2014年7月27日日曜日

『金融の世界史』の中国語版の出版が決定


拙著『金融の世界史』の中国語版の出版が決定しました。机械工業出版社(China Machine Press)から発刊の運びとなります。この会社は中国では一番大きな出版社なのだそうでラインハート・ロゴフの『This Time is Different:国家は破綻する─金融危機の800年』などもここから発刊されているのだそうです。一定量売れたら是非上海で講演会などのプロモーションも企画しましょうというご提案で、なかなか楽しみなことです。

次回作はようやく書き始めました。年末には書き終えたいと思っています。次回作の調査のためだけに読んだ本がちょうど大きめの本棚1本に達しました。昨日もネットでようやく見つけた1冊を求めて神保町の古本屋さんに。暑いのでクルマで行ったらマニアックな店なので開店がなんと12時。待たされて駐車代は結局2時間で2,400円もしてしまいました。おかげで久しぶりに神保町ランチョンでメンチカツが食べられたのでよしとしましょう。

でも良い本なのに、誰が行くんだ?というような古本屋さんの棚に人知れず静かに眠っているような本があるものなのですね。

HMS Dreadnought
因みに本は『シーパワーの世界史② 蒸気力海軍の発達』青木栄一(出版協同社)。Amazonでは古本が1万円で1冊だけ出ています。原書では"Naval Warefare 1815-1914", by Lawrence Sondhaus, ROUTLEDGEが同じ時代区分をカバーしています。読み易い本です。

戦列艦が戦艦に進化する過程を詳細に調べていたのですが、別件で海軍兵学校なるものの開校は日本も含めて先進国ではイギリスが一番遅いことに気が付きました。これはもちろん古い伝統のためです。そして一方でアメリカが兵学校にせよ海軍大学にせよ、あるいは様々な教育システムという面では昔から一番開明的だということが印象に残りました。同一性の低い多様な人種の混ざり合いが教育の制度化を促進したのでしょうね。


2014年7月3日木曜日

【ビジネスアイコラム】第一次世界大戦100周年に思う


フジサンケイ・ビジネスアイに書いたコラムです。ここでの題材は有名なサラエボ事件を選びましたが、それでも一般向け記事の場合には説明が必要なのだろうと思っています。今は第1次世界大戦関係の資料を読み込んでいます。古い新聞や本もあったり新刊の原書もあったりです。そうした中で最近は歴史を見る視座の違いというものを強く感じている次第です。特に我々はキリスト教をベースとした西洋史観に沿った歴史的知見で物事を考えているのだということを思い知らされるのがこの第1次世界大戦です。

サントリー財団の発行している雑誌アステイオン8月号の特集「第1次世界大戦100年」では、津田塾大学の藤波伸嘉准教授が「オスマン帝国の解体とヨーロッパ」という論考を寄稿されていますが、オスマン帝国から見た「ヨーロッパ」という視座から第1次世界大戦を考える取り組みです。非常に奥深く面白いし、最近のクリミア情勢やグルジアのEU加入を考える上でも参考になるのでお奨めします。また氏は最新刊である『第一次世界大戦と帝国の遺産 』(山川出版)にも「オスマン帝国と『長い』第1次世界大戦」という論文を書かれています。


【ビジネスアイコラム】第一次世界大戦100周年に思う 

先週末の6月28日は第一次世界大戦勃発の発端となったサラエボ事件から100周年であった。サラエボ事件とはオーストリア・ハンガリー帝国王位継承者であるフランツ・フェルディナント大公のセルビア人による暗殺事件である。

これを契機にオーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告したことが欧州全体を巻き込む世界大戦につながったとされる。

当日は欧州各地で第一次世界大戦にまつわる記念式典が開催されたことが報道されたが、100年前の出来事にもかかわらず、すべての歴史事象が解明され、解釈上のわだかまりが氷解したわけではない。第一次世界大戦の起源についてもいまだに新しい見解が更新されているのが現状だ。

フェルディナント大公を暗殺したセルビア人のプリンツィプはセルビア民族主義者から見れば今もなおヒーローであり、対抗するその他の民族から見ればテロリストでしかない。

サラエボのあるボスニア・ヘルツェゴビナ(現在の国名)は、長くオスマン帝国下にあったために人口の約半分がイスラムに改宗したボシュニャックと呼ばれる南スラブ人である。その残りが正教会のセルビア人とカトリックのクロアチア人で構成されている。

隣国セルビアはもちろんセルビア人の国であって19世紀末にオスマン帝国からの独立を果たしたが、ボスニア・ヘルツェゴビナの方は多くのセルビア人を含んだままオスマン帝国からオーストリア・ハンガリー帝国の国土に組み入れられてしまったのであった。民族分布と人為的な国境線策定の違いにも問題はあった。

6月28日は中世に繁栄したセルビアがオスマン帝国に敗北を喫し独立を失った1389年のコソボの戦いのあった記念日で、大公が、わざわざそんな日を訪問予定日に指定することはセルビア民族主義者の神経を逆なでしたが、一方でこの日はフェルディナント大公の結婚記念日でもあった。


Sophie - wiki
結婚記念日がどうしたという向きもあろうが、愛妻家である大公の妃、ゾフィーはチェコの伯爵家の息女であったが、皇太子の妃としては身分が低すぎて、子供たちは王位継承権が認められないほどだった。そのため皇太子としての公式な式典には同席を許されなかったのだ。それを不憫(ふびん)に思った大公は妃に華やかな気分を味わってもらおうと、同席の許される陸軍元帥の身分でオープンカーに乗りボスニアの閲兵式に参加したのであった。プリンツィプは偶然目の前を通りかかったオープンカーの踏み板に飛び乗り1発目を大公に命中させほぼ即死、2発目は狙いをそれた弾丸でこの薄幸の妃、ゾフィーを殺した。大公は死の間際に「ゾフィー、子供たちのために死なないでくれ」と残したと伝えられている。

歴史は視座に応じて史実の解釈がまるで変わってしまう。100周年のこの4年間は第一次世界大戦にまつわる数多くの書籍が刊行されるだろう、ここはぜひ寛容な心で多様な歴史解釈に接していきたいものである。

板谷敏彦

【ビジネスアイコラム】2014.7.3