2012年11月28日水曜日

【投資家のための金融史】黄金の60年代と利回り革命

第5章 第二次世界大戦前後の証券市場
 
 8話 黄金の60年代と利回り革命 ビジネスアイ
 
ジャック・レモン演じるバクスターは、ニューヨークの保険会社に務める独身のサラリーマンである。上司の不倫のために自分のアパートの部屋を貸してゴマをすっていたら、上司の不倫の相手は自分のあこがれの人だった。
 
ビリー・ワイルダー監督の名作「アパートの鍵貸します」が撮られた1960年ごろのアメリカでは会社人間が跋扈(ばっこ)し、日本のバブル期と同様にサラリーマンの上司は不倫ばかりしていた。バクスターは今でいう家畜ならぬ「社畜」だった。会社にしがみついていれば人生はバラ色だと信じていたのだ。
 
その翌年にワイルダー監督は、ジェームス・ギャグニーを主演に据え「ワン・ツー・スリー」というドタバタ・コメディーを撮った。これはベルリン・コカ・コーラの超会社人間の支社長が主役である。ベルリンの壁ができる前に、色仕掛けで共産圏にコカ・コーラを売り込もうという強引なストーリーだが、家庭サービスに厳しいはずのアメリカ人の奥様もモーレツ社員の夫の仕事に対してそれなりの理解を見せている。「コカ・コーラ帝国主義」とも揶揄(やゆ)され、アメリカ製品を世界に販売しまくったこの時代は、バブル期の日本と何かと共通点が多い。
 
 
第二次世界大戦後の米株式市場は戦後のインフレ懸念からしばらくはもたついた展開となったが、1952年に5代も続いた民主党政権も終わりアイゼンハワーが大統領になると、NYダウは250ポイント近辺の水準から66年2月9日の995.15ポイントまで約15年間にわたってブルマーケットが続くことになった。ベルリン・コカ・コーラのように、ブレトン・ウッズ体制下で覇権通貨となったドルを背景にして、アメリカの企業は世界中に展開し多国籍企業となった。
 
「熱狂の20年代」に対して「黄金の60年代(シクスティーズ)」と呼ばれる時代である。
 
戦時中に国債販売促進によって拡大した証券保有者層の行き場のなかった貯蓄が、テレビや宇宙など新しいテクノロジーの登場とともに株式市場になだれ込んだ。ポリオワクチン、冷凍食品、プラスチック・レコードなどこの時期に新しいテクノロジーで新商品を開発した企業は記録的な増収増益を果たしている。戦争から帰った若者は結婚し、郊外に家を建て、家電と車を買った。
 
 
         
証券業界も積極的なマーケティングを展開した。メリル・リンチ証券はアナリストを大量に採用し、投資家には無料で調査リポートを配った。また日本の投信にあたるミューチュアル・ファンドが大きく成長した。
 
昔からアメリカの証券業界では「ミューチュアル・ファンドは売られたのであり、買われたのではなかった」といわれている。50年の資産残高は25億ドル、70年には600億ドルになっていた。セールスマンたちは美しく印刷された資料を手に、歩合制で売り歩いたが、メリルだけは強引な販売を禁じ、固定制だった。
 
50年にはGMが従業員に普通株式を組み入れる年金基金を提案し、その後GMを見習う企業によって8000件の年金プランが作られた。それ以前の年金は、株式などに投資しなかった。教員保険年金協会(TIAA)は株式投資の可能なCREFを創設し、会員の株式への需要に対応することになった。
 
こうして投信や年金などの機関投資家を通じて一貫して株式の個人資産への組み入れが進行する中で、派手なパフォーマンス(成績というよりは振る舞い)を売りにしたゴーゴーファンドが現れた。こうしたファンド・マネージャーたちの一部は70年代に入って相場が停滞した後も生き残った。そして「健全」というコンセンサスを得た特定の銘柄群とそれ以外の銘柄による二重相場が出現し、ニフティ・フィフティ(すばらしい50銘柄)相場と呼ばれるようになった。
 
株式投資が大衆化し、機関投資家の株式組み入れが進んだこの時期に「配当革命」が起こった。株式は誕生以来、その不確定な投資家収益のために債券利回りよりも高い配当利回りが要求されてきたのだが、株式は長期保有により、その成長の果実を受け入れられるとの認識のもとに、この時代に初めて利回りの逆転現象が起きたのである。
 
 
そして2012年の今はそれが50年ぶりに再び逆転しようとしている。つまり株式の成長の果実に対する確信が揺らぎ始めたのだ。
 
 

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