2011年7月31日日曜日

海江田経産相の答弁中の泣きについて


男が簡単に泣くもんじゃなか!

フーテンの寅さんで和尚役をやっていた笠智衆は映画の中でも泣く演技を断った。彼は「明治の男は泣かない」の信念のもと、大監督である小津安二郎のお願いでも断ったという。そして決して泣かない笠智衆の極度に感情を抑えた演技は日本人の父親の原点とまで言われるようになったのである。僕も男は泣かないものだと思っていた。

安岡正篤の永年のベストセラー論語の活学―人間学講話では「感激を失った民族は衰退する」と説いている。彼は「明治天皇詔勅謹解」の出版に際して、詔勅にかかわる明治の一流人の行動を細かく点検する機会があったが、調べれば調べるほど明治の人間は実によく泣いていたのである。

高橋是清に日露戦争の資金調達を命じる時、桂太郎首相始め当時の政府首脳は皆抱き合って泣いたそうだ。よっぽど無理な戦争だったのだろう。また高橋は自身の「高橋是清自伝」には書かなかったが、同行した深井英五によると出発間際の日銀の壮行会において、やはり感激症の井上馨が挨拶の途中で泣き出したそうである。その際出席の大蔵日銀関係者も皆つられて泣いたそうだ。NHKでお馴染みの正岡子規といい明治の男はもう皆泣きまくっていたのである。

1980年に大ヒットした東映映画「二百三高地」では、仲代達矢演じる乃木大将が満州から凱旋後明治天皇にご報告するシーンがあるのだが、ここでは仲代達矢がヨヨと泣き崩れてしまう。本当は乃木は泣かずに淡々とご報告し明治天皇は冷たい顔でそれを聞いたそうだが、時の東映岡田社長は「お前、最後の最後にそれじゃあ、客入らへんぞ。報告する乃木も報告を聞く明治天皇も皇后も滂沱(ぼうだ:涙がとめどもなく流れ出るさま)と盛大に泣かしてくれや」と脚本を変えさせたそうなのだ。泣かない明治人もいたのである。そう言えば笠智衆も東宝映画「日本海大海戦」では乃木大将役をやっていて、僕のイメージの乃木大将は笠智衆である。

銀メダルの北島康介の試合後のインタビューは半泣きだった。彼の強固な目標への意志と決死の覚悟が彼を泣かせた。彼の泣きたいくらいの悔しさが伝わってきた。ネガティブなものなんかじゃない。一方で「なでしこ」は泣かなかった。彼女達は世界一になっても未だ途上であるとの自覚があるからだろう。少なくとも日本語の「女々しい」はそろそろ返上しなくてはいけない。

前置きが長くなったが、大臣が泣いたからと言って「情緒不安定、閣僚不適格」と決め付けるのは早計である。崩壊寸前の現内閣において次から次へとくる難問に正面から対処しているのは海江田氏だけだ。大臣の椅子を捨てるのは簡単である。しかし彼がここで職務を放棄することは彼の責任感においてできないのだろう。代わりに誰がやるのか。時間をかけて総選挙をして質問者である野党議員がやるというのか。彼は今空白を作ることは無責任であると信念を持っているに違いない。しかも多くの問題は自民長期政権由来のものばかりだ。

僕は海江田氏が今回の涙で「おとこ」を下げたとは考えてはいないのである。真摯であるからこそ泣いたと解釈するものである。

フーテンの寅さんついでに言っておくと、民主党安住淳国会対策委員長が被災地自治体の長に投げつけた「自分たちは立派なことを言うが、泥はかぶらない」と言う発言は寅さんならこういうだろう。

「それを言っちゃあオシマイよ」

それに、財源も決めないで、自分だって泥なんかちっとも被ちゃいない。

2011年7月30日土曜日

累積財政赤字はポピュリズムのバロメーターである

累積財政赤字はその国のポピュリズムのバロメーターである。

政治家は有権者に人気の無い徴税を曖昧にし、お金も無いのに選挙の票欲しさに予算をバラまいてきたのだからこの表現は正しい。

「日本の課題は明白である。世界の趨勢がグローバル化に進み、『国々が競争する状況』のなかにあって、内向き指向に傾斜している。政治面ではポピュリズムに終始し、その結果、財政構造の硬直化、赤字幅の拡大、巨額な累積債務に苦しむ国となってしまったにもかかわらず、財政再建の道筋はまったく示されていない。財政再建に取り組むほか、安全保障、優位な外交展開、資源・エネルギー開発、科学技術、教育、ベンチャービジネスなど官民をあげて世界に立ち向かう成長戦略の策定と実行が課題であろう」(ハーバードの「世界を動かす授業」 ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方」 リチャード・ヴィート/仲條亮子)

これは昨年紹介したハーバード大のビジネス・リーダー向け講義資料の中の日本の政治状況の分析である。

その後この巨額な累積債務に苦しむ国は、津波を伴う巨大地震、さらに原子力発電所事故による放射能災害によって財政の状況は一段と悪化している。

巨額債務はもちろん現政権の民主党だけの責任では無い。長く政権にあった自民党もそうだし、橋本政権で中枢側近く仕えたリーダーが率いるみんなの党だって責任を逃れるものでは無いだろう。「橋本政権時代から日本の債務は返済不能で日本国債は売られるといわれ続けていたが、借金が倍になった今でも何もおこらないじゃないか。まだまだ増やしても大丈夫」というブログ(注1)は見るに忍びない。いつから「責任感を持たない」ということが、この国の政治家の資質に必要な要件になったのだろうか。

しかしここで東の果ての島国の打ちひしがれた住民にとって少しだけGood Newsがある。オウン・ゴールを繰り返しているのは日本の政治家だけでは無かったのだ。我々だけがアホウで無責任なわけでは無かったのである。累積財政赤字がその国のポピュリズムのバロメーターであるならば、ポピュリズムは何も日本だけの専売特許では無いことも証明されたからだ。お仲間がたくさんいたのである。それはユーロの破綻に瀕する国々、そしてアメリカ合衆国だ。

アメリカは今、自分自身で設定した累積債務への安全装置であるデット・シーリングに悩まされている。皮肉なことにこれがとっても危険な安全装置になってしまったのである。しかし議会運営の方法論は別としてもアメリカの2大政党にはわかりやすい明確な主義の違いがある。民主党は社会保険を充実させ国が国民の面倒を見ようじゃないかという「大きな政府」を目指し、共和党はアメリカ人は自立すべきであると、「小さな政府」を標榜しているのである。国がどこまで国民生活に関与すべきかという分り易い「違い」があるのだ。



昨日日本政府は13兆円の復興基本方針を決定した。しかし、これが何と支出は決めたが財源を決められなかったのである。埋蔵金を掘れとかいう意見もあったそうだ。ここには本当に「責任感(というもの)」はあるのだろうか。

こうした行動を取る理由ははっきりしている。近くに迫っている民主党代表選への悪影響を懸念して「臨時増税」の文言を廃して、「時限的な税制処置」と入れ替えたのである。しかし「増税」以外による財源確保の規模について、民主党部会では詰めた議論はしていないらしい。こうしてまたもや、選挙民の嫌がる「増税」をせずに選挙民の喜ぶ(今回は必要に迫られている)「支出」をするという、相変わらずの伝統芸に回帰したのだった。議員達がめいめいにボールを自陣のゴールに蹴り入れているのだ。

次回の国政選挙では与謝野氏以外は誰も、どの党も「増税」を主張しないかもしれない。あるいは主張した候補者は議員になれないだろうと思う。一方で常にその際の言い訳となる「無駄を排する」は聞かされて随分経つが、もしまだ無駄や埋蔵金があるのならば、それは今まで約束を守れなかった証拠でもあるのだ。

こうして我々の借金はさらに積み上げられ、『国々が競争する状況』のなかにあって、「なでしこ」よろしく、ブッチギリで1位のテープを切るのだろうか(である)。



2011年7月29日金曜日

伊良部秀輝投手 安らかに


元ヤンキースの伊良部投手が死去 ブルンバーグ

1995年は阪神大震災の年である。また同時に「がんばろうKOBE」を胸に、オリックス・ブルーウェーブが優勝した年でもあった。

ブルーウェーブは前年の94年が2位で、95年は仰木監督、新井打撃コーチ、山田久志ピッチング・コーチの下、攻守バランスのとれた戦力を持っていた。

投手陣では、現楽天コーチの佐藤義則がいた。彼は楽天に移籍する前は日本ハムの投手コーチでダルビッシュが心酔したほどの逸材である。この年は4勝しかしていないが、史上最年長でのノーヒット・ノーランを達成している。長谷川滋利(12勝)はご存知、エンゼルス、マリナーズと後に大リーグで成功を収める。星野伸之(11勝)は代表的軟投派で、最速ストレートはせいぜい135kmだったが勝負強い投手だった。また阪神から移籍した野田浩司(10勝)は208奪三振の速球派。現在も中日で投げている平井正史はこの年がデビューで150キロ台のストレートで15勝3敗27セーブ、勝率は.887と驚異的な記録を残し新人王を取った。

打順は仰木マジックの猫の目打線で1番のイチロー以外は日替わりだった。現在オリックス・バッファーローズでプレーする田口は2番か3番を打っていた。ファィターズでコーチ兼任捕手の中島はたまに4番も打ったりする強打者で、イチローと一緒に出場したオールスターのスピード・ガン・コンテストでは2人とも150キロを出していた強肩だった。96年に仰木監督はオールスターでイチローを投手として投げさせセ・リーグの野村監督と一悶着を起こしたのだった。

後は藤井、本西、小川、馬場と攻守に渋い選手が揃い、強打者の高橋智、外人はDJとニールがいた。そして忘れてはならないのは現バッファローズ監督の岡田である。阪神の岡田と言ったほうが通りは良いだろう。岡田はこの年を最後に現役選手を引退しブルーウェーブの2軍監督になる。

そして実はこの年に強かったのはオリックスだけでは無かった、新任のバレンタイン監督のもと千葉ロッテ・マリーンズも大躍進した年でもあったのだ。ロッテも本当に見違える程強かった。

その中でも特に輝いていたのは伊良部秀輝である。伊良部は94年にも15勝をしたが、マリーンズは5位だった。面白くなさそうな顔をしていたものだ。彼はいつか優勝を争うような強いチームで投げたいと思っていたのだ。そしてその夢はボビーの登場によって叶うことになった。

バレンタインを迎えた95年のロッテはオリックスの独走を許さない2位につけ、脅威であり続けたのである。この年の対戦成績はロッテの勝ち越しだった。

8月3日のマリーン・スタジアムのロッテ対オリックス戦。この時の3連戦の前売りチケットはすべて売り切れていた。今ではよくあるこの情景も当時のパ・リーグではあり得ないことだった。長年のパ・リーグファンはそれだけで目が潤んでしまった時代の話である。

伊良部と言えば対清原とかいう人もいるが、僕にとっては間違いなく、この日の伊良部対イチローなのである。

僕はネット裏の二階席でこの試合を観ていた。キャッチャーの背中を見下ろす位置だ。
伊良部はイチローに対してボールを3つ投げた後、球場のスピード・ガンでは153,154キロのストレートで2ストライクを取った。これはものすごく速く見えたのだ。そしてファールをひとつ挟んで最後は145キロのストレートでイチローを三振に取ってしまった。本当にシビれるとはこの事だった。ネット裏から見ていた僕にはこの最後の球はストレートにしか見えなかったのだ。145キロのストレートだって充分に早い。ところが家に帰ってスポーツ・ニュースを見ると、なんと最後の球はフォーク・ボールだっていうじゃないか。あんなに早いフォークは後にも先にも見たことが無い。家でもう一度シビれることになったのだった。

同じように思った人がいてyou-tubeに残してくれている。



伊良部のこの充実感溢れるうれしそうな顔はどうだろう。悪役なんかじゃないんだよ。

そしてシーズンも押し迫った9月15日からの3連戦、ブルーウェーブはマジック1で千葉ロッテ・マリーンズを神戸グリーン・スタジアムに迎えたのである。ひとつ勝てば優勝だ。外野から内野席を繋ぐ階段まで立ち見客で埋まった神戸グリーン・スタジアム。TVは3試合とも全国ネットだった。

第1戦は伊良部がまさに仁王立ち、8回3安打、1-0でロッテが勝った。一球一球の緊張感がたまらない試合だった。

僕は試合後の伊良部のインタビューを今でもはっきりと憶えている。

彼はもろもろのお決まりのヒーロー・インタビューの最後に「今のロッテはとてつもなく強い」と雄叫びをあげたのだ。実に誇らしげな顔だった。

第2戦は小宮山の好投、初芝の超ファィンプレーで3-1ロッテの勝ち。ロッテはこれで10年ぶりのAクラスを確定したのだった。去年までは本当に弱いお荷物球団だった。ロッテには今でもボビー信者が多いが、これははあたりまえなのだ。

第3戦は、試合前から異常な興奮に包まれていた。仰木マジックは2軍から上げたばかりの岡田彰布を阪神での優勝経験を買って8番ファーストで先発起用。この年初めての先発である。球場は大歓声で岡田を迎えた。岡田は横っ飛びでゴロを抑えるファィン・プレーも見せたし、ライトフェンスギリギリのライナーを放ったが、結局ブルーウェーブはロッテに負けてしまった。優勝は神戸で決められずライオンズ戦にまで持ち越しになってしまったのである。

「今のロッテはとてつもなく強い」
伊良部にとっては選手生活で最高の年だったのではないだろうか。
彼は間違いなく最高の投手の一人でした。

米国債務上限問題


世の中には「お約束」といわれるものがある。

ダチョウ倶楽部には「どうぞどうぞ」という厳しい芸に導く「お約束」があるし、水戸黄門ではしばし悪役を懲らしめたところで、やにわに「三つ葉葵の御紋所」を出す段取りになっている。これが無ければ助さん格さんは果てしない殺戮を繰り返すことになってしまうだろう。

米国債務上限交渉にもこの「お約束」があったはずだった。2012年の選挙を睨み、それまでにもう一度債務上限を問題化しオバマ政権にダメージを与えたい共和党(低い上限)と、できれば選挙前にはこの問題を再び持ち出したくは無いオバマ政権(高い上限)との間でギリギリのやり取りを通じて、それでも予定調和的に8月2日のデッド・ラインまでには「御紋所」が登場しなければならないはずだった。

しかし現実には昨年の中間選挙で登場した共和党Tea Party(特に新人議員、日本の何とかチルドレン)が想定外に経済音痴で尚且つ頑なために、彼/彼女達は必要以上にアメリカをデフォルトの危機に晒しただけではなく、経済学者、評論家、市場関係者がまさかと思う中、アメリカをもしかしたら本当にデフォルトがあるかもしれないという危険な状況に押しやっているのである。

そしてこうした政治的混迷を受け格付会社ムーディーズは今月14日の時点で債務支払いを1回でも不履行すれば、翌日には直ちに米国債の格付けを引き下げる方針を表明した。これは当たり前だろう。債務不履行をデフォルトと呼ぶのである。 そして昨日のニュースでS&Pは、「仮に議会が合意に至ったとしても4兆ドル規模の抜本的な財政赤字削減策が講じられない限り、米国債の格付けを90日以内に格下げする可能性が少なくとも50%ある」との見解を示した。それはそのはずで4兆ドル以下の合意であれば債務削減がすすむはずもなく、早晩同じ問題で再びアメリカは揉めることになるからである。

政府の支払いエージェントであるFRBはデフォルトの際の具体策(マニュアル)を、混乱を助長する恐れがあるとして、出し渋っていたが、29日には関係金融機関に対して示す運びになった。
金融機関の知りたい情報は以下だろうか。この当たりはワッチしておく必要があると思う。(FT参考) 漠然とデフォルトなんかあるわけも無いとイメージして、思考停止していることは危険である。
  • デフォルト後に米国債担保でFRBから資金供給を受けられるのか?
  • 米国債入札で売れ残りが出た場合、FRBはこれを購入するのか。ファイナンスするのか?
  • MMFで取り付け騒ぎが出た場合にFRBは流動性を供給してくれるのか?
  • 同様に預金流出した場合にFRBは流動性を供給してくれるのか?
  • 米国債の価値下落の場合に時価評価しなくても良いのか?自己資本比率や流動性に関する規制はどうなるのか?


一方でISDA(国際スワップデリバティブ協会)はギリシャ救済案を「民間銀行による自発的な救済である」としてデフォルト認定しなかったが、もしアメリカが利払い遅延をしても3日間のグレース・ピリオド(支払い猶予期間)を与えることになっているようである。

さて色々と煮詰まってきたわけであるが、ひとつだけ確かなことは、仮に今回合意に至り目先の危機回避ができたとしても、米国は2012年の選挙まではこうした不安定な状況が続くということだろう。

株式市場は「不安な坂を駆け登る」と昔からいうが、割切って対処することが「お約束」だろうと思う。

2011年7月25日月曜日

合百とバケツ・ショップ 2


バケツ・ショップというのはBucket Shopのことである。
一般的にはバケット・ショップと言った方がとおりが良いだろう。

1870年代から1920年代の終わりの大暴落の頃までアメリカに存在した株の「呑み屋」のことだ。「呑み屋」あるいは「呑む」とは、顧客から株式の注文を受けた際に、市場に取り次がず、自分で後の支払いをすべて引き受けてしまう行為のことだ。競馬の「呑み屋」と同じである。競馬の呑み屋はJRAから馬券を買わないことでJRAの取り分25%を節約することが出来る。その代わりに「呑み屋」が10%もテラ銭を取れば馬券の買い手も配当が多く貰えるという仕組みである。もちろんこれは違法行為なので事業者の多くはその手の方達ということになる。アメリカの株の「呑み屋」も多くはマフィアによって運営されていたようで、とかく金銭の問題が絡み法律の外にあるビジネスは洋の東西を問わずアンダーグランドのビジネスになる。

アメリカは州によって法律が様々であったり、警察による取締も袖の下次第というような時代もあったので、バケット・ショップは結構派手にビジネスを展開していたようである。客から買い注文をもらっても市場には繋がず基本的にバケット・ショップが呑み込んでいた。但しあまりにも注文が一方向に傾き過ぎた時には市場でヘッジもしていたようである。

バケット・ショップは伝説の相場師「ジェシー・リバモア」の伝記に登場することで日本でも相場好きの間では有名である。

こうしたリバモアの伝記ではBucket Shopを「合百」と訳している本もあり、これはなかなか名訳(皮肉ではなく)だと思うが、バケツ・ショップは「合百」とは少々規模が違うビジネスだった。確かにアイリッシュ・バーの片隅で夜な夜なご開帳しているような株を使った博打もあったのだろうが、ここでいうバケット・ショップはその手合いではない。取引所での出来値を伝える当時としては高価なティッカー・マシーンも装備していたし、バケツ・ショップの入り口は普通の証券会社と見分けがつかないほど立派だったそうで、なかには支店網を展開しているものもあった。しかしたいがいはマフィアによって運営されていたようで、要するにカジノと同じだったのである。
ちなみにページ左上にあるPorcobutaと書かれたアイコンはティッカー・マシーンである。これはトーマス・エジソンの発明で、紙テープにピンで文字の形に穴が開けられる。NY取引所で発信されたデータがアメリカ全土に同時に配信されたのである。このマシーンの発明によって遠隔地取引所間でのアービトラージは出来なくなってしまった。

因みに現在でも取引高の少ないことを"Slow Market"と表現するが、これはティッカー・テープの文字を打ち出す速度が遅い状態を指すことからきている。またニューヨーク名物紙吹雪の舞う「ティカー・テープ・パレード」もこのテープを細かく切り刻んだものである。

話が少し横道に逸れてしまったが、バケット・ショップの場合には株式を扱うといっても普通の証券会社とは異なる特徴を持っていた。

1.少ない金額から株式投資(投機)ができる。
2.レバレッジがかけられる。
3.口座開設が必要ないかあるいは簡単である。
4.約定が早い。
5.手数料が安い。

1.少ない金額から株式投資(投機)ができる。
証券会社は近年そのイメージを払拭すべく努力をしているところだが、昔から洋の東西を問わず証券会社は貧乏人には用がない。お金を扱うビジネスだから当然といえば当然である。しかし射幸性の強い株式に対するニーズは何も投資家だけではない。株で一山という人間は昔からひきも切らないのである。バケット・ショップにはそういった小規模な投機家からのニーズがあった。あるいは投機家ではなく博打打ちといってもよいかもしれない。

2.レバレッジがかけられる。
まともな証券会社で信用取引をするにはそれなりの資産やそれこそ信用が必要だった。しかしバケット・ショップでは1%から10%の証拠金で売買をすることが出来た。但し、顧客に対する追加証拠金の支払い能力は当初から期待されず、追証が発生する水準、あるいは損が証拠金を上回った時点で取引は終了だった。したがって1%の証拠金では株が1%下がると問答無用でバーストつまり取引終了となったのである。これは言い換えればオプションを販売しているようなものだった。現代のオプション取引との違いはコールにせよプットにせよ「売り」が無かったということだ。顧客の損は賭け金に限定されていたのである。

3.口座開設が簡単。
店とお客の間に信用取引による貸し借りが発生しない、特に店が顧客に与信することはないので顧客が別にどこの誰だろうと構わない。宝くじを一枚買うようなものである。住所は聞く必要もない。証拠金取引をしているから一見店がお客に資金を貸しているようにも見えるが、「呑み屋」は市場に繋ぐわけではないので現実のお金は動かない。顧客はオプションを買っているだけなのである。

4.約定が早い
何しろ市場に注文を出さないのだから、その時の時価で売り買いさせてくれる。ビッドもオファーも関係がない。

5.手数料が安い。
市場に出さないから各種コストがかからない。闇の分だけ見た目の手数料を安くして顧客にアピールすることができる。

ジェシー・リバモアはここで勝ちすぎたために最後は店から出入り禁止にされてしまう。勝ちすぎる奴は出入り禁止になるのである。何故ならそれはカジノだからだ。

「おい、おれの上司はな、おれみたいに我慢強くはないんだ。もう2度とこの店にはこないでくれ」


続く

2011年7月24日日曜日

合百とバケツ・ショップ

'
明治の41年というから西暦では1908年。秋も深まり出し鎧橋たもとの紅葉も染まり始めていた。
東京株式市場も日露戦争後のバブルが破綻し、それに少し先立ってニューヨーク市場も大暴落していた頃の話である。


日本橋兜町は商いも薄く、街も人の出が少なくすっかり閑散としていた。当時は市場が活況になると関東煮や焼き鳥などの屋台が取引所横の道に出店し、まるでお祭り気分だったのでこうなるとなおさら寂しさが街を覆うのだった。


そんな折一人の老相場師が手代を一人連れて蛎殻町の株式仲買人の店を回っていた。
この老人は昔、この界隈ではでそこそこに幅を利かしたこともあったが、大物相場師というわけでもない。最近はこまめに仲買人の店を訪ねては頼まれもしない歩合外交員のようなことをして、知り合いの注文を仲買店に取り次ぎ細々と食いつないでいたのだった。しかしそれもこうも市場が閑散では日々の暮らし向きも悪くなるばかりである。


この当時の仲買人の店構えはまだ木造の商家造りで入り口には土間があり、そこに机と電話、お客用の椅子がおかれ、小上がりには番頭が構え奥は畳敷きで座敷もあった。日露戦争以前は主人も奉公人もこの店に住見暮らし昔ながらの職住一致であったが、路面電車が営業を始めたこの頃には主人は住居用に別の家を構え、店には通勤するようになっていた。そんな店にこの食い詰めそうな爺さんが入ってきたのであった。


「はいはい、すみませんよ、私本日から一枚屋の店を開店することになりまして、開店祝いのご祝儀に注文を集めて回っているところでございます。10枚で10円。いやいや1枚からでも受けてたちますよ」
「おい爺さん、一枚1円もいいけれど、その一枚屋ってのは一体全体どういう商売だい?」
爺さんいかに顔馴染みとはいえ、1円というのは決して小銭ではない。いかに仲買人の金回りが良いからと言っても、何かわけのわからないものを買ってくれといわれてもハイそうですかとはいかない。
「こりゃ、大変失礼しました。ポンキでございます」
「ポンキ?」
店主は米穀取引所のある蛎殻町で丁稚の時から働いていた。ポンキが懐かしい言葉だったから素っ頓狂に声を張り上げた。昔から米相場のあるところには必ずついてまわるのが、合百、両算、ポンキといった裏相場だった。

合百には様々なパターンがあり単純に市場の値段を使って売り買いをあわせるものもあれば、相場の末尾の数字を当てる殆どルーレットみたいな純粋な博打物もあった。両算は一定期間後の上か下かを当てる単純な丁半博打のようなものだった。そこへいくとポンキは少し変わっていた。現代風に言えば「買い」はブル・スプレッド、「売り」はベア・スプレッドに該当する。


120円の株があるとする。爺さんから10枚10円で買うと、先ず爺さんが2円を手数料として抜く。
買い手から見ると株が2円上昇して122円からイン・ザ・マネー(利益が出始める)になる。もし順調に株価が上がって132円を抜いても利益は10円がマックスである。一方で株価が全く動かなければ手数料の2円を引いた8円が戻ってくるし、株価112円までは価格に応じて何がしか戻ってくる。そしてもし112円以下に株価沈んで利益がゼロ以下になっても爺さんに支払った10円以上に損をすることはない。


「さあさ、ご主人や番頭さんは10枚はつきあってくださいよ。丁稚の方は1枚からでも結構でござんすよ」
店のものがこの爺さんの突飛な提案の勢いに圧倒されている中、爺さんはさすがに手馴れたものでものの二、三分もすると店に来ていたお客も含めてそこそこの注文を集めてしまった。
あつめた金は首から下げた大きめのがま口に放りこんで、後ろに控えていた手代がどこそこの誰が一二〇円で何枚と大福帳みたいなものに順次記帳していく。銘柄は取引所の株式である東株である。ここでは受け渡し証も何もあったものではない。爺さんの怪しげな信用一本であった。


「ではどうも、ありがとうございました。どちら様も御免なすって、御免なすって」
「おい、爺さん、御免なすってじゃないでしょう。あんた今、新規開店って言ってたけど店はどこにあるんだい?」


「こりゃ大変失礼しました。大事なことをすっかり忘れておりました。坂本町公園の手前にミルクホールがありますが、ご存知ですよね。私の連れておりますこの男、私どもの番頭でございますが、この男がミルクホールの隅のテーブルにいつも座っていますので、何かございましたらいつでもどうぞお声がけをお願いします」


まあこれでは体のいい詐欺みたいなものだが、爺さんの長い間の信用で大目に見てもらってるようなものだったのだろう。まだまだ兜町(しま)もおおらかな時代だった。これは現代風に言えば刑法第185条の賭博罪「偶然の勝負に関し、財物を賭ける罪。50万円以下の罰金または科料に処せられる」で爺さんはお縄頂戴といったところだろう。


この取引の客からみた損益をグラフ化すると下図のようになる。
爺さんとしてはこれをオプションで複製してやればいいことになる。もちろんオプション市場があればの話であるが。オプションの期間は爺さんの番頭がミルクホールに10日もいるとは思えないし、兜・蛎殻町の人間がそれほど気長だとも思えない。勝負は10日がせいぜいだろう、期間10日ボラティリティを仮に30%、現値120円とおくと、
112円のコールは8.4円になる。これは爺さん買うとして、132円のコールはたったの7銭しか値打ちが無いから売る意味が無いだろう。したがってコール・オプションの売り買いの組み合わせであるブル・スプレッド戦略にする意味が無いのでここは単なるコール・ポジションを取ることになる。これはあくまで理論値での話である。 


爺さんとしては10円マイナス8.4円=1.6円のスプレッドの儲けになる。
すると爺さんのペイアウトは以下のようになる。東株が132円を越えて上昇してくれれば丸儲けになるのだ。
しかし残念ながらこの時代にオプションは無い。正確に言えばオプション・プライシング理論は未だ無い。さらに正確にいうならばこの取引の8年ほど前にパリ大学でパシェリエがポアンカレに提出した博士論文「投機の理論」においてオプション・プライシングは言及されていたのだが、この論文の価値を認めてもらえるようになるまでは後70年も待たなければならなかった。パリのパシェリエの本棚にはあったが、ポアンカレ以外誰も知らなかった。ましてや値打ちのあるものだとは思われていなかったのだ。


この取引の状況を敢えて言えならば爺さんがリスクを背負いオプションをマーケット・メークしていたことになる。爺さんにすれば自分をヘッジするためには「買い」の注文に対してとにかく反対の売買である「売り」の注文を集めることだっただろう。客の「売り」の場合は108円で客の10円の儲け20円戻し、128円で掛金はゼロになる。


売りと買いが同枚数の場合の爺さんのペイアウトとP/Lをグラフにすると以下のようになる。
と、まあ爺さんは結構難しいことをやっていたわけだ。ミルクホールのテーブルの上で。


この後この爺さんがどうなったのか、残念ながら「兜町盛衰記」は何も伝えていない。しかし彼は根っからの兜町(しま)の人間である。多分、相場に熱くなって強気か弱気かはわからないが客と同方向にかけてどこかで破綻してしまったに違いない。それに蛎殻町は賭場を仕切る佃政親分の縄張りでもあった、爺さんのポンキ屋も見方を変えればミルクホールで開帳しているに過ぎない。もぐりの博打をいつまでも大目には見てはくれなかったかもしれない。腕の一本もへし折られて地方へでも流れていったのだろうか。此頃の兜町の記録を見ていると証拠金を支払わずにトンづらを決めて仲買店に多少の迷惑をかけても、しばらく経って戻ってきて、挨拶さえしっかりしていれば許される気風もあったようである。

因みにこの当時の高等小学校校長の月給が40円。衆議院議員が180円。日銀総裁が500円。一口10円は決して小さい金額ではなかった。


続く

2011年7月15日金曜日

ベリーニ


まだ晩御飯には少し早いかなという時間で、特にどこにも行くあての無い時には決まってお邪魔するショット・バーが銀座にある。このバーは普通のショット・バーとは少し変わっていてカクテルはやらない。その代わりにバック・バーにはかなりマニアックでレアなブランデーや、スコッチ・ウィスキーが揃えてある。

カクテルをやらない理由はリキュール類に人口着色料や保存剤などが混ざっていたりするからで、せっかく時代に耐えた良いスピリッツをそんなものと混ぜてしまうには忍びないからだ。もっとも最近はこうしたリキュール類も随分と変わってきてはいるが。

とにかくマスターのこだわりは半端ではないのだが、ブレンデッド・ウィスキーの古いもの、俗にオールド・ボトルといわれるスコッチには眼がない。

何故古いブレンデッドが良いのか。それは先ず第一に壜詰めをした段階でウィスキーの熟成は止まっているはずなのだが、それでも時を経て年代を感じさせるまろやかな味になること。第二にブレンデッドというのはモルト・ウィスキーを何種類もブレンドしてつくるのであるが、もうすでに閉鎖した蒸溜所や、製造工程を合理化して風味の変わってしまった古いモルト・ウィスキーが混ざっていたりするからだ。本当に味の違いがわかるのかと言われれば僕も少し怪しいのだが、それでも古いラベルを眺めながら、「ああこれはタリスカーがまだフロア・モルティングをやっていた頃の香りだ」とか言いながら飲む。とても奥深いマニアックな世界なのである。

従ってちゃらちゃらとシェーカーなどを振り回し、ピンクやブルーのカクテルを出して女の子から「おいしーい」なんて言われるのは、この店のマスターの美学からは決して許されることではないのである。酒はストイックであるべきだ。そうした理由でこのバーはカクテルをやらない。断じてやらないのである。


その日は夏の暑い盛りだった。冷たいビールも良いが、その日僕はジン・リッキーを注文した。腹が膨らむ感じがあまり好きでは無い。カクテルをやらないそのバーは時間がまだ早かったので他に客は誰もいなかった。

この店はカクテルはやらないが、ジン・トニックやジン・リッキーぐらいであれば作ってくれるのである。そりゃそうだろう。とりあえずはバーなんだから。僕はカクテルで有名な店ではウィスキーの水割りばかり飲むのだが、この店にくると何故だか無性にカクテルが飲みたくなるのである。チューブ(真空管)のマッキントッシュにタンノイのスピーカーの組み合わせからは、エディ・ヒギンスの When you wish upon a starが小さく優しく、まるで北アルプスの標高の高いところにある谷川のせせらぎのようにキラキラと流れ出ていた。


一組のカップルがドアを開けた。外の騒音と熱気がわずかにバーに侵入した。
男はガタイのしっかりしたそれ風の、しかも着ているスーツや身につけているアクセサリーからは、その世界では並ではないであろう大物風の人物だった。ジェルで固めた髪型は怖そうだが優しい目のいい顔をしてた。女のほうは外見に少し疲れの出始める年齢の、僕が思うに多分銀座ではない街のホステスだったろう。痩せ過ぎで、ブランドだが妙にくすんだ中間色の多いあまり品のよくないプリントのワンピースを着ていた。そしてどこか少し不機嫌な様子だったのだ。

2人はいっしょに入り口に近いカウンターに座り、疲れた女はすぐに細身のタバコに火をつけ、男はきっと苦労の末に禁煙に成功したのだろう。女との間にあった灰皿をまるで汚い物にでも触れるように女の方へ押しやった。そしてその並でないそれ風の男はすごく横柄にマスターに注文したのである。マスターにすれば歓迎せざる客だろう。彼の美意識から「XXX関係の方の入店はお断りします」の白いプラスチックのプレートを入り口に貼っておかなかったことを後悔したに違いない。そのプレートに何らかの効果があるのかどうかは別問題として。

「おい、こいつには何か甘いカクテルを、俺には美味いウィスキーを作ってくれ」

男はそう言いながらバック・バーを見渡すと一群のオールド・ボトルに目をやった。

「おっ、デュワースのオールド・ボトルがあるじゃないか、俺にはそれをストレートでくれ。チェーサーもな」

きっぱりとカクテルをお断りしようとしていたマスターの機先を制した格好だった。しかも何か甘いカクテルだとさ。

「カクテルはやりません」

マスターはきっぱりと言ったつもりが、声が少々上ずった。スピーチ馴れしない奴が突然のご指名にうろたえて発する最初の一言みたいな響きだった。包み隠さずに言うならば僕も怖かった。何しろ迫力が違うのだ、この並でないそれ風の男は。僕もイザとなればマスターを見捨てて飛び出すつもりで頭の中で逃走の段取りを整理していたぐらいだ。最初から勝利の可能性がないような戦いなど決してしてはいけない。逃げて生き延びよ。さすれば、また再び戦えるではないか。

足元においていた使い込んだ銀座タニザワのダレスバッグも隣のスツールに持ち上げておいた。もちろんいつでも持ち出せるようにだ。そして僕はえへんと咳をしてマスターの注意をひくと、自分のグラスを指さして声を出さずに口だけを動かして「いくら?」と聞いたのだ。マスターは僕を睨みつけながら、かすれた小さな声で「今は帰しませんヨ」と今までにみたことも無いほどの毅然とした態度で言った。

「おい、銀座のショット・バーでカクテルをやらないなんて聞いたこともないぞ」

バー・カウンターの上においたマスターの指先が小刻みに震えていた。バック・ミュージックがツェッペリンの「Stairway to Heaven」でなくてよかった。

「うちはやらないと言ったらやりません、文句があるならどうぞお引き取り下さい」

善良な一般市民に喧嘩を売ってるのは明らかにマスターの方だ。そうしちゃいけないと思いながら清原にビーン・ボールを投げてしまう経験の足りない投手のようだった。このマスター命がいくらあっても足りないぞと僕は思ったが、並じゃないそれ風の男はやはり並ではなかった。

「そうか。では桃のネクターはあるか?」

「無添加のものが御座います」

「シャンパンのグラス売りはあるのか?」

「御座います。もしよろしければスプマンテも御用意できます」
スプマンテはイタリアの発泡ワインである。とくに辛口は桃との相性が良い。


「じゃカクテルはもういいよ。ここはあんたの店だ。俺はあんたのやり方を尊重するよ。でもな、お願いがあるんだ。ちょっとお手数だがフルート型のシャンパングラスにスプマンテを注ぎ、桃のネクターを少しだけ入れてくれないか」

マスターはまるでにわかにスポット・ライトを当てられたタップ・ダンサーのように普段どおりにきびきびと働きスプマンテの小瓶を開けたが、それでも少しだけ動きがこわばっているのがわかった。グラスの中を4回転ほどゆっくりとマドラーでステアすると、頼まれもしないのにシロップを少しだけ足したのだ。ベリーニ・カクテルのレシピだ。

「ベ。ご注文の品でございます」

ピンク色の綺麗な液体が入ったグラスをバージニア・スリムの白いフィルターを口紅で汚しながら吸っていた疲れたホステスの前に差し出した。マスターはあやうくベリーニと言ってしまうところだったが、何とかギリギリのところで持ちこたえたのだった。何を持ちこたえたかって? カクテルを出さない矜持であり美学だよ。

「おいし~い」

疲れたホステスが一口飲むと彼女の顔にみるみる喜色が浮かんだ。多分今日1日のうちで最高の笑顔なんだろう。可愛いい女じゃないか。

並じゃないそれ風の男のそんな彼女に答えるやさしい笑顔もまた良かった。お酒の力でお客様がこんなに笑顔を見せてくれるのだ。バーマン冥利につきる。バーマンとしてはこれ以上の喜びはあるまい。包み隠さずに言うならば、僕はなんだかこの並ではないそれ風の男と少し疲れの見える銀座じゃないホステス風の女の2人が好きになりそうなぐらいだったのだ。当然のことだがダレス・バックはもう一度足元に戻しておいた。スクランブル体勢は解除されたのだ。

「おい、マスター美味かったぞ。お勘定してくれ」

2人は一杯だけ飲むとあっさりと帰ろうとした。銀座のショット・バーにつきものの、外人客とよく揉め事の種になるカバー・チャージもものともしない。食事の前にバーで喉をすこし濡らしただけ。あるいは禁煙のお寿司屋に入る前に女性に一服させておいたのかもしれない。ハッキリ言ってとても格好のいい飲み方だ。

ところがマスターは何を考えたのか、ろくに計算もせずに人差し指でカウンターを「トン」と叩くと、やはりすこしばかり上ずった声で、

「一万円で御座います」

ときっぱり言ったのだ。(後で聞くと2度と来ないでくれという意味でツイ言ってしまったらしいのだがボッてもせいぜい5000円までだろう)

並じゃないそれ風の男は「安いじゃないか」と皮肉な笑顔で一万円のピン札をカウンターにおくと、さっきまで疲れていた女を優しくエスコートして出て行った。多分耳元で「タバコはそろそろ止めた方がいいぞ、銀座は怖いところだぞ、一万円もボラれちゃうぞ」って小さい声で言っていたのかもしれない。

「また来たらイヤだなあ」というマスターに、僕は「もう多分来ないと思うし、もしまた今度来るようなことがあればそれはとても恐ろしいことだと思うよ」と諭してあげたのだ。

エディ・ヒギンスはちょうど同じアルバムの10曲目、Againを弾いていた。

「でも怖かったですねー」
と言うから
「僕は今となってはあんたのほうがずっと怖いと思うよ」
と諭したのである。

そして僕は口直しにマスターにベリーニを注文した。疲れ気味の不機嫌な女を可愛い女にしてしまうあの魔法のカクテルを飲みたくなったのだ。

「うちはカクテルはやりませんよ」

「じゃカクテルはもういいよ。ここはあんたの店だ。でもね。お願いがあるんだ。スプマンテはあるかな? ちょっとお手数だけど。。。。

You don't know what love is,  by Eddie Higgins

'

2011年7月7日木曜日

九州電力やらせメールに見るモラルハザード


玄海原子力発電所2、3号機の運転再開の是非を問うため6月26日にケーブルテレビで放送した佐賀県民向け説明番組(経済産業省主催)に絡み、九州電力自らが関係会社社員に原発再稼働を支持するように「やらせメール」発信を依頼(指示)していたことが発覚しました。

九州電力社長は企業トップとしての責任は認めているものの関与は否定しています。

東京電力が福島であれほどの原子力災害を起している中で、どうしてこのような営利企業として「危機感のない」行動が取れるのでしょうか?

原子力発電所運営のリスクは一企業のアーム・ストレングスを遥かに上回っていると認識したのではなかったのでしょうか?

民間電力会社経営の観点から、原発運営は取りうる経営リスクを遥かに超えているのでは無かったのでしょうか?

東電の事故では国、株主や債権者、経営者、従業員、電力ユーザー、原発立地の地域住民などのステーク・ホルダー達は手痛い目に会ったはずではありませんか。

この問題は九州電力個別の問題として矮小化すべきではありません。
問題の根源は事故後の東京電力に対する処置にあります。

上記のステーク・ホルダーの中で誰が実際に一番ダメージを受けたかを振り返って見れば、これはあまりにも歴然としています。

事故発生前からの株主は株価下落で痛手を負いましたが、発生後に購入した株主はあたかもプット・オプションがついたかのように守られました。
債券ホルダーも金融システム維持の名のもとに守られました。東京電力は役員人事を見ても、平常時とあまり変わりはありません。従業員も労働組合は維持され生活もある程度保証されるでしょう。

被害者である地域住民とは全く対照的なのです。国は責任を取ったでしょうか。上記の玄海原子力発電所の説明番組の設定はあまりにも安直ではありませんか。

要するに重大な事故を起こしても会社存続に致命的なリスクが無いことを今回の東京電力への処置は明示してしまったのです。最も被害を受けるステーク・ホルダーである地域住民さえ黙らせればそれで済むという事例を作ってしまったのです。

これでは九州電力が原発運営を軽く見ることは「当然」です。自分に火の粉はかかってきても決して燃え上がったりはしない。

これはいまさら説明の必要も無いでしょう。
リスクが無い場合に生じる非効率。ここでは「倫理の欠如」も意味するでしょう。
先日突如現れて消えて行った利権を体現するかのような大臣。
このままでは政権交代の民主党は利権まみれのイメージを歴史に刻んだだけではありませんか。

東京電力への処置は「民間企業による原発運営」、「送発電分離」など真剣に誠実にオープンな形で議論するべきです。さもなくば何度でもこうした原発事故は起こるでしょう。

日本がいくら貧しくなっても「誇り」は損なわれません。いくらでも取り戻せます。しかし日本人の我々が欧米人の「強欲」を批判し、我々だけは別であると信じていた民族としての特徴である「誠実さ」を失うことは本当に悲しいことです。

2011年7月4日月曜日

ウォール街のランダム・ウォーカー 第10版


今朝の日経電子版 マネー底流潮流 「インデックス投資が奪う株式市場の活力」では最近発売になったバートン・マルキールの「ウォール街のランダム・ウォーカー <原著第10版>―株式投資の不滅の真理」の井手正介氏による「訳者あとがきにかえて」を取り上げて、「マルキール理論との決別」として引き合いに出しています。

記事では井出氏はこのあとがきの中で市場全体を買うインデックス・ファンドが日本においては何ら利益をもたらさなかった事に加えてバリュー株投資の優位性を唱えていると指摘していますが、この部分をもう少し詳細に見ておこうと思います。

何故ならばマルキール氏がEMH(効率的市場仮説)安泰のよりどころとする、「アクティブ・マネージャーはインデックス・ファンドには勝てない」とする論拠について興味ある指摘をしているからです。これは以前から議論となっていることですが、マルキール氏の説ではバフェットの運用するバークシャーがほぼ恒常的に市場インデックスを上回っていることに対する説明がつかないと言う点です。

井出氏は株価の「ランダム性」の意味について読者に対してわざわざ注意を喚起しています。マルキールはあくまで株価の短期的な動きがランダムであると主張している過ぎず、株価の長期的なトレンドはランダムではないと考えていると指摘しているのです。これは、少々マルキール氏に気を使った書き方になっているのでしょう。

では長期的なトレンドがランダムでは無いとしたら、何故アクティブ・マネージャーは統計的にインデックスに負けているのか?

井出氏は、アクティブ・マネージャーの多くが本来の長期投資家では無く、個々の保有銘柄に対する平均保有期間が1ヶ月、3ヶ月、あるいはせいぜい1ヵ年でしかない為に株式の長期平均利回りを享受できていない、つまり長期投資の持つ一種のタイム・バリュー(時間価値:配当再投資による複利効果)を損ねてしまっていると指摘しています。少々婉曲な表現ですが、言い換えればインデックス・ファンドに継続的に勝つことは可能であることを指摘しています。これが話題になっているのです。

だからと言って私はインデックス投資が個人投資家にとってより防御的でお薦めな投資手法であることに何ら変わりはないと思います。日本株のインデックス投信で儲からなかったとは言ってもその他の並み居るアクティブ・ファンドではさらに損失が大きかったことは間違いがないからです。

それでも最近はあまり銘柄を入れ替えず長期投資を標榜するファンドが増えて(金額ではなくまだファンドの数として)きていると思います。インデックス投資家も頭を柔軟にしておく必要があるのではないでしょうか。今回の第10版は井出氏の「あとがき」のせいで少しセンセーショナルなのかもしれません。

Porco RossoFinancialの関連記事
合理的市場という神話
EMHは終わったか?
ミンスキー・モーメント


*日経新聞は個別記事へのリンクを禁止していますのでご自分でググって下さい。