2011年9月6日火曜日

朱家の悲劇


ブログを二週間も書かなかったのは初めての事だ。何か書ければと思ってはいたのだが僕は袋小路の中をさまよい続けていたのである。

日露戦争について書いた後、大雑把な金融史を気の向くままに書こう思って始めたのだが、どうしても日露戦争後、つまり第2次世界大戦のことが気になって読む本が大きくそちらに傾いてしまったのだ。これは金融史を書こうと思えば必ずつきあたる究極のポイントでもある。

以前から日中戦争から第二次世界大戦に至る財政史は読んでいたし、日本の井上準之助による金解禁と高橋是清による金輸出禁止のあたりは世界恐慌との関係でポイントを抑えていたつもりだったのだが、満州事変以降の大陸占領政策にからむ占領地通貨政策のところは理解するのに大変な苦労をしてしまった。要するによく解らないのである。

これは何故かと言えば我々が目にする1920年~30年代の日本の歴史的記述はまったく日本本位に書かれているからなのである。僕はいつも思うのだが明治、大正、昭和の年代が西暦と直結していないことに大きな原因があるのではないだろうか。山川の世界史を読んでもリンケージは薄い。

僕はそう考えて今回チャーチルを読み、「パックス・ブリタニカ」の一連のジャン・モリスを読んでみた。アメリカの金融史に関してはこれまでにも随分読んでいたつもりである。ところがこれでも足りない(グリップ感がでない)事に気がついた。それは多分僕の頭の中で清朝末期から崩壊、中華民国成立までの中国の歴史が欠落しているのではないかということに結論が落ち着いたのだった。

ということでとりあえず陳舜臣氏の「孫文」から読み始めたのが近況である。

そうしたなか週末に一つのビデオを観た。中国映画、劉苗苗(リウ・ミアオミアオ)の「朱家の悲劇(家丑/FAMILY FEUD)」である。

これは1920年~1937年までの江南の中国の質屋(当舗)を舞台にした映画で、質屋と言っても江戸時代の庶民金融が質屋であったのと同じで当時の中国では立派な庶民金融機関でもある。1994年のこの映画自体は非常に評価の高いもので映像はビビッドで、思わずスクリーンに引きずり込まれる名作でもある。観て後悔することは先ずないと思う。しかし僕にとってはこの質屋のシーンが何とも興味深かった。

欧米の古い銀行を思わせる重厚な建物に随分と窓口の高いカウンター、古着を持ってきた貧しい人には銅2連の評価(1920年の時点では中国は銀銅複本位制である)、これは店内に響き渡る大声で読み上げられる。大口の顧客には別室で商談し茶が振舞われる。そして閉店後には日計表を作成するのであろう、大番頭が数字を読み上げ10人近い使用人が立ったまま全員で算盤を入れるシーンは圧巻である。(そう思うのは僕だけかな?)

銀400元で質入れしたものも戻すには500元、年率とか関係無しで25%の利息である。バビロニアやアテナイよりも遥かに高い。でも東洋では歴史的標準金利である。さらに面白かったのは1935年のシーンで7000元(当時の円で7700円)の質草に対する支払いである。

質屋が聞く「兌換にするか現金か?」
ここで言う兌換とは法幣(紙幣)で現金とは銀塊あるいは銀貨の事である。実は国民政府は1934年10月15日に銀の輸出を停止しており、実質銀本位は停止状態にあった。兌換券は銀兌換ではなくなっていたのである。

顧客は言う「もちろん現金である」
質屋は言う「銀での支払いは1000元以下に制限されております」

このシーンが1935年の何月かはわからないが、顧客の一味が白い麻のスーツを着ていたから多分夏だろう。実は国民政府はこの年の11月3日(日)にイギリスからリース・ロス卿を招聘し幣制改革を実施、英ポンドと元とをリンクさせてしまったのである。日本政府はこれには驚いてしまったがこの後対中国政策で愚策を繰り返すことになる。また一方で元は金銀価格を安定させようとしていた米ドルともリンクが出来、この時点で英米中の金融は一体化され後の援蒋政策は決定されていたとも言えるのである。

なんて思いながら映画を観ていたのだった。この映画お薦めです。

追記:お薦めはいいけれど、これはDVDにはなっていないようである。ビデオしかない。因みに僕は図書館で偶然に見つけた。

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