2012年11月29日木曜日

【投資家のための金融史】日本の高度経済成長

第5章 第二次世界大戦前後の証券市場  ビジネスアイ

 9話 欧米に追いついた日本の高度経済成長

1955年から70年ごろまで、日本の実質経済成長率は年率10%にも及ぶ期間が続いた。「高度成長期」である。80年以降の中国の成長率もこれに近いので、今でもなにかと比較されたり、中国の成長段階を占う材料にされたりする。

アンガス・マディソンの1人当たり実質GDPでみると、日本は第二次世界大戦で大きく毀損(きそん)し米国の10分の1に当たる1346ドルまで下落した。その後56年に戦前の水準を回復すると70年には65%、90年には80%の水準まで米国を追い上げることになる。高度成長の理由に焼け跡から立ち上がった日本人の頑張りと勤勉さもあるが、戦前の日本人も勤勉だった。



 

国外から見た日本の高度成長の要因をアンドルー・ゴードンの大学生用現代日本史のテキスト「日本の200年」(みすず書房)を参考に記述すると、戦前と異なる点はまず、敗戦で軍が解体され米軍の安全保障の傘と平和憲法によって軍事支出が抑制されたこと。またアメリカの「黄金の60年代」のように他国の経済が堅調な中で、米国主導のGATT(関税および貿易に関する一般協定)による開かれた戦後の貿易システムの存在もあった。

手ごろなコストでの先進技術のライセンス取得は製品の模倣をしやすくしたし、ブレトン・ウッズ体制によって固定化された為替レートがやがて円安になったため、これがあたかも輸出補助金のような役割も果たした。中東から安価で安定したエネルギーの供給があったことも大きかった。

こうした優位性が、71年のニクソン・ショック以降に変調をきたした。変動為替相場への移行に伴って円安の優位性を失い、その後の石油ショックによって安価で安定したエネルギー供給の利点が損なわれると、日本の成長率が目に見えて低下したことがグラフから読み取れる。グラフは縦軸が対数値になっており、グラフの線の傾斜がが成長率を表している。


       
視点を変えて日本国内から見た場合はどうなるか。吉川洋著「日本経済とマクロ経済学」(東洋経済新報社)は「農村の“過剰人口”が枯渇したことによる人口移動の低下、その結果としての世帯数伸び率の急速な鈍化、あるいは既存の耐久消費財の普及率が高まったことと、こうした条件変化を背景とする国内需要の低迷によって利潤率および設備投資の趨勢的低下がもたらされた」と説明されている。どちらも正しいのだろう。

この日本の成長率の屈折点はちょうど、イギリスやドイツ、フランスなどヨーロッパ先進国の1人当たり実質GDPの水準だった。追い抜けそうで、抜けないのである。

またどうしても日本は輸出主導のイメージが強いが、50年代から70年代にかけての日本の輸出はGNPの11%程度であり、これは欧州先進国の半分の水準だった。ドル獲得のために輸出は重要だったが、成長の原動力は国内市場の消費財需要の伸びだったのだ。

戦後の日本では、占領軍が戦前の統治体制をそのまま利用したこともあり、戦時体制の延長で大蔵省が産業界への資本投下を調整し、通商産業省が民間企業の事業計画に介入した。法律でもない「行政指導」は「日本株式会社」とともに海外で有名になったが、それは一定の役割を果たしたのである。

資本主義を標榜(ひょうぼう)しながら国家が資産配分を統制していた姿は、他国から見れば現代の中国に重なったのかもしれない。日本は、80年に1人当たり実質GDPでイギリスに追いつくと、バブル経済の中でアメリカの水準に迫り出した。しかしながら一見順風満帆そうに見える日本の「高度成長期」にも、株価は一本調子で上昇したわけではない。次回は64年の東京オリンピック直後に発生した証券恐慌を扱う。

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