2014年12月30日火曜日

普仏戦争と大山巌


年内に10話分、原稿用紙で80枚から100枚は仕上げるといつもながら大風呂敷を広げたせいで、夏休みの宿題に追われる8月末の小学生のような年末を過ごしています。元々軍事オタク気味なうえに2年かけて様々な本や論文を読んできたので書けと言われればそれなりのものは書けると思っています。通常は予定通りに進行するのですが、どこかで新しいネタを見つけるとそれだけで別に10日間ぐらいいろいろと調べる時間が必要になったりします。

普仏戦争です。この戦争の関連本は日本語ではあまりありませんでしたが、2013年に横浜市立大学名誉教授の松井道昭氏が『普仏戦争:籠城のパリ132日 (横浜市立大学新叢書1) 』(春風社)を出版されています。また、マクニール、ハワードやクレフェルト、ドイツ参謀本部ではバリー・リーチなどが書いているし、第1次世界大戦に関連した論文類も見受けます。もちろんモーパッサンの小説などもあります。日本からでは大山弥助が観戦武官で派遣されていますので、その関連もあたっておきたいところです。但し僕が普仏戦争に割けるページ数は原稿用紙でせいぜい4枚分ほどでしょうか。これから得るほとんどの新知識が無駄になることは目に見えています。でも知りたいときは知りたい。

1870年7月19日(明治3年)にスペイン王位をめぐってプロシアがフランスに宣戦布告すると、生まれたばかりの明治政府は7月28日に局外中立を宣言します。どうやって宣言すべきかはイギリス公使館に相談に行ったのかもしれませんが、このあたりを調べている時間はどうやらありません。この年はブルックリン・ブリッジが着工した年だし、ロックフェラーがスタンダード・オイルを設立した年でもあります。大村益次郎が暗殺されてまだ約半年、維新政府から大山巌に普仏戦争を見てこいと辞令がおります。品川弥二郎、板垣退助にも同様に辞令がおりますが、板垣は土佐藩御用多忙につき林有三と交替してもらいます。貴重な外遊の機会です。さぞや行きたかったでしょうに。

大山はサンフランシスコまで船便でそこから大陸横断鉄道にのります。横断鉄道の開通が69年ですから開通したてのほやほや。大山にとって初めての汽車です。

鉄道というものは、「飛鳥ヲ瞬速ノ間ニ後ニ見ルト云ウ事ヲ聞キシガ、果タシテ然リ」

人間頑張って歩いて一日40キロ。それを1時間で走ってしまい、それも疲れをしらない。驚きですよね。半日ゴロゴロとしていれば江戸から京まで行ってしまうのですから。

さて、『大山巌』(文芸春秋社)を書いた児島襄はここでの下りで「まだダッチ・シティも出来ていなかった」と書きます。これ、多分意味がわからない人が多いのではないでしょうか。現代ではわからない人が多分普通なので心配にはおよびません。

「オーマイ、ダーリン、オーマイ、ダーリン、オーマイ、ダーリン クレメンタイン」の唄は日本では替え歌で『雪山賛歌』になってしまいましたが、本来は保安官ワイアット・アープを描いた名作映画の原題(My Darling Clementine)でありテーマソングです。ところがこの映画の邦題が『荒野の決闘 』になってしまったので、唄と映画が結びつきにくくなっているきらいがあります。このワイアット・アープが映画の舞台であるトゥームストンの街にくるまえに名をあげたのが無法者の街ダッジ・シティなのです。昔は日本でも西部劇が流行っていましたから。上記の表現で読者は理解できたのでしょう。

さて大山はナイヤガラを見て驚き、「ニウヨロク」の摩天楼に目を見張ります。大山弥助(巌)は28歳の誕生日を大西洋上でむかえました。

ロンドンに着いたのが10月23日。イギリス政府の「ウーリッジ」工廠で大砲製造を見学してベルリン着は10月23日。なんだよロンドン着と同じ日じゃないのと思うが明治3年は10月が閏月で2回あった。だから閏10月23日。でなんだかんだがあってプロシア軍包囲下のパリ近郊に到着した時にはすでに休戦で戦闘は観れずじまいだった。
しかしパリに入ると、これは開国日本もたいしたもので、ちゃんと留学生がパリで籠城していたのですね。芸州藩士渡六之助が宿舎のホテル・ヨーロッパに訪ねてくる。この人は「法普戦争誌略:巴里籠城日誌」を弥助に持って帰ってもらって日本で高い評価を受けることになる。それでこの渡六之助が・・・・

いかんなんぼなんでも無駄玉が多すぎます。原稿用紙4枚分以上は無駄にしてしまいました。



2014年12月12日金曜日

蛸の塩小豆煮


最近は本を書いている都合からお酒は週一回に制限している。何十年もがぶ飲みしてきて、何を今さらと思うかもしれないが、自主規制である。そのために一度のお酒を存分に楽しもうと、酒の肴もあだやおろそかにはしない。




今週の週一回の飲みは銀座の割烹“未能一”。食べログのポイントでは3.01になっているが、これは評価システムの問題で何の間違いもなく4ポイント以上の評価が妥当である。ご夫婦2人で切り盛りしている小店だがミシュランの☆も付いている。僕は20年近く前からお世話になっていて、その間店は途中7年間ほど小田原に移転して営業をしていたが数年前に再び銀座に戻ってきた。
お酒は福島の二本松、檜物屋酒造の純米“千功成”。さっぱりとお料理の邪魔をしない控えめなお酒と説明されるが、さわやかな飲みごしについつい飲み過ぎてしまうのが欠点だ。大七酒造といい二本松には燗に会う良いお酒があるものだ。

主は京の老舗割烹で板長をしていた。料理はもういうまでも無く絶品の域。真似して何か自分でも作ってみようというレベルではない。ホントは卵焼きを作ってもらうと信じがたいほどにおいしい。写真は蛸の塩小豆煮。小豆のうまみが蛸に染みて醤油麹とともに何とも言えない味わい。おいしーい。のである。



2014年11月29日土曜日

お酒は温めの燗が良い


若い頃からよく行っている銀座の割烹は前にミシュランに載ったこともあって、最近は外人客も多い。

以前は大物財界人がプライベートでおばあさんみたいなホステスと同伴していたりしたものだが、今では随分と物故者が出たり、色々と事件もあったりして、そういう人達もあまり見かけなくなった。企業の接待も減ってしまったのだろうと思う。何人かの作家は今でもよく打ち合わせに使ったりしているが、全体として顧客の高齢化は否めない。口の悪い亭主はたまに僕を「作家先生」と呼ぶこともあるがこれは単にからかっているだけだ。

僕はカウンターの端っこで一品料理を2つ3つ頼んで、目の前で燗付けしてくれる日本酒をいつも三合ほど飲む。これ以上飲むと酔ってしまってその後のウヰスキーが楽しめなくなるから気を付けている。最近では晩御飯の打ち合わせでもノンアルコールを注文して、原則週に一度しか飲まないようにしている。煙草も止めたし、何だか酔っていない僕は、実につまらない奴で、人生を生き抜く迫力みたいなものに欠けるのではないかと自覚している。もともと酔わないとうまく自己表現ができない奴なのだ。昔の森繁の社長繁盛記の頃やバブル期向けのスペックなのかもしれないし、もしかすると迫力が落ちているのは単に齢をとってしまったからなのかもしれない。

昨日は四人掛けのテーブル席に無理やり五人ですわっている若い中国人達(中国語を話していた)がいて、いつもは静かな割烹に似合わずに大きい声で会話している。うち一人はとても美しい女性だかとにかく騒々しいこと。携帯の待ち受け音もまるで新幹線でも発車しそうな変な調子で、それもひんぱんに鳴っていて落ち着かない。女将の情報によるとダイヤをちりばめたロレックスを筆頭に皆すごい時計をしているようで、服装からしても金持ちであることは間違いない。それと全員英語も話す。きっと僕の『金融の世界史』の中国語版でも読みそうな人たちだね。まだ見本が届かないけれど。

しばらくするとこっちばかり見てごそごそと何やら話しているので、「どうした(ホワッツアップ)?」と聞くと、5人ともこっちを向いて、カウンターの端に座っている奴は常連だからきっとうまいものを知っているだろうから何を食べているか見ているのだという。ならばちゃんと聞けば宜しい。ということでフライド・ブローフィッシュと昨日は隠れメニューで香箱蟹だったのだけれど英語名はわからないのでスモール・クラブとだけ教えてやった。

すると「ほら、こういう店ではメニューにないものをたべるのだよ」と大騒ぎだ。何だか昔ニューヨークのステーキ屋で僕らもおなじことをしていたような記憶が頭をよぎった。僕らは引っ込み思案で彼らほど陽気では無かったけれど。連中は騒々しいけれど気づかいもキチンとしていて店の雰囲気を壊すようなことは無かった。逆に割烹のそうしたものを楽しみにきているようだった。

しばらくするとカウンターに一人。今度はフランス人(フランスなまりの英語)だった。いつ「ケセクセ」と聞くのかなと身構えていたけれど、日本語も上手だった。お酒はやっぱり温めの燗が良いですよね。


2014年11月23日日曜日

高倉健の追悼映画と食事のシーン


高倉健さんの追悼番組として今は映画がたくさん放映されている。一昨日はDVDで「幸せの黄色いハンカチ」を観て、自分で勝手に追悼させてもらった。昨日は溜まっていた未読の本を整理しようと思っていたら新聞の番組欄にBS‐TBS「駅 STATION」があるのを見つけてしまいやっぱり観てしまった。

芝山不動尊近くの力せんべい 左が堅焼き、右薄焼き

ちなみに本日はBSジャパンで午後2時から「冬の華」がある。DVDを持っているのだからわざわざTVで観る必要もなさそうだが、やっぱりちょっと違う。途中で止めたり戻したりできないところがいいのかな。DVDだとついつい途中で止めてしまうことが多い。それはもう何度も観ているからだと思う。

映画に食事のシーンはつきものだし、だいたいどの監督も大事にする。山田洋次の「黄色いハンカチ」では、網走を出所したての健さんが駅前の食堂でビールを頼み、醤油ラーメンとかつ丼を食べるシーンが有名だ。刑務所では出ないシャバのメニューだ。むさぼるように食べる。健さんは2日間絶食してこの撮影にのぞんだのだそうだ。

降旗の「冬の華」ではやはり出所したての健さんが、組が用意してくれていたマンションに入り、家具の無い殺風景な部屋の中で、一人でトースターで食パンを焼きジャムを塗る。大きな牛乳瓶があり、一度塗ったジャムに、少し躊躇してやっぱりもう一度上からたっぷりと塗りなおす。バターナイフとトーストのすれる音が大事だ。もうひとつ印象に残っているのは、組同士の抗争の最中にカレーの出前を大量に注文するシーンだ。昔よくあった長方形の深皿にご飯とルーが半分ずつ、端に福神漬けが盛られている。それを小林亜星や組員達があわただしくほうばる。

同じく昨日TVで放映していた降旗の「駅 STATION」では、張り込み中の刑事が出前でとったラーメンをものすごい勢いで「すする」というか「かき込む」シーンがある。若き日の小林稔侍だ。出前のラーメンは冷めてすっかりのびてしまって、麺ばかりでスープが無い様子がよくわかる印象に残るシーンである。

この頃だろうか、プライベートで小林が引っ越しを決めると、健さんが2百万ほどのご祝儀をくれて、さすがに小林がそれを断ると翌日健さんは作業服を着て引っ越しの手伝いに現れたというエピソードを残している。貰っておかないと大変なことになるという話だ。ある意味非常識でもある。そんな2人も歳を重ね「鉄道員」では同僚の役を演じることになる。

また射撃部が警察の食堂で昼飯を食べるシーンも脳裏に焼き付く。クリーム色のプラスチックの食器は貧乏くさくてなつかしい。

昨日のTV番組「リーガルハイ・特別編」ではいつもの食事+フライド・チキンをぱりぱりとを音をさせて食べるシーンがあった。香ばしさとともに不健康を暗示する音でもある。要するに昨日は「駅 STATION」を観て続いて「リーガルハイ」も観てしまった。TV漬けだ。今日は溜まった本を整理しないと。書評の締切があったのにまた無駄な文章を書いてしまった。「冬の華」だけはは観ないようにしないと。でもトーストのシーンまでは観るか。

それよりも成田空港近くの芝山仁王尊の参道に今でも律儀に天日干しをしている煎餅屋があるそうだ。長駆そこまでせんべいを買いにいけば「冬の華」を観ないですむが、溜まった本の整理もかなわない。


2014年11月21日金曜日

【ビジネスアイコラム】株価水準と経済規模の関係


【ビジネスアイコラム】株価水準と経済規模の関係 



 11月17日に2014年度第3四半期(7~9月期)の国内総生産(GDP)速報値がマイナス1.6%と発表されると、株式市場は大きく下落し日経平均は517円安となった。事前のアナリスト予想がプラス2%程度だったことからこのマイナス値は大きなサプライズで、さらに第2四半期(4~6月期)に続く2四半期連続のマイナスは、日本はリセッション(景気後退)にあることを意味したからである。アベノミクスの成果として様々な物語を通じて喧伝(けんでん)される好景気とは大きなギャップがあった。しかしながら消費税再増税延期が発表されると翌日の株価は切り返した。

 GDPと株価の関係は更新頻度が四半期と少ないことからトレーディングや中短期の投資では指標として使い物にならないといわれている。

 一方で世界銀行のHPでは世界各国の上場株式時価総額を名目GDP値で割った値を公表している。経済規模に比較して資本市場が発達しているのかどうかを比較するためだ。例えばこの比率が世界で一番高い香港では421%になる。米国が114%で以下2012年末のデータでイギリス122%、フランス69%、中国が44%、ロシア43%である。意外なのはドイツの44%であろうか。この値はそれぞれの経済構造に依存する。 



日本の東証1部時価総額を名目GDP値で割った値を戦後から直近のデータまでグラフ化したのが上の図である。

 著名投資家のウォーレン・バフェット氏が同様の指標を好むことはよく知られている。農林水産業の比率の高かった戦後から次第に2次、3次産業を中心とする上場企業の比率が大きくなっていったことが読みとれるだろう。そしてバブルでピークを打ったのである。

 18日の時価総額が504兆円、17日発表の名目GDPが483兆円であるから現在の比率は104%である。89年のバブルの年には時価総額591兆円、GDPは416兆円で142%あった。またリーマン・ショック直前の2006年には時価総額538兆円、GDP509兆円で106%ある。視覚的に理解できるようにここからの株式市場の上昇にはGDPそのものの成長が欠かせない。また株価だけの上昇は常に急落の危険もはらんでいることに注意しなければならないだろう。

 日銀によるETF等の購入、GPIFによる株式組み入れ比率の上昇など株価対策らしきものが目白押しで、考えようによっては株価の上昇を通じて景気の引き上げを目論んでいるようにも映るが、この水準での株式組み入れはいかに危険なものかは理解できるだろう。投資家は慎重な対応が求められる。


(作家 板谷敏彦)

2014年11月17日月曜日

金融家というお菓子


昨日は、日興証券時代の先輩である岡本和久さんのI-Oウェルス・アドバイザーで講師をやらせて頂いた。テーマは相変わらず「日露戦争とロンドン金融市場」だったが、今回の内容は「日露戦争と映画」というべきもので、時代考証の難しさと金融市場で付けられる市場価格の歴史的事件発見機能についてお話した。

旅順要塞攻略戦線に関して戦後に撮影された映画では、おしなべて黒い軍服が用いられている。これは瀬島龍三なども含む旧軍関係者のアドバイスも入れながら考証されたものだが、近年の研究では軍服は実際にはカーキ色だったことがわかってきた。そのためにNHK「坂の上の雲」では制服がカーキ色にあらためられていたのだ。これまでの映画はすべて軍服の色が間違っていたことになる。(実際にはすべての部隊にカーキ色がいきわたったわけではなく黒服もあった)

しかしそのテレビ「坂の上の雲」でさえ、クーン・ローブ商会ヤコブ・シフを紹介するシーンでは「金融家ヤコブ・シフ」とテロップが出ている。

「金融家?」

僕が使用しているカシオ製EX-wordは最高最新機種で辞書等は180コンテンツ。日本語大辞典、日本史大辞典、オクスフォードからブリタニカ、バロンズ金融辞典、日経経済用語辞典などなどこれ以上は無理というぐらい本格的な辞書がそろっていて複数辞書検索が可能なのだ。しかし「金融家」というボキャブラリーは無い。

もしもこれが中世のユダヤ人の金貸しという意味で使用しているのならば、差し出がましいが「financier」という英単語が思いつく。


面白いことにこの言葉をカタカナに直して「フィナンシエ」と複数辞書検索すると、広辞苑で「卵白・砂糖・粉末アーモンド・小麦粉・焦がしバターを混ぜ、長方形の浅い型に入れて焼いた小さな菓子」とでてくる。また「世界の料理・メニュー辞典ではフランス語フィナンシエールとして「銀行家風」と登場する。

このお菓子は長方形で金塊に形が似ていることから「金融家」と呼ばれたという説がある。また菓子舗アンリ・シャルパンティエの解説では『フランス語で「金融家」という名前を持つ焼き菓子。約120年前、パリの証券取引所近くの通りで店を構えた菓子職人が、背広を汚さず、すばやく食べられるようにと考案したとの説が有力だとか。』とある。

面白いでしょ。こうした単語を見るたびに日本人は本当にユダヤ人陰謀説に弱いのだなあと思ってしまいます。




2014年11月13日木曜日

印西市木下 手焼きせんべい


これは先週末に買った千葉県印西市木下(いんざいしきおろし)の煎餅たち。煎餅好きの僕は成田線木下駅前にある川村商店のことをネットで最初に知った。(写真左上)創業87年。まごうかたなき老舗中の老舗。全国トップクラス。実に美味しい。



ところが木下にはほかにも煎餅屋が多数ある。手焼き煎餅屋集積地帯であることが判明した。シリコンバレーみたいなものだ。

下は岩崎米菓店のおせんべい。これもJR木下駅前。「最近では店頭に出してもすぐに売り切れてしまうため、のれんを外してしまったとか。」グーグルのストリートビューでは見つからない。一軒家のように見えるが煎餅屋。インターフォンを押せばおじさんが出てくる。醤油一度塗り。薄味でお米の香りが秀逸。


右上は浦部せんべい。実に香ばしい煎餅。丁寧な作業がしのばれる。問題は駐車場。田舎道を高速で走行中に突如現れるふつうの家の駐車場みたいなバックで入れる駐車場。何度か通り過ぎてしまった。


もう一軒、関口米菓店にも寄ろうとしたが、駐車場を通過してしまい断念。今度トライするつもり。


印西市手焼きせんべいマップ
http://www.city.inzai.lg.jp/0000001760.html

2014年11月9日日曜日

烏賊と小芋の葛煮


僕がよく行く京割烹には「烏賊と小芋の葛煮」というメニューがあります。京都らしくないメニューですが日本酒と相性がよいし、あまりに美味しいので、函館のするめ烏賊も里芋もどちらも旬の11月頃には真似をして家でもたまに料理します。里芋の旬は9月以降春まで、するめ烏賊は日本では通年どこかしらで捕れます。

今関東地方の店頭に出ている烏賊は冬期発生系群で、昨年の冬に東シナ海から九州北部で生まれて黒潮にのってオホーツクまで旅をする群れなのだそうです。一度冬の1月に函館へ行って烏賊をたべようかと思ったら12月いっぱいで烏賊漁は終わりだと聞きました。その後は日本海側に漁場が移動するのだそうです。

恥ずかしながら僕は何故里芋を小芋と呼ぶのか最近まで知りませんでした。最近の子供はものを知らないなんて言えませんね。たしかに僕も最近までは「最近の子供」でした。店頭で親芋を見て質問して初めてそうなんだと理解した次第です。また所謂(いわゆる)「きぬかつぎ」は里芋ですが、関西地区の「石川早生」だと茹でると皮がつるりと剥けるのですが、関東地方の「土垂」ではそうはいかないようです。昨日はデパートで「たけのこいも」を見かけましたし、京割烹では「えびいも」は常連です。「セレベス」などというのも売っていました。

さて、本題の「烏賊と小芋の葛煮」は作るのに難しいことは何もないのですが、とにかく面倒くさい。烏賊をばらして、芋を剥いてぬめりを取る。それだけです。材料費は500円もあれば十分な量が作れますが、お惣菜コーナーではとても高価な料理になります。僕はキッコーマンのHPのレシピに葛をたして作っています。葛はいらないといえばいらない。写真をとろうかと思いましたが、夜日本酒を飲んだ時に残り物全部食べちゃいました。

http://www.tamaeiga.org/2012/program/008.html


降旗康男監督、高倉健主演の映画「駅 STATION」(1981)では北海道の増毛の雪に埋もれたカウンターだけの小さな居酒屋が登場します。ヒロインの倍賞千恵子がやっている店です。大晦日の夜に行き場のない四十がらみの男女が二人きり。小さなテレビには紅白歌合戦。八代亜紀が『舟唄』をうたっています。

お酒はぬるめの 燗がいい、肴はあぶった イカでいい

この場合のイカはするめではなくて、一夜干しなんでしょうね。生姜とお醤油で。

倍賞千恵子が「(私)イカ(を)煮たの。食べる?」と聞きます。醤油色に薄く染まった烏賊をみるたびにこのシーンを思い出してしまいます。じゃがいもとも相性はいいようです。


P.S.もう一度観ました。「イカ、食べる?」と聞くのですが、「煮たの」ではなくて、「炊いたの」でした。

2014年11月7日金曜日

英雄たちの選択 NHKBSプレミアム


昨晩はNHKBSプレミアム「英雄たちの選択」小村寿太郎編に少しだけ解説役で出演したが、拙著『日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち (新潮選書) 』の読者には物足りなかったであろうから、少し補足しておかなければならないだろう。

番組は「賠償金に固執した小村の判断は正しかったのだろうか?」というテーゼだった。私の本ではこの本国からの賞金獲得は優先しないという指示にもかかわらず小村が賞金獲得に固執した部分は省略してある。またニコライ2世が「一寸の土地も1コペイカの金も払う意思はない」と語ったにもかかわらず、ぎりぎりの段階で日本が樺太の南半分を手に入れた経緯(幣原喜重郎の『外交50年 (中公文庫) 』に書かれている英国公使からの忠告)も省略してある。

そのかわりに日本国として賞金獲得を断念したことは正しかったのか?という疑問に対する答えは資本市場の論理である証券価格、この場合はロンドン市場の日露両国の公債価格によって示したつもりである。

グラフは日露戦争の2年目である1905年。公債価格に影響を与えた4つの大きな転機となる事件をプライスチャートに書きくわえている。


① 1月22日 血の日曜日事件。日本公債は買われることになる。ロシア国債の価格があまり下落しないのは、本の中でも説明したとおりロシア公債の主要市場であるパリ市場で買い支えられているからと考えている。

② 3月10日 日本軍奉天占領。当時世界史上最大規模の会戦であった奉天会戦に勝利したものの、戦略目的であった「包囲殲滅」が達成できなかったことにより日本軍の継戦能力に疑問符がついたために日本公債は売られてしまった。

③ 5月27日 日本海海戦。これは予想外の日本海軍の圧勝に日本公債がジャンプした。ロシア海軍の損害が大きすぎることから終戦が近づいたとの判断が働いたと思われる。

④ 8月29日 ポーツマス会議において日本側が賠償金要求を取り下げたことが判明した。

ロシア公債は暴騰。つまり市場は1)ロシアはいくばくかの賠償金を支払うと考えていた。2)ニコライ2世の専制国家では黄色人種に対する負けを認めないのではないかという思惑が市場にあったが、予想外に認めた。同時に革命の激化も避けられるという思惑が働いた。

そして肝心なのは日本公債であるが、賠償金を断念したにもかかわらずロシア公債ほどではないにしろこちらも買われたのである。市場は戦争継続による戦費の浪費を懸念していたことになる。ポーツマス会議が破たんしていれば両国の公債はどちらも売られたに違いない。

従って証券価格面からだけで判断すると日本政府の妥協による終戦の決断は正しかったといえるのだ。そしてロンドンのジャーナリズムからは実際にそうした評価を受けている。9月9日の英国「スタチスト」誌(当時は「エコノミスト」と並ぶ経済専門誌だった)の論評は本の364ページに引用しておいた。





2014年10月20日月曜日

【ビジネスアイコラム】国産ウイスキーの価格競争力


【ビジネスアイコラム】国産ウイスキーの価格競争力 

2014.10.20

NHK朝の連続テレビ小説新シリーズ「マッサン」が高い視聴率を稼いでいるそうだ。「マッサン」とは、スコットランドに留学してウイスキー製造技術を日本に持ち帰った竹鶴政孝氏がモデルである。彼はサントリー山崎蒸留所の初代工場長であり、後にニッカウヰスキーの創業者となった。

その「マッサン」が1924年に製造を開始してから90年が経過して、今や日本のウイスキーは本場のスコットランドやアイルランド、カナダ、米国と並んで世界5大ウイスキーとして数えられるようになった。生産量だけでなく、その品質がとても高く評価されている。

昔の話で恐縮だが、輸入ウイスキーの関税が撤廃される前、あるいは円がこれほど強くなる以前は、海外旅行のお土産といえば高級ブランデーやウイスキーが定番だった。

本の型をした陶器に入れられたナポレオン・ブックが免税店では1万円強から、これを日本で買えば5万円だとよく自慢気に聞かされた。洋酒は内外価格差の激しい商品だったのだ。これは国産ウイスキーの保護だけでなく、日本酒やその他の焼酎などの保護も目的だった。

80年代初めには、スタンダードウイスキーと呼ばれる7年物のジョニー・ウォーカー赤ラベルが5000円、12年物の黒ラベルが1万円。さらに高級なオールドパーが1万5000円だった。

最近はすっかり聞かなくなったが、当時の企業によるお得意さまや関係官庁への年末年始の贈答も区切りの良い値段でランク付けが明瞭だった。カローラがコロナになり、やがてクラウンになるように出世に応じてお酒もランクアップしていった時代である。

一方で当時のベストセラーであるサントリー・オールドが約2300円、特級の角瓶が1800円、一級のホワイトが1000円で二級のレッドが500円だったと記憶している。ニッカも同様のランクアップだった。トリスはさらに安かった。

さて、スーパーマーケットや量販店の店頭で今、これらの価格をチェックしてみると、国産ウイスキーの価格が当時とあまり変わらない一方で、7年物スタンダードの正規輸入スコッチは1000円を、12年物では2000円を切るものもある。輸入ウイスキーの価格は諸物価が上昇している中、35年前に比べ何と5分の1にまで低下しているのである。

国産ウイスキーは高関税に守られている間に健全に育まれ、やがて競争力を持つ世界商品へと進化・発展を遂げた保護政策の成功例として受け止めればよいのであろうか。あるいはわれわれの通貨である「円」が英ポンドに対して日本人の購買力を大いに高めた結果なのであろうか。もしくは、われわれ酔っ払いは輸入ウイスキーに対して単に払いすぎていただけの話なのだろうか。ここは一つじっくりと飲んで考えた方がよさそうだ。

作家・板谷敏彦

2014年9月14日日曜日

日曜朝刊書評の楽しみ


新聞の日曜版といえば書評ページが楽しみである。自分で本を出版した時は、3か月間ぐらいはその本に対する書評が掲載されていないか日曜日ごとにドキドキしながら紙面を開くものだ。紹介されたから良い本だという証明にはならないが、掲載される本の数的な限界から主要紙の書評欄で紹介してもらうというのは大変なことだ。本屋によってはそれで平積みにしてくれたりする。
私も下手くそながらいくつかの雑誌に書評を掲載している。出版される本をすべてチェックできるわけもないので、ある程度ジャンルは限定されているとはいえ書評にどの本を選定するのかというのは偶然のタイミングによるところも多い。

書評を書く際には、3つのポイントを心掛けている。一つ目は、まず本の紹介。著者がどういう人で、どういう経緯でこの本が書かれたのか。あるいは一連の流れの中にどのような本があるのかを書評の読者に伝える必要がある。なにしろ書評の読者はその本について何もしらないのが前提だから。

そして2つ目は本の内容の紹介である。紹介の仕方も紙面が十分にあるのであれば段落を追って目次のように網羅的に紹介する方法もあるだろうし、あるいは強く印象に残った点について集中して紹介する方法もあるだろう。読者にこういうことが書いてありますよと伝えなければいけない。また人によって興味を引くポイントが異なるかもしれないので、本の紹介にも想像力を巡らせる必要がある。

3つ目はその本の内容に対する自分の所感である。

最初書評を頼まれたころは、実は何も意識しないでこうした手順で書評を書いていた。ところがどこかの時点で無意識に所感だらけの書評や、それに迷うと意見も何もない目次案内みたいな書評を書くようになってしまいひどく悩んだことがあった。その時に担当の編集者に教えを乞うたのがこの最低限の手順なのである。何のことはない。自分自身の古い書評を読み返すとやっぱりこの手順で書いていたのである。

前置きが随分と長くなったのだけれども、今朝の朝日と日経では(それ以外を読んでいない)両紙で同じ本。ニコラス・フィリップソンの『アダム・スミスとその時代 』(白水社)が紹介されている。朝日が水野和夫氏でサブタイトルは「『真の人間学』追求した哲学者」、日経は藤田康範氏でサブタイトルが「多様な視点から解く未完の『人間学』」。サブタイトルは多くの場合編集者の領域だから、この書評から受ける第3者の受けた印象を反映しているといえる。つまりこの本は高名なアダム・スミスは経済学者という狭い領域で捉えずに「人間学」者であるということが評者の共通した主張であるのではないかと想像できる。しかし両者の書評本文は内容が随分と異なるところが興味深い。

未だ読んでいないので早速注文することにした。

ちなみに僕は来週の週刊エコノミストに『プロパガンダ・ラジオ: 日米電波戦争 幻の録音テープ (単行本) 』渡辺考、筑摩書房の書評を書いています。戦争中の日米短波放送の話です。



2014年9月4日木曜日

【ビジネスアイ・コラム】鉄道と地勢図― 高速鉄道開通を待つバルト3国


鉄道と地勢図

高速鉄道開通を待つバルト3国

来年3月に東京から金沢まで北陸新幹線が開業する。金沢までの所要時間は2時間30分。現在大阪から金沢までJR特急「サンダーバード」で約2時間40分ほどだから、鉄道の時間距離で見るならば東京の方がやや近くなる。

手元に昭和39年の時刻表があるが上野から金沢までの最速列車は、上野9時5分発信越線経由大阪行ディーゼル特急「白鳥」で、長野駅を午後12時27分、直江津で青森から来る同じ名前の「白鳥」号と連結して金沢着は午後17時01分。約8時間である。逆向きに大阪発8時15分の「白鳥」号は金沢に11時34分到着。所要時間は3時間20分ほどだから当時は大阪からならば日帰りも可能だった。

文化圏の形成は時間距離が大きな要素だ。例外もあるが日本海側の出汁は北海道と大阪を結ぶ北前船の経路の影響で昆布出汁が多い。秋田や富山、金沢料理も昆布が基本の薄味である。一方で江戸は黒潮の経路で薩摩や土佐の鰹節、紀伊半島や房総、銚子の濃い口醤油でうどん出汁は濃い。

しかしほくほく線の開通ですでに東京―金沢間の時間距離が短くなっていたとはいえ、北陸新幹線の開通は富山や金沢の関西経済・文化圏からの完全な離脱を意味するようにも映る。東京への一極集中である。沿線の都市の利便性から見ればこのほうがよいのであろうが、東日本大震災時に見せた国家としてのリスク分散管理の見地からはもう少し考慮が必要なのかもしれない。


さて、ロシアである。世界の鉄道の線路の幅の標準は1435㎜である。これを標準軌という。蒸気機関車を広めたスティーブンソン社の機関車がこの軌間であったために初期にこれを輸入したアメリカ、フランスやドイツなど欧州の主要国はこの軌間を採用したので標準となった。新幹線は標準軌。JR在来線は植民地ゲージと呼ばれる1067㎜の狭軌である。明治維新政府は資金がなかった。

一方でロシアはドイツや当時のオーストリアから鉄道によって侵攻されるのを防ぐためにわざわざ1520㎜の広軌を採用して敵の車両の乗り入れを妨害した。日露戦争のおりには日本陸軍鉄道大隊がわざわざ広軌を狭軌に直しながら(改軌)進軍した。狭軌の機関車しか保有していなかったからである。

そして戦後には南満州鉄道のために当時の中国の規格である標準軌に再び改軌したのである。当時シベリア鉄道で日本から欧州に旅をするにはハルビンで一度広軌の列車に乗り換えてシベリアを横断し、ポーランドで再び標準軌の列車に乗り換える必要があった。

ウクライナは今でも殆どがロシア規格の広軌である。同じくロシアと隣接する旧ソ連バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)も広軌だが、現在はEU諸国と標準軌による高速鉄道の延伸に力を注いでいるそうだ。ウクライナ危機がこれを加速している。3国は鉄道によって経済圏、文化圏を変更したいのである。

板谷敏彦

2014年8月31日日曜日

めぐり逢わせのお弁当





ダッバーワーラーをご存じだろうか? これはインドのムンバイに現存する弁当配達サービスである。ビッグ・ビジネスである。英国植民地下のオフィスワーカーであったインド人は植民地事務所の提供する昼食をヒンドゥーやイスラムなど宗教上の禁忌からそのまま食べることができなかった。また低いカーストの人間が調理した食事も食べられなかった。そのために各家庭から昼食を配達するビジネスが発達したのだそうだ。毎日175,000個の弁当が各家庭から集められ、それぞれの勤務先に配達される。配達ミスは600万回に1度しかないという正確さで、ハーバード大でも研究対象とされ英国王室も見学にきたという100年も続くすごいシステムである。日本人からすれば弁当なぞ朝持っていけばよいじゃないかとも思えるが、、旦那の出勤後に奥様がしっかりとカレーを調理しているのである。

アナ雪以来久しぶりに映画を見た。それが上記のダッバーワーラーにまつわるインド映画「めぐり逢わせのお弁当」である。

まだ小学校低学年の子供がいる若妻。彼女の作ったお弁当が600万分の1の確率を乗り越えてご主人ではない人に配達された。配達された人は保険会社の査定人。1等車の定期で通勤する、多分インドでは一流の定年間際のサラリーマン。妻には先立たれて一人暮らし。死んだら妻の横に埋葬してくれるようにお願いしたら、ムンバイでは土地が少ないので縦に埋葬してはどうかと提案される。少し前までムンバイでも1等車ならば座れたが最近は立ったままがふえたのだそうで、死んだあとぐらいは横になりたいと切実である。

若妻のご主人は浮気をしてかまってくれない、2人は配達の間違いを放置してお弁当に手紙を忍ばせ文通を始めた。最初は他愛のない会話だったが2人はお互いを見たこともないのに次第に恋におちていくのだった。

初めて会う約束の日の朝、ネクタイを締めそり残しの髭にカミソリをあてると、バスルームに昔おじいさんが入浴した時のにおいがした。おじいさんがいるわけもなく、それはまぎれもなく初老の彼自身のにおいだった。また出かけの電車の中では親切な若者から席を譲られてしまう。

そして定年間際の初老の男はこう言うのだ。
「はずれだとわかった宝くじを買う人はいない」

彼と若妻がその後どうなったかはお楽しみだからここには書かない。
しかし2人の文通の中にブータンは世界で一番幸せな国だとか、そこへいけばルピーは5倍の価値を持つから引退後は行きたいとか、まるで今の日本の僕らと変わりない。この映画は文化の違いを乗り超えて世界中で違和感なく受け入れられるのではないかと思う。メールではなく手紙が媒体なのも興味深いし、演出が繊細で演技の間が素晴らしい。お約束の歌と踊りは今回はないが。間違いなくおすすめの恋愛映画である。


2014年8月12日火曜日

ロビン・ウィリアムズさん死去


アメリカの俳優ロビン・ウィリアムズが亡くなられた由。

米俳優のロビン・ウィリアムズさんが死去、自殺か-警察当局

僕は彼の映画が好きで、もちろんマット・ディモンと共演した「グッドウィル・ハンティング」はとても好きなのだけれど、実は"The Best of Times(1986)"という、さして売れなかった映画が一番好きで今でもビデオを持っている。昔ニュージャージーのショッピングモールで買った分なので字幕はない。


婿養子(みたいなもの)に入ったバンカーのジャック(ロビン)は13年前にタフツというアメリカの片田舎の高校のワイドレシーバーだった。ところが因縁のライバルであるベーカーズフィールド高校とのゲーム、当時の仲間である花形QBレノ(カート・ラッセル)が最後の最後に投げた完璧な起死回生のロングパスをお手玉してしまったのだ。そのためにゲームに勝てなかった(引き分け)ことがずっとトラウマになっていた。またお手玉のために大学のスカウトを逃したレノも彼をずっと恨んでいる。

義理の父(ドナルド・モファット)はなんとそのベーカーズフィールド高校のOBでスポンサー、毎日職場で一緒になるが会うたびに毎回毎回その時のお手玉の真似をしてからかう始末。ジャックは昔に戻って過去を修正し人生をやり直したいと考える。

そして何とか開催にこぎつけた13年ぶりの再試合、引き分けの決着をつけるのだ。タフツもベーカーズフィールドも街をあげての応援。そしてゲームの最後の最後に13年前と全く同じシチュエーションが再現、投げられたロングパスが何とかジャックの指先にかかるが。。。。。

小さい街なので顔なじみの売春婦のところに行って、クレジット・カードを渡す。やけくそになってイラだっていたのでカードの審査の間に服をすべて脱いでしまうが、審査でNOが出て追い出されたり、細かい笑いのポイントが多い映画だった。週末に追悼の意味でもう一度見てみるつもり。

The Best of Times 


2014年8月6日水曜日

【ビジネスアイコラム】シンプルな指標で見ると…米株は割高か?


【ビジネスアイコラム】シンプルな指標で見ると…米株は割高か?
2014.8.6

 モルガン・スタンレー証券の著名ストラテジストであった故バートン・ビッグス氏は文章がうまいことで有名だった。退社後にヘッジファンドを始めた時には本を出版したが、その中に毎朝通勤電車の中で翌日の新聞を読めるブローカーのフィクションが登場した。これはその日の寄り前に株価の引け値がわかるという株屋にとっては夢のようなお話である。上がる株を買い、下がる株を売り引け前に反対売買すれば良いだけだ。だがもちろんそんな事は夢物語であって現実には起きるはずもない。それで昔から投資家達は何とか株価を予測しようと努力を積み重ねてきたわけである。

 ダウ・ジョーンズ株価指数を考案したチャールズ・ダウは株式市場のトレンドとその転換点を予測する「ダウ理論」をまとめあげた。ダウ理論は当時、市場を予測する高性能な指標としてもてはやされた。しかし1933年にアルフレッド・コウルズが「ダウ理論」を検証してみると、インデックス(SP500の前身)を年率で3.5%ほど下回っていることが分かってしまった。

 しかしそれでも「ダウ理論」はまだましな方で、当時の24種類におよぶその他のやり方ではインデックスを4%も下回ってしまったのだ。それでもコウルズはそのことを派手に宣伝したわけでもないので、ダウ理論の本は売れ続け、その他にも斬新なアイデアは続々と市場に登場しては消えていったのであった。

 しかしながらコウルズ以降80年代半ばまで、理論家の間では市場の上げ下げを予測することは一般的に無理だと考えられていた。最後にそうした考えを補強したのが株価は酔っぱらいの千鳥足のようにでたらめな動きをするという「ランダム・ウォーク理論」であった。



 市場を細かくは予測できなくとも長期の大勢を読む指標もある。ノーベル賞に輝くロバート・シラー教授は自身のHP上でデータを公開して株式市場の長期での割高割安を判断するCAPE指数(SP500指数のPER:利益/株価)を発表している。インフレ調整後の10年平均を用いて過去平均との間でその高安を判断するようになっている。

http://www.econ.yale.edu/~shiller/

 7月現在のCAPE(PER)は26倍もあり割高な水準だが、上下動はあるものの90年以降ずっと高い水準を示していて実は今後の予測には使いにくい。


 一方で、株式市場の大きさを測る「株式時価総額」を、経済規模を表す「GNP」で割ってその比率で市場の高安を判断するというシンプルな指標(MV/GNP)もある。こちらはウォーレン・バッフェトも参考にしていることで有名だが、リーマン・ショック時に80%だったこの指標も今では165%、ITバブル時の史上最高値180%超えに迫る勢いである。

http://www.bloomberg.com/

 最近ステファン・ジョーンズというアナリストが、このMV/GNPモデルに人口動態によるGNP値調整などの指標を組み込んで予想の精度をあげたというリポートが発表されて話題になった。その予測ではSP500は今後年率-10%のペースで低下して10年後にはなんと650ポイントにまで下落するのだそうだ(8月4日現在1938.99ポイント)。残念ながらこれが正しいのかどうかは10年後の新聞でも手に入らない限りわからないことだ。

(作家 板谷敏彦)


2014年7月27日日曜日

『金融の世界史』の中国語版の出版が決定


拙著『金融の世界史』の中国語版の出版が決定しました。机械工業出版社(China Machine Press)から発刊の運びとなります。この会社は中国では一番大きな出版社なのだそうでラインハート・ロゴフの『This Time is Different:国家は破綻する─金融危機の800年』などもここから発刊されているのだそうです。一定量売れたら是非上海で講演会などのプロモーションも企画しましょうというご提案で、なかなか楽しみなことです。

次回作はようやく書き始めました。年末には書き終えたいと思っています。次回作の調査のためだけに読んだ本がちょうど大きめの本棚1本に達しました。昨日もネットでようやく見つけた1冊を求めて神保町の古本屋さんに。暑いのでクルマで行ったらマニアックな店なので開店がなんと12時。待たされて駐車代は結局2時間で2,400円もしてしまいました。おかげで久しぶりに神保町ランチョンでメンチカツが食べられたのでよしとしましょう。

でも良い本なのに、誰が行くんだ?というような古本屋さんの棚に人知れず静かに眠っているような本があるものなのですね。

HMS Dreadnought
因みに本は『シーパワーの世界史② 蒸気力海軍の発達』青木栄一(出版協同社)。Amazonでは古本が1万円で1冊だけ出ています。原書では"Naval Warefare 1815-1914", by Lawrence Sondhaus, ROUTLEDGEが同じ時代区分をカバーしています。読み易い本です。

戦列艦が戦艦に進化する過程を詳細に調べていたのですが、別件で海軍兵学校なるものの開校は日本も含めて先進国ではイギリスが一番遅いことに気が付きました。これはもちろん古い伝統のためです。そして一方でアメリカが兵学校にせよ海軍大学にせよ、あるいは様々な教育システムという面では昔から一番開明的だということが印象に残りました。同一性の低い多様な人種の混ざり合いが教育の制度化を促進したのでしょうね。


2014年7月3日木曜日

【ビジネスアイコラム】第一次世界大戦100周年に思う


フジサンケイ・ビジネスアイに書いたコラムです。ここでの題材は有名なサラエボ事件を選びましたが、それでも一般向け記事の場合には説明が必要なのだろうと思っています。今は第1次世界大戦関係の資料を読み込んでいます。古い新聞や本もあったり新刊の原書もあったりです。そうした中で最近は歴史を見る視座の違いというものを強く感じている次第です。特に我々はキリスト教をベースとした西洋史観に沿った歴史的知見で物事を考えているのだということを思い知らされるのがこの第1次世界大戦です。

サントリー財団の発行している雑誌アステイオン8月号の特集「第1次世界大戦100年」では、津田塾大学の藤波伸嘉准教授が「オスマン帝国の解体とヨーロッパ」という論考を寄稿されていますが、オスマン帝国から見た「ヨーロッパ」という視座から第1次世界大戦を考える取り組みです。非常に奥深く面白いし、最近のクリミア情勢やグルジアのEU加入を考える上でも参考になるのでお奨めします。また氏は最新刊である『第一次世界大戦と帝国の遺産 』(山川出版)にも「オスマン帝国と『長い』第1次世界大戦」という論文を書かれています。


【ビジネスアイコラム】第一次世界大戦100周年に思う 

先週末の6月28日は第一次世界大戦勃発の発端となったサラエボ事件から100周年であった。サラエボ事件とはオーストリア・ハンガリー帝国王位継承者であるフランツ・フェルディナント大公のセルビア人による暗殺事件である。

これを契機にオーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告したことが欧州全体を巻き込む世界大戦につながったとされる。

当日は欧州各地で第一次世界大戦にまつわる記念式典が開催されたことが報道されたが、100年前の出来事にもかかわらず、すべての歴史事象が解明され、解釈上のわだかまりが氷解したわけではない。第一次世界大戦の起源についてもいまだに新しい見解が更新されているのが現状だ。

フェルディナント大公を暗殺したセルビア人のプリンツィプはセルビア民族主義者から見れば今もなおヒーローであり、対抗するその他の民族から見ればテロリストでしかない。

サラエボのあるボスニア・ヘルツェゴビナ(現在の国名)は、長くオスマン帝国下にあったために人口の約半分がイスラムに改宗したボシュニャックと呼ばれる南スラブ人である。その残りが正教会のセルビア人とカトリックのクロアチア人で構成されている。

隣国セルビアはもちろんセルビア人の国であって19世紀末にオスマン帝国からの独立を果たしたが、ボスニア・ヘルツェゴビナの方は多くのセルビア人を含んだままオスマン帝国からオーストリア・ハンガリー帝国の国土に組み入れられてしまったのであった。民族分布と人為的な国境線策定の違いにも問題はあった。

6月28日は中世に繁栄したセルビアがオスマン帝国に敗北を喫し独立を失った1389年のコソボの戦いのあった記念日で、大公が、わざわざそんな日を訪問予定日に指定することはセルビア民族主義者の神経を逆なでしたが、一方でこの日はフェルディナント大公の結婚記念日でもあった。


Sophie - wiki
結婚記念日がどうしたという向きもあろうが、愛妻家である大公の妃、ゾフィーはチェコの伯爵家の息女であったが、皇太子の妃としては身分が低すぎて、子供たちは王位継承権が認められないほどだった。そのため皇太子としての公式な式典には同席を許されなかったのだ。それを不憫(ふびん)に思った大公は妃に華やかな気分を味わってもらおうと、同席の許される陸軍元帥の身分でオープンカーに乗りボスニアの閲兵式に参加したのであった。プリンツィプは偶然目の前を通りかかったオープンカーの踏み板に飛び乗り1発目を大公に命中させほぼ即死、2発目は狙いをそれた弾丸でこの薄幸の妃、ゾフィーを殺した。大公は死の間際に「ゾフィー、子供たちのために死なないでくれ」と残したと伝えられている。

歴史は視座に応じて史実の解釈がまるで変わってしまう。100周年のこの4年間は第一次世界大戦にまつわる数多くの書籍が刊行されるだろう、ここはぜひ寛容な心で多様な歴史解釈に接していきたいものである。

板谷敏彦

【ビジネスアイコラム】2014.7.3

2014年5月30日金曜日

【ビジネスアイコラム】高頻度取引の功罪


 今朝のビジネスアイのコラムはHFTについて書いておきました。数日前の日経のコラムを読んで触発されました。HFT業者全体の稼いだ利益は09年に約50億ドルあったものが12年では10億ドルほどにまで減少しています。競争の激化によるシステム投資負担、スプレッドの縮小。一方投資家にとってメリットである米国株の売り買いスプレッドの縮小は気配値ベースで80年代前半が25bps、PTSの始まった後半が17bps。2000年で14~18bps、HFTが取引を始めた2006年には3.6bpsまで急落しています。本当は個人投資家はものすごく恩恵を受けているのですが、あまり理解されていません。


【ビジネスアイコラム】高頻度取引の功罪

 2001年改正以前のNY株式市場では株価の呼び値は8分の1ドル単位だった。平均的な株価である40ドルで計算すれば売りと買いのスプレッドは0.3%あったことになる。この8分の1という単位は古くから米国で使用されてきたメキシコ銀貨をペンチで半分に切って使用した名残である。2分の1を半分にすれば4分の1になり、そのまた半分は8分の1になる。NY市場における「もう一声」は8分の1の銀貨の切片だったのである。投資家は永らく株式売買時の執行コストとして無意識に一部これを負担していた。一方で値付け業者からみればこれはさや抜きの源泉でもあった。今ではこれが1セント単位になり改善されているが、金額が外枠の手数料とくらべてこうしたコストは捉えにくい。

 3月末にマイケル・ルイス氏が高速で売買を繰り返す高頻度取引(HFT)を題材とした「フラッシュ・ボーイ」を執筆して、発売日にTV出演で派手にアピールしたこともあって、投資家はHFT業者によって株式売買取引から上前をハネられて随分と「損」をしているとの認識が広まっているように見受ける。しかしこうした直感に訴える損得だけではなく、実は株式市場にはさまざまなコスト要因が存在していることには気が付きにくい。

 米国市場のように漸次HFT取引が拡大した状況に比べ、日本では10年に東証のアローヘッドが稼働を開始しようやく本格的な高速取引が可能となったためにそれ以前の市場との比較が容易になっている。そうした条件を基に本年1月の日銀レビューが「株式市場における高速・高頻度取引の影響」を分析している。それによるとHFT取引開始によって流動性供給効果(=売買を容易にして執行コストを低減する効果)、ボラティリティー抑制効果(市場の振幅を小さくする効果)などが観察されている。もちろん10年5月に米国で発生した「フラッシュ・クラッシュ」のような事件やプログラミングのエラーなどHFTの先進性が内包する独自の問題への対処は欠かせないが、情報がオープンにされた市場でのテクノロジーの発達による投資家の受けるメリットは大きい。

 一方で「フラッシュ・ボーイ」の中ではHFTに影響されない独自の取引網として登場する「ダーク・プール」という問題もある。これはテクノロジーの進歩とは別に、例えば米国では証券会社内クロスのように昔から存在するものだが、簡単に言えば取引所を介さない取引所外取引のことである。

 ロイターによると6年前には全取引の16%であった市場外取引が現在は40%にも達しているという。こうした売り買いを外部に見せない閉鎖的な取引には価格情報を集約し公平な価格形成が期待される取引所の価格発見機能を損なう可能性が指摘されている。

 大口注文の処理の観点からすべてがオープンであるべきだと主張する気はないが、適正価格を提示できない取引所は、結局は市場参加者の余分な負担となる。つまりこの場合も誰かに上前をハネられるということで、HFTだけを悪者と指差すことには同意できない。だいいちHFTは既にもうあまりもうからなくなっているそうだ。

(作家 板谷敏彦)

2014年4月24日木曜日

【ビジネスアイコラム】敗者復活 「国家の尊厳回復」図る時代


【ビジネスアイコラム】敗者復活 「国家の尊厳回復」図る時代

2014.4.24
 米ソが冷戦のただ中にあった1957年に、ソ連は米国に先立って世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げた。人工衛星は大陸間ミサイルの技術に直結するので、これは「スプートニク・ショック」と呼ばれ、ウォール街もパニックに陥った。ソ連は威信に満ち、西側資本主義諸国にとっては危機だった。翌年米航空宇宙局(NASA)が設立され、やがてアポロ計画につながり、69年になってアポロ11号が月に初めて人間を送り込んだことでようやくこの問題に決着がついた。

 80年代頃のウォール街では、融通の効かない人物や性格の悪い人物がいると「コミュニスト!(共産主義者め)」と罵声を浴びせた。ハリウッド映画を見るまでもなくソ連は米国の不倶戴天の敵役であり「正義」に対する「悪」であった。

 さらにその頃から東側の経済は共産主義の非効率が露呈して、単に「悪」であるだけでなく西側の繁栄に対する「貧しさ」というレッテルも貼られることになった。

 ウクライナ問題ではヌーランド米国国務次官補とパイアット在ウクライナ米国大使との通話記録(「ファックEU」発言)が動画投稿サイト「ユーチューブ」で暴露されたが、米国が欧州連合(EU)の頭ごなしにウクライナの内政にまで関与していることが問題だった。少なくとも現地の民主的な選挙で選ばれたヤヌコビッチ元大統領を追い出したのだ。さらにその後の暫定政権の一角を占める極右勢力はロシア語を公用語からはずそうとさえした。民主主義の観点からも「ロシア=悪役」ではなかったのである。

 さらに国際通貨基金(IMF)によるウクライナ政府への財政支援が入ると、財政再建のためにウクライナの公務員の給与や退職者の年金は削減されるという。ソ連解体時にたまたまウクライナにいたロシア人(言語的な意味で)にしてみればたまったものではない。ここでも「東側=貧しい」の関係ではなかったのだ。

 ロシアではクリミア併合以降、欧米の本格的な経済制裁が発動される前に、民間資本の逃避からルーブルが下落し株式市場も暴落している。既に景気に影響が予想されリセッションの懸念さえ出始めている。経済合理性から考えればクリミア併合やその後の行動は価値のないものだ。しかしプーチン大統領は今後も引く構えをみせず、「ロシアの尊厳を回復する」と述べている。これを支持する国民も同じ考えではないだろうか。ロシアの強硬姿勢をプーチン氏の性格に帰するのは早計だ。

 さて、われわれの隣国中国もアヘン戦争以降の西欧諸国や日本に踏みにじられてきたかつての「大国の尊厳」を回復したいと考えているようだ。それはロシアと同じように少々の経済的デメリットがあっても構わないということだ。なんとも扱いにくい相手である。しかし、かくいうわれわれ日本も、気がつけば世界から右傾化を警戒されるなかで少々の経済的メリットを犠牲にしても、占領政策の否定や押し付けられた憲法の改正を志向して国家の尊厳を回復しようとしているのではないだろうか。つまり今は過去の敗者復活による「尊厳の回復の時代」なのかもしれない。米国による一極覇権の崩壊であり、各国は経済合理性では行動しなくなる。もちろんこれは危険な時代の到来である。

(作家 板谷敏彦)

2014年4月2日水曜日

『イギリス繁栄のあとさき』


イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)
 川北稔著

ポスト・アメリカの次の世界はどのような世界なのだろうか。例えば中国にヘゲモニー国の交代があるのだろうか。あるいは中核地域全体が欧米からアジアに移動するのか、はたまた現状の国際分業体制である「近代世界システム」全体が崩壊するのだろうか?

後進国がかならずしも段階を追って先進国に発展するわけではない。また世の中はすべからく経済合理的に行動する「ホモ・エコノミクス」ばかりではない。ウォーラーステインの「世界システム論」や「ジェントルマン資本主義」をわかりやすく解説しつつイギリスの繁栄のあとさきに思考を巡らせる経済史エッセイが文庫本化。もちろん今の日本を考えるヒントが溢れている。

川北稔先生の本は高校生向けに書かれた『砂糖の歴史』はじめどれもとても読み易い。ぶっちぎりお奨め。


2014年3月25日火曜日

講演 日露戦争とロンドン金融市場


2014年2月4日にJSRI 公益財団法人日本証券経済研究所で行った講演会の動画がアップされています。恥ずかしながらリンクしておきます。


日露戦争とロンドン金融市場 動画


パワーポイントの資料もあります。

日露戦争とロンドン金融市場 資料


【ビジネスアイコラム】GDP、中国が米を追い抜く日は…


【ビジネスアイコラム】GDP、中国が米を追い抜く日は…
2014年3月24日掲載

 中国の全国人民代表大会(全人代)は5日に始まり13日に終了した。終了日に発表された1~2月の鉱工業生産や小売売上高は市場予測を下回るなど、ここのところ中国では弱い経済指標が相次いでいる。中国経済の低迷が中国を市場としていた新興国の成長予想に影をさし、株式市場においては新興国から米国を中心とする先進国市場に資金を還流させる大きな流れとなっている。ロシアによるウクライナ介入もこの動きに拍車をかけるだろう。しかしながら当の中国は今回の全人代においても2014年の成長率の目標を前年と同じく7.5%程度におくなど相変わらず強気な景気見通しを示しているが、はたしてこうした目標数値は実現可能なものなのだろうか。

 中国版シャドーバンキング問題やそれに関連して昨年発生したインターバンク市場での変調、また中国本土で発行された債券としては初となる太陽光発電関連メーカーの上海超日太陽能科技のデフォルトなどを根拠に中国経済の急激な崩壊を予想する声も一方ではあがっている。しかし中国では政府部門に資金があり豊富な外貨準備と相まって救済資金はふんだんにあるために銀行システムを発端とする短期的な崩壊リスクは考えにくいだろう。
 むしろ我々が知りたいのは中国の今後の長期的なトレンドである。日本が停滞している間にGDP(国内総生産)で追い抜き世界第2位となった中国は、このままのトレンドを維持してやがてアメリカを追い抜き世界に覇を唱えるのだろうか?

 考えてみれば昨今の日本の将来に対する漠然とした悲観論の背景には勢力を拡大する隣国中国があったし、またアジア各地で頻発する中国の領土拡張意欲に関する周辺国家との摩擦の根底には、中国自身の大国としての将来に対する漠然とした期待があるはずである。そしてそれは我々が武力を持っていなかっただけですでに1980年代に経験したものに似ている。

 津上俊哉氏の新刊『中国停滞の核心 (文春新書) 』では中国の今後の7%成長は困難であると指摘している。これを言い換えれば中国がGDPでアメリカを追い抜く日は仮にあるとしても2030年ではなく相当先延ばしになるということだ。

 氏は03年に『中国台頭』を著し、11年には『岐路に立つ中国』で転換点を指摘し、12年には『中国台頭の終焉』において「中国がGDPで米国を抜く日は来ない」と断言していた。

 氏の中国停滞の根拠は我々にもなじみ深い人口問題が基本である。中国では生産年齢人口はすでにピークアウトし、農村の抱えていた余剰労働力は解消して賃金の上昇が始まりだした。短期的に政府の財務状態が良好でも大国となるためには年金制度の整備も欠かせない、人口動態の問題はやがて現在の我々のように年金債務問題が国家財政をむしばむことになるだろう。昨年11月の3中総会(党中央委員会第3回全体会議)以降、習近平国家主席にはこれまでに見られないほどの権力の集中がはかられているようだ。だがそれは強い中国と同時に中国指導部の危機感も示しているのだろう。(作家 板谷敏彦)


2014年3月14日金曜日

為替レートと株価


日本と輸出相手国のシェアやインフレ格差を修正した実質実効為替レートは80年代後半のプラザ合意の頃を除くと2002年頃までだいたいはドル円とほぼ同じ動きをしていた。それは主な輸出先が米国だったからだ。しかし米国中心だった輸出先が中国を始めとするアジア諸国に重心が移り始めるとドル円とは次第に乖離するようになってきた。

この辺りの事情は一般社団法人日本貿易会HPのキッズ・コーナー:日本の主な貿易相手国がわかりやすいだろう。

実質実効レートは1円あたりで計算されているので円安円高時にはドル円と逆方向に動く。従ってグラフ化に際しては逆数をとって基準点を決めて比較しやすいように計算してある。



そして貿易相手国に大きな変化があったのだから日経平均の動きもドル円よりも実質実効為替レートと同じように動くようになってきた。実際の輸出を繁栄しているわけだから一理ある。相関係数を計算するまでもない。ジャパン円インデックスというものもあるけれど、実質実効為替レートは月次計算で発表も遅れるからトレードには適さないが全体像を把握するには重要だ。日経平均を語るときにドル円の10円の円安よりは人民元を中心とするアジア通貨の方が重要だったりするはずだ。


porco

2014年3月6日木曜日

佐倉の民族博物館は面白いよ


真綿の原料は「絹」だということを知らない人も多いのではないだろうか。実は僕も最近まで知らなかった。「綿」の字にごまかされてはいけない。木綿(もめん)ではないのだ。しかしこう書くと木綿のことを太田裕美のハンカチーフ、都会の色に染まらないで欲しいコットンだと意識して書いているわけだが、この同じ文字もひとたび木綿(ゆう)と読めばこれはまたコットンとは限らないから難しい。様々な原材料が考えられるのだ。

今朝の日経朝刊社会面に「古墳時代の機織り姿」と題する6世紀後半の埴輪出土の興味深い記事が掲載されている。記事を読みながら色々なことを考えてしまった。
絹は弥生時代にはすでに日本に製法が伝わっているがコットンはインダス文明が原産地であって、唐の終わりから北宋時代にかけてやっと中国に到達した。日本では室町時代に栽培を開始している。だとすればこの埴輪の機織り機が結城紬の原型であるならば上流階級に対して絹を織っていたに違いない。庶民は麻や楮(こうぞ)であったわけだがこの織り機はどうなのだろうか?

林董 wikiより
話は飛ぶけれどこうした疑問に答えてくれる場所がある。僕は佐倉にある国立民族学博物館(ミンパク)によく行くのだ。これは佐倉城址の一角にあるし近くには旧武家屋敷もある。児玉源太郎が佐倉の連隊長だった当時の家の跡や幕末の医師松本良順の家、これはつまり実弟である元英国大使林董(ただす)の家でもある。佐倉という街は観光地としてはひとつひとつのインパクトは弱いと思うが、とても良い街だ。城址は桜の名所。もうじき良い季節がやってくる。おみやげは佐倉煎餅かいまだに木樽で発酵させているヤマニ味噌。僕はもう他の白味噌は使えなくなってしまった。


何の話だっけ?織り機の記事の話か。
週末に締め切り3つ。朝から余分なことを書くことに自虐的な快感を覚えてしまう。

2014年2月27日木曜日

『金融の世界史』重版決定


『金融の世界史』重版決定しました。これで5刷りです。
未だの方は是非読んで下さい。


2014年2月26日水曜日

『仕事に効く 教養としての「世界史」』


出口治明さんの新著『仕事に効く 教養としての「世界史」』を読了しました。ツボに入ったようで、あまりに面白いので一気読みでした。これから世界史の本をたくさん読もうとする人が事前に読むには最適です。もちろん僕のように色々読んだけれど、もうひとつスッキリしないような人にも良いでしょう。キリスト教の歴史やフランスやドイツ、イギリスの成立など日本人にわかりにくい基礎的な部分を興味を切らさないように面白く解説してくれています。

西洋と東洋の画期について、本書ではアンガス・マディソンのGDPを使ってアヘン戦争においていらっしゃいますが、私としては一人あたりGDPの推移を比較した上で、やはり画期を1500年前後におく見解も捨てがたいと思います。色々と思考させても下さいました。

自分でここまでまとめ上げるためには一体何冊読まなければならないか、この本は読めば(知的に)得した気分になれますよ。



追記:2月27日
西洋と東洋の乖離の画期について何を言っているのかわからないとの指摘もあったので。少し説明しておく。

東洋の没落と西洋の勃興の分水嶺の話だ。GDPシェアからみるとアヘン戦争が分水嶺だというのが本書。もちろんそのとおり。グラフはアンガス・マディソンのGDPデータのうち1600年以降の実数値。1840年のアヘン戦争とそれ以降の列強の侵食が中国経済を疲弊させた様子がわかる。そして西洋の国々がサイズでキャッチアップしようとしている。西が東をGDPシェアで逆転した。当時アメリカが物凄い勢いで成長していることにも注意が必要だ。



一方でもう少し長いスパンで今度は一人あたりGDPのデータをみると、洋の東西を問わず人類は15世紀くらいまでたいして成長してはいない。千年前と同じものを食べ同じような生活をしていた。ところがこれが大きく変化するのが大航海時代。しかも西洋だけが急成長しはじめたのだ。分水嶺としてはこれもありでしょという話。







2014年2月25日火曜日

『日本軍と日本兵ー米軍報告書は語る』を読んで


僕ぐらいの年齢になると久しぶりに写真の中に見つけた自分の姿に、こんなに老けていたのかと驚かされることがある。また録音された音声もまるで別人のように変な声に聞こえることもある。

家の中でブツブツと「自分は正しい」とひとりごとを言っていても近所の人は誰も認めてくれないように、歴史的真実もひとりよがりでは真実たり得ない。

ショート深く飛んだ内野ゴロがファースト・ベースを駆け抜ける打者にとっては間違いなくセーフであっても、送球を受け取ったファースト・ベースマンにとっては天地神明に誓ってアウトだったりする。物事や事象はいろいろな角度から確認すべきものなのだ。

日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書) 』一ノ瀬俊也著を読んだ。

この本は何故今頃とも言える本だが、第2次世界大戦において米軍は日本兵をどのように見ていたのか、当時米軍の中で情報共有のためにほぼ毎月将校向けに配布されていた戦訓広報誌(IB:Intelligence Bulletin)に描かれた日本兵の姿を解明していこうというものだ。

果たして日本兵は「バンザイ突撃」によって玉砕を繰り返すばかりの戦備劣弱、無能の集団だったのだろうか?

硫黄島において効果を見せたトンネル作戦はいつごろから始まったのか?

軍の広報誌であるからバイアスがかかっているに違いない、ある時は憎しみを煽るために侮蔑し、ある時は用心のために日本兵を手強い相手として描く。

捕虜からの聴取では、アメリカ映画のファンが多いなど、さもありなんという話も書かれている。詳しく書くことは一応避けておくが興味深い1冊である。ボリュームは大くない。

2014年2月17日月曜日

週刊エコノミスト2月25日号


本日発売の週刊エコノミスト2月25日号

成毛真さんもTwitterで「週刊エコノミスト今週号の特集は『世界史に学ぶ経済』この号は永久保存版として絶対に買いですよ」と推奨しています。

僕もその中の特集「第1次世界大戦から100年」に『人口爆発、経済成長、軍拡 強大化で孤立したドイツ』を寄稿しています。原稿用紙11枚。週刊誌の記事としては大作でした。ダボス会議での安部首相の発言をWW1の故事から再考したものです。

今週号は倉都康之さんや平山賢一さん、萱野稔人さん、『砂糖の世界史』の川北稔さん、孫崎享さんのEHカー、出口治明さんのマクニール、私と同じ特集では『未完のファシズム』の片山杜秀さん、佐々木毅さんが『八月の砲声』を解説と(私以外は)超豪華メンバーとなっています。若い編集者が一生懸命に作っていました。お買い得ですよ。


【ビジネスアイコラム】第一次大戦から100年 司馬遼太郎の呪縛

【ビジネスアイコラム】第一次大戦から100年 司馬遼太郎の呪縛
2014.2.13 ビジネスアイ掲載

 最近は日露戦争の資金調達と当時のロンドン金融市場について講演する機会が増えた。『坂の上の雲』の根強い人気をみてもわかるが、日露戦争は日本が勝った戦争であるだけに今でも大変人気の高いコンテンツである。

 現代の金融市場のおおよその骨組みは金本位制によって為替が安定していた20世紀の初頭にはすでに完成されていた。高橋是清が奔走して国際金融市場で募債した外国国債によって日本は戦費を調達し日露戦争を戦った。日露戦争の成功譚はそこまでだ。実は積み上がった国家債務はその後の日本の財政をひどく圧迫することになったのだ。

 ところがその約10年後に欧州で第一次世界大戦が勃発したことによって日本の巨額の国家債務は救われることになる。「遠隔地の戦争景気」によって日本は欧州に物資を輸出するとともに、列強のいぬまにアジアの市場に進出し外貨を稼げたからである。また船舶需給の逼迫(ひっぱく)から海運は大もうけのビジネスとなり、日本にもにわか成金が大勢誕生することになった。また一方でこれもまた「遠隔地の戦争」であった米国は戦争で疲弊した英国から世界覇権を奪い取ったのである。

 今年は1914年の第一次世界大戦勃発からちょうど100年にあたる。私も含めたわれわれ日本人の第一次世界大戦に対する知見は日露戦争と比べると驚くほど浅薄である。当時ドイツの要塞があった青島を攻めたことぐらいは知っている人も多いが、ドイツ海軍の対Uボート戦用に地中海に護衛艦隊を派遣した話になるともうほとんど知る人は少ない。日本はこの時に今でも中国がその日を国恥記念日とする対華21カ条要求を突きつけ、また終戦の講和会議では世界五大国の一つとして世界の平和秩序に対する責任ある地位を委ねられた。しかしながら日露戦争後には多くの列強の士官らが勉強しにきた日本の世界最高水準だった戦争の技術も、航空機や戦車、潜水艦などの新兵器の登場によって一気に陳腐化してしまったのもまた第一次世界大戦なのである。

 司馬遼太郎が産経新聞に『坂の上の雲』を連載し始めたのが1968年。それから50年近くが経過しようとしているのに、われわれの知る歴史物語は日本海海戦の大勝利で停止してしまっているのかもしれない、その後は第一次世界大戦を飛ばしていきなり戦艦「大和」とゼロ戦なのである。司馬は日露戦争のその後を書くべく期待されたが、題材として主人公となるべき人物が見当たらないとして書かなかった。明治帝をはじめ西郷や山県。伊藤、大山巌らの特徴ある人材がいなくなり、政治家も軍人も人物として小粒でサラリーマン化してしまったというのだろうか。

 さて、われわれはあまりにも偉大な司馬遼太郎の呪縛からそろそろ解き放たれなければならない。100年目を迎える第一次世界大戦については今後4年ほどの間にシンポジウムが開かれさまざまな研究が発表されることになるだろう。それがきっかけになればと思う。
(作家 板谷敏彦)

2014年1月28日火曜日

永井一郎さんの出演作品群を見ていると


亡くなられた永井一郎さんの出演作品群を見ていると、つくづく人生って積み重ねだなと思わされる。

野球の選手ならヒット一本一本、学校の先生なら卒業生一人一人。でもそういったわかりやすい履歴もあれば表現しにくいものだってあるよね。控えの捕手で15年とかプレーしていると驚くほど打席数が少ない。何してたの?ときかれればバックアップってことだし、でも他球団から結構評価されていたりする。12球団しかなくて毎度試合に出れるのは1人だからね。人生の表現は様々だってことだ。

サラリーマンの履歴は表現しにくい。1992年課長、1997年副部長とか。これが高級官僚だと課長でもそれは日本国のその係を指し示していて迫力があるんだけれども、なんとかデリバティブ部副部長とか何とか開発課長とかもう既に跡形もない部署、ましてや金融業だと国内、外資問わず会社ごとなくっていたりするからね。講演会用の僕自身の略歴を頼まれて書いていると、これまで講演した人たちと比べて何と薄っぺらい経歴かと少し寂しい思いもしていたのだが、でも、こういうのを気にすることを後ろ向きの人生っていうのだろうね。こうした履歴達は紛れも無く今の僕に連綿と繋がっているのだから。

目標にしている人がいて、この人は物凄い勢いで本を読み、書評を書く。僕はその書評を読み、追いかけるように同じ本を購入して読むようにしている。でも、同じジャンルで仕事をしているわけではなく、僕は僕の都合でも大量の本を読まなければいけないので、どんどん未読の本がたまっていく。

でもひとつだけ僕には有利な点がある。それは年齢差だ。もちろん僕は既に充分ジジイなんだけれど、1年に150冊読めるとすれば、10年で1500冊になる。1500冊読了し、10年間色々なことを経験した後の僕ならきっと今のその人には勝てる。最近はそう思っている。10年後のその人には勝てないかもしれないけれどね。もっとも何をもって勝ちとするかは今後の人生の課題だね。


2014年1月27日月曜日

『金融の世界史』入学試験に使用


拙著『金融の世界史』第23話「『ベニスの商人の資本論』再考」がほぼ丸ごと京都産業大学の入学試験に使用されたのだそうで、使用許諾書と著作権料お支払いの案内が郵送で届いていました。同封されていた設問を見ると結構難しいことが書いてあるなと自分でも思ってしまった次第。

結論部分の最終センテンスだけををカットして、その部分を問う設問。
機会があれば見て下さい。

ありがたい話です。


家系ラーメン


僕が石川島播磨重工業磯子工場に新入社員として配属になった頃、1981年だと思うが会社の正門前(新杉田)においしいラーメン屋があると評判だった。吉村家という名のそのラーメン屋はラーメンだけのメニューで、海の家みたいな広い建物にいくつかブースがあり順番に座っていき、一定の人数に達するとまとめて麺の投入が始まる。かため、普通、やわらかめを指定する。運が悪くて客がしばらくこないとなかなか麺を茹で始めてくれなかった。そしてスープは脂大め、普通、少なめがあったように思う。今では一般的なこうした出来の指定も当時は珍しいものだった。

外には冷凍庫のコンテナーがあり冷凍豚骨がいっぱい入っていた。

店主は口数の多い人で、「俺のラーメン」という言い方が多くて、店員がミスをすると「俺のラーメンに何をするんだ!」みたいな怒り方が多かったと思う。大きな海苔が特徴だったが、あまりにも口うるさいので僕は好きではなかった。近所においしい街の中華料理屋があったのでそっちのタンメンばっかり食べていた。


その後TVを見ていたら帰国子女アナウンサーの走りである有賀さつきが店の取材でラーメンを食べてコメントすると、このおやじが「テメーなんかに俺のラーメンの何がわかるんだよ!」と悪態をついて有賀がうろたえるシーンがあった。相変わらずだなと思った。有賀はすし屋でも厚化粧ですしの味なんかわかるかと一喝されたりなかなか大変だったと思う。その後このおやじさんはTV出演で自分は大儲けしていると公言して脱税でやられていたと記憶。

今では家系ラーメンっていうんだね。たいしたものだ。僕もたまに食べるよ。店主はおとなしい人だけど。



2014年1月18日土曜日

カルフォルニア・ドリーミング


浅草ヨーロー堂さんのHPより
1月18日の深夜、NHKに南こうせつと伊勢正三が出演している。

昔「バイタリス・フォーク・ビレッジ」というラジオ番組があった。15分番組でこの後が同じく15分の「ナベサダとジャズ」でテーマソングは「シェィク」だった。これは何故かいまでも弾けるよ。

確か当時は渡辺貞夫カルテット。ギターが増尾好秋、ベースが鈴木良雄、ドラムスがつのだ☆ひろ。僕の大好きなジャズ・バンドというよりももっと一般的な人気を持っていた。

フォ―ク・ビレッジの方は毎月オーディションをやっていて、アマチュア・フォークの登竜門だった。中学生の僕はレコード屋でしかも500円月賦で買った4900円のギター(当時は街のレコード屋にギターやウクレレが吊るして売っていた)を持って相棒と男性デュオで駿河台にあった昔の日仏会館のオーディションに臨んだ。

練習ではサイモンとガーファンクルのスカボロフェアーなんかも歌っていたがオーディションということで慎重を期して曲目は「500マイル」にした。因みに往復の官製はがきで申しこみさえすればだれでもオーディションには行けた。

一つ前の共立女子大の4人グループともう一つ前のタンバリンを持った実践女子大の4人組はどちらも「カルフォルニア・ドリーミング」を歌い、参加バンドの3割ぐらいはこの曲が演目だった。おかげで審査員も参加者もこの曲を何回も何回も聞くことになった。僕なんかはこの時に歌詞を憶えてしまったのじゃないかと思うぐらいだ。All the leaves born...and the sky is blue...違うな。

一緒にカラオケに行ったことのある人はご存知だろうけれど、大変残念なことに僕は歌がうまくない。この時の審査員は小室等さんで何だか申し訳無さそうにデュオのバランスが悪いことを指摘していた。優しい人だったが中学生の僕にも彼が何をいいたいのかはハッキリわかった。因みに相方はその後プロの歌手になった。僕はそれ以降人前で歌をうたわなくなり小室さんがオマケのように付け足してくれた「ギターうまいね」というなぐさめの言葉にすがるようにジャズ・ギタリストを目指すことにした。つまり「バイタリス・フォーク・ビレッジ」から「ナベサダとジャズ」に鞍替えしたのだ。その後「カラオケ・システム」の普及とともに今では「もうやめてくれ」と言われても人前で歌い続ける自分を発見することになるのだった。

その頃は確か未だかぐや姫もデビュー前、高石ともや、岡林信康、森山良子。安田講堂はその翌年だったと思う。

P.S. 歌詞は「All the leaves are brown and the sky is gray」でした。

2014年1月17日金曜日

『金融の世界史』重版決定


『金融の世界史』は年末以来アマゾンで品切れ入荷時期未定の状態が続いていますが、一昨日『日露戦争、資金調達の戦い』とともに重版が決定しました。一週間以内に配本されると思います。両方とも四刷りになります。ご支援有難うございました。

Porco

2014年1月11日土曜日

【ビジネスアイコラム】思い切った留学制度の充実を


【ビジネスアイコラム】思い切った留学制度の充実を
2014.1.10

 明治時代の政治家である井上毅が文部大臣の頃だというから1893年あたりだろうか、日清戦争の1年前と随分と昔の話である。当時の日本も学生の語学力低下が大きな問題となっていたようだ。「高等学校では国語3に対して語学5の比率にもかかわらず語学の成績は、はなはだ不良である、さらに時とともに悪くなっていくというのが一般の定評である」とある。これに対して井上大臣は日本人教師による授業を減らし外国人教師を採用することで生の外国語と接する機会を増やす一方で教授法についても改善していくという対策をとった。

 さらに時代をすすめて1919年の第一次世界大戦のパリ講和会議。日本は戦勝国として五大国の一角に昇格し戦後処理と国際秩序の再構築に大国としての責務を負いながら、語学力のあるスタッフの人材不足から自国の権益以外の問題にはほとんど発言することができず、パリでは「サイレント・パートナー」と呼ばれてしまった。議論の輪に入れない日本人である。ここでも語学力不足は国家としての威信にかかわる問題として意識されることになった。日本人は昔から語学に課題があるのだ。

 さて、翻って現代の日本である。2010年のTOEFLの国別ランキングで日本は163カ国中135位であった。これはマレーシアやフィリピンはもちろん韓国、中国、モンゴルよりも下位にある。受験者の層の問題もあるのだろうが、言い訳の通用するような順位ではない。

 昨年4月には自民党の教育再生実行本部が英語教育に対して抜本的改革が必要だとして、英語教員自身の英語力の都道府県別公表や英語授業増などを提言。これに応えて12月に文部科学省は「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を発表した。ここでは小学校英語教育の早期化や中学における「英語による授業」などを基本とする対策を提案している。どこかで聞いたような対策である。

 実は冒頭の話は外務、文部大臣を歴任した牧野伸顕の『回顧録』からの部分引用だが、その中で牧野は傾聴すべき意見を述べている。彼がいうには学生全員が実用的な語学を必要としているわけではない。ある者は卒業後には語学とは全く縁がなくなるであろうし、ある者は語学の知識を必要とするだろう。勉強に対する身の入り方が違うのだ。同じ教育を施し全体での実績をあげようとすることが困難の原因である。語学力のすべての出発点は彼我の個人間の接触に始まるのであり、国際間の交渉にしてもあくまで個人的な信用がその基礎となる。そうした国民と国民の直接の交渉が語学の必要性を生み出すのだというのである。つまり授業法の改善も大事だが、語学は手段であり、語学を必要とする人材を増やすことが肝要なのである。

 学問に限定せず、スポーツや音楽、美術、調理などでも結構だ。単純に国費留学生を大量に増やしてはどうだろうか。意思のある若者にはどんどん留学の機会を提供することが他言語とのコミュニケーションの必要性を生み出し、それが真剣な語学学習者を増やすことにつながるのだと思う。

(作家 板谷敏彦)