2012年2月23日木曜日

日露戦争、資金調達の戦い―解説



本日、いよいよ拙著「日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち」が店頭に並び、アマゾンの表示も「予約可」から「在庫あり」に変わりました。

ここで、この本がどんな本であるのか解説しておきたいと思います。

この本は題名どおりに日露戦争時の軍資金調達の話です。ロシアと事を構えた日本政府は、先ず軍資金はさほど必要では無いだろうと考えてました。さらにある程度の金額、たとえば2億円(2千万ポンド)程度であれば同盟国である英国がなんとかしてくれるのではないか?と甘い考えを持っていました。そうした状態で見切り発車で開戦してしまうのですが、開戦後すぐに、当初考えていたよりもよほど軍事費がかかる事がわかってきます。兵員の死傷率、砲弾の消費量などが日清戦争時と比べ物にならなかったのです。これはロシアも同様です。そして開戦早々に日本は金本位制維持のための正貨(金)がいきなり底をつきそうになってしまうのです。日本はどうしても金と同じ価値を持つポンド建てで資金を都合しなければなりませんでした。

さて、では何故国内投資家からの円での借入ではいけなかったのでしょうか?拙著ではこうした部分をはしょらずに金本位制や国債の誕生や発達などから書き起こしています。20世紀初頭は先進各国が金本位制を採用していましたので、為替は金価格を媒介として固定化し、貿易には為替リスクはありませんでした。その為に当時は現代から見ても驚くほどに国際金融市場が発達していたのです。各国政府や企業は国際金融市場であるロンドン市場でポンド建てで資金を調達しました。これは日本もロシアも同様で両国の国債はロンドン取引所に上場され日々トレードされていたのです。日露戦争中も毎日価格がついていました。

ということは、どういうことか? 私のような証券マンとしては戦争の進行とともに両国国債の価格がどう動いたのかは気になるところです。日本人やロシア人、ロンドン市場のバンカー達はどのあたりから日本は勝ったと認識し始めたのか?あるいは、本当に日本は勝ったのか?も含めて確認しておきたかったのです。こうして金融市場参加者の目、あるいは資金調達に奔走する高橋是清の目から日露戦争を追いかけると、「坂の上の雲」にすっかり馴れてしまった我々の歴史観からは少し違った日露戦争像が見えてきます。



さて私が著者ではなく、読者として「この手」の本を選ぶ時、あるいは評価する時には先ず「目次」、と各種データや史実の出典元、書籍のリストを見ることにしています。

従って、しのごの御託を並べるよりも、以下に目次を提示しておきます。

その前にこの本は原稿用紙で650枚を越えています。普通の新書が200枚ですから新書3冊分のボリュームがあると考えて良いでしょう。目次を見ていただくとわかりますが実際にこの本は3冊程度に分けて発刊することも可能でした。しかし日露戦争を理解するには、これらのテーマはやはり一つの本で語られるべきだと考えたのです。その為にあやうく新潮選書史上一番分厚い本になるところでしたけれど。(多分2番目にページ数の多い本だと思います)

第一章 高橋是清と深井英五
高橋是清
深井英五

第二章 二〇世紀初頭の金融環境
列強世界のGDP
「承認の印章」金本位制度
ロンドン・ロンバート街
マーチャント・バンク全盛の時代
魅力的な投資先だった新興国・日本
勃興するインベストメント・バンク
ノーザン・パシフィック事件

第三章 日露開戦
シベリア鉄道とロシア南下策
一九〇四年の兜町の大暴落
金子堅太郎と伊藤博文
逡巡するベアリング商会
抱き合って泣いた元老達
ニューヨークのユダヤ人商人会で
ロシアの財政事情、ペテルスブルグの悩み
戦費と公債発行、日本とロシアの国力差

第四章 高橋の手帳から見る外債募集談
暗涙を催す人々  
鐚一文の信用もなし 
絶望的な公債発行  
マカロフに追悼の意を表す日本人  
トレジャリー・ビルかボンドか    
新しい訪問者、カッセル配下ビートンの来訪
鴨緑江(ヤールー)の戦い   
クーン・ローブ商会のシフ  
厳しい公債発行条件     
一転して人気急上昇の日本公債
「日本を開国したのはアメリカ」だから    
オー・ヘンリが描いた日露戦争
日本国内での評価  
公債募集談の真相

第五章 戦況と証券価格
松尾日銀総裁の見積もり
黄海海戦・遼陽会戦     
旅順陥落を待つべし
北海海上で起きた「ハル事件」        
第二回公債発行
半年以上も遅れた旅順要塞陥落    
ようやくなされた一時帰国     
血の日曜日事件  
ウィルヘルム二世の密書
奉天会戦での分かれ目
好転した第三回公債発行
ドイツとフランスの思惑
勝つと売られる日本公債
バルチック艦隊の東航      
日本海海戦の衝撃  
シフとの関係で乗り切った第四回公債発行   
珍客萬来、米国の紳商
翻弄されるポーツマス会議 
日比谷焼打事件、「ハリマン博士一行の災難」

第六章 戦後と満州鉄道
桂ハリマン覚書     
満洲版「東インド会社」
モルガン商会からの提案
ロスチャイルドが参加した借り換債  
ハリマンの豪華パーティー   
外国人投資家を締め出した鉄道国有法案   
満州鉄道、IPOの開始     
最後の資金調達   

エピローグ
日露戦争のその後  

年表


脚注はオリジナル原稿で290ほどありましたが、ページ数の都合で随分減らしました。合計で218項目です。減らしたためにちょっと不親切になっているかもしれません。

以下、直接出典とした書籍です。

"Our Crowd" Stephen Birmingham 
 “Far Eastern Plans” George Kennan
 “Jacob H. Schiff :His Life and Letters Part1”Cyrus Adler
 “The London Stock Exchange” Ronald Michie Oxford
「O・ヘンリ短篇集」大久保康雄訳
「アメリカ金融資本成立史」呉天降 有斐閣
「アルゼンチン観戦武官の記録」社団法人日本アルゼンチン協会出版
「ウィッテ伯回想記」原書房
「ウォール街二百年」ロバート・ソーベル 東洋経済新報社
「お雇い外国人」梅渓昇 講談社学術文庫
「タイムズ日露戦争批評」森晋太郎 時事新報社
「ツシマ」ノビコフ・プリボイ 原書房
「バルチック艦隊」大江志乃 中公新書
「ベルツの日記」トク・ベルツ編 岩波文庫
「マーチャント・バンキングの興隆」 スタンリイ・チャップマン
「もうひとつの日露戦争」サルキノフ 朝日選書
「モルガン家」ロン・チャーナウ 日経ビジネス文庫
「ロンバート街」バジョット 岩波文庫
「黄昏の詩人:堀口大學とその父のこと」工藤美代子 マガジンハウス社
「回顧七十年」深井英五 岩波書店
「外交五十年」幣原喜重郎 中公文庫
「外債募集英文日記」藤村欣市朗 福武書店
「兜町盛衰記 第一巻」長谷川光太郎 図書出版
「興銀五〇年史」
「近代日本外交史」信夫清三郎 中央公論社
「近代日本経済史要覧」安藤良雄編 東京大学出版会
「後藤新平 第2巻」鶴見 祐輔 勁草書房 1965年
「江戸明治東京重ね地図」明治40年前後復元地図
「高橋是清 日本のケインズ-その生涯と思想」スメサースト 東洋経済新報社
「高橋是清自伝 上下巻」高橋是清 中公文庫
「国債の歴史」富田俊基 東洋経済新報社
「坂の上の雲 第七巻」司馬遼太郎 文春文庫
「産業革命と企業経営:関説 第一次世界大戦前のロンドン金融市場と日本企業」鈴木俊夫 ミネルヴァ書房
「小村外交史」外務省編 原書房
「証券市場の真実」エルロイ・ディムソン 東洋経済
「人物と思想」深井英五 日本評論社
「随想録」高橋是清 本の森
「相場師奇聞」鍋島高明 河出書房
「増補 満鉄」原田勝正 日本経済評論社
「大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清」松本崇 中央公論新社 
「大陸に渡った円の興亡 下」多田井喜生 東洋経済
「第2次世界大戦 第1巻」W・S・チャーチル 河出文庫
「帝政ロシアと外国資本」中山弘正 岩波書店
「徳富蘇峰」 早川喜代次 徳富蘇峰伝記編纂会
「内田良平伝」黒龍倶楽部 原書房
「日米外交秘録」金子堅太郎談
「日本銀行沿革史」第三巻 
「日本銀行百年史 第二巻」
「日本策士伝」小島直記 中公文庫
「日露戦争と国庫費額」ゲ・デ・デメンチェフ 
「日露戦争に投資した男」田畑則重、新潮新書
「日露戦争研究の新視点:日露戦争公債発行とロンドン金融市場」鈴木俊夫 成文社 
「日露戦争史」横手慎二 中公新書
「百年前の日本国債」 富田俊基 知的資産創造 2005年4月号
「米国経済事情と日本興行銀行」金子堅太郎述 1899年
「満州に於ける露国の利権外交史」ベ・ア・ロマーノフ 原書房
「明治経済政策史の研究」神山恒夫 
「日露講和ニ関シー米国ニ於ケル余ノ活動ニ就テ」外務省記録綴り金子堅太郎伯爵述 外務省編纂
「金融事項参考書 第八冊」大蔵省理財局
三笠保存会資料
三田商学研究 14(6)玉置紀夫 1972
「日本外交文書」第37巻 外務省
「日本外交文書 第38巻別冊日露戦争Ⅳ」外務省
「論語の活学」安岡正篤 プレジデント社

その他直接の参照は無いが参考にした図書多数

ロンドン市場の日本、ロシアの国債価格は日々のタイムズから鉛筆で書き写しPCに手入力してDBを作りました。兜町の株価も同様に東京朝日新聞からです。その為に私は日・英(+米)両国の日々の新聞を約3年分もろに読むことになりました。タイムズに自動車の宣伝が増えたり、英国王室が1905年のモーター・ショーで自動車をすっかり気に入ってしまったり。ロシアの潜水艦が訓練で潜航したら2度と浮かび上がってこなかったり。朝日新聞は途中から手書きの挿絵から写真に変わりましたし、早稲田の野球部は戦争中に初のアメリカ西海岸遠征をしてスタンフォード大と試合をしていました。などなど、それはそれで面白い冒険でした。


これを読まずに日露戦争を語ってはいけません。
是非読んでみて下さい。  

Porcoこと板谷敏彦


保坂正康氏による書評
新潮社HPから

2012年2月16日木曜日

いつまでもユーロで起こっていること


ドイツでは放漫財政によって勝手に苦境に陥っている国を何故ドイツ国民が尻拭いせねばならないのかと言う論調が高まっていますし、それに応じてユーロのプライドとして参加国がIMFの支援を受けて欲しくないとの考えから欧州通貨基金(EMF)の設立等の案が出されています。しかしこれにも独仏の対立が絡み一筋縄ではいかないようで、根本の問題は金融政策は共通であるのに再分配機能である財政政策が個別に採られている点にあるようです。


もしもユーロと言うユーロ圏単一の通貨では無く、ユーロがドイツの通貨であり、その他の国はこのユーロにペッグしているだけと仮定してみましょう。
ギリシャは旧通貨ドラクマ。 財政赤字が拡大しドラクマの信用が維持できなくなると通貨の切り下げをしなくてはなりません。 従って例えば公務員の給与が一定であれば、ユーロ建てである物価は上昇する事になり購買力は下がる事になります。 しかし通貨側が一定であれば、逆に給料を下げてつじつまをあわせる事になります。
今回のギリシャの財政赤字削減策の中に公務員給与の削減、ボーナス・カット等で、都合30%の削減となるようですが、民間にも波及して全体の購買力の調整と言う形になるでしょう。 要するに形を変えたインフレが起こりギリシャ国民は倹約生活を強いられる事になります。


もしこれが財政政策も共にする一国の中で起こっているのであれば、再分配機能が働き、ギリシャの赤字を埋めて上げられるのでしょうが、事はそうは簡単に行かない訳です。 特にドイツ国民から見れば節度のある財政、見の丈に合わせた消費活動を行って行っているのに、放漫な怠け者の連中の面倒を何故俺たちが見なければならないんだ、と言う雰囲気が充満し救済に関して国内のコンセンサスを得るのは簡単では無いようです。 倹約を強いられるギリシャはWW2時のドイツのやった事を持ち出し賠償を仄めかしたり庶民レベルではハーケンクロイツを持ち出したりもしているようです。

注意してもらいたい。この文章は2年前の3月11日付の当ブログの記事だ。一字一句変えてはいない。驚くべきことにIMFの関与姿勢を除くと、実はユーロ問題の根本は何も変わっていないだ。確かにこの間のユーロの下落によってドイツの交易条件は有利に働いた。自動車や機械産業は潤っただろう。しかしFT紙によるとドイツは様々な救済基金に既に国家予算の70%に相当する2110億ユーロもこの問題に拠出している。現状のままではこの問題は時間の経過とともに結局はドイツにさらなる負担を負わせるだけだろう。つまり終わりが見えない展開になりつつある。政府であるか国民であるかを問わず、ドイツにとって65年前の第2次世界大戦時の話まで持ち出されてまで、ユーロ圏GDPの2%しかないこの国をユーロに引き留めておくインセンティブはかなり薄れつつある。

2年前も書いたけれど、ニコラス・ケイジ主演の「コレリ大尉のマンドリン」は第2次大戦時のドイツ・イタリア枢軸国によるギリシャ占領の話だ。占領にきたイタリア軍に対してギリシャのとある街の自治体は「我々はドイツに負けたのであって、イタリアには負けていない。ドイツ人将校を連れてこい」と主張する。イタリア軍はギリシャの勢いに負けてドイツ軍の将校ジンマーマンを連れてくるという話から始まる。当時の僕の仕事上のフランクフルトのカウンターがジンマーマンという男だったのでよく憶えている。ヒロインはペネロペ・クルスだからエンターティメント性も高い。レンタルで借りて見たらどうだろうか。中古も随分安くなった。

2012年2月13日月曜日

僕らは立派な民主主義を持っている


今の日本の政治家は何故か二世が多い。総理大臣が贈与税の申告もしないで親からお金を貰ってたが、何故か「ごめんごめん、知らなかった」で済んでしまう。一般人はマネしないほうが無難なんだろう。多分。

有名ゴルファーの父なんて国会議員もいる。TVに出ると場が荒れるから最近は出てこない。お年寄りの政党は寒い日が続くので多分お疲れなんだろう、議会中に全員寝ている写真が流布されて「とりあえず、起きろよ日本」と揶揄される。一票の格差は違憲状態なのに全然修正されない。親の経済状態と子供の学歴(偏差値も含めて)にあきらかに相関がある。生活環境もあるだろうが、受験技術の発達と共に金がかかるようになってきている。結果の平等だけでなく、機会の平等に問題がある。

若い人は「アナタは年金に加入すると数百万円損しますよ」とメディアで言われる、でも民主主義でみんなで決めた”きまり”なんだから年金払いなさいと強制される。給料からの天引きならともかく、自分で払いに行こうとは思わないだろう。それとも支払用紙に「元本はまったく保証されていません」と注意書きでもあるのだろうか。民間でこんな商売始めれば間違いなく最後は刑務所だ。さらに国家債務の返済は基本的に次の世代に先送りだ。
「いやいや、すっかり飲んで食っちまったよ。アトはお前ら頼むわ」と。どうしようもない親父だったけれど、何故か憎めない。なんてね。

あるいはこうだろうか、親父としては。
「国の借金てのは、もとはと言えば俺達が貸してんだ。だからめぐりめぐって、お前らにゃ迷惑はビタ一文かけちゃいねえ」
でも税金上げたりして結局親父のツケは俺らが払うんだろうが?
「おい、ここに証文があるんだよ。国がお金を確かに借りました。てなぁ。だいぶ減っちまったがオマエに相続させてやる。あんまり国が税金を上げるようだったら、若いのみんなで相談してこの証文を破いて捨てちまえば国の借金もチャラだ」
親父、それはデフォルトっていうんだよ。
「いいじゃねえか。証文を相続した奴も、しなかった奴もビョードーにチャラだ。これが公平ってもんだろう、民主主義ってもんじゃないのか?」

これだけ大きなトピックだったのに結局今年も借金を積み上げる。給料が下がったら借金の前に歳出削減はどう見ても常識なのに、国家は家計とは違うとかいって。また借りにいく。そして足りないから取り敢えず会費値上げします。とくる。なのに、なのにだよ。ここまでやられても僕らは今の日本の民主主義はすくなくとも中国よりはマシだと思っている。Twitterはつながらないし、グーグルは出ていったし。言論は抑圧されている。社会保障も無いし、第一選挙も無いじゃないか。僕らはお金よりも自由が欲しいんだ。とね。僕もそうだ。

僕はウヨクでもサヨクでも無い。少なくともそういうつもりだ。歴史好きは、史実を見る時にできるだけイデオロギーを排除しようとする。それは色眼鏡をかけると本当の色がわからなくなるからだ。それでも残された記録はイデオロギーに凝り固まっていたりする。歴史を編纂した政権の正当化。自国史の美化。個人的な責任逃れ。自慢。そもそもイデオロギー自体が歴史を持っている。だから政府の原発事故の議事録が無い。なんていうのは話にならない。今更思い出しながら書き起こして一体どれぐらい信用できるんだ?

日露戦争は司馬(遼太郎)史観がいうように、ロシアの脅威に対する日本の防衛的な戦争だったのか? では戦場にされた韓国の学者の目から見ればどうなのだろう。中国からは?もちろんロシアから見れば景観は変わる。ロシアもロシアで、帝政を否定して打倒した共産党ソ連の目と今のロシアではまた景色が違う。でも、これは今早急に何かひとつに結論付ける問題なのだろうか?僕はそうは思っていない。

前回書いたコラム「中国化する日本」の反響は大きかった。でもあれは歴史書籍の紹介だ。僕自身の説明不足は軽く詫びるとして、わからなかったら、取り敢えず本を読むべきだ。僕のコラム執筆の目的は達成したが、歴史学上のテクニカル・タームである「中国化」という言葉に単純に嫌悪感を持った方も多かったようだ。
「おーい、このPCのデフォルトはどうなってるんだよ?」
「貴様、縁起でもない、デフォルトなんて言葉をつかうんじゃないよ」(某国財務省筋)
「あ、でもこれデフォルトっていうんですよ。しょうがないんです」
もっとも、著者は意図的に題名に「煽り」効果を狙っているのだと思うけれど。

それともうひとつは「科挙」の問題だ。
科挙は隋、唐とあったじゃないか。って。それはそうだし、日本でもマネをした。
これはでも、てっとり早くwikiの「科挙」を見ればいい。

宋のところだ。
「唐が滅んだ後の五代十国時代の戦乱の中で、旧来の貴族層は没落し、権力を握ることはなくなった。更に、北宋代に入ると宋の創始者趙匡胤の文治政策に則り、科挙に合格しなければ権力の有る地位に就くことは不可能になった。これ以降、官僚はほぼ全て科挙合格者で占められるようになった。」 
最近でもおバカタレント顔負けの政治家に資格試験を課せよとか意見もあるだろう。震災時に学校の児童プールにガソリンを備蓄しろと言った政治家もいたそうだ。あやうく避難所が火の海になるところだった。唐代では門閥出身者が重んじられた。宋の科挙は画期的なのだ。

でも科挙には問題が多いって?
だから冒頭に長々と現代日本民主主義の問題を書き連ねたのだ。

色々と問題は多いが、もし宋代に科挙がこうした形で実施されなければ、相変わらず門閥が政治を動かし続けていたに違いない。
大きな転換点であったことに変わりはないのだ。木を見て森を見ず。なんてね。詳しくはWEBで。

2012年2月12日日曜日

そうだ、佐倉に行こう


日曜日は佐倉に散歩に行ってきました。千葉県佐倉市。長島茂雄選手の出身校が佐倉高校なので、それで有名と言ったほうが全国的には通りが良いかもしれません。
僕はここには何度か来ています。結構お気に入りの場所でもあります。

歩くのにちょうど良い範囲(ちょっときつめかもしれない)の中に佐倉城址が状態の良いまま公園になり、城下町も面影を色濃く残しています。維新後陸軍が連隊をおいていたから保存状態が良いのでしょう。武家屋敷も保護されていて、ここで連隊長を5年も務めた児玉源太郎旧邸跡もあります。また幕末の城主が日米修好条約に絡んだ老中堀田正睦です。維新後に建てられた堀田家の邸宅も保存されています。実はこの佐倉藩は家格が高く全国でも一番多くの老中を出した藩でもあるのです。

老中堀田正睦は蘭学好きで有名で、高野長英に師事し長崎留学を果たした佐藤泰然を佐倉にスカウトし病院兼蘭医学塾の佐倉順天堂を開かせます。これが後の順天堂病院・大学になりますが、当時の建物が保存されています。

この佐藤泰然の次男は良順。松本家に養子に入り将軍侍医、初代の陸軍医学総監となります。司馬遼太郎「胡蝶の夢」で松本良順として有名ですが、新撰組ファンの暦女の間でも人気のキャラのようです。

さらに泰然の五男坊は董(ただす)。林家に養子に出て後の初代英国大使(それまでは公使だった)、外務大臣である林董となります。函館五稜郭に篭る旧幕府軍。そこから各国領事館に発信される英文の文章はあまりにも見事であったために、旧幕軍にはイギリス人が混ざっていると信じられていました。確かにフランス人士官は混じっていましたがイギリス人はいませんでした。このレターを書いていたのが林董だったのです。

函館(箱館)が陥落した時に、明治政府はこの男の英語力に目をつけますが、林は頑として特別扱いを拒み仲間と一緒に弘前藩預かり禁固の身となります。この頑な態度が薩摩人の気にいるところとなり、後の出世へと繋がったと司馬遼太郎は書いています。

日露戦争当時、林董は英国公使でした。今度発売になる拙著にも、日英間の外務省公式電文と一緒にかなりの頻度で登場してきます。

さて、この佐倉の街、ここまでだけでも充分に面白いのに、とどめとして国立歴史民族博物館があります。ここはスケールが大きいので1日で見ることは難しい。見学は2回ぐらいにわけたほうが無難でしょう。

第一展示室(原始・古代)の案内書から、

暦博では平成5年ごろから、炭素14年代測定結果に基づき、旧石器~縄文~弥生時代を中心に年代観の見直しを行なってきました。その結果、縄文時代の始まりが今から1万6千年~1万5千年前、弥生時代の始まりが3千年前、と従来の年代観よりも大幅に古くなることを突き止めました。

どうでしょう。縄文時代が約2千年、弥生時代は5百年ほど従来よりも開始時期が古くなります。歴史は我々が学生時代に習ったものとは随分変わりつつあるのです。
ついでと言っては何ですが、暦博のレストランは充実しています。米は古代米を使っていますね。僕はあまり好きではありませんが。またブックストアも海外の博物館に負けていません。本屋は充実しています。

何故か佐倉のアピールをしてしまいましたが、私は総武線快速JR佐倉駅(観光案内所でマップをくれる)から徒歩で坂を登り、街を歩き博物館を最後にして京成佐倉駅に坂を下り抜けていきます。10キロぐらいでしょうか。京成線とJRの間にある小高い丘の上が街になっているのです。これからは暑すぎず、寒すぎず、歩くのに良い季節になると思います。好奇心旺盛な正岡子規も総武鉄道が佐倉まで開通した時にさっそく訪ねて句を残しています。

霜枯れの佐倉見上ぐるの道かな
常磐木や冬されまさる城の跡

2012年2月10日金曜日

【ビジネスアイ・コラム】日本は中国化するか


今朝のサンケイ ビジネスアイの一面に掲載されています。

【フジサンケイ ビジネスアイコラム】日本は「中国化」するか 板谷敏彦

かつて「日本化」=ジャパナイゼーションとは「かんばん方式」に代表される日本の製造業の強さを表す言葉だった。欧米の疲弊した製造現場は争ってQC活動などの日本方式を取り入れたものだ。

ところが残念ながら、今日的な意味での「日本化」は先進諸国の先頭を切る高齢化社会、社会保障費の負担に積み上がる財政赤字、経済の長期停滞などを意味する、すっかりネガティブな言葉になってしまった。

最近話題になっている言葉が、「中国化」である。若手歴史学者、與那覇潤氏の著書「中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史」(文芸春秋社)で示された歴史観だ。

第二次世界大戦後の日本は「アメリカ化」によってジーンズをはき、ハンバーガーを食べ、コーラを飲み、ディズニーランドにあこがれた。だがここでいう「中国化」はそういう意味ではない。統治システムが中国化するという意味だ。

中国は10世紀、宋の時代に、社会のしくみを大きく変えた。上級国家公務員試験に相当する科挙を設け、皇帝以外に世襲はなく国民は基本的に実力に見合った地位や収入が手に入る仕組みにしたことである。実力主義の登場だ。それは、社会に貨幣経済を浸透させ、土地や職業にしばられない国民を生みだし、官僚は郡県制の下で反乱を防ぐために地縁のない土地に赴任させられた。皇帝が政治を独占するが経済活動は何でも自由となった。と考えると、確かにこれは現在の中国共産党による統治システムと似ている。

一方、統治システムを隋・唐代と中国から輸入した日本は、宋代から中国とたもとを分かち、身分制を温存した。「中国化」の対立語は「江戸時代化」である。江戸時代には「イエ」ごとに世襲によって身分が固定され、居住地域も制限された。しかしアニマル・スピリットを持たずにおとなしくさえしていれば保護され、何とか食べていける時代でもあった。

日本は明治維新で一度は「中国化」するものの、選挙制度を通じて地域利権代表による「江戸時代化」へと逆戻りしてしまう。そのあらわれが、政治家の世襲、地縁、地元の利権などであった。

ところが今度は世界が「中国化」しはじめた。レーガンやサッチャーの新自由主義の波である。規制緩和は既得権益の撤廃を意味した。世襲議員が頼りなく見え、利権を持っていた業者、公務員、労働組合までも含めた既得権益がおかされる。これまで自分を守ってくれていた地縁にも終身雇用の会社にも頼れなくなってしまった。

今、大阪で起きている動きをみると、「江戸時代化」に固執する政府に代わって、橋下市長率いる勢力が「中国化」を推進しているようにも映る。(現在使われているネガティブな意味での)「日本化」を克服するには「中国化」の道しかないのであろうか。

2012年2月4日土曜日

日露戦争 起源と開戦


少し身の回りの状況が落ち着いてきたので、再びパラパラと色々な本を読み始めた。

自分の本の出版に関しては、僕にとって初めてのことなので、正直にいって少々興奮している。神経質になっているといっても良いだろう。はたして売れるのだろうか?あるいは専門家の歴史学者からそれは違う、品質が低すぎると指摘されてしまうのだろうか?また歴史マニアから細かい指摘が入るのじゃないだろうか?とか心配もつきない。

昔から人前で話すのは得意で、テレビでも何度も相場解説をしたこともあるし、視聴者の質問コーナーにも平気で即答していた。(あなたはレーガノミックスをどう評価しているのか?なんて禅問答みたいな質問もあった) それに講演会みたいなこともぶっつけでやっていたものだ。ピンチヒッターが多かったような気がする。それはちょうど子供が爬虫類や昆虫を平気でさわれるようなものだったのかもしれない。大人になると怖さを知るものなのだろうか、触れなくなったりするものだ。そうだとすると心配症の今の僕はやっと大人になれたということなのだろうか。イヤイヤ。

拙著の発刊される新潮選書というのは約四〇年ほどの歴史があり、多くの名著を出している。また発展的に文庫になった本はあるが、未だに絶版になった本はほとんど無いのだそうだ。だから、もし僕の本に致命的な間違いがあって、世間からボロボロに評価されたら「笑って許して」はくれないのじゃないだろうかとか、考えてしまうのだ。普段他の人が書いた本の間違いを見つけるのは得意な自分だが、いざ、自分のことになると全く自信がないのである。困ったものだ。

同じ会社で働いたことは無いのだが、僕の社会人としての師匠にあたる人がライフネットの出口社長と古い友人だったので、岩波書店の社員募集要項じゃないが、腹黒くもコネを効かせて出口社長に事前に原稿を読んで頂き、感想を聞かせていただこうということになった。出口社長と言えば読書家で歴史家でもある。読書量はハンパではない。氏が「問題ない」といってくれればOKなのだ。お忙しい方だから原稿をお渡しして読むのに二週間はかかるだろうなと僕は考えていたのだけれど、なんと二日後に「全部読みました」とメールを頂戴した。出口さんは速読には否定的で読書は熟読しかないと主張されている。全くありがたい話である。しかしそのメールには「和田春樹氏の『日露戦争 起源と開戦 上下(2010年2月初版)』は読みましたか」とだけ書き加えてあったのだ。

この本は全部は読んではいないが、どういう本なのかは知っていた。分量が大型本で1000ページと凄い本なので、拙著の主題とはかぶるところは少ないだろうと判断して怠けて読まなかった本なのだ。もっといえば開戦に至る経緯のところのチェックは「日露戦争の世紀―連鎖視点から見る日本と世界 (岩波新書 新赤版 (958))山室信一(岩波新書)や「日露戦争史 - 20世紀最初の大国間戦争 (中公新書)」横手慎二(中公新書)で充分だろうと考えていた。

日露戦争の資料はソビエト連邦崩壊で新しく開示された資料がある。新しいものでなければいけない。また2004年が開戦100周年にあたるので多くのシンポジウムが開催された。つまりここ10年ほどで随分研究がすすんでいるのだ。興味のある人は「日露戦争研究の新視点」日露戦争研究会編に関係した論文が収録されているから図書館あたりで少し読んでみるのも面白いだろう。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は1968年から連載が始まったものだ。これに史実と違うところがあると指摘して、司馬史観にケチをつけてみてもあまり意味はない。「坂の上の雲」は当時取得可能だったデータから書かれたものなのだ。歴史書も歴史として評価されるだけで、「坂の上の雲」の偉大さは今も何も変わりはしない。

そうだ。話がそれた。少々神経質になっている僕は出口社長からのメールをこう受けとめた。

「全部読みました。が、いったい君は、日露戦争の話を書くにあたって、和田春樹さんの著書は読んだのかね?」(ご本人はそういうつもりではなかった)

ガーン、読んでないんだね。これが。パラパラと見て上記の新書でいいやとサボっていたのだった。僕は拙著にどこかおかしい記述があったに違いないと考えた。そこでとにかくこの大著を読み始めたのだった。

昨日は以前からのお約束で出口社長をオフィスに訪ねた。本来であれば社長が僕の読みにくい原稿に手こずって時間に追われているのだろうと僕は想定していたのだが、現実には僕が時間に追われながら1000ページの大著を読むことになってしまったのだった。しかし読んでみるもので、ロシア財務大臣ココツェフの任官時期に拙著と相違があって調べて訂正することができたのだった。

出口社長からは僕の本に何かおかしなところがってあの本を推薦したのではなくて、辞書がわりに使える本だから便利だよという趣旨だったとメールの説明があった。でも読んでおいて本当に良かった。そして社長は1冊の貴重な本を僕に貸してくださった。是非お読みなさいと。だがこれは英語でしかも分厚かったのだ。今度は何時会うのだったかな?

(多分続く)

P.S.岩波書店のコネ:首相経験者の孫か息子でなければ首相にはなれない。といっているのではない。岩波書店の提示したコネは努力で勝ち取れるものである。百倍を超える難関就職先に企業訪問もせず、先輩を探さないなどあり得ない。また地方の学生に配慮して岩波書店の執筆者の紹介状でも可とある。地方大学でも岩波の執筆者なら大勢いるだろう。この程度のコネの取得で文句をいう人は、そのうち抽選にしろとでも言い出しかねない。アゴラの山口巌さんのブログに書いてあったが、天下りこそ最悪のコネ入社だろう。厚労省が岩波を調査するのはどこか可笑しいのである。