2013年12月29日日曜日

週刊「ダイヤモンド」2013年ベスト経済書

週刊「ダイヤモンド」2013年ベスト経済書

拙著『金融の世界史―バブルと戦争と株式市場』が第20位にランクインしました。たいしたことないと言えばたいしたことはないのですが、では今から僕が本を出版したとして、ランクイン以前にその本が世間(プロのエコノミストや経済学者)から「経済書」として認めてもらえるかどうかというのは、自慢じゃありませんがあまり自信がありません。

私も週刊「エコノミスト」や「金融財政事情」に経済書の書評を書くために毎月新刊書をチェックしているのでわかりますが、このジャンルは本当に激戦区で毎月目につくだけでも数十冊の本が出版されています。

今回20位で素直に大変うれしかったのですが、それよりも、そういえば去年の『日露戦争、資金調達の戦い』は9位だったことにあらためて驚いてしまいました。去年はその価値が自分でよくわかっていなかったのだろうと思います。

『金融の世界史』は月1でコラムを書いている日刊『ビジネスアイ』に昨年7月から連載された『投資家のための金融史』を書籍化したものです。

『日露戦争、資金調達の戦い』を書いた後、関係者や読者から、それ以降、つまり日中戦争から第2次世界大戦についても財務面をテーマに本を書いてくれとリクエストが多く寄せられました。しかし準備に相当の時間が必要なことと、以前から金融を中心にしたカジュアルな通史を書いてみたかったこともあって『投資家のための金融史』を先に書き始めたわけです。

これを書いているときは、実は一般の投資家目線というよりも昔僕が、日興証券で機関投資家向け営業課長をしていた頃の部下達のことを想像しながら書きました。つまり一般の投資家向けというのではなくて、営業カウンターのこちら側、いうなればプロのファンドマネージャーと営業で対峙するための基礎知識の伝授という観点から書いたものです。有価証券を販売して手数料を頂戴する以上、このくらいは知っておいて欲しいというレベル。従ってあまり簡単な内容ではない部分もあるのです。戦前の投信の根拠法なんか別に一般の投資家が知る必要もありませんからね。

アマゾンにはあまりよい書評が出ていませんが、この本は逆に玄人筋から評価を受けていて(僕がそう思っているだけかもしれませんが)、書評が掲載されたメディアも、僕が気がついただけでも日経新聞、日経ヴェリタス、朝日新聞、週刊エコノミスト、週刊東洋経済、週刊金融財政事情、クーリエ・ジャポンといった感じなのです。その他にもWEBで読めるものに、HONZきんざいデジマガモーニングスター年末年始に読むべき6冊竹松俊一のランダム・ウォーカーやまもといちろうブログがあります。

さて、一般の投資家とかプロのファンドマネージャーとか書きましたが、日露戦争の本を書いている頃からTwitterを通じて個人株式投資家の方たちと交流するようになりました。新潮社のオフィシャル書評を書いていただいた藤野さんともその頃Twitterで知り合いました。東京、大阪のTwitter仲間と飲みにいったりもしています。一般の株式投資家の知識レベルはもちろんピンきりなのですが、最近は別にプロのファンドマネージャーとあまり変わらない、あるいは高みのレベルの人もたくさんいるんですね。そういうこともあって、この本を書くときのレベル設定を日興時代の優秀だった可愛い営業マン達においたのです。それよりも簡単なものを書く意味をあまり感じませんでした。それで題名は『投資家のための金融史』としたのです。言い換えれば僕の知り合いの投資家のための金融史。

昨年の12月ぐらいから新潮社の方から選書で出版しないかというお話を頂戴して、今度はターゲット読者層の普遍性から「賢い高校生」がわかるくらいのレベルがいいんじゃないかということになって、随分書きなおしました。正直言って、僕が賢い高校生では無かったので賢い高校生のレベルがわかりずらかったこともあり。。。今更ガタガタ言っても印刷物である本という結果になってしまっているので言い訳無用ですね。

もし将来に機会があれば、書き直したいところもあるし、リーマン・ショック周辺の追加などもやっていきたいと思っています。それまで書店の本棚に並べてくれていれば良いのですが。



追伸:朝日新聞 萱野稔人 書評委員が選ぶ「今年の3点


2013年12月26日木曜日

1919年1月15日の新聞を読んでいたら


所沢市観光協会HPより
(まさに雑文)
1919年1月15日の新聞を読んでいたら、フランス航空団41名が技術指導のために日本に到着している。正確に調べたら12日に長崎着、14日の朝に神戸港について、市内見学の後夜の急行列車で東京に向かっている。士官は1等の専用車両、下士官は2等で一般客に混じる。補修用品、整備工具などは軍曹1名を残しそのまま船で別途横浜へ。機体は別便で輸入されていた。

団長のフォール大佐はフランス陸軍砲兵大佐、所沢の航空公園に胸像が建っている。飛行機は未だ出現したばかりなので操縦経験者で大佐クラスは未だいなかったのだろう。空軍を初めて創ったのはロイヤル・エアフォースでこれが1918年4月1日のこと。追随する国は無かった。さすがはイギリス。

操縦指導は「猛者レフエブル少佐」と新聞は紹介している。今はWEBでWW1のエース・パイロットを検索できる。40名近くリストアップされているがレフエブルの名前は出てこない。だいいちマルセイユから神戸まで45日近くかかる。ということは出発は18年11月だからドイツとの休戦が成立した頃で、武装解除が完全になされていたわけではない。多分現役バリバリの戦闘機乗りでは無く、指導者としての猛者だったのだろうと推測。

何故フランスの指導なのかと言えば、当時はフランスの戦闘機ニューポールやスパッドは高性能でフランスは航空最先進国と思われていた。帝国陸軍は100機ほどフランスに発注、その御礼もかねて、またフランスはWW1で手薄になった東洋のフランス利権確保のために日本には良い顔しておきたかった。本当はもうひとつあるのだがこれは秘密。ついでにいえばルノー製の戦車、兵員輸送車なども最先端だった。それにドイツとは交戦状態にあって技術移入というわけにはいかなかったのだ。

因みに陸軍はこの前年にイタリアにも航空研修団を派遣している。陸軍がイタリアから買った飛行機はだいたいダメだった。フェラーリみたいにはいかなかったのだ。
後にマレー沖海戦で96式と1式陸攻がプリンス・オブ・ウェールズを沈めた頃、イギリスの机上演習では日本の飛行機はイタリア並、英国空軍の60%程度の戦力と評価されていた。つまり10機いても6機とカウントされた。

さて、話がそれまくったが航空団は所沢に落ち着いて帝国陸軍航空隊の基礎を築いてくれた。その評価は高かったのだった。彼らを神戸港で出迎えたのが児玉友雄陸軍少佐。陸軍省軍務局兼航空部事務官。長州人児玉源太郎の三男である。欧州大戦では観戦武官としてイギリス軍に参加している。

これも想像を巡らせると面白い。調べたわけではないのであくまで想像だけれども。児玉友雄は学習院中等部から陸軍士官学校14期へ、陸大22期の卒業。実はこれ以降の陸軍の主要人物は皆陸軍幼年学校卒となる。東條英機も学習院初等科にすすむが幼年学校に入る。幼年学校→陸士→陸大(天保銭)という閥ができるのだ。1919年のこの時期はまだ山県有朋が健在で長州閥がバリバリに跋扈していた。児玉は当然長州閥の期待の若手の人材だったに違いない。

欧州大戦が終わった後に欧州に派遣されるのが1921年10月27日のバーデン・バーデンの密約で有名な3名+おまけの1名。岡村寧次、小畑敏四郎(ロシア軍にちょっと参加)、永田鉄山(陸士16期)+東條英機(陸士17期)だ。彼らの密約とは長州閥打倒である。児玉友雄は多分目の仇だったのではないだろうか?と想像。ちなみに山県は翌22年2月に逝去する。

児玉友雄は中将昇進までは早かったが、そこからは閑職。38年には予備役にまわされている。山県が死んだ後、バーデンバーデン組は策謀して長州出身の陸軍大学合格者はゼロになってしまう。陸大を出なければ出世のしようもない。児玉友雄はそうした時代の流れに翻弄されたのだろうかと、妄想を巡らせた次第。文章で書くと長いが妄想は多分15秒ぐらい、調べるのに小一時間。著作のためには多分何にもならない。


2013年12月24日火曜日

FRB誕生100年


ポール・ウォーバーグ
日露戦争のファイナンスの講演会をしていていると、最後の質問コーナーで必ずといっていいほど登場してくるのが、ユダヤ人金融家ヤコブ・シフを巡るユダヤ人陰謀説である。金融史を少しかじった人であれば19世紀に欧州でおおいに繁栄したロスチャイルドが衰退した原因は、米国進出に出遅れたためであるというのはほとんど常識の世界なのだけれど、なまじ米国にロスチャイルドという名前の金融機関の名前が見当たらないので適当なユダヤ名を「ロスチャイルドの手先」としてしまう強引な主張はよくおみかけする。

日露戦争のファイナンスで活躍したクーン・ローブ商会のシフもそうで、「ロスチャイルドの手先ですよね、家も隣り合わせだったみたいだし」という質問を頂戴することになる。質問主は講習会の参加者の前でご本人の重厚な歴史知識をご披露したいらしい。拙著を読めばロスチャイルドの出した手紙の中に進境著しいウォーバーグやシフに対するやっかみ(とても手先だとは思えない)が書かれていたことを紹介してあるのだけれども、どうも赤い盾の影響が大きいのかもしれない。僕としては笑うわけにもいかないし、講習会がきまずい雰囲気にならないように苦労が絶えない。

第1次世界大戦のドイツの賠償案のひとつである「ドーズ案」、これはドイツの負担を軽減する処置だったのだけれども、当時台頭し始めたナチスは、米国からの借款が計画に含まれていたためにこれはゲルマン人を奴隷化する「ユダヤ金融資本の陰謀」だとした。しかしこの借款の主幹事はユダヤ嫌いで有名なモルガン銀行だったのでナチスは話の筋が通らなくなってしまった。そこで主張したのが「JPモルガンはもとの姓をモルゲンスターンというユダヤ人だった!」というものだ。癇癪持ちのジョン・ピアポント・モルガンがこれを聞いたらどうしたか、生きていなくて本当に良かった。

今朝の日経は「FRB誕生100年、メルツアー教授に聞く」。FRB創設の立役者はハンブルグのユダヤ系マーチャント・バンクであるウォーバーグ兄弟の中のポール・ウォーバーグ(ドイツ名パウル)である。FRB設立直前までドイツ国籍だったし、今も残っているけれど、ウォール・ストリートのすぐ近く、パインとウィリアム・ストリートの角にある22階建てのビルのクーン・ローブ商会で働いていた。彼の教育はドイツで受けたもので、英語のレポートもあまり得意では無かった。

因みにポールはハンブルグのウォーバーグ商会のパートナーも兼ねていたし、バルチモア&オハイオ鉄道、ウェスチングハウス、ウェルス・ファーゴの取締役もしていたがFRBに移って公務員になるためにこうした実入りの良い仕事を全部辞めた。年収は50万ドルから1万2千ドルに下がってしまったそうだ。ポールはそこまでしてアメリカには中央銀行が必要だと信念を持っていたのだ。しかし問題はFRB誕生の1913年はドイツが世界を撹乱する第1次世界大戦勃発の前年だったことにあった。皮肉にもポールはユダヤ人であることよりも、ドイツ人であることが問題とされたのだ。

さて、今朝ポール・ウォーバーグをネットで検索してみると、あるわあるわユダヤ陰謀論。彼がロスチャイルドの手先ですと。どこまでロスチャイルドやねん。日本人は本当に「陰謀論」が好きですね。

2013年12月21日土曜日

「ドイツ艦隊大自沈」(原書房)


ダン・ファンデルバットの「ドイツ艦隊大自沈」(原書房)を読了。第1次世界大戦時のドイツ艦隊のノンフィクションである。

ツァイスの高性能レンズのおかげでドイツ海軍の照準は正確だった。単艦の戦闘能力ではロイヤル・ネイビーをも凌駕したが、ジュトランド沖海戦の後は両艦隊とも保全方針を取りほぼ無傷で残った。アイレイ・モルト、ハイランド・パークとスキャパの蒸溜所が見守る中で(本文とは関係ないけれど)ドイツの休戦に応じてオークニー諸島スカパ・フローに人質として抑留されたドイツ大艦隊の行方は? 

まあ、題名に自沈って書いてあるけどね。

それにしても信じられない。沈められた艦は74隻40万トン、貨幣価値で約4400万ポンド。この話が日本ではポピュラーではないのには様々な理由があるのだと思う。英語ではなくドイツ語の話だったとか、帝国海軍の都合とか。この本は絶版につき少々高そうに見えるが、間違いなくお買い得。名著である。


2013年12月18日水曜日

金融リテラシーについて


拙著『金融の世界史日本史』の「まえがき」をどうするか悩んでいた頃。(「まえがき」なのですが実は後で書いているのです)

編集者の方から日本人の金融リテラシーは低いので啓蒙の目的で書いたというような趣旨は当りさわりが無くてよいかもしれませんよといわました。確かにこの「リテラシーが低い」というのは金融に限らずいろいろな分野でも使えそうじゃありませんか。政治にしろ、法律にしろ、また最近は本が売れないそうですから文学リテラシーだって低いのではないでしょうか。「君は最近評判が悪いよ」といわれても困ってしまうことがあるように、このリテラシーが低いというのはどっちにしろ、当たっているようなので、あるいは自分の胸に手をあてて考えてみるとココロ当りがありそうで困ってしまいます。

さて、「日本人は金融リテラシーが低い」という話について書いたらと編集者からアドバイスを貰った時のことです。僕は彼にニーアル・ファーガソンの『マネー進化史』を読んだ?と聞き返しました。なぜならこのアメリカで働くイギリス人の歴史家が書いた本の冒頭にはこう書いてあるからです。

「この本の目的のひとつは、金融、とくに金融史になじみの薄い方のために、入門書の役割を果たすことだ。英語圏の圧倒的多数が、金融に関して無知であることはよく知られている。」

ここではアメリカのカード利用者の10人のうち4人までが月末払いを超過して延滞料を支払っているが、全体の29%の人がカードに延滞料の適用があることを知らないし、知っている人の3分の1は10%以下の金利だと思っていることが例示されています。

また、あるアンケートでは3分の2は「複利」を知らなかったし、半数は学校で金融については「あまり学ばなかった」、あるいは「まったく習わなかった」と答えているそうです。

高校生対象のアンケートでは18年間株式を保有していれば国債を保有するよりもリターンが高い可能性が極めて高いことを理解できた生徒は14%。累進課税がわかったのは23%。59%の生徒が年金と401kの違いがわからなかった。

ファーガソンはさらにイギリスはもっとひどいのだと説明しています。興味のある人は是非同書を読んで下さい。でも多分日本人の金融リテラシーが低いと考える時、僕らは英語圏の金融リテラシーが一番高いのだと勝手にイメージしていますよね。

金融の知識習得はどこの国でも難しい問題なのだと思います。

2013年12月10日火曜日

里芋とするめイカの葛煮


銀座五丁目の小料理屋「魚がし料理佃喜知」の主人は今は既に無い銀座の超老舗割烹「出井」で修行していたと聞くが、ここのちょっとした小料理は大衆的な店のつくりにかかわらず抜群に美味しい(最近は行ってないけれど)。

特に僕が好きなのは、里芋とするめイカの葛煮で、出汁に醤油と砂糖とみりんと酒で煮る、なんてことは為さそうな料理なのだが、いざ自分で作るとなると里芋を剥いたりイカを皮むきしてばらしたりと面倒臭いし、イカが硬くなったりとなかなか簡単なものじゃない。そうは問屋がおろさない。

でもこの時期は山形で芋煮会に供するそうだが、たまに皮むきした里芋が関東地方の八百屋にも流れてくる。そうなると僕の飲み助の血が騒ぐというか件の里芋とイカの葛煮をむしょうに作りたくなってしまうのだ。結局芋を全部使うので量が多すぎていつも余って捨てることになるのだけれども。

煮物のレシピはネットにたくさん出ているのであとは汁を煮詰めて葛で粘りを出すだけ。今は週末に作ったこれの余りを青森の田酒のお燗で一杯やっている。

イカとお燗。八代亜紀の「舟歌」では肴は炙ったイカだけれども、北海道の増毛で倍賞千恵子のやっている小料理屋はイカの煮付けだった。高倉健と降旗監督の「駅 Station」を観たくなってきたが終わりが午前0時をまわりそうなので止めておく。少し大人になった自分がいるということでいいのかな? 違うか。



2013年12月3日火曜日

【ビジネスアイコラム】「逆ざや」がようやく解消 過去の生保、高利回り運用の自信どこから?


【ビジネスアイコラム】生保、高利回り運用の自信どこから?  2013.12.3

 生命保険主要9社の20年来の「逆ざや」がようやく解消したそうだ。「逆ざや」とは生保が顧客から預かって運用している資金の利回りが契約時に提示した「予定利回り」に達せずに、約束よりも資金が不足している状態で、これまで生保が不足分を補填(ほてん)してきた。

 補填は主に死差益(統計上想定していたよりも実際に死亡する人が少なく支払いも少なかった)によって埋められてきたが、バブル時の6%近い高い「予定利回り」の契約などが満期によって減少したことが大きい。おかげで生保の資産運用全体の目標利回り自体が低下してきたのだ。

 では、バブル期とその後しばらくの間、生保は何故契約者に対して高い利回りを提示できたのだろうか? その運用に対する自信はどこからきたのだろうか?


 図は1949年5月からの日米株価のグラフである。縦軸には対数値を取ってあるので傾きは成長率である。生保の商品は期間が長いので株式市場の短期の上げ下げをあまり気にせずに長い期間を見通して投資していく。バブル当時にもっともありそうな株式の長期成長率は年率14.2%だったのだ。現在から見ればなんとも楽観的な見通しだが、短期はともかく長期では下がると予想する方が難しかったのである。

 さらに生保は長期投資となるためにインフレヘッジの観点から株式組み入れ比率を高く設定しており、日本の大企業各社の大株主上位には生命保険会社が並ぶことになった。これはある種の「お互い様」となり、筆者の若い頃には事務所内に「生保のセールス」がわらわらと営業活動していたものだ。新入社員は職場に同化するために知らぬ間に生保に加入していたものだった。特に財閥系の生保では株式組み入れポートフォリオに財閥グループへのバイアスがかかる。グループの盛衰が契約者数のみならず運用ポートフォリオの側面からも自社の命運を必要以上に左右する構造となっていたのだ。

 さて、現在の日経平均の最長の成長率の記録は年率7.1%。現実の日経平均の動きとは乖離(かいり)が大きいために、これで今後の予想をたてる人はまずいないだろう。しかし同時期のSP500は年率7.6%。現実の指数もこの成長率に沿って動いてきたのだ。米国の株式収益率の長期予測にはこの数字を使うのが合理的である。

(作家 板谷敏彦)