2012年4月9日月曜日

ハンブルグ・ヴァーブルヒ銀行



僕みたいに今まで何もそうしたことのなかった人間が、大体周囲の人間の予想の外に本を書いたりすると、色々な事が起こるものだ。

先ず第一に、昔の知り合いから「本を出版したの?」と連絡が入る。そしてそこには必ず「お前が?」と入る。あるいは、僕も本を売りたいものだから色々な人に告知する。それは高校の同窓会であったり、大学の同窓会であったり、以前勤めていた会社だったりする。「20年ぶりに電話が来たと思ったら本の押し売りか」。また今だとFacebookやTwitterがあるから、これで知り合いをタグっていくという手段もあるだろう、これは今回随分とシツコイ程に使わせてもらった。

そう言ったこと以外にも、全然見知らぬ人から手紙を貰ったりもする。今回は及能正男(きゅうのうまさお)先生から拙著を読んでの感想のお手紙と貴重な資料を頂戴した。

及能先生は僕がこの業界に入った85年頃、金融経済用語辞典や国際金融関係の参考書を書かれていらっしゃった方である。1957年から87年まで30年間を三井銀行にて13年間の駐在員を含む国際部員として過ごされ、後に西南学院大学の経済学部教授になられたとある。駐在員の大先輩でもある。

お手紙を披露するわけにはいかないが、金融業界、あるいは研究者の先輩としての慈愛に満ちた素晴らしい手紙である。そしてご送付頂いた資料はハンブルグ・ヴァーブルヒ家の資料だった。先生は1963年に三井銀行西独トレーニーとしてドレスナー銀行とハンブルグのヴリンクマン・ヴィルツ銀行(個人銀行)の両行に派遣されていたのである。

このヴリンクマン・ヴィルツ銀行こそが現在M.M.ヴァーブルヒ銀行となり、そしてヴリンクマン・ヴィルツ銀行と呼ばれる以前には、すなわちヒトラーによってユダヤ人銀行家がドイツから追放される以前にはウォーバーグ銀行と呼ばれていたものである。ヴァーブルヒとはウォーバーグのドイツ語読みである。そして先生はマックス・ウォーバーグの長子エリックとお知り合いだった。

日露戦争当時、ニューヨークのクーン・ローブ商会ヤコブ・シフから「日本公債をドイツは引き受けるか?」と電報が打たれたが、それを受けたマックス・ウォーバーグの銀行なのである。ヒトラー政権下でのドイツ在住ユダヤ人がどのような目にあったのか、銀行名の復活にはどれほど労苦を要求されたのか、1964年当時でも未だウォーバーグの名前は取り戻せていなかった。今ではロン・チャーナウの「ウォーバーグ‐ユダヤ財閥の興亡」にこの辺りの事情は詳しいが、先生の送付してくださった資料は拙著の中でマックス・ウォーバーグを軽く扱ってしまった私への優しい叱責であったのではないかと解釈している。

しかし先生の書かれたレポートの一つには、例のマックスが日本公債の引受の是非をウィルヘルム2世に問う場面もあり、その一節は「天佑譚」であって、いわいる「講談」の域になっていると先生ご自身も認めているが、それは専門外だから知らぬとも先生は書いていらっしゃったのだwww。大変貴重な論文を頂戴しました。素直に嬉しく思います。有難う御座います。


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