2011年6月26日日曜日

コインの発明

バルカン半島からエーゲ海を挟んだ現在のトルコ側にリディア王国という国があり、そこでは紀元前7世紀頃にエレクトロン・コインが作られました。ギリシャ文明の時代の話です。同時期に中国で青銅のコインが開発されていますが、西洋社会ではリディアが世界で初めてコインを作ったことになっています。

 左の写真[1]はリディアのエレクトロン・コイン、3分の1スタテルです。スタテルはメソポタミアの単位シッケルとほぼ同じ8.5グラムで重さを表しました。リデュアでは17グラム程度の大型からその96分の1の小型まで各種のコインが製造されていました。残存しているコインの大半が小型であることから、少額の売買にも使われていたことも推測されていますが、額面が無いので重量で取引されていたのかもしれません。

またコインの裏の形状からは素材を金型にあて裏側からハンマーで打ち出した単純なものであることがわかります。これらは発行者が国なのか個人なのか明確ではありませんし、地中海各地に分散されているわけでもありませんから、あるいは奉納物のようなものだったのかもしれません。

エレクトロンとはリディアで採取できた金と銀との自然合金であり、大きさや重さは統一されていたものの、金銀比重がまちまちだったために早々と姿を消すことになりました。大事なことはこのコイン以降ギリシャを中心とする地中海地方の都市国家では銀を素材とするコインが普及していったことでしょう。銀はメソポタミアでも見たように、秤量貨幣として広く使われた素材で、地中海地方でも地金のまま交易に使用されていました。
 
では何故都市国家達はコインを作ったのでしょうか。アリストテレスは取引においていちいち計量をするわずらわしさがないからであると言っています。解り易い解説です。また輸出品として売れたからであるとの指摘もあります。しかし国家がわざわざ独占して銀貨を発行する目的はコインへの権威付けによる収入が目的だったと考えるのが妥当でしょう。いわゆるシニョリッジ(通貨発行益)です。

 銀貨は同じ重量の銀地銀よりも価値あるものでなければならなかったのです。その為に国家は法制を整え独占に対する挑戦であるコインの偽造には厳しく取締をしました。兵士や公務員の給与はコインで支払われ、税はコインで受け取りました。コインのギリシャ語の「ノミスマ」は法律を意味する「ノモス」と同じ語源です。国家が権威を維持している間は国家の発行する銀貨は銀地銀以上の価値を保てたのでしょう。この問題はすでに貴金属を本位としなくなった現代にも綿々と続く新しい問題でもあるのです。

BC5世紀のアテナイの石に刻まれた国家資産の会計簿には既に銀地金に較べてコインが主流をなしていたことが確認されています[2]。こうして各都市国家間で異なったコインが製造され流通をし始めると交易のために両替商が登場し始めます。ギリシャ文明の中心地アテナイでは質屋と両替商を組み合わせたような初期の銀行に近い形態のビジネスが発生しました。彼らは預金も受け入れましたが、それはセーフ・キーピングが主な目的であって利息は支払われませんでした。

アテナイの両替商はアゴラ(市場)に机を出しビジネスをしていましたが、現代ギリシャ語の「トラベザ:trapezaは「テーブル」と「銀行」の2つの意味を持っています。つまり取引のための装置である机そのものを銀行と呼ぶことになったわけですが、実は世界の金融史の中にはこれとよく似た話があります。エドウィン・グリーンが1989年に書いた「銀行の歴史[3]」では銀行業の起源を中世イタリアのロンバルディア地方においています。そしてこのように説明しています。

「銀行業(banking)という用語は、この事業の起源に関して若干の手がかりを与えてくれる。近代の銀行(bank)という用語は、中世イタリアの市場で用いられた商人の取引台(bench)すなわちイタリア語のbancoに由来する」

付け加えておくならば破産(bankruptcy)は取引台を破壊して2度と取引ができなくなることを語源的に意味しています。また我が日本語の「銀行」は清国の「洋行」から来ています。「洋(ヤン)」=「外国」、「行(ハン)」=「店」で清国では外国人の経営する貿易商社の意味でしたが、明治政府がbankに対して日本語をあてがう上で「両替屋」ではまずかろうと銀の店としたのがその由来です。当時の清国では「銀行」は既に使用されていましたが、明治政府では当初「金行」にしようと言うアイデアもあったようです。もしこちらを採用していれば発音がしにくかったことでしょうし「ニチギン」が「ニチキン」になっていたのかもしれません。

話が随分と横道に入りましたがアテナイに戻りましょう。
貨幣を使用する文化が浸透すると、経済活動が活発化し消費への誘惑が増すのか、あるいは借金がしやすくなるのでしょうか、ローンが増えていきます。ギリシャの都市国家ポリスでは王権は小さく貴族が力を持っていました。従ってローンの貸し手は神殿や王ではなく、貴族が担い民間同士の貸借が発展しました。そして貴族は財力を持って富の集積を計ります。「金利の歴史」を書いたホーマーによるとギリシャ時代の金利情報はこの後のローマ時代よりも豊富なのだそうです。

メソポタミアでもそうであったように、個人ローンの担保は不動産でした。ギリシャでは粘土が少ないのでタブレット文化が浸透せず、契約書の代わりに担保の対象である土地に「ホロイ(horoi)」という石碑をおいていきました。これは境界線という意味ですから、現代日本の土地境界石や杭と同じようなものかもしれませんが、ギリシャではこの石に詳細に借金の説明が掘られていました。曰く何故借金したのか、誰にいつまでに、いくら返さなくてはならないのか等々です。ローンの期限は大体1年から5年が中心だったようですから、いちいち石に掘り込むのも面倒な話だったとは思いますが、貴族にすればそのまま自分の領地の境界線になったのだと考えられます。

一方で貧民の間では不動産を失い、借金の担保に家族や債務者自身がなることも多く、債務不履行による家族ぐるみの奴隷化が進みました。アテナイでは人口の3分の1が奴隷であったようです。

山川出版の高校の教科書「詳説世界史」を詳しくした「詳説世界史研究」ではリデュアに発した貨幣経済の浸透により経済活動が活発化し、こうした経済の発展から取り残された下層市民が貴族によって土地を失い借財に苦しむようになって、BC594年にアテナイ(アテネ)のソロンによってこうした人々(ヘクテモロイ)を救うために借財契約の無効化を伴う徳政令が出されたという文脈[4]になっています。

一方で大英博物館による「お金の歴史全書」ではアテナイのコイン導入はその残存記録の頻度の関係からソロンの改革以降であるとされています[5]。これはこうした話をまとめる時に一番悩ましい問題ですが、私としては多分どちらも正しいのではないかと思います。コインの流通量の問題ではないかと思うのです。いずれにせよこのソロンの改革は記録された最初の「徳政令」であって金融史的には大きなイベントだと思います。

これまでの借財の帳消し、身体を抵当に入れることの禁止。4分の1のデノミ。因みにメソポタミアで見られた金利の上限設定はありませんでした。雑学になりますがソロンはこの時に奴隷の女性をアテナイで買取り、始めての公的売春を制度化したことでも知られています。問題化した奴隷とは元市民であって、本来の奴隷は別に存在していたことには注意が必要でしょう。

アテナイはこうした調子なのですが、ギリシャにおける一方の雄であるスパルタでは贅沢や娯楽は禁止され、貧富の差が生じないように国内での貨幣の使用は一切禁じられていました。当時流通し始めた貨幣が硬派の彼らにどのような目でみられていたか興味深いところです。従ってアテナイにはあった兵士に対する給与の支払いも無くスパルタの兵士は自弁であったそうです。何となく強そうな感じがしますね。

記録によるとBC6~7世紀のギリシャの平均的な貸出金利は10~12%程度でした。原材料の金や銀の増加によって金利は次第に低下傾向を見せます。もちろんこれは通常のローンであって農民の土地を狙った悪質なShark-Loan(高利貸)達は全く別の金利体系を持っていたようで、これは現代社会と同じことです。

BC483年にはアテナイ近郊でラウリウム銀山が発見され銀の供給が増加します。ヘレニズムの時代のBC300年紀前半にはマケドニアのフィリッポスⅡ世がペルシャと戦いトラキアの銀鉱山を押収し、その息子のアレキサンダー大王が遠征先から大量の貴金属を略奪によってギリシャ世界に持ち帰るとこれらの貴金属が貨幣に鋳直されました。

裕福なペルシャ王から略奪した金額は18万タラントと評価されそのすべてが地中海から集められた兵士達に分配されたそうです。このため地中海地方での通貨量が増え、物価はあがりましたが、金利は下がるという現象がおきました。近代経済学ではインフレショーンは金利高を招くはずなのですが、通貨がだぶついてしまったのでしょうか。金利はBC3世紀頃から低下を始めBC2世紀には6~9%程度に下落しています[6]。そしてこの略奪によって得られマケドニア、ロードス島、アンティオキア、セレウキア、アレキサンドリアなど地中海地方に放出された金銀はBC197年にアテナイを占領するローマに引き継がれていきました。ローマ帝国繁栄の資金源になったと推察されます。

因みに1タラントは通貨の単位で銀26キロに相当し労働者の数十年分の賃金と言われています。そして想像がついた読者もいるかもしれませんが、この言葉は才能、能力を意味する英語のtalentとなり、現在のテレビに出演する「タレント」の語源となっています。もっともタレントはアーチストと自らの呼び名を変えつつあるようですが。




[1] Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com
[2] 「お金の歴史全書」p42
[3] 「図説 銀行の歴史」エドウィン・グリーン 原書房 1994年
[4] p36,p37
[5] P42
[6] Sidney Homer and Richard Sylla  p42

2 件のコメント:

neko さんのコメント...

こんにちは、毎日読んで参考にさせていただいてます。今日こちらを訪れましたところ招待された閲覧者のみがアクセス可能とメッセージが出てきました。閲覧したいのはPorcoの格納庫です。是非読者の一人に加えてください。ありがとうございます。

Porco さんのコメント...

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