2013年7月24日水曜日

大いなる探求ー ホー・チ・ミン


「読み物」としての経済学史、シルヴィア・ナサ―の『大いなる探求(上) 経済学を創造した天才たち 』(新潮社)を読んでいる。最初のマルクスのあたりは少し冗長にも感じたものの、シュンペーターと第1次世界大戦敗戦後のオーストリアのウィーンの記述あたりからすこぶる面白くなってきた。

ここのところ戦間期関連の本を読んでいるので、この時期は洋の東西を問はず、記述自体にまるで何度も訪ねた外国の街みたいな親近感が持てる。これは言い換えると、旅行で行く外国の街程度にしか、よくわかっていないということなのだろうけれど.

例えばパリ講和会議のために英国外交団が宿泊施設に選んだのはホテル・マジェスティック。最近読んだ本では三度目の登場だが、今回はベトナムの指導者ホー・チ・ミンがそこで皿洗いをしていたなんて話が書いてある。もちろんそれだけなら単なる偶然の話であって、たいしたことは無いのだが、この会議はやがて国際連盟の設立へと繋がっていく。その時米国西海岸で湧き上がった日系人移民排斥の動きに対して、日本が提出した人種差別を禁止する法案は、列強国によって却下されてしまうのだ。するとホー・チ・ミンがそこにいることにも意義が出てくる可能性もある。

と、ここまで書いて、ホー・チ・ミンは本当にマジェスティックで働いていたのか?

wikiで見ると彼はカールトン・ホテルでペーストリー・シェフの見習いとして働いていて、伝説のシェフ、オーギュスト・エスコフィエの薫陶を受けていることになっている。もしも原稿料を貰う文章に書くのであれば、この先を調べなければいけないだろう。もしかしたら「ホーおじさん」はマジェスティックからカールトンに移ったのかもしれない。

他にもこの本ではミクロネシアの石貨が「大昔」の話と書いてみたり、意外に雑な印象も受けている。石貨が大昔(原始時代)だと勘違いしている経済学者は意外といるのです。

コインができるギリシャ時代よりも前に?

(拙著『金融の世界史: バブルと戦争と株式市場 (新潮選書) 』第8章参照)

追記:僕も勘違いしていた。カールトンはロンドン、ホーさんは1917年12月にパリに戻る。そこでマジェスティックで働き始めたのだろう。オーギュスト・エスコフィエの薫陶を受けたにもかかわらずパリでは皿洗いになった。ということか。



0 件のコメント: