2011年5月31日火曜日

黄昏の詩人




黄昏の詩人―堀口大学とその父のこと工藤美代子 マガジンハウスを読みました。ここでいう詩人堀口大學の父とは明治の外交官堀口九萬一のことです。

この本を読むきっかけは以前読んだ日本海海戦から100年―アルゼンチン海軍観戦武官の証言マヌエル・ドメック・ガルシアを読み直したことにありました。

マヌエル・ドメック・ガルシアはアルゼンチン海軍の提督で後に海軍大臣にまでなりますが、日露戦争当時は装甲巡洋戦艦「日進」に観戦武官として乗り込んでいます。その時の記録が上記の本になっています。以前エントリーしておきましたが「日進」は「春日」とともに日露戦争直前にアルゼンチン海軍から購入した艦で、ガルシア大佐(当時)はこの船の工務監督も勤めていました。

このガルシアの本のプロローグでは日本アルゼンチン協会の野村氏が筆をとっていらっしゃって、そこにアルゼンチン側から見た「日進」売却時のエピソードが書かれています。そしてその中に当時ブラジル公使でアルゼンチンに軍艦購入交渉に赴いた堀口九萬一のことが書かれていました。

越後長岡藩と言えば「米百俵」の逸話や河井継之助を描いた司馬遼太郎の「峠」など数多くの書籍が発刊されていますが、堀口九萬一はこの長岡藩の足軽の息子、父は長岡城攻防戦で戦死しています。母一人子一人、賊軍母子家庭の困窮する生活の中で母は息子にかけ九萬一はその期待にこたえ、苦学の末東京帝大法科の前進である司法省法学校に学科1番で入学します。そして卒業後は日本で初めての外交官試験に合格します。合格者は3名だったそうです。

当時のエリート中のエリートでしょうから、私なんかはもっと良い縁談もあったのでは無いかと考えてしまうのですが、九萬一は昔から気にかけていた越後の友人の妹をあっさりと嫁に貰い、後の詩人堀口大學が生まれることになります。 明治は未だ「薩長」や「華族」など出自も縁故も出世に影響したでしょうからガリガリの立身出世タイプの人間ならばこの結婚は無かったと思うのですが、九萬一のその後の生き方を見ていると彼の人間性とともにそれもなんとなく理解できるのです。

大學の母、つまり最初の奥方が亡くなると九萬一は当時の赴任先のベルギー人であるスチナを後妻にもらいます。ここから彼は外人である奥さんを気遣って本省勤務を避け生涯外地勤務を続けることになります。華々しい列強国での勤務はありませんでした。

あんまり書いてしまうと読む楽しみが無くなってしまいそうですからこの辺りにしておきますが、この本は堀口大學よりも明らかに九萬一の記述の方が多いのです。これは作者も認めていますが、大學を記述しようとするとこうなってしまうのでしょう。私は詩歌には疎いのでその方面の評価は出来ませんが、明治人のひとつの生き方、この本の読後の爽快感は最近読んだ本の中では突出していました。

0 件のコメント: