2012年11月17日土曜日

【投資家のための金融史】 戦争の足音と東京市場

 第5章 第二次世界大戦前後の証券市場 ビジネスアイへのリンク

 3話 戦争の足音と東京市場

高橋蔵相が1936年の2・26事件によって暗殺されると、日本は軍事予算を拡大し、翌年には盧溝橋事件によって日中戦争に突入した。日中戦争の遂行には原油や鉄鉱石などの1次資源と技術的に高度な工作機械などの製品輸入が必要であり、そのためには基軸通貨であるドルの確保が必須だった。

戦中のお寺の鐘やマンホール、果ては台所の流し台まで供出させられた金属類回収令は有名だが、金も新聞社などの主導で37年ごろから硬貨、指輪、時計、宝石などの国民による自主的な供出が行われた(金献納運動)。これらはただではなく一定価格の円で対価が支払われたのだが、国にとって必要なものはドルと交換可能な金であり、一方で円の紙幣なら印刷すればよかったのである。

                
英国でも、41年に米国の武器貸与法が成立し輸入代金が不要になるまでは、米からの輸入品に対してドルが必要だったので、国内のドル建て証券保有者から政府がポンド建てで証券を購入し、それを米で売却しドルに変えていた。日本と同じようなことをしていたわけだ。

日本は石油やくず鉄、希少金属を含む戦略物資のほとんどをアメリカから購入していた。だから常識的にはアメリカとの戦争は考えられなかったが、盟友ナチス・ドイツが、ブロック経済化の延長でヨーロッパでのアウタルキー(自給自足経済:自存自衛の基礎)を実現しつつある状況から影響を受けた。

日本はインドネシアの原油や中国大陸を含む東亜全域にわたる大日本帝国独自のアウタルキーを確立し、米英依存脱却を目指すことになった。そうした動き自体が、今度はアメリカによる経済制裁を誘発し、日本としてはさらなるアウタルキー確立に向かわざるを得なくなるという悪循環が生まれ、最終的には戦争に至った。

41年7月、日本の南部仏印進駐に応じてアメリカは日本の在米金融資産を凍結した。ニューヨーク外為市場から円が消え、連銀は日本に対して窓口を閉じた。日本はたとえ金を持っていてもドルとは交換できず、石油など戦略物資の購入は決済不可能となったのである。

  
日本の大蔵大臣はドル建て外債の債務利払い継続を発表したが日本帝国外債は買い手がつかず額面の20~30%に低落してしまった。日本は金銭での交易ができなくなった以上、大きく譲歩するか、略奪するか以外に国家存亡の道は残されていなかった。



東京株式市場は開戦初頭の真珠湾攻撃や香港、シンガポール占領に応じて上昇基調となった。好調な戦争の滑り出しに、兜町の中にはニューヨークやロンドンのように東京市場が大東亜共栄圏の金融の中心地として繁栄を謳歌(おうか)すると真剣に考え始める者もいたし、近いうちにわが国土になるであろうオーストラリアへの移住を考える気の早い人もいたそうである。

ミッドウェー海戦の敗北は国民に知らされず、日本協同証券や日本興業銀行による株式買い上げなどにより株価は開戦後1年の間は強含みに推移した。

43年3月に入ると政府は日本証券取引所法案によって金融市場の統制強化を目的に全国取引所を国有化してしまった。日本証券市場開闢(かいびゃく)以来の東京・大阪両取引所株は兜町や北浜の人々に惜しまれながら上場廃止となったのである。「兜町盛衰記」によれば、このころから兜町では大本営発表のニュースを信用しなくなったそうだ。

株式市場は、自由な場所でしか栄えることはない。買い支え機関によって株価は値を保ったが、円でろくにものが買えない以上これは画に描いた餅だったのだ。

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