2013年7月10日水曜日

『聖書考古学』を読んで



拙著『金融の世界史』には結構しつこくメソポタミア文明のことが書いてあったと思う。僕がメソポタミア文明に興味を持ったのは、ベルリンを旅行中に観光コースの一環として何気なく訪ねたペルガモン美術館のイシュタル門の鮮やかな青い色を見てからだ。恥ずかしながらメソポタミア文明はさすがに知ってはいても、シュメールだとかバビロニアだとか、アッシリア学だとかはさっぱりわからなかった。ところがその後一番最初に読んだメソポタミア関連の本が、運の良いことにジャン・ボッテロの和訳、創元社の「メソポタミア文明 (「知の再発見」双書) 」だった。この本の一体何が、運が良いのかというと、この本は決まりきったメソポタミア文明の概要説明ではなくて、如何にしてメソポタミア文明が発掘されてきたかの歴史書となっている点だ。つまりメソポタミアの歴史書ではなくて、メソポタミア発掘の歴史書だったのだ。

エジプト文明との大きな違いは、このエリアは近代に入っても強力なオスマン・トルコ帝国の支配下にあり遺跡の発掘がすすまなかったことにある。メソポタミアはバビロニアの衰退以降、チグリス・ユーフラテス両河川の沖積土である砂に埋もれて近代まで謎のままだったのだ。そこに19世紀にオスマン・トルコの力が衰えると当時の列強の研究家達が争って発掘することになった。特にエジプトなどで大英帝国やフランスに遅れをとったドイツが帝国の威信をかけて活発に活動することになり、ペルガモンもその成果だと思う。

ボッテロの本に戻ると、楔形文字解読の契機となるペルセポリスの碑文以降、旧約聖書に記されていた伝説めいたものが次々と発掘されていく、例えばノアの箱舟の原型となる「洪水伝説」であり、バベルの塔であり、空中庭園などだ。そして世界最古の物語だと思われていた旧約聖書よりも古く、ギルガメシュ叙事詩などの存在も確認されていく。 聖書の伝説だと思われた記述がすこしずつ具体化されていったのだ。

さて、長谷川修一著「聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書) 」(中公新書)を読んだ。ライフネット生命の出口さんが推薦していたからだ。これはアッシリア学ではなく、聖書の側面から、キリスト教に関連する考古学という立場で、今となってはかなり年月の経過したボッテロの研究からみれば最新の知見が書かれている。キリスト教学が必須の関西学院に学びながら、腕立て伏せと腹筋ばかりを鍛えていた僕には聖書のことは残念ながら一般世間並にしかわからない。それでもこの本に書かれた考古学の基礎、テルの丘など興味はつきなかった。ただ一言先に読んだ者としてアドバイスできるならば、ボッテロを先に読んでおくともっと面白いかもしれないと言っておこう。

そしてこれに関連して読書するならば、「億万年(イーオン)を探る―時間の始まりへの旅 」マーチン・ゴースト、青土社もお薦めだ。こちらの方は考古学的知見を得られる前に、聖書を徹底的に調べて年代を確定していった17世紀の英国国教会アッシャー大司教の話だ。彼は創世記にもとづいて紀元前4004年を地球というか、この世の始まった日と計算したのである。その計算のための苦労たるや凄絶である。彼の計算した年表は20世紀の始めまで聖書に書き込まれていて、皆それを信じていたのだ。

実は「金融の世界史」のまえがきにこの事を書こうとして編集者に諌められて断念した経緯があった。今では書かなくてよかったと思っている。なぜなら面白い話というだけで金融とは何の関係もなかったからだ。





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