2012年11月12日月曜日

かわはぎと葱の小鍋


昔銀座に愛想こそ無いがとても美味しくて小さい割烹があった。オーナー兼板長は吉兆で修行したと常連からいわれていたが、当時の僕は吉兆が嵐山吉兆や大阪吉兆とかにいくつも別れていることすら知らなかったので、どこの吉兆だったかはわからない。しかしこの店の凄いところは高級食材のメニューではなく、卵焼きやしめ鯖などのありきたりの食材でものすごく美味しく料理を出すことにあった。お値段は高級食材を出す店並の値段だったのだけれど。

10年ほど前のある日。ちょうど今の時期。11月の第2週目だったと思う。メニューにかわはぎの小鍋があった。小さい土鍋に昆布をひいて、かわはぎと白ねぎだけでポン酢でいただくのである。肝とかはよくすり潰して使うが、彼は肝を使わなかった。そしてこれがもう、とんでもなく美味しかったのだ。彼が言うには11月の一時期だけかわはぎがフグよりも美味しくなる瞬間があるのだそうだ。あれから11月になると自分でかわはぎを買って試してみたが、残念ながら僕がやっても全くお話にならないのである。でも「鍋の具材はシンプルに」はそれ以降実践しているし、利尻の上等な昆布は買いだめしてある。

http://www.suginamigaku.org/
土鍋の小鍋をつつくのを池波正太郎は常夜鍋と呼んでレシピをたくさん書き残している。お燗をちびりちびりと飲(や)りながら自分一人用の鍋をつつく。薄くスライスした豚肉と葱だけのシンプルなものをすすめていた。願わくば火消しの親分なんかが時代劇で使っている長火鉢なんかがあると良いのだろうなと思う。

ところで読者のあなたは鍋とかシチューやスープの発祥がほぼ間違いなく日本だったということをご存知だろうか。多分、知る知らないより以前にあまりそんなことを考えたことが無いのではないかと思うのだが。シチューやスープなんてあまりに包括的過ぎるし、そんなもの世界中のどこででも自然発生的に始まったのではないかと考えるのではないだろうか。僕も煮炊きを始めたのが地球上のどの辺りの人間かだなんて思いつきもしなかった。

しかし物事は少し違うアングルからとらえると退屈なものも光輝いて見えることもある。それは何かというと縄文土器のことだ。(縄文土器は退屈じゃないけれど)

我々は学校で日本史の最初の頃に例外なく縄文時代と弥生時代を習うわけだが、僕には先生から煮炊きは日本人が世界のどの地域よりも早い時期に行なっていたなどと教わった記憶が無い。僕の高校時代はサボってばかりいたので、もしかしたら僕の記憶に無いだけかもしれないので、念のためwikiの縄文時代を読んでみたが、全体として時代を細かく記述してはいるものの、そうした世界史の中での特異な位置づけを強調してはいない。

農耕生活に入る以前の人類は獲物を追って移動を繰り返す狩猟採取生活をしていた。これが紀元前1万年頃の中石器時代後期、氷河期の終わり頃に地球が暖かくなり気候が安定してくると定住し穀物の耕作が始まった。地域によって時期が異なるがメソポタミアでいえば定住して農耕が始まるのは紀元前9千年頃である。人類は狩猟生活で移動している間は土器を持たなかった。これは何故かといえば土器などは重たくて移動に適してはいなかったからだ。

ところが日本の縄文時代というのは稲が日本に到来する前の話で縄文土器の古いものは紀元前1万6千5百年クラスのものもある。メソポタミアよりも数千年も古いのだ。日本の狩猟採集生活は浜辺の貝、魚や木の実を食べていたから早くから定住して縄文土器を作った。こうした土器の内側からは食物の貯蔵だけではなく煮炊きした跡が残されている。世界の他の民族は定住するまで土器を持たなかった。そして単純に考えてスープやシチューは鍋がなければ作れないわけで、だとすると世界でも珍しく土器を持っていた日本が間違いなく世界で一番初めにシチューやスープを調理したということになるわけだ。なんだか凄い。ような気がする。 あんまり人前で言わない方がよいかもしれないけれど。


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