2012年10月16日火曜日

チャップリンと菊池寛と無声映画


今朝のビジネスアイに連載中の【投資家のための金融史】は45話目で「1929年の大暴落」の話でした。

ビジネスアイ【投資家のための金融史】大暴落とチャプリンの「街の灯」

今回は大暴落を1500字前後でどう書けばよいのか相当に悩みました。何冊か本を読みなおしたりして書くのに相当時間がかかりましたが、アウトプットの分量はリンクにあるとおりです。今なら大暴落に関する大抵の質問には答えられると思いますが、文章では表現しきれませんでした。それでも今朝印刷されたビジネスアイを見ると1600字を超えてしまっているので編集の方には紙面の配分でかなり無理をして頂いているのがよくわかります。

昨年のヒット映画にミッシェル・アザナヴィシウス監督の「アーティスト」があります。映画界が無声映画からトーキーに移行していく時代に、それについて行けないスターの苦悩とそれにまつわるロマンスをテーマにした映画です。稀に見る「後味」の良い映画ですので是非ご覧ください。

チャップリンは当初音付きの映画を否定しました。こんな子ども騙しなものは芸術では無いと考えたのです。確かに黎明期の映画の音響はひどいものだったそうです。それでも世の中がすべからくトーキーに変わる中、「街の灯」はあえて無声を選びました。実際にはセリフが音声で無いだけで音響の機能は使っています。チャップリンはドイツでの試写会はアインシュタインと見ています。仲が良かったのですね。

日本でも菊池寛が同じ年の1929年6月(昭和4年)に「発声映画時代」というエッセイをサンデー毎日に書いています。

「トーキーといふものは、1つの新しい発明として確かに驚くべきもので、一度は見ておいてもいいものだらう。しかし、今、日本に来初めているアメリカ物のトーキーが将来の映画界を支配するものとは思はれない」

菊池寛はトーキーはトーキーで無声映画は無声映画で別物の芸術として両者発展していくのではないかと考えていたようです。さらに彼はトーキーは金がかかるそうだから、資本の貧弱な日本では無理だろうと感想を述べています。当時の日本の経済的立ち位置の縮図ですね。

トーキーに否定的だったのはチャップリンが特別だったわけでは無いのです。

2012年10月11日木曜日

第4章9話 日露戦争に見る国際協調融資


ビジネスアイのサイトにはグラフがついていないので、ここに掲載しておきます。


日露戦争に見る国際協調融資

 日本人にとっての日露戦争は司馬遼太郎のベストセラー小説「坂の上の雲」の影響が強く、児玉源太郎の指導による明治陸軍の精強さと東郷元帥による日本海海戦の奇跡的な勝利が大きく印象に残ってしまうが、高橋是清による戦費調達の貢献度はそれに劣らない。

 交戦国であるロシアと日本は1897年の同じ年に金本位制を採用し、為替をイギリスなど先進国と固定した。当時、金本位制を採用するということは「承認の印章」と呼ばれ、先進国の証しでもあったし、国際資本市場で資金調達するための基本条件でもあった。

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 両国とも開戦が決定するとすぐに金本位制維持の決定を発表した。これは自国の為替レート下落による戦争物資輸入への影響を考慮したからである。
 日本は日英同盟を手がかりに、英国政府が保証をつけて債券発行のサポートをしてくれるものと考えていた。しかし英国は南アフリカのボーア戦争の財政負担の影響から脱しておらず、日本にとっては期待はずれだった。

 アカデミズムの世界では、日露戦争は「第0次世界大戦」とも例えられる。産業革命以降初めての本格的な機械化戦争という意味である。前例のない規模となったこの戦争について、日露両国ともその認識が甘く、戦費を過小評価していたのである。

 日本は日英同盟によってロンドン市場で起債したが、ロシアは露仏同盟の関係からパリ市場で起債した。グラフは両国国債のロンドン市場における利回りの推移である。


 1904年2月の開戦時に日本国債は大きく売られ、両者のスプレッドは2.23%にまで達したが、当初絶望的だと考えられていた日本の起債が米国金融業者であるクーン・ローブ商会によってアメリカで募集されることが決定されると、一気に1%までに低下した。

その後、旅順要塞の陥落など日本の戦果もさることながら、1905年1月の「血の日曜日事件」などロシアの内乱によってフランス革命時のデフォルトが意識され、当初ロシア寄りであったフランスやドイツの離反を招き、日本よりもむしろロシア側の債券発行が困難になっていった。そして最後に日本海海戦での日本の圧倒的な勝利が、戦費面でのロシアの戦争継続を困難ならしめ、講和の席につかざるを得なくさせたのである。最終的に日露両国のスプレッドはほぼゼロになった。

 日本は戦中に4回の国債、戦後には借り換え債を2回発行した。第1回から3回は英国と米国市場、第4回にはドイツが加わり、戦後の第5回の発行では英、米、仏、独と先進国すべての市場で債券を同時発行する初めての大規模国際協調資金調達となった。日露戦争は日本の国際金融市場へのデビューでもあったのだ。

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 日本は開戦前に5600万円だった公債残高が戦後の1907年には22億7000万円にまで膨らんだ。ポーツマス条約でロシアから賠償金を取れなかったために戦後の国債費は国家予算の3割にも達し、高い水準を維持した軍事費とともに国家予算を圧迫し続けた。日本はその後の第一次世界大戦の特需によって借金を返済するが、同じように債務を重ねたロシアは革命によってデフォルトを起こしてしまうのであった。

 日露戦争のファイナンスと当時の日本国財務官である高橋是清の活躍は拙著「日露戦争、資金調達の戦い」(新潮選書)に詳しい。

2012年10月3日水曜日

【ビジネスアイコラム】市場は尖閣の先を見通しているのか


【ビジネスアイコラム】市場は尖閣の先を見通しているのか

英誌エコノミスト9月22日号の表紙はいささかショッキングだった。紺碧の東シナ海に浮かぶ尖閣諸島を真ん中に「こんなちっぽけな島のためにアジアは本当に戦争をするのだろうか?」と問いかけている。当の英国は30年ほど前に大西洋上のちっぽけなフォークランド諸島のために現実に軍を動員し、1000人を超える死傷者を出しながら勝利しているのだから、軽いたとえ話と切り捨てることはできない。

多数の市場参加者たちによる予想や思惑が凝縮された株式市場の価格形成には、将来を予見する不思議な力があると、一部では信じられている。株価は景気に先行して動き、実体経済はその1年後に追随する。確かに株価が上昇して投資家の可処分所得が増加し消費が刺激され景気が回復するというプロセスはある。あるいは企業業績がピークを打つ前に既に株価は高値を形成して下落していたということもままある。現代でもこうした市場観測をするアナリストもいる。株価がすべてを知っているという考え方だ。

経済学者のポール・サミュエルソンは株価の予見性をこう評した。「株式市場は過去5回の不況を9回も予測した」。つまりまるっきり外れるわけではないが、信頼できるインディケーターでもないのである。

7月に他界した元モルガン・スタンレーの著名ストラテジスト、バートン・ビッグス氏は2008年に出版した「富・戦争・叡知 」(日本経済新聞出版社)の中で株式市場の持つ予見性について、第二次世界大戦を題材に分析している。イギリスの株価は、ドイツ軍の勢力がまだ圧倒的だったフランスの降伏やダンケルクの撤退時点で底を打ち、その後の戦勝を予見している。またニューヨーク・ダウもミッドウェーの前の珊瑚海海戦時点で底を打っていた。

一方、第一次世界大戦については1910年出版のノーマン・エンジェル「大いなる幻想」が「戦争は廃れて過去のものになり、支配下民族の搾取ではなく貿易と産業が国の繁栄の鍵になる。軍事侵略の莫大なコストから得られるものはなにもない。人類はこの現実を理解し始めていてナショナリズムの情念は急速に弱まってきている」と述べた。100年前も誰もまともな国が経済的に引き合わない戦争などをはじめるとは考えもしなかったのである。

ニューヨーク・ダウ指数も戦争をまったく予見していなかった。フェルディナント大公夫妻がサラエボでセルビア人の青年によって暗殺されたのが1914年7月28日火曜日。ダウは29日に値を保ったものの7月30日に突然7%下落すると翌日からは休場となり、12月に再開されたときにはさらに21%も下落していた。投資家はサラエボ事件が世界大戦になるとは考えなかったのだ。

相場格言にニーチェの言葉がある。「個人が狂うことはあまりないが、集団はだいたい狂っている」(作家 板谷敏彦)