2011年12月24日土曜日

大きな石のお金の話


日比谷公園を有楽町側から入り池の端沿いに少し歩くとフェィと呼ばれる直径1メートルほどの石貨がさりげなく置かれている。横にある説明板にはこの石貨は南太平洋ヤップ島(ミクロネシア連邦)の貨幣で、大正13年頃には1000円位で通用したと書かれている。

ヤップ島では古くから直径30センチから3メートルまでの石を貨幣として使っていた、重たくて持てやしないだろう。しかもこの石貨の材料はこの島には無く、500キロ離れたパラオ島から持ち込まれたものだった。島民はパラオ島に航海し、そこで自ら石灰石から貨幣を掘り出しヤップ島に持ち帰っていたのである。パラオ島で石貨が使われていたわけではなくヤップ島独自のものである。

この石貨には注目すべき特徴があった。この貨幣を使用して何か、例えばコプラとかと交換する時に、この石貨は移動させる必要がなかった。(もっとも重たすぎて簡単には動かせないのだが)石貨は広場や道端など村のどこかにおいてあり、所有者が代わったことだけを双方が了承すれば良かったのである。現金の持ち運びは必要でなかったのだ。
また、ファツマク老人という人がいて、彼は村一番の資産家だったが、誰も彼の石貨を見たことがなかった。彼の2,3世代前のご先祖様が巨大な石をパラオで削り出し、持ち帰ろうとしたが時化に会い途中で失くしてしまっていたのだ。しかしこの時の沈んだ石貨の素晴らしさや大きさが証人によって誓約されていたので、たとえそれが海の中にあろうが交換価値のあるものとして素朴に認められていたのである。購買力は維持されていた。

1871年にアメリカ人デービッド・オキーフが島に漂着した。彼は何とか香港に戻るとパラオ島に石を削る機械を持込み石貨を造ると、機帆船でヤップ島に持ち帰りコプラを買い大儲けをした。wikiによると王侯貴族のように振舞ったそうである。但し彼の石貨はあまり値打ちが無かった。何故ならば採取に苦労をしていないし、そうした物語がついていなかったからである。魂が入っているかどうかの違いなんだろう。

1899年になるとドイツがスペインからこの島を購入し、1901年にドイツ人が派遣されるとオキーフは島を出て行った。その後1903年にアメリカ人の人類学者ウィリアム・ヘンリー・ファーネスⅢ世がこの島に滞在しこうした記録を書き綴ったのである。

島内の道路網を整備しようとしたドイツ人がいくら島の人間に指図をしても全く働かない。そこでドイツ人は島にある石貨にペンキで☓印をつけ石貨をすべて没収した。没収したといっても印をつけただけだが、返して欲しければ働けと宣言すると島民は破産を恐れて一生懸命に働いたそうである。道路が出来ると石貨のペンキを消していった。そうして島民は資産の回復を祝ったのだった。

さて、これをくだらない話だと思うだろうか。あなたはヤップ島の人間は頭が弱いのだと思うだろうか。

1931年から33年にかけてフランス中央銀行はアメリカが金本位を放棄するのではないかと懸念していた。そこでフランスはNY連銀に頼んで連銀に預かってもらっている手持ちのドルを金(ゴールド)と交換してもらったのだ。そしてそのゴールドをNY連銀のフランス政府口座に移管してもらった。連銀では物理的にゴールドについたラベルを「連邦銀行」から「フランス中央銀行」に張り替えた。ちょうどドイツ人の官吏が石貨に☓印をつけたように。こうしてこのラベルの付け替えはアメリカから金が流出していると大騒ぎとなり1933年の金融恐慌の原因になったともいわれているのである。

こんな素敵な話は当然僕のオリジナルでは無い。ミルトン・フリードマンの「貨幣の悪戯」からである。


2011年のイブはこんなことを考えているんだな。僕は。

3 件のコメント:

めにぃ さんのコメント...

いつもながら勉強になります。


お忙しいいでしょうが、頑張ってください


来年はいい年でありますように

Porco さんのコメント...

この逸話はピーター・バーンスタインが「ゴールド」の中でも使っています。もちろんバーンスタインが触発されたのでしょうけれど。

cocoopit さんのコメント...

日比谷公園にそんなものがあるのですね。

石貨=お金=何とでも交換できる商品。

「商品」だから、それなりの労働に裏打ちされてないと
価値が認めらない。(機械持ち込んで岩削っても価値は低い)

お金=それが示す「信用」が価値。
だから、例え海の中に沈んでいて誰にも見えなくても、
皆がそれを信用していれば価値がある。


フリードマン読んでませんが、この話があらわしているのは、そんなことでしょうか?