2012年9月7日金曜日

元祖ミント・ジュレップ


「夏はビールに限る」とよく人は言う。しかしこれは多分1杯目のビールが喉を通過した直後のコメントに違いない。コップに残った中途半端な温度のビールほど不味いものもない。作家の池波正太郎は生ぬるくならないようにビールとは小さめのグラスに少しずつ継ぎ足して飲むものだと断じている。きっと氏のおかげで銀座の少々高めの割烹などでは、ビールはやたらと小さいグラスでサーブされるようになったのだと思う。

ビールの適温は6度から8度であって、それ以下では風味が損なわれるとか言うが、夏場はキンキンに冷えたビールこそがおいしい。バーベキューをする時に氷の浮いたバケツに入っている缶ビールなどは最高においしいものだ。


苦味の少ないバドワイザーみたいな淡白なビールは摂氏2度くらいがお奨めらしい、夏のビールは冷えた淡白な味がいい。クアーズもいいし、東海岸ならばローリングロックはおすすめだ。コメの混じった日本のビールも6度とかいわないで冷たいほうが美味しいと個人的には思っている。

真夏の街にまだ熱さの残る夕方にショット・バーに飛び込んでカクテルも悪くない。ジン・フィズやジン・リッキーなんかもお奨めだが、暑い地域で暑い季節のカクテルといえばミント・ジュレップをはずすわけにはいかないだろう。潰したミントに砂糖とソーダ水とバーボン、ここにクラッシュド・アイスをこれでもかと詰め込みよくステアする。そして最後にミントの若芽をデコレートしてストローを添える。
このカクテルにはブランデーやジンのバリエーションもあるが、発祥がアメリカ南部なのでやはりバーボンがふさわしいだろう。ケンタッキー・ダービーの公式のカクテルだし、南北両カロライナ州はミント・ジュレップこそは彼らのカクテルであると主張している。また観光客で賑わうニューオリンズでも名物なのである。起源は18世紀終わりから19世紀初頭と言われているように歴史的にも随分古いのである。
しかしどうなのだろう、このカクテルにはクラッシュド・アイスが必要である。生温いバーボンに砂糖とミントなんか入れたら薬になってしまうだろう。つまりだ。冷蔵庫が発明されるまでこのカクテルは夏のケンタッキーやニューオリンズや南北カロライナでは作れないはずなのだ。どう考えても。
製氷装置が発明されて実用に供されるのは1870年代の初めで、船に冷蔵庫が設置されたのは同じく70年代の後半である。だとしたら、それまでの間灼熱の地でミント・ジュレップを作るバーマンは一体どうやって氷を調達していたのだろうか?



ミルトン・フリードマンはその著書「貨幣の悪戯」の中で貨幣量の変化について説明するためにオーストラリアの古い金鉱街の掲示板に貼ってあった一枚のポスターを引き合いに出した。そのポスターにはこう記してあった。

「氷、それも冬期にマサチューセッツのウォーデン湖から切り出された氷がおがくずに包まれて船倉に積み込まれた。船は南アメリカの南端を回り、遥かメルボルン目指して広大な太平洋を約1万5千マイルも航海してきた。メルボルンに着くや氷は荷馬車に移され、この金鉱街を目指して百数十マイルを疾走した。幸運なる、富める新参の金鉱労働者よ、黄金の飲み物で喉の渇きを癒そうではないか。。。」


貨幣量の変化への示唆はこの氷が高価なものであったことから想像してもらうとして、なんとマサチューセッツからメルボルンまで氷を運んでいたのである。
記述は無いが19世紀前半の時代と航路から見てこれは帆船である。ボストンとオーストラリア間では石炭補給の関係から20世紀に入るまで帆船のほうが経済効率がよかったのである。
実はこの氷会社はボストンの氷王と呼ばれたフレデリック・チューダーのチューダー・アイス・カンパニーのことである。アメリカ南部やカリビアン地方、はるかインドにまで氷を輸送した。当初は氷の歩留まりが悪く採算に乗らず苦労はしたものの、後に経験を積みビジネスは大成功して大金持ちになった。もっともその後にコーヒー相場に失敗して破産したらしいのだが。

彼は1815年にはキューバのハバナに(マルガリータの発明に関与したに違いない)、その翌年にはチャールストン(サウス・カロライナ)、サバナ(ジョージア)、ニューオリンズ(ルイジアナ)にマサチューセッツの氷をとどけている。

何のことはない、つまりはチューダーが氷を届けた場所がミント・ジュレップの元祖だと名乗っているわけだ。 と思う。

追記:テキーラ・ベースのマルガリータではなく、キューバであればラム・ベースの「ダイキリ」か「モヒート」が正解かな。ダイキリは古いからヘミング・ウェイの愛したフローズン・ダイキリの発明に関与したが正しいのだろう。



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