2013年7月29日月曜日

映画『風立ちぬ』を見て


僕は小さい頃から戦闘機や軍艦が好きで、それは多分僕らの年代では漫画「ゼロ戦はやと」や「ゼロ戦レッド」、「紫電改のタカ」などという戦記物の漫画が流行りで、当時の月刊誌やサンデーやマガジンそれにキングなど週刊誌も表紙が戦艦「長門」だったり、海軍局地戦闘機「雷電」だったりして、第2次世界大戦の戦記や兵器の詳細は友達と共有できる重要な情報だったのだ。今のガジェットにやたらと詳しい奴とおんなじだ。その習癖は大人になっても残り、海外にいた時にも大量の戦闘機や軍艦の図鑑を収集するはめになった。

それにプラモデルが全盛期で、飛行機ならば72分の1スケール、これは日模田宮長谷川青島などの国産キット・メーカーに限らず、アメリカ製のレヴェル社(これはあまり高品質では無かった)、イギリスのエアフィックス社などもあった。さらに32分の1スケールになるとアメリカ製のモノグラム(現レヴェル社)やホークというメーカーがありこの2社は精密で高価でバリも無くプラモデルのロールス・ロイスのような存在だった。

おかげ様で今ではシルエットを見るだけで戦闘機の型番や軍艦の活動時期(改造型)も言えるほどになっている。もちろん何の役にも立ちはしないけれど。従ってジブリの「風立ちぬ」のポスターを見た時は、背後に書かれた飛行機はその逆ガル・ウィングから、96艦戦か99艦爆のデフォルメかと言う印象を持ったのだが、果たして96艦戦の基となった海軍の九試単座戦闘機1号機と聞いて納得したものだった。

映画は行く前にいくつかの感想ブログを拝見していた。特に堀越が特別な階級の人間であって、「美だけを追求するエリートで薄情な男」という講評は映画を見ている間も頭を離れなかった。戦前の三菱航空機の技師であれば確かに裕福だったであろう。また課長宅に離れがあったが、多分お手伝いさんもいたのだろうと思う。当時の大企業の課長職の収入は平社員の約10倍だった。残業代をケチる為に管理職にしてしまおうなんていう現代とはわけが違うのだ。したがって何かめでたいことがあった時や、年末の忘年会なんかは課長の家でやったりしたものだったそうだ。街には仕出し屋がたくさんあっって、法事だけではなく、こうした自宅での小宴会の料理にも対応していたのだ。

と、話は全然関係の無いほうに行ってしまったが、アプト式電気機関車や寝台車、バスに自動車、果てはユンカースのG38まで登場してノスタルジーをバラ撒いてはくれたものの、なんだかあんまり面白く無かった。「紅の豚」の持っていた興奮やロマンを感じなかったのだ。紅の豚の飛行艇は機関銃を搭載していた、ライバルの競技用のカーチスの飛行艇までも実は機関銃を搭載して、実弾で撃ちあっていたのだ。当たらない(人を傷つけない)のだけれどね。

今回は、そう、少女漫画みたいだった。もちろん少女漫画を好きな人もいるだろうし、僕も山岸凉子さんの『舞姫 1―テレプシコーラ (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ) 』は大好きなんだが。。。

僕もロマンスのシーンだけは悔しいかな散々にハンカチを使わされたけれど、昭和30年代のエセ軍国少年には「飛行機へのロマン」が少々物足りなかったのだ。ごめんね。

2013年7月24日水曜日

大いなる探求ー ホー・チ・ミン


「読み物」としての経済学史、シルヴィア・ナサ―の『大いなる探求(上) 経済学を創造した天才たち 』(新潮社)を読んでいる。最初のマルクスのあたりは少し冗長にも感じたものの、シュンペーターと第1次世界大戦敗戦後のオーストリアのウィーンの記述あたりからすこぶる面白くなってきた。

ここのところ戦間期関連の本を読んでいるので、この時期は洋の東西を問はず、記述自体にまるで何度も訪ねた外国の街みたいな親近感が持てる。これは言い換えると、旅行で行く外国の街程度にしか、よくわかっていないということなのだろうけれど.

例えばパリ講和会議のために英国外交団が宿泊施設に選んだのはホテル・マジェスティック。最近読んだ本では三度目の登場だが、今回はベトナムの指導者ホー・チ・ミンがそこで皿洗いをしていたなんて話が書いてある。もちろんそれだけなら単なる偶然の話であって、たいしたことは無いのだが、この会議はやがて国際連盟の設立へと繋がっていく。その時米国西海岸で湧き上がった日系人移民排斥の動きに対して、日本が提出した人種差別を禁止する法案は、列強国によって却下されてしまうのだ。するとホー・チ・ミンがそこにいることにも意義が出てくる可能性もある。

と、ここまで書いて、ホー・チ・ミンは本当にマジェスティックで働いていたのか?

wikiで見ると彼はカールトン・ホテルでペーストリー・シェフの見習いとして働いていて、伝説のシェフ、オーギュスト・エスコフィエの薫陶を受けていることになっている。もしも原稿料を貰う文章に書くのであれば、この先を調べなければいけないだろう。もしかしたら「ホーおじさん」はマジェスティックからカールトンに移ったのかもしれない。

他にもこの本ではミクロネシアの石貨が「大昔」の話と書いてみたり、意外に雑な印象も受けている。石貨が大昔(原始時代)だと勘違いしている経済学者は意外といるのです。

コインができるギリシャ時代よりも前に?

(拙著『金融の世界史: バブルと戦争と株式市場 (新潮選書) 』第8章参照)

追記:僕も勘違いしていた。カールトンはロンドン、ホーさんは1917年12月にパリに戻る。そこでマジェスティックで働き始めたのだろう。オーギュスト・エスコフィエの薫陶を受けたにもかかわらずパリでは皿洗いになった。ということか。



2013年7月15日月曜日

『キメラ―満州国の肖像』山室信一著


世界史のなかの満洲帝国と日本 (WAC BUNKO) 』宮脇淳子著(WAC)を読んだ。筆者はモンゴル史、東洋史、高名な岡田英弘氏の奥さん。チャンネル桜などでは、日本の戦後教育における「自虐史観」について多く語られている。本書はTVでお見受けする印象とは少し違う。『キメラ―満洲国の肖像 (中公新書) 』山室信一著(中公新書)の読後に読むのにはいいと思う。多くを知ってから読むべきだ。またモンゴルなどの記述など、読んで良かったと思う。


昨年の『日露戦争、資金調達の戦い』(新潮選書)刊行後、色々なお手紙を頂戴し、また拙著に関して書かれたブログ記事を拝見したが、太平洋戦争についても同様のことを知りたい。戦費はどうなっているのかとのリクエストが多く寄せられた。またそうした企画も出版社から持ち込まれたものもあった。

しかしご存知のように「太平洋戦争」、「第2次世界大戦」、「15年戦争」、「あの戦争」などと様々な呼び方がされているとおり、どこからどこまでを戦争期間として捉えるのか?から始まり、学者ではなく作家として一般向けに書くには実にとらえどころが無いテーマである。そして戦費について記述された一般向け書籍は今のところ皆無である。専門書でも体系的に書かれたものはない。

日本はなぜ戦争を始めたのか、アメリカやロシアとの地政学的確執、軍やマスコミはひどかった、とか民衆自体が自身を追い込んで入ったとかの精神面での分析は流行りだけれども、一体予算はどうしていたのか、あるいはどう考えていたのか?その辺りは実はモヤモヤとしたままなのだ。

『金融の世界史』の51話「戦前のドル円相場」にも為替レートの動向をグラフにしておいたけれども、高橋是清が金本位制を離脱した後、ドル円は1ドル=2円から1ドル=3.5円へ(一時は4.734円までつける)大幅な円安になっている。乱暴に言えば円の価値は半分になったのだ。ドルベースで見ればグローバル比較での軍事費は一気に半分になったといえる。さらに円は開戦によって対ドルでは1ドル=8円(上海闇相場)と4分の1ぐらいまで低下したにもかかわらず。満州へお投資金額も資料面では円建てでのみが記載され、インフレ分の調整がなされていない。数%の差ならばともかく、実質価値が4分の1では比較にもう少し工夫が必要だろうと思う。

また、日露戦争と違うのは、植民地(韓国や台湾は併合であるから植民地ではないと主張する人がいるけれども)政策、特に通貨政策が複雑になってくる。日本が中国に設立した傀儡政府は満州だけでは無く、実は華北にいくつか作っている。これも通貨政策を調べればわかることだが、通常の日中戦争の本だけを読んでいては煩雑で飛ばしてしまう箇所に相当する。そんなことを知らない人が多いのだ。

したがって「あの戦争」を財政や通貨面から記述するのは煩雑で売れない本になるのは間違いない。だから誰も書かない。出版までこぎつけないのだと思う。

僕がこれにチャレンジするのかどうかは、今のところ保留だ。ただ、宮脇さんの本を読んでAmazonにたくさん本を発注した。興味は尽きない。



2013年7月10日水曜日

『聖書考古学』を読んで



拙著『金融の世界史』には結構しつこくメソポタミア文明のことが書いてあったと思う。僕がメソポタミア文明に興味を持ったのは、ベルリンを旅行中に観光コースの一環として何気なく訪ねたペルガモン美術館のイシュタル門の鮮やかな青い色を見てからだ。恥ずかしながらメソポタミア文明はさすがに知ってはいても、シュメールだとかバビロニアだとか、アッシリア学だとかはさっぱりわからなかった。ところがその後一番最初に読んだメソポタミア関連の本が、運の良いことにジャン・ボッテロの和訳、創元社の「メソポタミア文明 (「知の再発見」双書) 」だった。この本の一体何が、運が良いのかというと、この本は決まりきったメソポタミア文明の概要説明ではなくて、如何にしてメソポタミア文明が発掘されてきたかの歴史書となっている点だ。つまりメソポタミアの歴史書ではなくて、メソポタミア発掘の歴史書だったのだ。

エジプト文明との大きな違いは、このエリアは近代に入っても強力なオスマン・トルコ帝国の支配下にあり遺跡の発掘がすすまなかったことにある。メソポタミアはバビロニアの衰退以降、チグリス・ユーフラテス両河川の沖積土である砂に埋もれて近代まで謎のままだったのだ。そこに19世紀にオスマン・トルコの力が衰えると当時の列強の研究家達が争って発掘することになった。特にエジプトなどで大英帝国やフランスに遅れをとったドイツが帝国の威信をかけて活発に活動することになり、ペルガモンもその成果だと思う。

ボッテロの本に戻ると、楔形文字解読の契機となるペルセポリスの碑文以降、旧約聖書に記されていた伝説めいたものが次々と発掘されていく、例えばノアの箱舟の原型となる「洪水伝説」であり、バベルの塔であり、空中庭園などだ。そして世界最古の物語だと思われていた旧約聖書よりも古く、ギルガメシュ叙事詩などの存在も確認されていく。 聖書の伝説だと思われた記述がすこしずつ具体化されていったのだ。

さて、長谷川修一著「聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書) 」(中公新書)を読んだ。ライフネット生命の出口さんが推薦していたからだ。これはアッシリア学ではなく、聖書の側面から、キリスト教に関連する考古学という立場で、今となってはかなり年月の経過したボッテロの研究からみれば最新の知見が書かれている。キリスト教学が必須の関西学院に学びながら、腕立て伏せと腹筋ばかりを鍛えていた僕には聖書のことは残念ながら一般世間並にしかわからない。それでもこの本に書かれた考古学の基礎、テルの丘など興味はつきなかった。ただ一言先に読んだ者としてアドバイスできるならば、ボッテロを先に読んでおくともっと面白いかもしれないと言っておこう。

そしてこれに関連して読書するならば、「億万年(イーオン)を探る―時間の始まりへの旅 」マーチン・ゴースト、青土社もお薦めだ。こちらの方は考古学的知見を得られる前に、聖書を徹底的に調べて年代を確定していった17世紀の英国国教会アッシャー大司教の話だ。彼は創世記にもとづいて紀元前4004年を地球というか、この世の始まった日と計算したのである。その計算のための苦労たるや凄絶である。彼の計算した年表は20世紀の始めまで聖書に書き込まれていて、皆それを信じていたのだ。

実は「金融の世界史」のまえがきにこの事を書こうとして編集者に諌められて断念した経緯があった。今では書かなくてよかったと思っている。なぜなら面白い話というだけで金融とは何の関係もなかったからだ。