2014年12月30日火曜日

普仏戦争と大山巌


年内に10話分、原稿用紙で80枚から100枚は仕上げるといつもながら大風呂敷を広げたせいで、夏休みの宿題に追われる8月末の小学生のような年末を過ごしています。元々軍事オタク気味なうえに2年かけて様々な本や論文を読んできたので書けと言われればそれなりのものは書けると思っています。通常は予定通りに進行するのですが、どこかで新しいネタを見つけるとそれだけで別に10日間ぐらいいろいろと調べる時間が必要になったりします。

普仏戦争です。この戦争の関連本は日本語ではあまりありませんでしたが、2013年に横浜市立大学名誉教授の松井道昭氏が『普仏戦争:籠城のパリ132日 (横浜市立大学新叢書1) 』(春風社)を出版されています。また、マクニール、ハワードやクレフェルト、ドイツ参謀本部ではバリー・リーチなどが書いているし、第1次世界大戦に関連した論文類も見受けます。もちろんモーパッサンの小説などもあります。日本からでは大山弥助が観戦武官で派遣されていますので、その関連もあたっておきたいところです。但し僕が普仏戦争に割けるページ数は原稿用紙でせいぜい4枚分ほどでしょうか。これから得るほとんどの新知識が無駄になることは目に見えています。でも知りたいときは知りたい。

1870年7月19日(明治3年)にスペイン王位をめぐってプロシアがフランスに宣戦布告すると、生まれたばかりの明治政府は7月28日に局外中立を宣言します。どうやって宣言すべきかはイギリス公使館に相談に行ったのかもしれませんが、このあたりを調べている時間はどうやらありません。この年はブルックリン・ブリッジが着工した年だし、ロックフェラーがスタンダード・オイルを設立した年でもあります。大村益次郎が暗殺されてまだ約半年、維新政府から大山巌に普仏戦争を見てこいと辞令がおります。品川弥二郎、板垣退助にも同様に辞令がおりますが、板垣は土佐藩御用多忙につき林有三と交替してもらいます。貴重な外遊の機会です。さぞや行きたかったでしょうに。

大山はサンフランシスコまで船便でそこから大陸横断鉄道にのります。横断鉄道の開通が69年ですから開通したてのほやほや。大山にとって初めての汽車です。

鉄道というものは、「飛鳥ヲ瞬速ノ間ニ後ニ見ルト云ウ事ヲ聞キシガ、果タシテ然リ」

人間頑張って歩いて一日40キロ。それを1時間で走ってしまい、それも疲れをしらない。驚きですよね。半日ゴロゴロとしていれば江戸から京まで行ってしまうのですから。

さて、『大山巌』(文芸春秋社)を書いた児島襄はここでの下りで「まだダッチ・シティも出来ていなかった」と書きます。これ、多分意味がわからない人が多いのではないでしょうか。現代ではわからない人が多分普通なので心配にはおよびません。

「オーマイ、ダーリン、オーマイ、ダーリン、オーマイ、ダーリン クレメンタイン」の唄は日本では替え歌で『雪山賛歌』になってしまいましたが、本来は保安官ワイアット・アープを描いた名作映画の原題(My Darling Clementine)でありテーマソングです。ところがこの映画の邦題が『荒野の決闘 』になってしまったので、唄と映画が結びつきにくくなっているきらいがあります。このワイアット・アープが映画の舞台であるトゥームストンの街にくるまえに名をあげたのが無法者の街ダッジ・シティなのです。昔は日本でも西部劇が流行っていましたから。上記の表現で読者は理解できたのでしょう。

さて大山はナイヤガラを見て驚き、「ニウヨロク」の摩天楼に目を見張ります。大山弥助(巌)は28歳の誕生日を大西洋上でむかえました。

ロンドンに着いたのが10月23日。イギリス政府の「ウーリッジ」工廠で大砲製造を見学してベルリン着は10月23日。なんだよロンドン着と同じ日じゃないのと思うが明治3年は10月が閏月で2回あった。だから閏10月23日。でなんだかんだがあってプロシア軍包囲下のパリ近郊に到着した時にはすでに休戦で戦闘は観れずじまいだった。
しかしパリに入ると、これは開国日本もたいしたもので、ちゃんと留学生がパリで籠城していたのですね。芸州藩士渡六之助が宿舎のホテル・ヨーロッパに訪ねてくる。この人は「法普戦争誌略:巴里籠城日誌」を弥助に持って帰ってもらって日本で高い評価を受けることになる。それでこの渡六之助が・・・・

いかんなんぼなんでも無駄玉が多すぎます。原稿用紙4枚分以上は無駄にしてしまいました。



2014年12月12日金曜日

蛸の塩小豆煮


最近は本を書いている都合からお酒は週一回に制限している。何十年もがぶ飲みしてきて、何を今さらと思うかもしれないが、自主規制である。そのために一度のお酒を存分に楽しもうと、酒の肴もあだやおろそかにはしない。




今週の週一回の飲みは銀座の割烹“未能一”。食べログのポイントでは3.01になっているが、これは評価システムの問題で何の間違いもなく4ポイント以上の評価が妥当である。ご夫婦2人で切り盛りしている小店だがミシュランの☆も付いている。僕は20年近く前からお世話になっていて、その間店は途中7年間ほど小田原に移転して営業をしていたが数年前に再び銀座に戻ってきた。
お酒は福島の二本松、檜物屋酒造の純米“千功成”。さっぱりとお料理の邪魔をしない控えめなお酒と説明されるが、さわやかな飲みごしについつい飲み過ぎてしまうのが欠点だ。大七酒造といい二本松には燗に会う良いお酒があるものだ。

主は京の老舗割烹で板長をしていた。料理はもういうまでも無く絶品の域。真似して何か自分でも作ってみようというレベルではない。ホントは卵焼きを作ってもらうと信じがたいほどにおいしい。写真は蛸の塩小豆煮。小豆のうまみが蛸に染みて醤油麹とともに何とも言えない味わい。おいしーい。のである。