2012年4月3日火曜日

電信とThe Times cut 1



以前このブログの中でも書いたが、新潮選書の装丁では480ページ前後が物理的に限界だということで、拙著「日露戦争、資金調達の戦い」は最終校正で30ページ近く原稿のカットを余儀無くされた。そのカットした記事の中にはリサーチにかなりの時間をかけた項目もあったが、泣く泣くカットせざるをえなかった次第である。ライフネット生命の出口社長とお話している時にもカットされた部分が話題になったのだが、当ブログで順次紹介していこうと思う。

第1回は、拙著の45ページのところだ。コンピューターの誕生時に、証券市場はいち早くこれを取り入れたのだが、もちろん電信の時もそうだったというストーリーの強化のための逸話とともに英国の新聞であるタイムズの歴史も書いておいた。


 コンピューターの誕生時もそうであったように金融市場は昔から新しい技術をいち早く取り入れてきた。当時の最先端の通信技術である有線による電信の発達は迅速な情報の集中を生みロンドン市場の集中化に拍車をかけた。一八五〇年には英仏間のドーバー海峡に海底ケーブルが敷設され大陸とロンバード街は数時間で証券価格が確認できるようになった。離れていても債券の価格が把握でき発注も口座振替による決済もできるようになるとロンドン市場の流通発行市場としての利便性は大いに増すこととなったのである。

以下はカットした部分

英米間の大西洋の海底ケーブルはアメリカ人サイラス・フィールドによる当時のベンチャー企業が行っていた。一八五八年八月に英国ビクトリア女王からの最初のメッセージが米国ブキャナン大統領に電信され一旦大成功を収めるのだが、翌九月にはぷっつりと断線している。
このケーブルの復旧にはその後八年も要し今日では電信の大西洋横断の記録は一八六六年とされている。いずれにせよ高橋是清の出張した日露戦争のこの時期には既に大西洋は海底ケーブルで結ばれ、太平洋では開戦直前の一九〇三年にフィリッピンとアメリカとの間に海底ケーブルが敷設されていた。アメリカ発の電報はユーラシア大陸を経由することなく太平洋を渡り、フィリッピン、上海、長崎を経由して東京まで既に達していたのである。またこうした電信技術の発達はタイムズやロイター通信など新聞や情報産業の発達を促し世界の出来事は先ずロンドンに集中し、その後情報に加工され世界に再配信されて行くようになっていたのである。

タイムズは一七八五年ジョン・ウォルターによって創刊された世界最古の日刊紙である。奇しくも日本海海戦を遡る一〇〇年前にあたる一八〇五年のトラファルガー海戦ではタイムズ独自のネットワークから、英国海軍の公式報告の数日前に海戦の勝利を報道しその信頼を高めている。

一八一四年にはそれまでの人力から蒸気機械による印刷機を導入して印刷速度と量を飛躍的に高める事に成功し、その結果販売部数の大幅増を達成した。そうなるとタイムズは新聞の販売だけで経営が成り立つようになり、それまでの新聞社の一般的な収益源であった政党や個人からの賄賂に頼る必要性がなくなったとされている。そしてその事がタイムズのコンテンツの中立性と正確性をより高める事にもなったのである。

一八五三年のロシア・トルコ戦争においては、ロシア皇帝はタイムズによって正式文書より早く英国の参戦を知る事となった。そうした理由でタイムズは英語圏のみならず世界中で政治家や外交官、軍人、実業家などに広く読まれるようになり、この時代にはその他の新聞とは隔絶した権威を持っていた。少なくとも当時一般的であった買収して都合の良い記事を書かすことのできる新聞ではなかったのである。また日露戦争の頃には国際関係のニュースでニューヨーク・タイムズとの共同記事も多く見られるようになっている。ニューヨーク・タイムズは当初ロンドン・タイムズを目指していたのだろう。

タイムズは今日ではルパード・マードックの傘下に入ってしまったが、ザ・タイムズのホーム・ページにあるアーカイブは200年以上の過去に遡って安価に紙面検索ができる。本書の成立もこれに負うところが大きいのである。


以上、

因みに、当ブログの左上のアイコンはティッカー・マシーン、電信によって約定のついた株価がテープに印字される。これによって全米の取引所でほぼ同じ価格を知ることができるようになったのである。 現在でもティッカーは新幹線車内のニュースなどにも応用され見ることができる。

Slow Marketとはこのティッカー・テープの流れが遅い事を意味し出来高が少ないという意味である。

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