシャ国債償還期限に対応しているが、12月16日から始まる国債償還原資には第2次救済パッケージが必要となる。つまりPSIの合意が焦点となる。


ギリシャ国債の償還予定は以下である。
10月14日 短期国債20億ユーロ
10月21日 短期国債20億ユーロ
11月11日 短期国債20億ユーロ
11月18日 短期国債16億ユーロ
以上が今回実行されると伝えられた第6回分融資でカバーされるが、これ以降は第2次救済パッケージの承認が必要となる。
12月16日 短期国債20億ユーロ
12月19日 国債11億7千万ユーロ
12月22日 国債9億8千万ユーロ
12月23日 短期国債20億ユーロ
12月29日 国債52億3千万ユーロ
12月30日 国債7億1千万ユーロ


EBA(欧州銀行監督機構)が各国銀行救済必要資金算定の為、各国銀行の資料を精査中。 Tier1を前回ストレステストの5%水準からどの程度まで引き上げるべきか検討している。コンセンサスでは7%。同時に前回ギリシャ国債に対して算定されなかった通常評価する必要のない長期保有分の評価損をどう扱うかも焦点になるだろう。イタリア国債の価格は再び低下しはじめている。次回のストレス・テストは市場を納得させる必要があるだろう。


今後の日程だが、
この週末にG20財務相会合がパリで、
17日から予定されていたEU首脳会議(ブリュセル)が23日からに延期。ファンロンパイEU議長はここまでに包括戦略をまとめるとしているが、11月3、4日がG20首脳会議(カンヌ)の予定であるから月内が様々な決断のデッド・ラインとなるだろう。


ガイトナー財務長官があれこれとユーロに警告を発しているが、それは余計なお世話というものだろう。米国も11月18日には前回あれだけ大騒ぎして合意した予算分が枯渇する可能性がある。また11月28には米国超党派委員会が向こう10年で歳出1.2億ドル削減方法に関する報告書提出する予定となっている。
市場はかなり織り込んでいるとも考えられるが、大きく好転するとは考えづらい。


ギリシャでは公務員給与は既に20%カット、今後も15%~20%のさらなるカットが見込まれている。新たに固定資産税を払う必要があるが未だ誰も支払っていないとの記事もあった。また全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が厳しい歳出削減にあっさりと賛成するのは議員が解散→失業を恐れているためとの記事もあった。既視感のある話だ。

2011年10月1日土曜日

M/OレシオとP/Eレシオ


人口動態をあらわす人口ピラミッドと株式市場の関係は古くから指摘されている話で、これまでも株式市場を押し上げる「物語」として使われてきた。当ブログでも何度か扱っているテーマである。

単純にいうならば世代別人口の膨らんだ年代が40歳半ばを通過する際に株式市場は大きく値を上げるというものである。何故ならば彼らは家を買い、家に付帯する家具や電化製品を買う為に不動産価格が上昇し耐久財需要が旺盛になるからである。

最近はこの「人口ピラミッド」も「高齢化と資産価格」という言い方がされることが多い。これはアカデミックな研究が進んだために少し賢そうな言い方が増えてきたからである。

「人口の高齢化と資産価格」とは「人口の高齢化と資産価格の下落」という意味である。人口構成比率の高い世代が資産の積上げ時期を過ぎ引退生活に向けて資産の取り崩しにかかることと、資産構成を株式からよりリスクの少ないフィッスド・インカムにシフトさせるからである。株式の低迷と金利の上がらない状態は日本が先鞭をつけた格好だが、最近では先進国に共通したテーマであり現象でもある。

今月の22日にサンフランシスコ連銀から「Boomer Retirement:  Headwinds for U.S. Equity Markets?」(Boomerとはベビー・ブーマーである)と題するレポートが出され話題になっている。何故話題になったかというとWSJで取り上げられたからで、The Economist(Sep 24th 2011)でも「Bringing down the house:The effect of ageing on asset prices may make the rich world’s problems worse」として扱われこれはJBPressで日本語になっている。

このレポートのコア・イッシューはM/Oレシオである。Mはミドルエイジで40歳から49歳の世代別人口をさし、Oはオールドエイジで60歳から69歳の世代別人口である。従ってM/Oレシオとはミドルエイジをオールドエイジで割った比率を指す。この比率が増加基調にあれば、資産を積み増しする世代が増えていることを意味し、資産価格が上昇すると考えられるのであるが、下落基調ではその逆で資産の取り崩しが優勢となり資産価格は低迷する。
レポートではこれまで積上げられてきたこの方面のスタディを参考にしながらM/Oレシオと株式市場のPERとの関係を指摘している。簡単にいうならばMが増えればPERが拡大すると言うものだ。因みにP/Eレシオは「increase」ではなく「Expansion」というワードを使う。

FRBSFから許可を貰っていないのでここにグラフを出せないが、このリンクでレポートに飛べる。
Boomer Retirement:  Headwinds for U.S. Equity Markets?

2ページ目のFigure1が1954年から2010年までのM/OレシオとP/Eレシオの関係である。

1981年から2000年までのベビーブーマーが労働・貯蓄世代(Mの世代)のピークに立つまでの間、M/Oレシオは0.18から0.74に増加し、米国株式市場のP/Eレシオはその間に8倍から24倍に拡大しているのである。

グラフからはこの両社の関係はよくフィットしているように見える、因みにRスクエアは61%ある。ここまでM/OレシオがP/Eレシオに対してプレディクタブルであるならば、M/Oレシオを予測することで今後の株式市場のP/Eレシオを予測する事ができるだろう。

M/Oは人口動態データであるから、Census Bureauをもとにした予測精度は高い。これをもとに作成されたグラフが3ページにあるFigure2である。

Figure2は今後の米国株式市場の近未来のP/Eレシオの動向を推定したものである。これによれば今後P/Eは低下傾向を辿り2025年には8.4倍、2030年に9.14倍になると予測される。暫くは米国市場の低迷が続きそうだ。もちろんこれは過去のデータをもとに予測されたものであり、必ずしも絶対にそうなるというものではない。例えばレポートでは他国からの米国市場への投資などがあればこの限りではないだろうと指摘されているが、何もなければこの蓋然性は高いと考えるべきだろう。株価はしばらく低迷しそうなのだ。

日本のP/Eデータはインデックス丸ごと赤字になることが多い為極端に高い値になったりマイナスになるため使いものにならないので工夫が必要だが、世界中、少なくとも先進国の株式市場の相関は昨今随分高いのでアメリカがダメであれば日本も難しいと考えて良いだろう。(面倒だから自分でしないための言い訳でもあるが、過去似たようなことをトライしてみたがうまくいかなかった)

株式が下がるたびに「ここが買い場」と煽るバイ&ホールドや単純なインデックス投資は10年もせずに(あるいは10年も経たないと)戦略の失敗を悟ることになるだろう。そうは言ってもグラフを見ても解るとおり市場のブレはインデックスを2倍にすることぐらいはよくあることなのだ。

2011年9月30日金曜日

ユーロ問題について 110929


「欧州危機対策 独が可決」―日経
ユーロの問題はニュースのヘッド・ラインだけを追いかけていると問題の深刻さを過小評価しかねない。ここでユーロ問題の現状を一旦整理しておこうと思う。

今回ドイツが可決した案はEFSF(欧州金融安定基金)のサイズを4400億ユーロに拡充する案に過ぎない。圧倒的多数による可決はユーロ・システムを最悪の事態から逃れさせ、メルケル首相の政治的面目を立たせはしたが、この案の規模では問題に対処するには不足なことは既にコンセンサスであって、市場ではさらなる規模拡大が噂されている。

今回の投票では反対票を納得させるために、「ドイツはこれ以上の負担は受けない」ことを条件にしたともいわれている。(FT、28日)そしてこの不足していることが分かりきった拡充案ですら現行のユーロのシステムでは参加17カ国全員の合意が必要とされ、10月11日に予定されている残されたスロバキアの投票は未だ不安視されている。

市場で噂されているEFSFのさらなる拡充案では必要資金は最後のスロバキアの投票を待つ4400億ユーロでは足らず、2兆ユーロ以上が必要とされ、EFSFはECB(欧州中央銀行)から借入を行いレバレッジをかける必要があるとも言われている。そのためにEFSFの基金から銀行への形態変更案やSII(欧州投資銀行)のSPV化案までが喧伝されているのが現状である。読者も簡単にイメージできると思うが民間→国家債務と流れたレバレッジ投資を解消しなければならない状況下でさらにこうした機関にレバレッジを移行することは問題の根本解決にはなりにくい。

もうひとつの動きとして本日からトロイカ(EU:欧州連合、IMF:国際通貨基金、ECB:欧州中央銀行)と呼ばれる調査団がギリシャ入りする。これは第1次ギリシャ救済案にもとずく分割して実行されている来月分の貸付の可否を判断するためである。ギリシャはこのままでは10月に支払期限が到来する80億ユーロを支払う原資がない。そのための調査であるが、前回はギリシャ政府の対応に調査団が匙を投げて撤退した経緯がある。

もしここで融資が決められても当面のフィジカルなデフォルトを免れるにすぎない。今後のギリシャに対する第2次支援策は7月に既に決められているが、分割された個々の支払いは今回のように毎回調査団の判断を仰ぐことになる。またこれと同時に民間銀行負担(ギリシャ公債のヘアカット)も議論されることになる。ドイツ銀行協会はこれ以上の(現行想定されている21%以上の、多分50%の)負担にも耐えられると発表したが、メルケル首相はそうした事を検討した事実はないと否定している。何故否定したかと言えばフランスの銀行にその余裕がないからドイツ側が勝手に話を進めていると受け取られては困るからである。そしてそれこそがフランスの銀行株が売られている理由のひとつとなった。

一方で目先の支払原資確保に上記のトロイカから毎回厳しく査定されるギリシャとしては「もう結構です、我々は破綻して楽になりたい」という考え方も漏れている。ギリシャのベニゾロス財務相は同国与党議員との会合で同国の債務の50%カットによる秩序あるデフォルト(債務不履行)が望ましいと発言したと報道され即日これを否定している。

さてここまでの話でニュース・サービスのヘッド・ラインとなる案件は2つであった。1.第1次EFSF案の可決。2.第1次ギリシャ救済案。実はどちらもメジャーなイッシューではない。

上記2つに加えて今後以降俎上に上がってくるのは第2次EFSF案についての協議、第2次ギリシャ救済案についての実務指針。それに加えて市場で話題になっている、もしくは今後話題となるテーマは視線上にはあるが具体的に予定されていないEFSFの拡充案であり2013年に設立が予定されている恒久的な救済プログラムであるESM(欧州安定化メカニズム)の前倒しの設立である。もちろんこうした議案にはすべて17カ国の合意を必要とするのが現在のユーロ・システムであり、これは気の遠くなるような作業なのである。。

現状のEU他ユーロ関連諸団体のユーロ問題に対する方策はギリシャの目先の支払いなどに対応し時間を稼いでいるうちに景気回復が訪れてやがて問題は解消するであろうというものだ。市場の方ではとっくにそうしたスタンスでは問題の解決にはならないことを悟り、EFSFにレバレッジをかけるなど様々なアイデアが登場しているわけである。

ここからは私の「読み」になるが、FTにしろブルンバーグにしろ客観的なメディアの立場からの解決策はギリシャの秩序ある破綻を支持している。欧州の景気見通しも絶望的な中、問題の先送りが事態の悪化を招き何も産まないことはバブル崩壊後の日本を顧みずとも歴史的に明白である。目先の問題解決はギリシャの50%ヘアカット(公債の償還元本を半分に)による秩序ある破綻だろう。これでギリシャの対GDP債務は80%に下がり、周辺国への波及を抑制する。そしてその後もギリシャをユーロに留まらせて再生プランに入るというものだ。ベストでは無く、取り敢えずこれしかないという考え方である。なにしろ周辺国への波及が抑制できるかどうかはわからないが、このままのギリシャ問題を放置するならば、事態はさらに悪い結果しかもたらさないだろう。


ECB(欧州中央銀行)は先日ECBを辞任して話題となった元専務理事シュタルク氏らが共同執筆したレポートを今月の22日に公開した。もちろんレポートの内容はECBの見解としてではなく個人の見解としてである。このレポートでは金融政策と財政政策の分離問題が中心に扱われている。すなわちユーロは金融政策を統一して行なう中央銀行(ECB)を持ってはいるが財政政策は各国にバラバラに委ねられているという問題である。金融政策は統一しても、それを台無しにしかねない財政赤字に繋がる政府支出は野放図にされる可能性があることを指摘している。

この問題はユーロ通貨創設以来懸念されていたことであり、その為の対策に年間の財政赤字はGDPの3%以内、政府債務残高はGDPの60%以内とするという安定成長協定(The Stability and Growth Pact:)を定め早期警戒システムも用意されてはいた。しかしレポートでは2004年から07年までの好景気、およびそれに伴う不動産価格上昇の間に将来を楽観視したいくつかの国で問題は先延ばしされてきてしまったと説いている。

シュタルク氏はこの問題について制裁処置の甘さを指摘し、こうした国は経済・財政政策の権限をEUに委譲すべきだと主張している。ギリシャへの管財人の派遣も視野に入るのである。しかしこれは明らかに国家主権の侵害とも受け取れるので事は容易に運ばないだろう。ギリシャ財務省にドイツ人の管財人が常駐する事態はある種の植民地政策をも彷彿させ過去の悪い記憶を呼び起こしかねないだろうからだ。

根本解決策は金融・財政政策の統一である。しかし現状ではこれは理想論でしかない。そのギャップの分だけユーロ問題は荒れるのである。

2011年9月29日木曜日

ブログ開設3周年


2008年の9月29日にブログを書き始めて以来、今日でちょうど3年になるが、今年の9月のエントリーは3件しかなかった。しかも最後のひとつはケインズの墓碑銘だけと言う手抜きである。因みにケインズはこの墓碑銘をイートン校在学中、つまり十代の頃に既に選んでいた。成熟したケインズが選んだものではなかった。

このブログの一番最初のエントリーのタイトルは「過去最大の下げ幅 米国株」となっている。3年前の9月29日のニューヨーク市場は米国の下院が金融安定法案を否決したために777ポイントの下落となっていた。いわいるリーマン・ショックからちょうど3年が経過したことになる。そして今はユーロ問題に揺れている。リーマン・ショックから三年経過したのではなく三年も続いているというのが正しい見立てだろう。実際には2007年の不動産価格下落から始まっているので既に四年というのが正しいだろうか。

かつて日本株を支えた年金は積立よりも支払いが多くなり、保有株式も徐々に削減する必要がある。また生保には財務健全性評価による新基準適用があり株式のエクスポジャーは落とす必要があるだろう。株式投信が売れているという話も聞かない。個人投資家の個人的な資産にも高齢化の波は押し寄せる。そして考えなくてはならないのはこうした動きは日本だけではなく先進国全体の傾向であるという点だろう。短期の上下のブレは別として少なくとも暫くは価格水準からの「買い場」みたいなものは無いと思った方がいいと思う。

最近は二種類の本を読んでいる。ひとつは金融史全体にかかわるもので、もうひとつは日中戦争を経て第2次世界大戦に至るまでの金融・財政史の関係である。ケインズの伝記を読んだのもその一環だ。そして最近はそうした本を読みながら「憶えておいた方がよさそうなセリフ」をエクセルでメモするようにしている。

例えばレーニン、「資本主義を破滅させる最上の方法は、通貨を堕落させることである。」

またケインズも「講和の経済的帰結」の中で「現存の社会の基盤を覆す絶妙で確実な方法として、通貨を台なしにしてしまうこと以上のものはまったくない。」と同じ事を言っている。今その通貨の堕落が始まろうとしている。

こうした類で一番面白かったのは、同時代の日本の元帝国陸軍大佐で退役後にフランスからの兵器輸入で財をなした小林順一郎という人だろう。
「我が国に皇室のおわします限り、いくら紙幣を増発してもインフレにならぬ」
これで全国で講演会を開き聴衆も結構いたのだそうだ。いまでもその末裔達が蠢いていることは読者の周知のところである。

僕は何か書きたい欲求は常日頃からあるのだが、言い訳をするならば更新の時間をおいてしまうとなかなか入りづらいものなのだ。大勢でやる縄跳びにタイミングを取れずに飛び込めないでいるように。

でも暫くは続けるつもりなので宜しくお願いします。

2011年9月26日月曜日

ケインズ伝記・入門書


聖ベルナール・ド・クリュニ「この世の儚さ」の一節から

神のごとき麗しき声響かす者に栄誉あれ、
世にいかなるものあれど、彼らこそ祝福されるべし。

されど、また、
世の人が聞かぬ、ほのかな妙なる響きに耳傾け、
あるいは、世の人が見ぬ、神の白い衣を丘の上にて見る者も、幸いなり。
その美しき幻にふさわしき調べがなくとも。
決して哀れむべき者にあらず。

ジョン・メイナード・ケインズの墓碑銘


















ケインズ R.スキデルスキー 岩波書店




2011年9月14日水曜日

担保には何を?


IMFのラガルト理事が新興国に対してリスクの高い欧州各国の国債購入を奨励している。もちろんこの新興国とは外貨準備だけで3兆2千億ドルを持つ中国を念頭においているのだろう。一方でフィナンシャル・タイムズはイタリア政府が中国に多額のイタリア国債を購入し援助してくれるように求めたという。これまでもギリシャやスペインも中国からの救いの手を求めていたが、実際に中国がこうした国債を購入したという報道はない。ギリシャの10年国債利回りは13日付ですでに25%である。もし中国が購入していたのであれば、すでにその損失がニュースになっているはずである。買わなかったのだろう。

今年はリーマン・ショックから3年、9・11から10年であると同時に中国の辛亥革命から100年目である。中国革命の父と呼ばれる孫文は日本を亡命先にしていた期間が長く多くの日本人支援者が存在した。今年はそうした人々にまつわる催し物も多いようで楽しみな事である。

19世紀中期、清朝末期の中国は当時の列強国によって文字通り「食い物」にされていた。もちろんこの列強にはイタリアも日本も含む。アロー戦争や義和団事件は有名だが、他にも列強国は賠償金目当てとしか思えないような事件を引き起こしその都度清国の借金として積み重ねていった。

特に関税収入を担保(支払原資)とした公債の場合、とりはぐれがないようにロバート・ハートのような徴税人を清国行政機構に派遣していた(正確に言えばそう単純ではないのだが)。高橋是清も日露戦争資金調達時には日本にも徴税人を派遣するぞと英国の業者から脅されている。

さて今フィンランドはギリシャ支援に担保を求めている。高税負担の国であるから国民負担を安易な融資に仕向けるわけにはいかないだろう。

では同じように中国がイタリアなど高債務国に融資する場合に担保を要求するのだろうか?

「君らの徴税は甘すぎる、我が国から徴税人を派遣しようか」

これは現代でこそ妄想でしかないが、実は100年前の中国ではそうではなかったのだ。


追記:本日からサンケイ・ビジネス・アイにコラムを書き始めました。週に一度程度書ければと思っています。今はプロの編集者に教わってばかりでカルチャーショックを受けながらも非常に勉強になっております。このブログも少しはマシになるのではないかと仄かに期待しておりますが、しばらくは更新等頻度が落ちると思います。宜しく。

2011年9月6日火曜日

朱家の悲劇


ブログを二週間も書かなかったのは初めての事だ。何か書ければと思ってはいたのだが僕は袋小路の中をさまよい続けていたのである。

日露戦争について書いた後、大雑把な金融史を気の向くままに書こう思って始めたのだが、どうしても日露戦争後、つまり第2次世界大戦のことが気になって読む本が大きくそちらに傾いてしまったのだ。これは金融史を書こうと思えば必ずつきあたる究極のポイントでもある。

以前から日中戦争から第二次世界大戦に至る財政史は読んでいたし、日本の井上準之助による金解禁と高橋是清による金輸出禁止のあたりは世界恐慌との関係でポイントを抑えていたつもりだったのだが、満州事変以降の大陸占領政策にからむ占領地通貨政策のところは理解するのに大変な苦労をしてしまった。要するによく解らないのである。

これは何故かと言えば我々が目にする1920年~30年代の日本の歴史的記述はまったく日本本位に書かれているからなのである。僕はいつも思うのだが明治、大正、昭和の年代が西暦と直結していないことに大きな原因があるのではないだろうか。山川の世界史を読んでもリンケージは薄い。

僕はそう考えて今回チャーチルを読み、「パックス・ブリタニカ」の一連のジャン・モリスを読んでみた。アメリカの金融史に関してはこれまでにも随分読んでいたつもりである。ところがこれでも足りない(グリップ感がでない)事に気がついた。それは多分僕の頭の中で清朝末期から崩壊、中華民国成立までの中国の歴史が欠落しているのではないかということに結論が落ち着いたのだった。

ということでとりあえず陳舜臣氏の「孫文」から読み始めたのが近況である。

そうしたなか週末に一つのビデオを観た。中国映画、劉苗苗(リウ・ミアオミアオ)の「朱家の悲劇(家丑/FAMILY FEUD)」である。

これは1920年~1937年までの江南の中国の質屋(当舗)を舞台にした映画で、質屋と言っても江戸時代の庶民金融が質屋であったのと同じで当時の中国では立派な庶民金融機関でもある。1994年のこの映画自体は非常に評価の高いもので映像はビビッドで、思わずスクリーンに引きずり込まれる名作でもある。観て後悔することは先ずないと思う。しかし僕にとってはこの質屋のシーンが何とも興味深かった。

欧米の古い銀行を思わせる重厚な建物に随分と窓口の高いカウンター、古着を持ってきた貧しい人には銅2連の評価(1920年の時点では中国は銀銅複本位制である)、これは店内に響き渡る大声で読み上げられる。大口の顧客には別室で商談し茶が振舞われる。そして閉店後には日計表を作成するのであろう、大番頭が数字を読み上げ10人近い使用人が立ったまま全員で算盤を入れるシーンは圧巻である。(そう思うのは僕だけかな?)

銀400元で質入れしたものも戻すには500元、年率とか関係無しで25%の利息である。バビロニアやアテナイよりも遥かに高い。でも東洋では歴史的標準金利である。さらに面白かったのは1935年のシーンで7000元(当時の円で7700円)の質草に対する支払いである。

質屋が聞く「兌換にするか現金か?」
ここで言う兌換とは法幣(紙幣)で現金とは銀塊あるいは銀貨の事である。実は国民政府は1934年10月15日に銀の輸出を停止しており、実質銀本位は停止状態にあった。兌換券は銀兌換ではなくなっていたのである。

顧客は言う「もちろん現金である」
質屋は言う「銀での支払いは1000元以下に制限されております」

このシーンが1935年の何月かはわからないが、顧客の一味が白い麻のスーツを着ていたから多分夏だろう。実は国民政府はこの年の11月3日(日)にイギリスからリース・ロス卿を招聘し幣制改革を実施、英ポンドと元とをリンクさせてしまったのである。日本政府はこれには驚いてしまったがこの後対中国政策で愚策を繰り返すことになる。また一方で元は金銀価格を安定させようとしていた米ドルともリンクが出来、この時点で英米中の金融は一体化され後の援蒋政策は決定されていたとも言えるのである。

なんて思いながら映画を観ていたのだった。この映画お薦めです。

追記:お薦めはいいけれど、これはDVDにはなっていないようである。ビデオしかない。因みに僕は図書館で偶然に見つけた。

2011年8月14日日曜日

炭鉱に生きる 山本作兵衛


新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録 山本作兵衛

この本を知ったのは7月28日放送のNHKの「クローズ・アップ現代:炭鉱(ヤマ)が”世界の記憶”になった」を見たからだった。番組終了後にすぐにアマゾンに予約したが、同じような人が大勢いたのだろう。本日届いた7月28日出版のはずの同書は既に第二版だった。

この本のオリジナルは1967年に出版されたものだが、今回山本作兵衛氏の画文集が世界ユネスコ記憶遺産に登録されたことによって新装され再出版となったものだ。
世界ユネスコ記憶遺産としては日本からは第1号。世界で他にどんなものが登録されているかというと、「アンネの日記」、「ベートーベンの第九草稿」、「フランス人権宣言」、「マグナ・カルタ」など壮々たる作品群である。

作者山本作兵衛氏は筑豊炭田遠賀川の川舟船頭の子として産まれた。遠賀川の舟運は川沿いの炭鉱から出炭する石炭を若松(北九州市)まで運ぶことによって一時は八千艘を数えるまでに栄えていたが、筑豊本線の開通により寂れてしまい、失職した船頭達は炭鉱に入ることになったのである。この辺りは富司純子の映画「緋牡丹博徒:二代名襲名」を観るとより理解が深まるだろう。 

山本氏は筑豊の炭鉱を転々とするが、ここには炭鉱主として麻生元総理の粗祖父も登場するし、被差別部落民の待遇改善を果たした水平社の記述では最近世間を騒がせた松本元防災担当大臣の先祖も絡んでいたことがわかるだろう。

ユネスコは山本氏の作品群を権力者や勝者の書いた歴史ではなく一炭鉱労働者の目線で書かれた日本の産業革命史である点を評価したという。確かにウィンストン・チャーチルの「第2次世界大戦回顧録」でもなければ将軍による日記でもない、一少女である「アンネの日記」の持つ歴史の重みと同等のものがここにはある。山本氏の記述では当時の炭鉱の子供たちは小さい時から親と一緒に炭鉱に潜ることが多く、学校にも通えず文字の書けない人が多かったそうである。これは本当に貴重な歴史資料だと思う。また世界遺産認定は炭鉱研究家であるオーストラリアのマイケル・ピアソン氏が世界に紹介してくれたものであるが、地元の学者や研究者達の地道なサポートも見逃せないないところである。

僕は本を読んでいるとまだ100ページしか読んでなかったのかと先の長さにがっかりすることも多いのだが、この本だけは残りのページの少なくなることが心細くてしょうがなかった。また目次を見た時にやたらとあとがきや解説の多い本であると思えたのだが、これらは是非読まなければいけない。どれもこれも逸品であるが特に画家菊畑茂久馬氏の文章には滂沱とあふれる涙を禁じえなかった。決して山本氏一人の偉業ではなかったのである。

この本は自分が死んだ時に綺麗なまま本棚に残しておきたい1冊である。

2011年8月12日金曜日

窮乏化は政府・日銀の責任なのか?「高橋洋一氏の俗論を撃つ」

「高橋洋一の俗論を撃つ
米債務問題が解決してもなぜ円は強いのか
円高・株安の責任は政府・日銀の怠慢にあり ダイヤモンド オン ライン」


前半の「何故円は強いのか」に関しては、高橋氏のマネタリ-ベース説明も俗論のひとつであるのであえてここでは言及しない。「そうでしたか、インフレ格差もありますかね」ぐらいでいいだろう。

問題は後の方である。
仮に円ドルレートが1ドル100円で維持されていたらと仮定して、どの程度の株価になっていたかを推計したものが図5(後述)だ。今でも1万1000円程度であっただろう。世界同時株安はたしかに大変なことであるが、円高の要因を海外要因だけだと決めつけ、日本だけが渋い金融政策だと、日本だけが自国窮乏化してしまう

しかしこれは奇妙なロジックだ。(説明では8月8日の引値が使われている)

Q.もし今為替が100円なら日経はいくらでしょう?
A.ドル建ての8日の日経平均は117.04ドル(為替77.73円)。従って117.04ドル x 100円だから答えは11,704円である。なんと高橋氏の推計値よりも高いのである。彼は一体何を表現したかったのか?疑問はつきないがこれは後でみてみよう。

図3ーPは、高橋氏のチャートに合わせて2009年4月3日~2011年8月8日までの円建て日経平均とドル建てダウ平均の比較である。まずこのグラフをもって金融リテラシーの低い読者を対象に日本株がいかに酷いかをアピールしている。
図3-Pは高橋氏の図3に対応している。PはPorcoのPである。
しかし下の図Aはドル建て日経平均とダウ平均の両指数を2009/4/3を100として指数化したグラフである。震災時の大幅下落の影響を考慮すれば日本株は復興需要期待で足元なかなか健闘しているのである。因みにダウ平均は単独の要因でドル建て日経平均の水準の86%を説明している。

日経平均は今回の暴落の前に3月の震災での影響をかなり取り戻していたことがわかるだろう。そして8月8日にはドル建ての日経平均(133.68ポイント)とダウ平均(134.83ポイント)はとうとうほぼ同じ値になっていたのである。つまり高橋氏の選定したこの期間の株式だけを見ると日本は「政府・日銀のド下手な金融政策」のせいで自国窮乏化などはしていない。

2国間で窮乏化しているかどうかを比較するのであれば同じ通貨建てが基本だろう。従って「株安の責任は政府・日銀にあり」は勇ましくてとても結構だし、確かに僕もそうした面を完全に否定しないがこの件に関しては「お門違い(おかどちがい)」である。関係のない人の家の門先(かどさき)で「出て来い、このやろー」と言っているようなものなのである。

さて、この時点で氏の主張はすでに破綻しているのであるが、折角なので氏のモデルを見てみよう。グラフに違和感がある。

日米の株価指数の動きを見ると、かなり連関していることがわかる(図3ーP参照)
これは普通の投資家なら皆知っている事だ。だから投資家は毎朝昨日のNYダウはどうだったか気にするのである。因みに「水準」ではなく「動き」というのであれば変化率を比較しなくてはいけない。この場合日々の比較になるが、注意しなければならないのはたいていの場合ダウ平均が日経平均の影響を受けるのではなく、日経平均がダウ平均から影響を受けるので1日のラグが出るという点だろう。同じ日付の比較ではダメなのである。因みに同じ日でやるとダウ平均の日経平均の「動き」に対する説明力は26%、1日日経平均をずらすと52%の「動き」の説明力がある。

そこで、米国の株価指数、円ドルレート、大震災のショックの3要因をとると、日々の日本の株価指数の動きを80%程度説明できる(図4参照)

ダイヤモンド・オンライン
80%の説明力があるというこの図4の推計式を求めてみよう。
Step1:先ずダウ指数と円ドルレートの2つのファクターでの日経平均の水準(動きでは無い)の推計式は、
日経平均推計値=-7949.56 + 0.726191 x NYDow + 117.2695 x JPYとなりグラフ化したものが下である。残念ながら説明力は68.5%しかない。
Step2:さて、高橋氏はダウ平均と円ドルの2つの要因に大震災のショックという要因を加えて3つの要因としている。「大震災で800円程度株価は下落しているが、円高の影響もかなり大きい
ここで氏は大震災の影響を800円と推定し、3つめのファクターとしてカウントする。僕としてはもしこの800円分の影響を考慮するのであれば、3月15日の日経平均が-1015.34だったのでこれに800円足して-215.34に入れ替えることによって震災のショックを排除することにする。原データを修正するのである。これで相関係数は氏のおっしゃるとおり81%まで上昇する。但しこの場合推計式は変わってくる。 
日経平均推計値=-7495.51 + 0.607969 x NYDow + 124.8102 x JPY.
これをグラフ化すると図Cになる。

さてこれでは高橋氏の図4とは大分違うのである。

Step4:68%の説明力の2つのファクターを使ったモデルで推計値を計算した事後に、3月15日以降の日経平均から800円を震災の影響としてさし引いてみると図4-Pになる。
つまり式で言えば、
2009/4/3~2011/3/14:推計値=7949.56 + 0.726191 x NYDow + 117.2695 x JPY
2011/3/15~2011/08/08:推計値=7949.56 + 0.726191 x NYDow + 117.2695 x JPY-800

これで高橋氏の図4に近づいたのではないだろうか。しかしこれは随分と変則的なモデルである。投資銀行の調査部門なら営業部門に栄転させてくれるだろう。

Step5:上記式の円ドルを通期100円で固定すると図5ーPになる。


さてこれでめでたく日経平均は「今でも1万1000円程度であっただろう(正確には10827.40)」とあいなったわけである。氏の図5も見ておく。

ダイヤモンド・オンライン
ほぼ同じチャートだろう。

さて、氏の(多分)主張する10827.40を円ドル100円で割ると108ドル27セントになる。これは現在の117ドル4セントよりも7.5%も日本は窮乏化していることを意味する。もし日銀が彼の主張を入れて頑張って円安にしていれば日本はもっと貧乏になるって主張なのだろうか?


判断は読者にお任せすることにしましょう。

2011年8月10日水曜日

米国国債格下げ問題と株価の位置 2


Shujiさんから「もともと株価がちょっと高すぎたんじゃない?ということでしょうか」というサジェッションを頂戴したので、「高すぎた」といえば何はともあれアメリカの不動産価格だろうから、ここで不動産価格と株価指数の関係もみてみようと思う。

何故ならアメリカがもしジャパニフィケーション(日本化:Japanification)しているなら、不動産価格が当然キーになるだろうからだ。松浦氏のブログ参考方

日本人投資家の考えるバブル形成は何といっても不動産価格の高騰であり、バブル崩壊はその暴落が原因だった。日本では20年たっても今だに下がり続けていて、アメリカもまだ回復のきざしは見えない。

それに「国家は破綻する」のロゴフも書いているように歴史的にバブルには不動産価格の上昇が必ず伴い、その下落が銀行危機を引き起こし、政府債務が膨張する過程をたどる。そして国家は破綻してきたのである。今回のアメリカはまだ破綻しているわけではないが、この過程を忠実にたどっているのも確かなのだ。もちろん日本もそうだし、ユーロの財務の脆弱な国々も同様である。

下のグラフはロバート・シラー教授のHPにある住宅価格指数とSP500をプロットしてみたものだ。

70年代後半のインフレ期には株価はPERが圧迫され横ばいが続いたが、名目の住宅価格は上昇した。90年代後半にはITバブルがあり、株価が高騰した。そして現在のサブプライム・ショック後の住宅価格はどっぷり下がったままである。これは目先の収益好調よりも重大な問題ではないのだろうか?

せっかく住宅価格のデータが入手できたので、前回のエントリーと同じように今回はGDPと住宅価格の2つのファクターで重回帰分析をして簡単な推計式を作ってみた。これでいくと住宅価格の下落が効いて脚下のSP500の推計値は950ポイントあたりになる。

しかしこのチャート見る限り、そうしたピンポイントの推計値よりも、果たして株価はこのラインの上かあるいは下で推移する根拠があるのかどうかを考える方が重要なんだろうと思う。 いずれにせよこの2つのファクターを使用する仮説では推計値のトレンドは住宅価格に引っ張られることになる。(もともとそういうふうに出来ている)

さて、あまり実りはないが、考えさせられることは多い。今回のエントリーでいいたいことは、相場の大勢を見るに問題の根本である住宅価格を忘れてはだめですよということだ。

2011年8月9日火曜日

米国国債格下げ問題と株価の位置


政府債務
前回のエントリーで“デレバレッジ”を調べた人が多かったようなので(デレバレッジのエントリーへのアクセスが多かった)、米国Flow of Fundsから簡単なグラフを出しておく。
グラフの一番上にある線が家計の借金、2番目が米国国内金融セクターの借金、3番目が政府部門の借金である。実際にはシャドウ・バンキングと言われたように、影の銀行システムがあったわけでこのグラフは一部分しか表現できていないが、家計や金融セクターの借金の減少につれて政府部門の借金(Debt)が増え、両者が入れ替わった様子がわかるだろう。民間はデレバレッジが進んだ分、政府部門のレバレッジがすすんでいたのだ。
Data & Graph by FRED
SP500の位置
株価、特にSP500に焦点を合わせてその位置を確認しておこう。
こうした変革期には周期の短いチャートだけでは不充分だ。大勢観が必要になる。

下は20年分の日足チャートである。大雑把なトレンドは把握して置く必要があるだろう。
1994年12月以降の3回にわたる上場相場において大幅な下落(Drawdown)を記録したのは1998年の20%である。今回は4月のピークから18%のダウンであるから、もしかしたら米国国債のダウングレードは単なる杞憂に終わって再び上昇相場に入るのかもしれないが、こんな中途半端な位置で上向きにエントリーする必要は無いだろう。もちろんこれはあくまで単なるチャートであって、過去は何も語らないことには注意が必要であはあるが。

配当や益利回り
企業収益やそれにともなうPERが割安だとか配当利回りがどうしたというのは、ファンダメンタルズの大きな変更が無い場合には有効だが、実は変革期にはあまり意味を持たない。
下のグラフはシラー教授のデータから見た長期のSP500と配当利回り(Dividend Yield)、益利回り(PERの逆数)である。
長期で見ると配当利回りも益利回りも、近年とても低い位置(PERでは高い位置)にあったことが解るだろう。今のような大きな変革期にPERを持ちだされても話半分である。上記グラフで2000年以降のSP500の位置も微妙なポイントにいることがわかるのではないだろうか?

GDPと株価指数の関係
投資家は景気の数字に敏感である。特にGDPの影響は大きい。今回も遡っての改訂がQE2の効果に疑問を抱かせ国債格下げと相俟っての株式の暴落につながっている。
しかし株価指数とGDPのグラフを並べてプロットしても何か判然とはしないだろう。
Data & Graph by FRED
関係があるようで無いように見える。しかしこうした桁数の異なる数字を扱う場合には両者を対数化することによって比較ができる。下のグラフはSP500と米国名目GDPを対数化して回帰分析したものだ。対数化は具体的にエクセルのLN()関数で簡単にできる。もちろん下のグラフを見る限り何か別のファクター、例えばドル指数とか、昔ならマネーサプライとかを付加して重回帰すれば説明力は増えるに違いないが、僕が思うにはシンプル イズ ザ ベストで単回帰で充分である。 
ここで得られたGDPによるSP500の推定式、
LN(SP500)=0.9532 x LN(Norminal GDP)-2.1869
これを対数値からEXP()関数で元に戻して時系列にプロットしなおすと以下のグラフになる。
青が8月8日時点の実際のSP500、1,119.46であり、赤が推定値からの1,071.834である。どちらも大きく乖離はしていない。米国住宅価格の上昇し始めた90年代終わり頃からSP500は推定値を大きく上回るようになった。そして今回のソブリン格下げで大きなシナリオが調整される可能性があるとすれば、SP500はこの推定値よりも下に出る蓋然性は高いのではないかと思う。

ここまで見た指標類はどれもこれも推定の域を出ない。しかし現在の水準は切り返すには中途半端。たとえ切り替えしても大して上にはいかないだろうし、また戻ってくるのではないかと思う。

したがってもう少し「待つ」のが正しい。だからこそ市場参加者はあわてて株式リスクを落としにきたのだろう。こうした予想に結論は簡単には出ない。でも僕はすくなくとも次回の米国選挙まで、あるいはユーロ諸国が、国別の債務をユーロ債に実質上統一するまで様子を見た方がよいのではないかと今は考えている。

(当たり前のことだが投資する人は自分で判断して下さい。当ブログは読者の売買損に関して何らの責任を負うものではありません)


米国国債格下げ問題

8月5日、米国格付会社S&P(Stabndard & Poors)は米国国債をAAA(トリブルA)からワンノッチ(一段階)分格下げ、AA+とした。格下げ後もアウトルック(今後の見通し)はネガティブとし、事態の改善が見込まれなければ今後もさらにもう一段の格下げがあることを示唆している。

米国政府は財政赤字見通しの際の基礎要件の間違いを盾に反論を試み、S&Pの翻意を促したがそれは無駄な抵抗でしか無かった。理由は政治的混迷である。これが解消されない限り今後のさらなる格下げも視野に入れて置く必要があるだろう。

S&Pは2日の米国債務上限問題の時点で米国は4兆ドルの赤字削減が必要であり、それが議会で達成されない場合には格下げの可能性が50%あると警告を発していた。従って今回の格下げは予見できたものであり、金融市場への影響は軽微であるとの見解も散見されていた。しかし結果はご覧のとおりである。
SP500 StockChart.com
他の2つの主要な格付会社FitchとMoodysはAAA/Aaaの最高位を据え置いてはいるがアウトルックはネガティブであり、今回の株式市場の世界的暴落を通じて彼らの格下げの蓋然性も一段と高まったと考えておくべきだ。早々と米国ソブリン格下げを警告するばかりでは無く、実際に米国国債をエクスポジャー(組み入れ銘柄)から落としていた世界最大の債券運用会社PIMCOのビル・グロースは今回のS&Pの格下げを評価している。何かと格付会社への非難が多いなかこの評価は貴重な意見である。

70年間も続いてきた米国国債の最高位からの転落は金融史のコンテクストの中では一大イベントであることに違いは無く、今回の格下げは歴史的な転換点であると捉える必要があるだろう。従って混迷するユーロ市場、また成長に対する懸念の深まる中国を始めとする新興国市場と相俟ってこの歴史的なイベントは今後の金融市場の予見性を著しく低めている。そしてその予見性の低さが投資のリスクを高めリスク・アセットからの資金の逃避を招いているのである。

2007年の危機と比較すると、当時5.25%だったFRBの政策金利は今回は0.25%しかない点が大きく異なる。GDP値の下方改訂でQE2の効果が疑われる中、財政赤字に絡む財政政策は採用が困難だが、一方で金融政策の採用も大きく限定されてしまう。これはまさしく我々日本人が失われた20年間に経験してきた状況である。この「流動性の罠」と呼ばれる現象は今やウォール街や経済学者の間でも”ジャパニフィケーション”として急速にその認知度を高めつつある。

所得税減税と失業手当の給付期間延長が12月に終了することから米国政局は年内にもう一波乱が想定され、茶会グループはその存在感を再び大きく打ち出す戦略に出てくるだろう。まだまだ先は見えてこない。

また2007年危機では中国の大型財政支出が世界経済を牽引したが、インフレ懸念のくすぶる状況ではそれも期待薄だろう。それよりも中国としては1兆2000億ドルに達する保有米国債の問題がある。中国では2007年以降外貨準備の急速な増加をもたらした輸出依存から内需への転換を目論んでいたが遅々として進んではいない。いよいよ真剣に取り組む必要が出てきたのではないだろうか。しかしこの内需転換に関しても日本は苦労してきた事を思い起こす必要があるだろう。

細々と発生している現象を記述することに時間を費やしていると本質を見失うことにもなりかねない。今回起こっていることは比較的単純な考え方にブリーフィングすることができる。

レバレッジとデレバレッジである。アメリカの住宅バブルによって世界中が沸いた。その際に積み上げられた民間の借金を政府が肩代わりをした。これはユーロも同じことなのだ。

本来なら身代わりとなって借金を引き受けた政府はEXIT(あるいは緒)をそろそろ見つけるべき時期だが、QE2を始め様々に打った政策が結局景気回復、税収増加として実りそうもない。思惑通りにいっていないのだ。現在は借金の善意の保証人が借金取りに追われる立場になったのようなものだ。そして肝心なことであるが、国家(ソブリン)は人格を持てずにいる。甘やかされた有権者は自分の家のまわりだけを綺麗に保ち、公共の場所に生ごみを積み上げるのである。

金融史的見地から現状を外観すると、ソブリン発祥の地、旧ブリティシュ・コモンウェルスだけが少なからず矜持を保っているのは感慨深い。


2011年7月31日日曜日

海江田経産相の答弁中の泣きについて


男が簡単に泣くもんじゃなか!

フーテンの寅さんで和尚役をやっていた笠智衆は映画の中でも泣く演技を断った。彼は「明治の男は泣かない」の信念のもと、大監督である小津安二郎のお願いでも断ったという。そして決して泣かない笠智衆の極度に感情を抑えた演技は日本人の父親の原点とまで言われるようになったのである。僕も男は泣かないものだと思っていた。

安岡正篤の永年のベストセラー論語の活学―人間学講話では「感激を失った民族は衰退する」と説いている。彼は「明治天皇詔勅謹解」の出版に際して、詔勅にかかわる明治の一流人の行動を細かく点検する機会があったが、調べれば調べるほど明治の人間は実によく泣いていたのである。

高橋是清に日露戦争の資金調達を命じる時、桂太郎首相始め当時の政府首脳は皆抱き合って泣いたそうだ。よっぽど無理な戦争だったのだろう。また高橋は自身の「高橋是清自伝」には書かなかったが、同行した深井英五によると出発間際の日銀の壮行会において、やはり感激症の井上馨が挨拶の途中で泣き出したそうである。その際出席の大蔵日銀関係者も皆つられて泣いたそうだ。NHKでお馴染みの正岡子規といい明治の男はもう皆泣きまくっていたのである。

1980年に大ヒットした東映映画「二百三高地」では、仲代達矢演じる乃木大将が満州から凱旋後明治天皇にご報告するシーンがあるのだが、ここでは仲代達矢がヨヨと泣き崩れてしまう。本当は乃木は泣かずに淡々とご報告し明治天皇は冷たい顔でそれを聞いたそうだが、時の東映岡田社長は「お前、最後の最後にそれじゃあ、客入らへんぞ。報告する乃木も報告を聞く明治天皇も皇后も滂沱(ぼうだ:涙がとめどもなく流れ出るさま)と盛大に泣かしてくれや」と脚本を変えさせたそうなのだ。泣かない明治人もいたのである。そう言えば笠智衆も東宝映画「日本海大海戦」では乃木大将役をやっていて、僕のイメージの乃木大将は笠智衆である。

銀メダルの北島康介の試合後のインタビューは半泣きだった。彼の強固な目標への意志と決死の覚悟が彼を泣かせた。彼の泣きたいくらいの悔しさが伝わってきた。ネガティブなものなんかじゃない。一方で「なでしこ」は泣かなかった。彼女達は世界一になっても未だ途上であるとの自覚があるからだろう。少なくとも日本語の「女々しい」はそろそろ返上しなくてはいけない。

前置きが長くなったが、大臣が泣いたからと言って「情緒不安定、閣僚不適格」と決め付けるのは早計である。崩壊寸前の現内閣において次から次へとくる難問に正面から対処しているのは海江田氏だけだ。大臣の椅子を捨てるのは簡単である。しかし彼がここで職務を放棄することは彼の責任感においてできないのだろう。代わりに誰がやるのか。時間をかけて総選挙をして質問者である野党議員がやるというのか。彼は今空白を作ることは無責任であると信念を持っているに違いない。しかも多くの問題は自民長期政権由来のものばかりだ。

僕は海江田氏が今回の涙で「おとこ」を下げたとは考えてはいないのである。真摯であるからこそ泣いたと解釈するものである。

フーテンの寅さんついでに言っておくと、民主党安住淳国会対策委員長が被災地自治体の長に投げつけた「自分たちは立派なことを言うが、泥はかぶらない」と言う発言は寅さんならこういうだろう。

「それを言っちゃあオシマイよ」

それに、財源も決めないで、自分だって泥なんかちっとも被ちゃいない。

2011年7月30日土曜日

累積財政赤字はポピュリズムのバロメーターである

累積財政赤字はその国のポピュリズムのバロメーターである。

政治家は有権者に人気の無い徴税を曖昧にし、お金も無いのに選挙の票欲しさに予算をバラまいてきたのだからこの表現は正しい。

「日本の課題は明白である。世界の趨勢がグローバル化に進み、『国々が競争する状況』のなかにあって、内向き指向に傾斜している。政治面ではポピュリズムに終始し、その結果、財政構造の硬直化、赤字幅の拡大、巨額な累積債務に苦しむ国となってしまったにもかかわらず、財政再建の道筋はまったく示されていない。財政再建に取り組むほか、安全保障、優位な外交展開、資源・エネルギー開発、科学技術、教育、ベンチャービジネスなど官民をあげて世界に立ち向かう成長戦略の策定と実行が課題であろう」(ハーバードの「世界を動かす授業」 ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方」 リチャード・ヴィート/仲條亮子)

これは昨年紹介したハーバード大のビジネス・リーダー向け講義資料の中の日本の政治状況の分析である。

その後この巨額な累積債務に苦しむ国は、津波を伴う巨大地震、さらに原子力発電所事故による放射能災害によって財政の状況は一段と悪化している。

巨額債務はもちろん現政権の民主党だけの責任では無い。長く政権にあった自民党もそうだし、橋本政権で中枢側近く仕えたリーダーが率いるみんなの党だって責任を逃れるものでは無いだろう。「橋本政権時代から日本の債務は返済不能で日本国債は売られるといわれ続けていたが、借金が倍になった今でも何もおこらないじゃないか。まだまだ増やしても大丈夫」というブログ(注1)は見るに忍びない。いつから「責任感を持たない」ということが、この国の政治家の資質に必要な要件になったのだろうか。

しかしここで東の果ての島国の打ちひしがれた住民にとって少しだけGood Newsがある。オウン・ゴールを繰り返しているのは日本の政治家だけでは無かったのだ。我々だけがアホウで無責任なわけでは無かったのである。累積財政赤字がその国のポピュリズムのバロメーターであるならば、ポピュリズムは何も日本だけの専売特許では無いことも証明されたからだ。お仲間がたくさんいたのである。それはユーロの破綻に瀕する国々、そしてアメリカ合衆国だ。

アメリカは今、自分自身で設定した累積債務への安全装置であるデット・シーリングに悩まされている。皮肉なことにこれがとっても危険な安全装置になってしまったのである。しかし議会運営の方法論は別としてもアメリカの2大政党にはわかりやすい明確な主義の違いがある。民主党は社会保険を充実させ国が国民の面倒を見ようじゃないかという「大きな政府」を目指し、共和党はアメリカ人は自立すべきであると、「小さな政府」を標榜しているのである。国がどこまで国民生活に関与すべきかという分り易い「違い」があるのだ。



昨日日本政府は13兆円の復興基本方針を決定した。しかし、これが何と支出は決めたが財源を決められなかったのである。埋蔵金を掘れとかいう意見もあったそうだ。ここには本当に「責任感(というもの)」はあるのだろうか。

こうした行動を取る理由ははっきりしている。近くに迫っている民主党代表選への悪影響を懸念して「臨時増税」の文言を廃して、「時限的な税制処置」と入れ替えたのである。しかし「増税」以外による財源確保の規模について、民主党部会では詰めた議論はしていないらしい。こうしてまたもや、選挙民の嫌がる「増税」をせずに選挙民の喜ぶ(今回は必要に迫られている)「支出」をするという、相変わらずの伝統芸に回帰したのだった。議員達がめいめいにボールを自陣のゴールに蹴り入れているのだ。

次回の国政選挙では与謝野氏以外は誰も、どの党も「増税」を主張しないかもしれない。あるいは主張した候補者は議員になれないだろうと思う。一方で常にその際の言い訳となる「無駄を排する」は聞かされて随分経つが、もしまだ無駄や埋蔵金があるのならば、それは今まで約束を守れなかった証拠でもあるのだ。

こうして我々の借金はさらに積み上げられ、『国々が競争する状況』のなかにあって、「なでしこ」よろしく、ブッチギリで1位のテープを切るのだろうか(である)。



2011年7月29日金曜日

伊良部秀輝投手 安らかに


元ヤンキースの伊良部投手が死去 ブルンバーグ

1995年は阪神大震災の年である。また同時に「がんばろうKOBE」を胸に、オリックス・ブルーウェーブが優勝した年でもあった。

ブルーウェーブは前年の94年が2位で、95年は仰木監督、新井打撃コーチ、山田久志ピッチング・コーチの下、攻守バランスのとれた戦力を持っていた。

投手陣では、現楽天コーチの佐藤義則がいた。彼は楽天に移籍する前は日本ハムの投手コーチでダルビッシュが心酔したほどの逸材である。この年は4勝しかしていないが、史上最年長でのノーヒット・ノーランを達成している。長谷川滋利(12勝)はご存知、エンゼルス、マリナーズと後に大リーグで成功を収める。星野伸之(11勝)は代表的軟投派で、最速ストレートはせいぜい135kmだったが勝負強い投手だった。また阪神から移籍した野田浩司(10勝)は208奪三振の速球派。現在も中日で投げている平井正史はこの年がデビューで150キロ台のストレートで15勝3敗27セーブ、勝率は.887と驚異的な記録を残し新人王を取った。

打順は仰木マジックの猫の目打線で1番のイチロー以外は日替わりだった。現在オリックス・バッファーローズでプレーする田口は2番か3番を打っていた。ファィターズでコーチ兼任捕手の中島はたまに4番も打ったりする強打者で、イチローと一緒に出場したオールスターのスピード・ガン・コンテストでは2人とも150キロを出していた強肩だった。96年に仰木監督はオールスターでイチローを投手として投げさせセ・リーグの野村監督と一悶着を起こしたのだった。

後は藤井、本西、小川、馬場と攻守に渋い選手が揃い、強打者の高橋智、外人はDJとニールがいた。そして忘れてはならないのは現バッファローズ監督の岡田である。阪神の岡田と言ったほうが通りは良いだろう。岡田はこの年を最後に現役選手を引退しブルーウェーブの2軍監督になる。

そして実はこの年に強かったのはオリックスだけでは無かった、新任のバレンタイン監督のもと千葉ロッテ・マリーンズも大躍進した年でもあったのだ。ロッテも本当に見違える程強かった。

その中でも特に輝いていたのは伊良部秀輝である。伊良部は94年にも15勝をしたが、マリーンズは5位だった。面白くなさそうな顔をしていたものだ。彼はいつか優勝を争うような強いチームで投げたいと思っていたのだ。そしてその夢はボビーの登場によって叶うことになった。

バレンタインを迎えた95年のロッテはオリックスの独走を許さない2位につけ、脅威であり続けたのである。この年の対戦成績はロッテの勝ち越しだった。

8月3日のマリーン・スタジアムのロッテ対オリックス戦。この時の3連戦の前売りチケットはすべて売り切れていた。今ではよくあるこの情景も当時のパ・リーグではあり得ないことだった。長年のパ・リーグファンはそれだけで目が潤んでしまった時代の話である。

伊良部と言えば対清原とかいう人もいるが、僕にとっては間違いなく、この日の伊良部対イチローなのである。

僕はネット裏の二階席でこの試合を観ていた。キャッチャーの背中を見下ろす位置だ。
伊良部はイチローに対してボールを3つ投げた後、球場のスピード・ガンでは153,154キロのストレートで2ストライクを取った。これはものすごく速く見えたのだ。そしてファールをひとつ挟んで最後は145キロのストレートでイチローを三振に取ってしまった。本当にシビれるとはこの事だった。ネット裏から見ていた僕にはこの最後の球はストレートにしか見えなかったのだ。145キロのストレートだって充分に早い。ところが家に帰ってスポーツ・ニュースを見ると、なんと最後の球はフォーク・ボールだっていうじゃないか。あんなに早いフォークは後にも先にも見たことが無い。家でもう一度シビれることになったのだった。

同じように思った人がいてyou-tubeに残してくれている。



伊良部のこの充実感溢れるうれしそうな顔はどうだろう。悪役なんかじゃないんだよ。

そしてシーズンも押し迫った9月15日からの3連戦、ブルーウェーブはマジック1で千葉ロッテ・マリーンズを神戸グリーン・スタジアムに迎えたのである。ひとつ勝てば優勝だ。外野から内野席を繋ぐ階段まで立ち見客で埋まった神戸グリーン・スタジアム。TVは3試合とも全国ネットだった。

第1戦は伊良部がまさに仁王立ち、8回3安打、1-0でロッテが勝った。一球一球の緊張感がたまらない試合だった。

僕は試合後の伊良部のインタビューを今でもはっきりと憶えている。

彼はもろもろのお決まりのヒーロー・インタビューの最後に「今のロッテはとてつもなく強い」と雄叫びをあげたのだ。実に誇らしげな顔だった。

第2戦は小宮山の好投、初芝の超ファィンプレーで3-1ロッテの勝ち。ロッテはこれで10年ぶりのAクラスを確定したのだった。去年までは本当に弱いお荷物球団だった。ロッテには今でもボビー信者が多いが、これははあたりまえなのだ。

第3戦は、試合前から異常な興奮に包まれていた。仰木マジックは2軍から上げたばかりの岡田彰布を阪神での優勝経験を買って8番ファーストで先発起用。この年初めての先発である。球場は大歓声で岡田を迎えた。岡田は横っ飛びでゴロを抑えるファィン・プレーも見せたし、ライトフェンスギリギリのライナーを放ったが、結局ブルーウェーブはロッテに負けてしまった。優勝は神戸で決められずライオンズ戦にまで持ち越しになってしまったのである。

「今のロッテはとてつもなく強い」
伊良部にとっては選手生活で最高の年だったのではないだろうか。
彼は間違いなく最高の投手の一人でした。

米国債務上限問題


世の中には「お約束」といわれるものがある。

ダチョウ倶楽部には「どうぞどうぞ」という厳しい芸に導く「お約束」があるし、水戸黄門ではしばし悪役を懲らしめたところで、やにわに「三つ葉葵の御紋所」を出す段取りになっている。これが無ければ助さん格さんは果てしない殺戮を繰り返すことになってしまうだろう。

米国債務上限交渉にもこの「お約束」があったはずだった。2012年の選挙を睨み、それまでにもう一度債務上限を問題化しオバマ政権にダメージを与えたい共和党(低い上限)と、できれば選挙前にはこの問題を再び持ち出したくは無いオバマ政権(高い上限)との間でギリギリのやり取りを通じて、それでも予定調和的に8月2日のデッド・ラインまでには「御紋所」が登場しなければならないはずだった。

しかし現実には昨年の中間選挙で登場した共和党Tea Party(特に新人議員、日本の何とかチルドレン)が想定外に経済音痴で尚且つ頑なために、彼/彼女達は必要以上にアメリカをデフォルトの危機に晒しただけではなく、経済学者、評論家、市場関係者がまさかと思う中、アメリカをもしかしたら本当にデフォルトがあるかもしれないという危険な状況に押しやっているのである。

そしてこうした政治的混迷を受け格付会社ムーディーズは今月14日の時点で債務支払いを1回でも不履行すれば、翌日には直ちに米国債の格付けを引き下げる方針を表明した。これは当たり前だろう。債務不履行をデフォルトと呼ぶのである。 そして昨日のニュースでS&Pは、「仮に議会が合意に至ったとしても4兆ドル規模の抜本的な財政赤字削減策が講じられない限り、米国債の格付けを90日以内に格下げする可能性が少なくとも50%ある」との見解を示した。それはそのはずで4兆ドル以下の合意であれば債務削減がすすむはずもなく、早晩同じ問題で再びアメリカは揉めることになるからである。

政府の支払いエージェントであるFRBはデフォルトの際の具体策(マニュアル)を、混乱を助長する恐れがあるとして、出し渋っていたが、29日には関係金融機関に対して示す運びになった。
金融機関の知りたい情報は以下だろうか。この当たりはワッチしておく必要があると思う。(FT参考) 漠然とデフォルトなんかあるわけも無いとイメージして、思考停止していることは危険である。
  • デフォルト後に米国債担保でFRBから資金供給を受けられるのか?
  • 米国債入札で売れ残りが出た場合、FRBはこれを購入するのか。ファイナンスするのか?
  • MMFで取り付け騒ぎが出た場合にFRBは流動性を供給してくれるのか?
  • 同様に預金流出した場合にFRBは流動性を供給してくれるのか?
  • 米国債の価値下落の場合に時価評価しなくても良いのか?自己資本比率や流動性に関する規制はどうなるのか?


一方でISDA(国際スワップデリバティブ協会)はギリシャ救済案を「民間銀行による自発的な救済である」としてデフォルト認定しなかったが、もしアメリカが利払い遅延をしても3日間のグレース・ピリオド(支払い猶予期間)を与えることになっているようである。

さて色々と煮詰まってきたわけであるが、ひとつだけ確かなことは、仮に今回合意に至り目先の危機回避ができたとしても、米国は2012年の選挙まではこうした不安定な状況が続くということだろう。

株式市場は「不安な坂を駆け登る」と昔からいうが、割切って対処することが「お約束」だろうと思う。

2011年7月25日月曜日

合百とバケツ・ショップ 2


バケツ・ショップというのはBucket Shopのことである。
一般的にはバケット・ショップと言った方がとおりが良いだろう。

1870年代から1920年代の終わりの大暴落の頃までアメリカに存在した株の「呑み屋」のことだ。「呑み屋」あるいは「呑む」とは、顧客から株式の注文を受けた際に、市場に取り次がず、自分で後の支払いをすべて引き受けてしまう行為のことだ。競馬の「呑み屋」と同じである。競馬の呑み屋はJRAから馬券を買わないことでJRAの取り分25%を節約することが出来る。その代わりに「呑み屋」が10%もテラ銭を取れば馬券の買い手も配当が多く貰えるという仕組みである。もちろんこれは違法行為なので事業者の多くはその手の方達ということになる。アメリカの株の「呑み屋」も多くはマフィアによって運営されていたようで、とかく金銭の問題が絡み法律の外にあるビジネスは洋の東西を問わずアンダーグランドのビジネスになる。

アメリカは州によって法律が様々であったり、警察による取締も袖の下次第というような時代もあったので、バケット・ショップは結構派手にビジネスを展開していたようである。客から買い注文をもらっても市場には繋がず基本的にバケット・ショップが呑み込んでいた。但しあまりにも注文が一方向に傾き過ぎた時には市場でヘッジもしていたようである。

バケット・ショップは伝説の相場師「ジェシー・リバモア」の伝記に登場することで日本でも相場好きの間では有名である。

こうしたリバモアの伝記ではBucket Shopを「合百」と訳している本もあり、これはなかなか名訳(皮肉ではなく)だと思うが、バケツ・ショップは「合百」とは少々規模が違うビジネスだった。確かにアイリッシュ・バーの片隅で夜な夜なご開帳しているような株を使った博打もあったのだろうが、ここでいうバケット・ショップはその手合いではない。取引所での出来値を伝える当時としては高価なティッカー・マシーンも装備していたし、バケツ・ショップの入り口は普通の証券会社と見分けがつかないほど立派だったそうで、なかには支店網を展開しているものもあった。しかしたいがいはマフィアによって運営されていたようで、要するにカジノと同じだったのである。
ちなみにページ左上にあるPorcobutaと書かれたアイコンはティッカー・マシーンである。これはトーマス・エジソンの発明で、紙テープにピンで文字の形に穴が開けられる。NY取引所で発信されたデータがアメリカ全土に同時に配信されたのである。このマシーンの発明によって遠隔地取引所間でのアービトラージは出来なくなってしまった。

因みに現在でも取引高の少ないことを"Slow Market"と表現するが、これはティッカー・テープの文字を打ち出す速度が遅い状態を指すことからきている。またニューヨーク名物紙吹雪の舞う「ティカー・テープ・パレード」もこのテープを細かく切り刻んだものである。

話が少し横道に逸れてしまったが、バケット・ショップの場合には株式を扱うといっても普通の証券会社とは異なる特徴を持っていた。

1.少ない金額から株式投資(投機)ができる。
2.レバレッジがかけられる。
3.口座開設が必要ないかあるいは簡単である。
4.約定が早い。
5.手数料が安い。

1.少ない金額から株式投資(投機)ができる。
証券会社は近年そのイメージを払拭すべく努力をしているところだが、昔から洋の東西を問わず証券会社は貧乏人には用がない。お金を扱うビジネスだから当然といえば当然である。しかし射幸性の強い株式に対するニーズは何も投資家だけではない。株で一山という人間は昔からひきも切らないのである。バケット・ショップにはそういった小規模な投機家からのニーズがあった。あるいは投機家ではなく博打打ちといってもよいかもしれない。

2.レバレッジがかけられる。
まともな証券会社で信用取引をするにはそれなりの資産やそれこそ信用が必要だった。しかしバケット・ショップでは1%から10%の証拠金で売買をすることが出来た。但し、顧客に対する追加証拠金の支払い能力は当初から期待されず、追証が発生する水準、あるいは損が証拠金を上回った時点で取引は終了だった。したがって1%の証拠金では株が1%下がると問答無用でバーストつまり取引終了となったのである。これは言い換えればオプションを販売しているようなものだった。現代のオプション取引との違いはコールにせよプットにせよ「売り」が無かったということだ。顧客の損は賭け金に限定されていたのである。

3.口座開設が簡単。
店とお客の間に信用取引による貸し借りが発生しない、特に店が顧客に与信することはないので顧客が別にどこの誰だろうと構わない。宝くじを一枚買うようなものである。住所は聞く必要もない。証拠金取引をしているから一見店がお客に資金を貸しているようにも見えるが、「呑み屋」は市場に繋ぐわけではないので現実のお金は動かない。顧客はオプションを買っているだけなのである。

4.約定が早い
何しろ市場に注文を出さないのだから、その時の時価で売り買いさせてくれる。ビッドもオファーも関係がない。

5.手数料が安い。
市場に出さないから各種コストがかからない。闇の分だけ見た目の手数料を安くして顧客にアピールすることができる。

ジェシー・リバモアはここで勝ちすぎたために最後は店から出入り禁止にされてしまう。勝ちすぎる奴は出入り禁止になるのである。何故ならそれはカジノだからだ。

「おい、おれの上司はな、おれみたいに我慢強くはないんだ。もう2度とこの店にはこないでくれ」


続く

2011年7月24日日曜日

合百とバケツ・ショップ

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明治の41年というから西暦では1908年。秋も深まり出し鎧橋たもとの紅葉も染まり始めていた。
東京株式市場も日露戦争後のバブルが破綻し、それに少し先立ってニューヨーク市場も大暴落していた頃の話である。


日本橋兜町は商いも薄く、街も人の出が少なくすっかり閑散としていた。当時は市場が活況になると関東煮や焼き鳥などの屋台が取引所横の道に出店し、まるでお祭り気分だったのでこうなるとなおさら寂しさが街を覆うのだった。


そんな折一人の老相場師が手代を一人連れて蛎殻町の株式仲買人の店を回っていた。
この老人は昔、この界隈ではでそこそこに幅を利かしたこともあったが、大物相場師というわけでもない。最近はこまめに仲買人の店を訪ねては頼まれもしない歩合外交員のようなことをして、知り合いの注文を仲買店に取り次ぎ細々と食いつないでいたのだった。しかしそれもこうも市場が閑散では日々の暮らし向きも悪くなるばかりである。


この当時の仲買人の店構えはまだ木造の商家造りで入り口には土間があり、そこに机と電話、お客用の椅子がおかれ、小上がりには番頭が構え奥は畳敷きで座敷もあった。日露戦争以前は主人も奉公人もこの店に住見暮らし昔ながらの職住一致であったが、路面電車が営業を始めたこの頃には主人は住居用に別の家を構え、店には通勤するようになっていた。そんな店にこの食い詰めそうな爺さんが入ってきたのであった。


「はいはい、すみませんよ、私本日から一枚屋の店を開店することになりまして、開店祝いのご祝儀に注文を集めて回っているところでございます。10枚で10円。いやいや1枚からでも受けてたちますよ」
「おい爺さん、一枚1円もいいけれど、その一枚屋ってのは一体全体どういう商売だい?」
爺さんいかに顔馴染みとはいえ、1円というのは決して小銭ではない。いかに仲買人の金回りが良いからと言っても、何かわけのわからないものを買ってくれといわれてもハイそうですかとはいかない。
「こりゃ、大変失礼しました。ポンキでございます」
「ポンキ?」
店主は米穀取引所のある蛎殻町で丁稚の時から働いていた。ポンキが懐かしい言葉だったから素っ頓狂に声を張り上げた。昔から米相場のあるところには必ずついてまわるのが、合百、両算、ポンキといった裏相場だった。

合百には様々なパターンがあり単純に市場の値段を使って売り買いをあわせるものもあれば、相場の末尾の数字を当てる殆どルーレットみたいな純粋な博打物もあった。両算は一定期間後の上か下かを当てる単純な丁半博打のようなものだった。そこへいくとポンキは少し変わっていた。現代風に言えば「買い」はブル・スプレッド、「売り」はベア・スプレッドに該当する。


120円の株があるとする。爺さんから10枚10円で買うと、先ず爺さんが2円を手数料として抜く。
買い手から見ると株が2円上昇して122円からイン・ザ・マネー(利益が出始める)になる。もし順調に株価が上がって132円を抜いても利益は10円がマックスである。一方で株価が全く動かなければ手数料の2円を引いた8円が戻ってくるし、株価112円までは価格に応じて何がしか戻ってくる。そしてもし112円以下に株価沈んで利益がゼロ以下になっても爺さんに支払った10円以上に損をすることはない。


「さあさ、ご主人や番頭さんは10枚はつきあってくださいよ。丁稚の方は1枚からでも結構でござんすよ」
店のものがこの爺さんの突飛な提案の勢いに圧倒されている中、爺さんはさすがに手馴れたものでものの二、三分もすると店に来ていたお客も含めてそこそこの注文を集めてしまった。
あつめた金は首から下げた大きめのがま口に放りこんで、後ろに控えていた手代がどこそこの誰が一二〇円で何枚と大福帳みたいなものに順次記帳していく。銘柄は取引所の株式である東株である。ここでは受け渡し証も何もあったものではない。爺さんの怪しげな信用一本であった。


「ではどうも、ありがとうございました。どちら様も御免なすって、御免なすって」
「おい、爺さん、御免なすってじゃないでしょう。あんた今、新規開店って言ってたけど店はどこにあるんだい?」


「こりゃ大変失礼しました。大事なことをすっかり忘れておりました。坂本町公園の手前にミルクホールがありますが、ご存知ですよね。私の連れておりますこの男、私どもの番頭でございますが、この男がミルクホールの隅のテーブルにいつも座っていますので、何かございましたらいつでもどうぞお声がけをお願いします」


まあこれでは体のいい詐欺みたいなものだが、爺さんの長い間の信用で大目に見てもらってるようなものだったのだろう。まだまだ兜町(しま)もおおらかな時代だった。これは現代風に言えば刑法第185条の賭博罪「偶然の勝負に関し、財物を賭ける罪。50万円以下の罰金または科料に処せられる」で爺さんはお縄頂戴といったところだろう。


この取引の客からみた損益をグラフ化すると下図のようになる。
爺さんとしてはこれをオプションで複製してやればいいことになる。もちろんオプション市場があればの話であるが。オプションの期間は爺さんの番頭がミルクホールに10日もいるとは思えないし、兜・蛎殻町の人間がそれほど気長だとも思えない。勝負は10日がせいぜいだろう、期間10日ボラティリティを仮に30%、現値120円とおくと、
112円のコールは8.4円になる。これは爺さん買うとして、132円のコールはたったの7銭しか値打ちが無いから売る意味が無いだろう。したがってコール・オプションの売り買いの組み合わせであるブル・スプレッド戦略にする意味が無いのでここは単なるコール・ポジションを取ることになる。これはあくまで理論値での話である。 


爺さんとしては10円マイナス8.4円=1.6円のスプレッドの儲けになる。
すると爺さんのペイアウトは以下のようになる。東株が132円を越えて上昇してくれれば丸儲けになるのだ。
しかし残念ながらこの時代にオプションは無い。正確に言えばオプション・プライシング理論は未だ無い。さらに正確にいうならばこの取引の8年ほど前にパリ大学でパシェリエがポアンカレに提出した博士論文「投機の理論」においてオプション・プライシングは言及されていたのだが、この論文の価値を認めてもらえるようになるまでは後70年も待たなければならなかった。パリのパシェリエの本棚にはあったが、ポアンカレ以外誰も知らなかった。ましてや値打ちのあるものだとは思われていなかったのだ。


この取引の状況を敢えて言えならば爺さんがリスクを背負いオプションをマーケット・メークしていたことになる。爺さんにすれば自分をヘッジするためには「買い」の注文に対してとにかく反対の売買である「売り」の注文を集めることだっただろう。客の「売り」の場合は108円で客の10円の儲け20円戻し、128円で掛金はゼロになる。


売りと買いが同枚数の場合の爺さんのペイアウトとP/Lをグラフにすると以下のようになる。
と、まあ爺さんは結構難しいことをやっていたわけだ。ミルクホールのテーブルの上で。


この後この爺さんがどうなったのか、残念ながら「兜町盛衰記」は何も伝えていない。しかし彼は根っからの兜町(しま)の人間である。多分、相場に熱くなって強気か弱気かはわからないが客と同方向にかけてどこかで破綻してしまったに違いない。それに蛎殻町は賭場を仕切る佃政親分の縄張りでもあった、爺さんのポンキ屋も見方を変えればミルクホールで開帳しているに過ぎない。もぐりの博打をいつまでも大目には見てはくれなかったかもしれない。腕の一本もへし折られて地方へでも流れていったのだろうか。此頃の兜町の記録を見ていると証拠金を支払わずにトンづらを決めて仲買店に多少の迷惑をかけても、しばらく経って戻ってきて、挨拶さえしっかりしていれば許される気風もあったようである。

因みにこの当時の高等小学校校長の月給が40円。衆議院議員が180円。日銀総裁が500円。一口10円は決して小さい金額ではなかった。


続く