2012年7月24日火曜日

インド洋の風


本日のフジサンケイ・ビジネスアイの「投資家のための金融史」は中世の「パクス・イスラミカ」について書いたのだが、インド洋のモンスーンに関して少し説明不足なので付け足しておこう。

地図はインド洋の風の向きを示している。夏には中近東からインドに向けて季節風が吹き、冬には反対方向に風が吹く。現代のように急ぐ旅ではないから交易船は一年に一度往復できれば充分なのである。


夏の風に乗ってインドへ行き、冬の風で帰る。そしてマダガスカルくらいの緯度には東南貿易風が吹いている。迷い込んでもマダガスカルかアフリカ東海岸へは連れていってくれる。これは何もムスリムが最初に発見したのでは無く、イスラム教よりもよほど古くから知られていた。ローマの通貨が南インドで大量に発見されている。インド洋の案内書で一番古いものに紀元前40年頃の「エリュトゥラー海案内記」がある。私は読んだことがないがこれも文庫化されている。


観光地で有名なモルジブなどもこうした風の交易路の中心にあり、特産の子安貝はインド洋沿岸や中国で古くから貨幣として重宝された。アフリカサハラ砂漠以南でもモルジブの貝が貨幣として使われていたところがあるほどだ。

本文で紹介した「イブン・バットゥータの世界大旅行―14世紀イスラームの時空を生きる (平凡社新書) 」はこの道の権威、家島彦一氏によって新書にまとめられて出版されている。これは面白い本だ。また海運史関係のサイトでは篠原 陽一氏が「海上交易の世界と歴史」に貴重な資料を執筆されている。

さて、この地図を見ていて何か気がつかないだろうか? 

東南貿易風のせいで西洋人はなかなかオーストラリアに辿りつけなかったのである。スペイン人は16世紀にはすでにメキシコからフィリッピンへの航路を確保していたが、オーストラリアは南過ぎた。イギリスのキャプテン・ドレークは南アメリカをぐるっと回ってアジア経由で欧州へ帰還したがオーストラリアには気づかなかった。

スコットランド人のジェームス・クックがシドニーに上陸して領有を宣言したのは1770年、アメリカ合衆国が独立する6年前、日本では鬼平がうな重やかきあげ天蕎麦を食べながら盗賊を捕まえている頃である。そういえば鬼平が寿司を食べているのを見たことがない。「おい、大将、今日は何か良いタネはあるか?」とは聞かないのである。

1752年に当時のもっとも輝かしい科学者であるピエール・ルイ・モロード・ドゥ・モベルテュイがオーストラリアについてこう書いている。オーストラリアとは?

「誰でも知っていることだが、南半球には未知の空間があり、そこには既知の4つの大陸のどれよりも大きい世界の新しい部分が存在しているらしい。地球上のほかの部分にはこれより大きな空間はない。しかし、これがすべて連続した海洋で占有されているというより、そこに陸地が存在している可能性のほうがはるかに大きい」(世界探検全史 上 道の発見者たち :フェリペ・フェルナンデス・アルメスト)

風は人類の歴史におおきく影響を及ぼした。



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