2012年4月9日月曜日

ダウ・ジョーンズ株価指数 cut4


本日も拙著からカットされた部分。

これは第五章、日本海海戦も日本の勝利に終わり、高橋是清がシフとドイツのウォーバーグを中心に第四回の公債募集を行う「シフとの関係で乗り切った第四回公債発行」の後に続くはずのエピソードだった。気前よく日本公債を引き受けるシフのマザーマーケットであるニューヨーク市場が好調であったことを、ダウ・ジョーンズ指数の歴史を交えながら説明しようとした文章である。私としては「O.ヘンリの見た日露戦争」の部分のカットが先だろうと思ったのだけれど、編集者の濃いめの文学分(鉄分みたいなもの)がヘンリのカットを渋ったのでダウ指数が除外された。以下カット、

ダウ・ジョーンズ株価指数

ヤコブ・シフが高橋の申し出をこうも気前良く引受けてくれたのは何故だろうか。もちろん開戦当初と違い日本陸海軍の実力は数々の戦勝で証明されつつあった。またロシアは国内に革命という問題を抱え始めていた。しかし日本は僅か一年間のうちに既に一般会計の二倍に当たる5億2千万円もの外貨を調達していた。ここでさらに3億円というのはいかにも多い金額である。
しかもこれはヤコブ・シフ個人の資金では無く、公募の形式をとり広く一般投資家から資金を募っているのであるからアメリカ証券市場全般の環境も見ておかなければならないだろう。

十九世紀の終わりごろ、正確に言えば一八八二年、ニューヨーク、ウォール街にチャールズ・ダウとエドワード・ジョーンズ、二人でダウ・ジョーンズになるが、ここにもう一人チャールズ・バーグストレッサーを加えて、ダウ・ジョーンズ・アンド・カンパニーとなった会社が登場した。彼らは当初株価や債権の引け値を集計した「カスタマー・アフタヌーン・レター」という手書きの「フリムジ」と呼ばれるコピーを株式市場の引け後に配布していた。そしてこの手書きのフリムジが八九年には「ウォール・ストリート・ジャーナル」とその名前を変えたのである。また九六年になるとチャールズ・ダウは市場全体の動きを捉える為に主要銘柄の平均値を算出したダウ・ジョーンズ平均株価指数を発表した。
ダウ・ジョーンズ平均株価指数には工業株と鉄道株の二種類があったが、工業株価指数は当初十二銘柄、鉄道株指数は二〇銘柄で構成されていた。因みに当初の工業株十二銘柄のうち現在もダウ平均に採用されているのはジェネラル・エレクトリックGE一銘柄だけである。
一方で鉄道株指数の方も航空会社もまだなかったので二〇銘柄の内十八銘柄が鉄道株で、残りは高橋是清がアメリカと日本を往復する際に乗船していた北米航路の太平洋郵船会社、それに電報会社であるウェスタン・ユニオンがメンバーだった。
その後この新聞社は一九〇二年にクラレンス・バロンによって13万ドルで買収されその後の躍進に繋がっていくのであるが、13万ドルは日本円で65万円でしかない。当時の日本の気のきいた相場師でも買えるようなまだまだ小さな規模の会社だったのである。
話が少し横道にそれたがこのチャールズ・ダウのおかげで現代の我々は当時のニューヨーク市場の日々の株価指数を見ることができるのである。因みにロンドン市場に平均株価指数であるFT30が登場するのは一九三五年であり、日経平均の登場は一九五〇年である。

次頁のグラフは一九〇三年九月から一九〇七年末までのダウ・ジョーンズ株価指数である。左軸が工業株指数、右軸が鉄道株指数である。そして灰色の部分が日露戦争の期間に相当する。日露戦争の期間はニューヨーク市場の強気相場に符号していた。

この期間のニューヨークの強気市場を説明する要因として金融史的には3つの顕著な動きが見られた。

一.機関投資家の登場。
一九〇〇年に全銀行の資産が107億9千万ドル、生命保険会社が17億4千万ドルだったものが、一九〇七年にはそれぞれ181億5千万ドル、29億3千万ドルと急拡大している。これらの資産は株式に向かったのである。

二.個人投資家の台頭と金融ジャーナリズムの発達。
先出のウォール・ストリート・ジャーナルやその他にも現代の「フォーブス」や「フォーチュン」に相当する数多くの相場解説の新聞・雑誌が発刊された時期であった。こうした金融ジャーナリズムの発達はウォール街のプロフェッショナルだけではなく個人投資家にも読まれ広く情報が行き渡るようになった。日本公債の募集においても個人による小口の応募が多かったのは既に触れたとおりである。

三.企業情報の開示の進展
この時期は企業による情報開示もまだまだ誇れるようなものではなかったようだが、一八九六年にニューヨーク州公認会計士制度が創設され、一九〇〇年にニューヨーク証券取引所は上場企業に対して損益計算書、貸借対照表の提出を要求した。そして一九〇二年には合衆国公認会計士連合協会が成立している。
こうしたなかでクーン・ローブ商会のオットー・カーンは次のように発言していた。企業リサーチに力を注いでいたクーン・ローブ商会の姿勢がよくわかる一文である。
「われわれはもっともっと営業状況に関する秘密主義から脱却し、民主主義のなかに飛び込んでもまれる必要がある。そして一般大衆を理解するとともに、一般大衆からも理解されるようにしなければならない」

ヤコブ・シフが高橋是清の要求を受け入れてくれた背景にはこうした米国の強気市場の存在があった。またこうした米国の強気市場の中、株式投資によって得た余剰資金を使い勢いに乗って自らの分野で世界制覇を目論む事業家もいたのである。アメリカのフロンティア・スピリットを体現化したような男。

鉄道王ハリマンである。

ここで次のエピソードである「珍客萬来」につながっていくはずだった。



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