2012年10月11日木曜日

第4章9話 日露戦争に見る国際協調融資


ビジネスアイのサイトにはグラフがついていないので、ここに掲載しておきます。


日露戦争に見る国際協調融資

 日本人にとっての日露戦争は司馬遼太郎のベストセラー小説「坂の上の雲」の影響が強く、児玉源太郎の指導による明治陸軍の精強さと東郷元帥による日本海海戦の奇跡的な勝利が大きく印象に残ってしまうが、高橋是清による戦費調達の貢献度はそれに劣らない。

 交戦国であるロシアと日本は1897年の同じ年に金本位制を採用し、為替をイギリスなど先進国と固定した。当時、金本位制を採用するということは「承認の印章」と呼ばれ、先進国の証しでもあったし、国際資本市場で資金調達するための基本条件でもあった。

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 両国とも開戦が決定するとすぐに金本位制維持の決定を発表した。これは自国の為替レート下落による戦争物資輸入への影響を考慮したからである。
 日本は日英同盟を手がかりに、英国政府が保証をつけて債券発行のサポートをしてくれるものと考えていた。しかし英国は南アフリカのボーア戦争の財政負担の影響から脱しておらず、日本にとっては期待はずれだった。

 アカデミズムの世界では、日露戦争は「第0次世界大戦」とも例えられる。産業革命以降初めての本格的な機械化戦争という意味である。前例のない規模となったこの戦争について、日露両国ともその認識が甘く、戦費を過小評価していたのである。

 日本は日英同盟によってロンドン市場で起債したが、ロシアは露仏同盟の関係からパリ市場で起債した。グラフは両国国債のロンドン市場における利回りの推移である。


 1904年2月の開戦時に日本国債は大きく売られ、両者のスプレッドは2.23%にまで達したが、当初絶望的だと考えられていた日本の起債が米国金融業者であるクーン・ローブ商会によってアメリカで募集されることが決定されると、一気に1%までに低下した。

その後、旅順要塞の陥落など日本の戦果もさることながら、1905年1月の「血の日曜日事件」などロシアの内乱によってフランス革命時のデフォルトが意識され、当初ロシア寄りであったフランスやドイツの離反を招き、日本よりもむしろロシア側の債券発行が困難になっていった。そして最後に日本海海戦での日本の圧倒的な勝利が、戦費面でのロシアの戦争継続を困難ならしめ、講和の席につかざるを得なくさせたのである。最終的に日露両国のスプレッドはほぼゼロになった。

 日本は戦中に4回の国債、戦後には借り換え債を2回発行した。第1回から3回は英国と米国市場、第4回にはドイツが加わり、戦後の第5回の発行では英、米、仏、独と先進国すべての市場で債券を同時発行する初めての大規模国際協調資金調達となった。日露戦争は日本の国際金融市場へのデビューでもあったのだ。

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 日本は開戦前に5600万円だった公債残高が戦後の1907年には22億7000万円にまで膨らんだ。ポーツマス条約でロシアから賠償金を取れなかったために戦後の国債費は国家予算の3割にも達し、高い水準を維持した軍事費とともに国家予算を圧迫し続けた。日本はその後の第一次世界大戦の特需によって借金を返済するが、同じように債務を重ねたロシアは革命によってデフォルトを起こしてしまうのであった。

 日露戦争のファイナンスと当時の日本国財務官である高橋是清の活躍は拙著「日露戦争、資金調達の戦い」(新潮選書)に詳しい。

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