2015年12月15日火曜日

第26回「ガソリンが灯油を抜くとき」解説


週刊エコノミスト連載、『日本人のための第1次世界大戦史』、今週は第26回「ガソリンが灯油を抜くとき」です。

一九世紀を通じて石油の主な用途は長い間灯油でした。自動車用のガソリンがこれに量的に追いついたのが第1次世界大戦の直前だったという話を、自動車の発達とともに書きました。

高橋是清のロンドンへの資金調達の旅(1904-05)を記録した日記がわりの手帳の中にも、「今日はドライブした」という言葉が度々登場します。また1905年のThe Timesにはロンドンで開催されたモーターショーの記述があり王室が自動車を大変気に入ったという記事が書いてありました。またすでに自動車会社の広告も掲載されていました。

拙著「日露戦争、資金調達の戦い」を書くときにはこうした乗り物も色々調べたのですが、ニューヨークの1905年のブローウェーの写真を見ても、自動車は見当たらずほとんどが馬車とトロリーでした。また面白いのはNYのトロリー(路面電車)は実は電車ではなく、ケーブルカーだったことです。サンフランシスコのケーブルカーに乗ったことのある人はよくご存知だと思いますが、地面の下にロープが動いていて、車両がそれを掴んだり離したりして動くやり方です。ですから架線がない。


話がそれましたが、愛知県長篠のトヨタ自動車博物館には自動車黎明期のダイムラーや今のFR(フロント・エンジン、リア・ドライブ)自動車の原型となったフランス・パナールなどが数多く取り揃えられています。現物を揃えることの価値がよくわかる凄く面白い博物館です。

でも先日訪問した時に一番印象に残ったのは、実は70年代後半のコロナマークⅡ・ハード・トップのようなオッサン車の造形美でした。これは意外でしたね。当時は徳大寺さんの「間違いだらけの車えらび」がベストセラ―で、国産車はくそみそで、特についでに造られたようなマークⅡのスポーツ車なんかはバカにされて僕もそれに同調していたのですが、今頃改めて当時の屋根のデザインの曲線の美しさなどを感じてしまいました。これは多分私だけではなく、みなさんも行ってみれば、きっと感じるのじゃないかと思います。デザイナー頑張っていたんだなってね。

連載は原稿のストックが減ってきたので、何とか年内にあと四本は書いて気分的に楽になっておきたい。とにかくとりあえず原稿を書いておいて、人の意見を聞いたり推敲を繰り返したりていくと、経験上良いものが出来上がります。

昨日まで開戦間際の中国の様子を、今はオスマンに取り掛かっています。オスマンの本は随分読みましたが、もう一度読み直すところから始めています。『平和を破滅させた和平』ディヴィット・フロムキン、紀伊国屋書店(1989)なんかは非常に面白い。またサントリー文化財団のアスティオン2014-080は第一次世界大戦特集で、藤波伸嘉さんの論考「オスマン帝国の解体とヨーロッパ」なんかも参考にしたいところです。有名なサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』も読み方が変わるかもしれません。

オスマン軍が描かれている映画では『アラビアのロレンス』はもちろんフィクションとして観ましたが、今回は他にも何本か観ました、最近では『ドラキュラゼロ』がありますが、評価は控えておきます。
来週の27回「潜水艦」のゲラ修正はさっき終わりました。船の主機換装工事の記述では、編集から読者には「主機」がわからないのではないかということでメイン・エンジンにしましたが、まんまじゃねえかと思いました。お楽しみに。

2015年11月25日水曜日

ロシアはトルコによるロシア機撃墜問題をエスカレートさせる気は無い


ロシアはトルコによるロシア機撃墜問題をエスカレートさせる気は無い

IS(イスラム・ステート)問題ですっかり忘れ去られた感があるが、ウクライナ東部ドンバス地方では現在もウクライナ軍と親ロシア側との間で砲撃戦が続いている。ロシアによるクリミア半島奪取に続いて、昨年これらの地方では住民投票が行われ、現在ウクライナから独立した形で「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」が存在している。ロシア側から見ればウクライナ・ファシストに対して立ち上がった親ロシアな住民達だし、ウクライナからすれば自国内で勝手に住民投票した不法な連中である。ドンバス地方にあるこれら2つの共和国は地域の面積で3分の1、住民で約300万人が居住している。そして約100万人のウクライナ人が土地を追われ難民となった。

砲撃戦が続いていると書いたが、実際には両軍は砲撃前に事前に告知しあい、犠牲者が出ないように配慮しあっている。たまに死亡者が出て小競り合いになることがあるが、砲撃を続行しているのは「我が国は正しいから、今でも何かしているよ」という姿勢を示す、ウクライナとロシア双方の国内世論のためである。

参考 フォーサイト
ドネツク人民共和国往還記 2015年10月29日 橋の向こうに戦場がある
:国末憲人 http://www.fsight.jp/articles/-/40601

傍目から見るとロシアはクリミア半島のようにドンバス地方を領土に併合してしまえばよさそうに見えるが、ロシアから見れば併合は復興資金や、石炭を中心とした古い工業地帯として高齢化した住民達への年金支払いなど、経済的に負担が大きすぎる割にメリットが無い。また黒海に開いたクリミア半島にくらべて地政学的な重要度が低い。ロシアはNATO軍との緩衝地帯が欲しいのであって、単純に領土面積拡大的な欲求はそもそもない。

ロシアとしては、両共和国はウクライナという隣接国の中で親ロシア的な要素として是非取り込んでもらいたいと考えている。もちろんウクライナはそんなバカバカしい提案に乗る気はない。かつては繁栄したが、現状では経済的に重要な地域でもなく、無理をしてウクライナの一部として取り込む気もない。

月初のビジネスアイのコラムで書いたが、フォーリン・アフェアーズ・レポートを購読している範囲では、ロシアの中東進出の動機として以下の3つのことが指摘されてきた。

(1) 米国が推し進めるアサド政権の崩壊によるシリア紛争の解決は、ロシアの地中海の軍事拠点使用を不確実なものにしてしまう可能性があった。「イスラム国」討伐への寄与はロシアの威信確保とともに、東地中海におけるプレゼンスの維持に資する。また、アサド個人を擁護できずとも近い人脈によるシリアの部分支配でも良いから、地中海の港湾確保から親ロシアのシリアを確保しようと考えた。

(2) 膠着(こうちゃく)しているウクライナ・ドンバス情勢から、ロシアの国内世論をそらすとともに、国際世論の焦点を中近東へ移動させ、有利な条件でのウクライナの講和を引き出す条件を整えようと意図した。また経済的に2正面で戦線を維持するには財政的に限界がきていた。


(3) ロシアは衛星諸国も含めてトルコ、イランと国境を接している、また国内に多くのイスラム教徒(約1500万人)を抱えているために過激派「イスラム国」の物理的な接近を懸念した。

こうした中で発生したのが、テロによるロシア旅客機爆破事件だった。当初プーチンは中近東干渉に関する国内世論に配慮して、テロ説を否定していたことは記憶に新しい。

因みにロシアが原油価格を上げたいために中東に混乱をもたらしたという見解はあたらないと思う。

ロシア軍の空爆のコストは撃墜や戦死などの被害がなくとも1日約400万ドル、ロシアの戦略目標は地中海における拠点確保であり、それは親ロシア的なシリア政府の維持である。こう言ってはなんだが、ISなど適当にやっつける。ターゲットはアサド政権をおびやかす反政府軍である。この対象がクルド軍兵士であり、その地域に編み物の文様のように織り込まれた居住地域を持つトルキスタン人の兵力だった。 

空爆は意外と効果が出ず、最近は反政府軍との政治的決着に傾きかけていたところで、ロシア旅客機爆破事件が発生し、今回のパリのテロ事件が発生した。そしてロシアもISによるテロの標的として切実な脅迫を受けている。プーチンはウクライナ問題打開のため、隘路に活路を求めたはずが、うまく事が運んでいなかったのが現状だった。

そこに今回のトルコ空軍による領空侵犯ロシア攻撃機の撃墜事件が発生した。NATOから見れば、そもそもロシア機はISのいないトルコ国境隣接地域のトルキスタン人部隊を爆撃しているから発生した事件であり、プーチンは拳を振り上げてみたものの、降ろすところがない。

プーチンが今、最も警戒するのはロシア国内でのテロだろう。妙に国内世論が盛り上がって国内でムスリムへの敵意が醸成されると、国内のムスリム問題や、衛星国であるムスリム周辺国との関係が悪化しかねない。さらに討伐ともなると、財政的に苦しい中でこれ以上の出費は避けたいところだ。そもそも在シリアのロシア軍への本国からの補給経路は黒海からトルコ領内のボスボラス海峡を抜けるもので、「シリア・エクスプレス」と呼ばれている。戦術的にトルコとの経済関係も含めて今回はロシアが折れる以外に手段はない。


しかし、歴史的に補給経路や経済関係だけで紛争のすべてが決着されてきたわけではない、これまで巧妙なプロパンガンダでコントロールしてきたロシア国内世論がどう出るのだろうか、今回は戦闘機とヘリが1機撃墜され、白系ロシア人のパイロットが2名脱出中に殺害された。ロシアではムスリムのロシア兵が殺害されるのと、白系ロシア人兵士殺害の画像では世論の形成のされかたに大きな差があるのだそうだ。

この事件は多くのムスリム人口を抱えるロシアの国内問題でもあるのだ。





2015年11月18日水曜日

第22回「英仏の接近」:「日本人のための第1次世界大戦史」


週刊エコノミスト連載「日本人のための第1次世界大戦史」
第22回は「英仏の接近」です

スペイン、オランダの衰退以降、イギリス海軍の仮想敵国は常にフランスでした。トラファルガー海戦でイギリスがナポレオンの艦隊を駆逐した後も、フランス海軍はすぐに再建を開始して劣勢ながら対抗する姿勢を崩していませんでした。こうしてヨーロッパでは敵対する先進2大国でしたが、統一後のドイツの勃興に対して両者は次第に接近していきます。

その機会として注目したいのが、ファショダ事件(1898年)と、日露戦争開戦直後に結ばれた英仏協商(1904年)、タンジール事件(1905年)です。

後の2つは本文に譲るとして、

ファショダ事件は、マハディー戦争の始末をつけるためのイギリス・エジプト軍の北スーダンへ侵攻作戦の延長線上にありました。マハディー(wikiではマフディー)戦争は、エジプト支配下の北スーダンで生起した、ムハンマド・アムハド率いるイスラム教徒による「トルコの圧政者」に対するジハード(聖戦)です。マハディー軍は討伐に向かったイギリスのチャールズ・ゴードン少将(アロー戦争で名を馳せた)の部隊を全滅させたために、イギリス本国から敵討ちの部隊が派遣されます。

このあたりの話は「サハラに舞う羽根」(2002年)によって映画化されています。騎兵が馬を降りて陣形を組み銃で戦闘しています。またウィンストン・チャーチルが若かりし頃を綴った自伝「わが半生」(中公クラッシックス)にもエジプト遠征として詳しく書かれています。チャーチルはファショダ事件の直前に帰国しています。また陸上部隊を支援したナイル川の砲艦の指揮官はディヴィット・ビーティー大尉。この戦いの功で中佐に昇進、その後すぐに北清事変(義和団事件)で再び功を上げ29歳で海軍大佐にまで出世してしまいます。貴族ではありません。そしてユトランド沖海戦では高速巡洋戦艦艦隊を指揮することになります。奥さんは資産家のアメリカ人。ダウントン・アビーみたいですね。

ファショダ事件はフランスによる東西の動き、イギリスによる南北の動きという分かり易い構図で帝国主義の説明にはもってこいなのですが、実態は本文にあるとおりです。これと同じようにイギリスの3C政策(ケープタウン・カイロ・カルカッタ)とドイツの3B政策(ベルリン・ビザンチウム・バグダット)がぶつかりあったことが第1次世界大戦開戦の原因となったとごく最近まで教えられていたようですが、今ではそもそも3Cと3Bは交差しないし、ドイツのバクダッド鉄道は戦争直前にロンドンでファィナンスされていたことから、戦争を避けるべき要因ではあっても、これが開戦の原因だとは数えられていません。


2015年11月5日木曜日

第20回「戦艦ドレッドノート」『日本人のための第1次世界大戦史』


『日本人のための第1次世界大戦史』

今週は第20回「戦艦ドレッドノート」です。

イギリス海軍は1893年の「ロイヤル・ソブリン級」から日露戦争の始まる前年の1903年までの間に、ちょうど日本の三笠のクラスの戦艦を37隻も建造しています。三笠は1隻1200万円。1903年の日本の国家予算が2億8千万円でした。しかしドイツ、アメリカ、日本、フランス、ロシア、イタリア、オーストリアなども同等の新造戦艦を数多く建造したので、イギリス海軍がそれまで保持した圧倒的な海上覇権は揺らぎを見せ始めていました。

かつてイギリス海軍の拡充に力発揮したフィッシャー大佐もこの頃には大将に昇進し、イギリスの艦隊建設に尽力していました。日露戦争が始まった頃、ここは戦艦の数よりもイギリスの科学技術を発揮した卓越した戦艦を建造しようと、彼が計画した戦艦が[
「ドレッドノート」でした。

フォークギターの名門ブランド、マーチン社では箱の大きなギターをドレッドノートと呼びます。また映画の世界では超ド級映画という呼び方がありましたが、これも戦艦ドレッドノートが起源です。この戦艦の登場は各国の海軍のみならず、一般大衆に対しても大きなインパクトを与えた痕跡が残されています。実はこの戦艦は日露戦争の海戦の結果を参考にして誕生したものだったです。主砲配置、蒸気レシプロからタービン・エンジンへ、さらにボイラーは石油石炭混焼でした。

このドレッドノートは戦艦の新基準となり、三笠など従来型の戦艦(前弩級)を陳腐化してしまいましたが、この艦自体も直ぐに超弩級が現れて陳腐化することになります。19世紀後半に発達した冶金や造船技術が大きく花開いたのが1907年から12年頃までの欧州の兵器会社だったのです。

しかし莫大な建造予算の確保には国民の仮想敵国に対する憎悪をかきたてる必要がありました。危機を煽らなければならなかったのです。

次回21回はこのドレッドノートが各国におよぼした影響と戦艦の建造費の推移について分析しています

三笠の主砲配置

ドレッドノートの主砲配置

1907年起工の超弩級戦艦オライオンの主砲配置

2015年10月28日水曜日

第19回「無線と日露戦争:日本人のための第1次世界大戦史」


週刊エコノミスト連載中「日本人のための第1次世界大戦史」
第19回は「無線と日露戦争」です。


‐これは連載本文に対する解説です。是非本文の方をお読み下さい‐

無線機を発明したマルコーニの母親が、アイリシュ・ウィスキー、「ジェムソン」のお嬢さまであったことを少し強調しました。彼女がオペラの勉強のためにイタリアへ赴いたことが、無線機の発明者の栄誉をイタリアにもたらしたわけです。しかしイタリアでの起業はできませんでした。資本市場とそのインフラである、マーチャント・バンク、特許や法務のプロが充実していなかったからです。マルコーニは母と共にロンドンに引っ越して起業しました。何か現代的なお話でもあります。このあたり、ボローニャの地主であったイタリア人の父親の話はあまり記述がありませんのでよくわかりません。

アイルランドは1845年から51年にかけてジャガイモ飢饉に襲われます。これが穀物法廃止につながったことは第12回の「グローバリゼーション」に書いておきました。この時アイルランドでは100万人の死者と数多くの移民を出して人口が大幅に減少してしまいます。1840年の820万人が1911年の段階では440万にまで減っているのです。その代わりと言ってはなんですが、数多くのアイリシュがアメリカに移民して大きな勢力を築きます。現在では約3600万人のアメリカ人がアイリシュ系であると自認しています。全世界では7000万人といわれています。

このアイルランドからの移民向けの輸出と19世紀後半にヨーロッパを襲ったフィロキセラ病によるブドウの木の被害とそれによるワイン生産の減少によって、アイリシュ・ウィスキーはスコッチともども世界中で広範に飲まれることになりました。20世紀の初頭にはスコッチと並ぶほど産業として全盛期を迎えていたのです。

その後のアメリカの禁酒法、また2つの世界大戦においてアイリシュ系アメリカ人の兵士がスコッチに魅了されたことによってアメリカにおけるアイリッシュ・ウィスキーは衰退したという意見が多いようです。

バーでジェムソンを見かけるたびに、私はマルコーニの無線機に思いを馳せています。

http://www.jamesonwhiskey.com/jp/

ちなみに私のアマチュア無線のコールサインはJH1OGKです。小学校5年の時に免許を取得しました。試験会場の社会センターという今は無きビルの地下食堂で食べたポーク・ソテーが美味しくて、何故か今でも表面の小麦粉が少し焦げたカリカリさと中身の柔らかさが鮮明に記憶に残っています。あれを凌駕するには40歳を過ぎて食べた「たいめい軒」のポーク・ソテーまで待たなければなりませんでした。話がすごくスライスしてしまいました。




2015年10月22日木曜日

第18回「日露戦争と鉄道」


週刊エコノミスト連載中「日本人のための第1次世界大戦史」
第18回「日露戦争と鉄道」

-これは連載本文の解説です。-

日露戦争を『坂の上の雲』だけで納得してしまうと、この戦争を日本国内に限定された事象であったと捉えがちです。
しかし、この戦争は、小説ではあまり取り上げられていませんが、戦場となった中国や韓国への影響、私が『日露戦争、資金調達の戦い』で書いた国際金融市場の状況、その他列強諸国の地政学上の軍事バランスなど、国際社会に非常に大きな影響を及ぼしています。

特に日露戦争の10年後に始まる第1次世界大戦に対して、その前哨戦的な要素も多くみられることから最近では「第0次世界大戦」と呼ばれています。今回は鉄道の兵站によって砲撃が主体となった陸上戦についてと軌道の問題を扱いました。

帝国陸海軍では伝統的に兵科主体。軍医、主計科など兵站、技術将校などは軽く見られていました。もちろんこれは日本に限ったことではなく、世界中の軍がそうでしたが、この問題に気付くのが早かったのか、遅かったのかの問題はありました。イギリス海軍でも機関科と兵科の差別は1902年まで続きました。がそこで終わりました。帝国陸海軍の兵站軽視は後に致命傷になっていきます。

これは90年代ぐらいまでの日本の証券会社の組織と似ているところがあって(多分他の業種も同じだとは思いますが)、参謀本部の経営企画が一番偉くて、その母体が手数料を稼ぐ営業部門でした。IT部門やバック・オフィスはいつまでたってもサポート部隊として軽く見られていました。委託手数料が自由化されていく中、結局はそうした部門が単なる業務の効率化だけではなく、利益捻出のドライバーになることになかなか気が付かなかったのです。

話がそれましたが、鉄道などのインフラが重要度を増し、砲弾量が戦闘を決定づける重要な要因になると、戦争は経済力の戦いに変貌していきます。日露戦争は両国とも戦費調達で行き詰まったことは、後の戦争の総力戦化の予兆だったのです。


2015年10月15日木曜日

反知性主義


こんな私でもコラムの原稿の題材に行き詰ってしまった時には、ついつい「反知性主義」について書こうかと思ったこともあった。だけど、私は森本あんり『反知性主義』(新潮選書)しか読んでいないし、ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』を読む予定が組めなかったので、コラムを書くには知識量が中途半端だと思って書くのを止めておいた。それに私に期待されていたのは、そんな知性的な話ではなく相場の話だったということもあった。もともと追求すべきテーマ自体が反知性的にできているのだ。

しかし私としては、森本あんりの著書の中で題材として取り上げられた映画もくまなく見ながら、この本から得られたものは、極めてシンプルな結論だった。それは「既存の(権威ある)知性」は信用するなという事だった。

知性というものは、当初神が人間に与えたものであったが、それにまつわる人間達が自分達自身を権威づけることによって、知性の周辺にも既得権益が発生していった。俺や俺の友人達は知性を持っているが、君達の持っているものは知性とはいわない。あるいは知性を教養という言葉に置き換えてみても良いだろう。君も私のように教養を身につければきっと会社で出世するし、豊かな人生を送れるようになるよ。それには是非私の書いたこの本を読めば良いのではないかな。というようなものだ。

かくして知性とは必ずしも純粋に真実を追求したものではなくなっていったのだ。それはちょうど世紀の変わり目のアラン・ソーカルの『「知」の欺瞞』(岩波書店)を彷彿させるものだった。安保法制の議論ではそうした傾向が多く見られたと感じた人が多かったに違いない。

アカデミックな歴史学的知見を全く無視する輩は、反知性主義者ではなく単なるバカだと言えばよかったのだ。しかし自分達こそ神から聖杯を与えられし賢者であると信じた彼らは、そうした右翼を反知性主義者と呼んだことで、彼ら自身が「既存の知性」でしかないことを浮かびあがらせてしまったのだと思う。

したがって「反知性主義」と書かれたいいかげんな本は今のところ読まないことにしている。

第17回「パクス・ブリタニカの黄昏」解説、『日本人のための第1次世界大戦史』


週刊エコノミスト連載中の『日本人のための第1次世界大戦史』、今週は第17回「パクス・ブリタニカの黄昏」です。

前回第16回はマハンの『海上権力史論』(1890)についてでした。この本は、海上覇権を基礎とするパクス・ブリタニカ構築過程のロイヤル・ネイヴィー全盛期の海戦史でもありましたから、先ずはイギリスで評判を呼びました。またアメリカの海軍建設を促す話でもありますから、アメリカ海軍関係者、特に後の大統領であるセオドア・ルーズベルトにも大きく影響を与えたことで知られています。さらにドイツのヴィルヘルム2世も、ロシアのニコライ2世も、大日本帝国海軍も同じように影響を受けたわけで、結局、この本が列強国の建艦競争に火をつけたことになります。

さらに1892年就役のHMSロイヤル・ソヴリン級による近代的戦艦の標準形式の確立もあって、後の方の回で各国の海軍予算を扱いますが、はっきりとこの頃を境に国家予算に占める海軍費の比率が高まっていきます。せっかくマハンによってイギリスの海上覇権の栄光が歌い上げられたのに、まさにそういった時こそがパクス・ブリタニカのピークであったに違いありません。

マハンに比べてマッキンダーの代表的著作である『マッキンダーの地政学‐デモクラシーの理想と現実』は第1次世界大戦後の1919年の著作ですが、今回は日露戦争の直前に持たれた講演会『歴史の地理学的回転軸』(『マッキンダーの地政学』の巻末に収録)をもとに、海上に対する陸上の優位に関して「パクス・ブリタニカの黄昏」とイメージを重ねて書きました。

アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争、南北戦争においてもアメリカに敵対的な行動をとったイギリスが、何故次第にアメリカに妥協していったのか、もちろんボーア戦争のための戦費ファィナンスでアメリカ・モルガン商会を頼ったことを契機に、イギリスは経済力でアメリカに追い越されたと実感したのではないかと私は考えていますが、ロイヤル・ネイヴィーの強さが相対的に圧倒的なものではなくなっていったことに原因がありました。

武装した敵が増えすぎたのです。

日英同盟もそうした事情下で締結され、日露戦争はこの講演でいうシベリア鉄道開通によるロシアというユーラシア大陸を制するランドパワーの極東への出現が引き起こしたとも言えるでしょう。

だからこそバルチック艦隊が壊滅しようとも、ロシアの降伏は必然ではなく、戦争を終結させたのはあくまで両国の国際金融市場における財務的な要素が大きかったのだと思います。

次回は鉄道と日露戦争です。第1次世界大戦に大きく影響を及ぼした鉄道と軍隊について考えたいと思います。

2015年10月6日火曜日

第16回「マハンの海上権力史論」『日本人のための第1次世界大戦史』


週刊エコノミスト連載『日本人のための第1次世界大戦史』
第16回「マハンの海上権力史論」

今回は前半がヴィルヘルム2世即位後のドイツ帝国。それまでのビスマルクによる国家運営との違いを説明しました。この文章は雑誌掲載の本文の補足として書いています。

1871年の普仏戦争後から1888年のヴィルヘルム2世即位までの間の最大の出来事はドイツが経済規模や人口でフランスを追い抜いたことです。ちょうど現在の中国と日本のような立ち位置です。工業製品でもメイド・イン・ジャーマニーが幅を利かせるようになってきました。そして若い皇帝はビスマルクが苦心して作り上げたロシアとの同盟延長を拒否してしまいます。この結果ロシアはフランスに接近し、遅れていたインフラ投資をフランス資本に頼ることになります。シベリア鉄道などがそうです。そしてドイツは東西両面に仮想敵国を持つことになりました。

原稿段階ではドイツ国会の政党別勢力図のグラフをつけておいたのですがスペースの関係で本文に入りきりませんでした。この時代のドイツでは社会党勢力が力を伸ばしていました。

こうしたタイミングで登場したのがアメリカ海軍大学校のマハンの書いた『海上権力史論』でした。この本は『坂の上の雲』でも秋山真之がマハンを私淑したことで日本でも有名になったと思います。日本では金子賢太郎が翻訳して水交社から出版されました。当時の書評がたくさん残っています。当時の知的階層はこれを読んで列強諸国に負けずに日本も建艦予算を確保せねばと考えたことでしょう。
1892年に初の近代的戦艦であるロイヤル・ソヴリン級が就役して、1906年に革新的戦艦ドレッドノートが誕生するまでの14年間ほど、各国海軍は膨大な予算をつぎ込んでせっせと戦艦艦隊を建設しました。そうした中でイギリスの海上覇権は相対的に弱まっていきます。

またユーラシア大陸各地域での鉄道網の充実は、陸上兵力に対する海上兵力の優位を根底から覆していくことになります。鉄道の輸送力が海上を上回るようになった地域が出てきたのです。次回はその話。マッキンダーが1904年に行った講演『地理学からみた歴史の回転軸』を中心にパクスブリタニカの終焉を見ていきたいと思います。

参考書はポール・ケネディのベストセラー『大国の興亡 上下』が今読み直しても大変面白いし当時の経済、工業生産データが実に豊富。また物語としてはジャン・モリスの『パクス・ブリタニカ 上下』、『帝国の落日 上下』はおすすめ。そしてもちろんマハンの『海上権力史論』

学研の出している『歴史群像 10月号』では大木穀氏の「シュリーフェン計画という神話」という優れた論考が掲載されています。私は既に「シユリ―フェン・プラン」については原稿を書き終えていましたが、第1次世界大戦を日本人に伝える上で、一体どのあたりまで掘り下げるべきか、少し考えさせられました。でも、結局原稿の手直しはしませんでした。


2015年9月28日月曜日

「日本人のための第1次世界大戦史」中盤予告。



週刊エコノミストに連載中の「日本人のための第1次世界大戦史」。読者の方から編集部を通じてお手紙を頂戴したりします。

昔は読者からの便りというものが多かったのだそうですが、SNSの発達した現代、こうしたお便りは珍しいものなのだそうです。

本連載は電子記事化していないので、直接の反応はありませんが、却って落ち着いて書けるのではないかと、僕はメリットの点だけを考えております。

今週は第15話。いよいよ近代的戦艦の登場です。戦艦ロイヤル・ソヴリン。ものすごく高価な兵器です。

16話からは日露戦争関係の話に入ります。

16話はマハンの『海上権力史論』、17話では日露戦争直前に行われたマッキンダーの講演に触れます。イギリスでは地理学がやっと大学の学問の仲間入りをしたところで、まだ地政学は確立されていませんでした。

18話が日露戦争と鉄道の関係。実はこのテーマに絞って書かれた本は外国の学者による英語の文献だけです。"Railways and the Russo-Japanese War-Transporting war" Felix Patrikeeff(Oxford) and Harold Shukman(University of Adelaid),Routledge military studies,2007.この戦争を一言で表現すると、Transporting warという見方もあるということです。

19話が無線機の発明、日露戦争の直前でした。アイリッシュ・ウィスキーのジェイムソンが登場します。20話がイギリス海軍による黄海海戦、日本海海戦からの技術的フィードバック。破壊されたロシア戦艦を徹底的に分析します。そして新しい究極の戦艦が登場します。これが戦艦ドレッドノート。21話がそれを受けての各国予算に占める建艦予算の比率。国家予算はまさに戦艦建造のためにありました。

22話が日露戦争がいかに欧州列強国の同盟関係に影響を与えたか。ロシア陸軍は半壊してしまいます。ウィスキーのヘイグも登場します。そしてその結果生まれたのが有名な23話シュリーフェン・プラン。歴史的に東西両面の敵に苦慮してきたドイツが出した攻略作戦。フランスを先ずはたたき、出足の遅いロシアはその後で倒せばよし。鉄道があればこその作戦です。日露戦争奉天会戦の結果ひねり出されたものです。そして第1次世界大戦の幕開けは、この作戦で始まりました。(異論も多いのですが)

お楽しみに。

2015年9月21日月曜日

第14回「イギリス海軍の危機」‐『日本人のための第1次世界大戦史』


週刊エコノミスト連載『日本人のための第1次世界大戦史』第14回は「イギリス海軍の危機」です。

ナポレオン戦争後、仮想敵国をあいかわらずフランスと定めたイギリス海軍も、1870年~71年の普仏戦争によってフランスがドイツに敗れ、フランスの人口増加率の低下=経済成長の低下が顕著になると、徐々にライバルとしての緊張感を喪失していきます。

貴族的な階級意識の残る体制下で、古い身分制度に固執し、新しい技術革新の取り入れには消極的でした。 折から産業革命が花開き、有限責任の株式会社が資金調達を容易にすると、万国博覧会などを通じて民間企業の勃興が顕著になります。平民出身の水兵は一生水兵のままで、兵科士官と機関科士官の身分が違うままでは、兵として優秀な人材や技術者は必ずしも海軍で働こうとは思わなくなります。

古今東西、どこの組織でも同じことですが、こうした弛緩したモラールの中では若い士官達の間で「これではだめだ」という意識が芽生えていきます。その筆頭がイギリス海軍のフィッシャー大佐でした。彼は海軍予算の確保に民意を煽ることを始めます。時代は普通選挙の拡大による大衆の時代に入ろうとしていました。民意を煽って予算を獲得する。民意を煽る一番簡単な方法は、近隣の国からの侵略の危険性を煽ることです。過去にその国に対して酷いことをしていればしているほど、仕返しに対する恐怖も芽生えます。

官僚的権益拡大としての海軍拡張計画が現実に戦争への助走路になった最初の例がこの「イギリス海軍の危機」でしょう。

「ジューヌ・エコール」は日本ではあまり知られていませんが、日本海軍にも大きな影響を与えています。一般に読まれる帝国海軍史はどうしても華やかな山本権兵衛、東郷平八郎から始まってしまいがちです。それ以前はあまり書かれていないのと、作家が興味を持たないのか、技術史の側面、財政に絡む予算制約の観点が非常に手薄だと普段から思っていました。

この辺りの海軍の参考書としては、先週も紹介した『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』、福井静夫全集、『シーパワーの世界史』青木栄一、『海軍創設史』篠原宏、砲術関係では戦前は多分充実していたのでしょうが、現在入手可能な和書はあまり残っていないと思います。イギリスの図鑑類、"GUNS AT SEA"Peter Padfieldに頼るところが多かったです。

戦艦レゾリュ―ション(ロイヤル・ソヴリン級)

来週はいよいよ近代的戦艦の誕生です。近代的戦艦とは1889年イギリス海軍計画におけるHMS「ロイヤル・ソヴリン」のことです。戦艦富士や三笠の原型的存在です。

2015年9月16日水曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第13回「兵器産業の国際化」


週刊エコノミスト連載『日本人のための第1次世界大戦史』は第13回「兵器産業の国際化」

職人芸で製作されていた銃器が、アメリカ発のフライス盤でオートメーションでパーツ毎に製作されるようになりました。万国博覧会第1回は1851年のロンドンです。数多くの兵器が産業機械に混じって展示されました。その後も万博はアームストロング社やヴィッカース社、ドイツのクルップ社など兵器産業にとって重要な商談の場となりました。

日本は何故戦艦三笠(1898年発注)のような当時世界最新鋭の戦艦を買うことができたのか?という設問で日英同盟(1902年)があったからとか、頓珍漢な答えが見受けられますが、ひとつにはイギリス海軍が一時期兵器の発注を官営のウリッジ工廠だけに絞って、民間企業は自力で市場を開拓していった経緯があったからです。あまりに高性能な巡洋艦を外国に販売して問題となったこともありましたが、政府にそれを止める力はありませんでした。もちろん第1次世界大戦が近づくにつれてそうした自由は制限されていきますが。

銃や大砲の砲身内のライフリング。アメリカンフットボールのボールは回転することによって飛距離を稼ぎ正確性を保てているわけですが、大砲の弾も同じことです。ライフリングによって椎の実型の砲弾に回転をかけて発射できるようになりました。これは銃も同じです。ライフリングの写真ですが、本連載ではwikiの画像は使用しないで、自力で発掘すると決めていたのですが、この写真はあまりにも素晴らしいので、メールを送って使用させていただきました。返事はきていませんが。日本人の方で世界中のライフリングのページで使用されています。

wiki ライフリングより


参考図書ですが、『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』田所昌幸編、有斐閣、2006年、『世界戦艦物語』福井静夫、光人社、2009年版、マイケル・ハワードなどのいつもの常連、そしてウィリアム・マンチェスターの『クルップの歴史』上下、フジ出版社。これは入手困難本ですが非常に面白かった。また国立国会図書館の博覧会のページは楽しめますよ。

http://www.ndl.go.jp/exposition/s2/10.html


来週14回はフランス海軍の新戦略ジュヌ・エコールとイギリス海軍の危機についてです。いよいよ戦争の影が見えてきます。


高いボラティリティ下での投資は危険か?


朝からボラティリティの話が出ていたのでちょっと計算してみた。
SP500は既にデータがあるが今回は日経225でも見てみよう。


データは1984年1月4日の、日本のバブル発生以前から、2015年9月15日まで。なるほど20日ボラティティが30%を越えるのはあまりないが、ここでの投資が危険かどうかはわからない。

そこでボラティリティの水準別にそれぞれの、翌日のリターンと、翌日引けから半年後(125日後)のリターンを調べてみよう。


全7790日のうちボラティリティが30%を超えたのは905日。125日後の収益率のデータで日数が少ないのは125日分のデータを採取するため減ってしまうから。

データからはボラティティ30%越えで日経225に投資すると半年後のリターンは過去平均で‐15.3%。高ボラで一発勝負にかける投機家は、失敗したら直ぐに手じまわないとずるずると損をすることになる。インデックス投資家は30%越えでの投資を控えただけで、インデックスをアウトパフォームできたはずだ。

尚、計算に疑問があれば是非自分でやって下さい。また計算間違いに関しては私は何等の責任も負いません。投資判断は自己責任でどうぞ。

ちなみにバブル崩壊時期をはずして、2000年以降だけで計算しても、結果にあまり違いはありません。




2015年9月9日水曜日

「日本人のための第1次世界大戦史」第12回「グローバリゼーション」


週刊エコノミストに連載中の「日本人のための第1次世界大戦史」は第12回「グローバリゼーション」です。

どうしてこういう経済史の項目を設けたのかというと、先ず穀物法や、その廃止と英仏協商条約であるコブデン=シュバリエ条約、英国の自国船舶優先の航海法の廃止は高校の世界史の教科書には登場してきません。19世紀中ごろの自由を希求する経済制度的な動きは扱われていないのです。例えば1855年には英国で会社法の改正があり、現在のように登記だけで有限責任の会社設立が可能になったりもしていますがそうした話は載っていません。

第1次世界大戦勃発原因は、1873年の不況を原因とする各国の保護貿易志向が、各国を帝国主義に走らせやがて国家間の軋轢へと繋がってくというように教えられているのではないでしょうか。実際にはこうした立場をとっている一般教養人(?)向けの歴史書は現代では殆どありません。また英国のケープタウン→カイロ→カルカッタを結ぶ3C政策とドイツのベルリン→ビザンティウム(イスタンブール)→バグダットを結ぶ3B政策が交差して軋轢を生んだかのように教科書では書かれますが、これは当時のメディアがわかりやすく両国の愛国心を煽る記事のトピックとして取り上げたもので、よく考えればわかりますが、2つの政策は全く交差しないし、ドイツが建設しようとしていたバクダット鉄道はロンドン市場でファィナンスされる予定でした。従って現代ではこれが戦争の原因だとは考えられていません。こうしたことはロイド・キャメロンの『概説世界経済史①②』(東洋経済)あたりを読めば普通に書いてあります。

後半で紹介した小野塚知二著『第1次世界大戦開戦原因の再検討』(岩波書店)ですが、政治経済学・経済史学会2014年春季総合研究会「第1次世界大戦開戦原因の謎‐国際分業が破壊されるとき‐」の時の論文はネットで読むことが出来ます。興味のある方は検索してください。

次回第13回はこのグローバリゼーションを前提として、兵器産業がいかにして国際化されたのかがテーマです。鉄道で数十万という兵員を輸送できるようになっても、彼らに支給する銃の生産はどうしたのかという問題もあります。1840年頃のプロイセンのドライゼ銃の生産能力は年産1万丁。鉄道以前はこれで充分だったのですが、これでは新式銃をプロイセン兵士35万人に支給するには35年もかかってしまうことになります。来週号を楽しみにしてください。

2015年9月2日水曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』 第11回は「メディア史」です


週刊エコノミスト連載『日本人のための第1次世界大戦史』
今週号、第11回は「メディア史」です。

このシリーズの原稿を一番最初にエコノミストの編集部に見せた時の反応には面白いものがありました。例えば第2回で登場したペリー来日にかかわる情報をオランダ領事館が事前に連絡をくれていたという『別段オランダ風説書』の話。

一般の編集部員からは、エコノミストの読者であっても少し難易度が高い話なのではないかとの意見が出ました。ところがとある編集者はたまたまこの話に詳しくて、この部分は面白いし西洋との関わり合いの中で幕府も充分に情報を持っていたという意味で重要なのだから、もう少し掘り下げて書いてみてはどうだという意見を頂戴したのです。

前半は当初の原稿では「戦艦の歴史」のような体裁をしていましたので、団塊世代の世代最終のお年頃の戦記物ファンには大受け、ところが平均的な若い編集者には退屈。艦コレマニアには再び大うけというような状況でした。読者ニーズは実に多様。
誰しも自分の詳しい分野には興味深々というわけです。

そうした意味で今回のメディア史はおしなべて編出者達が興味を持った話でした。何しろ彼らの産業ですから。ひとこと言い添えたいことも多々あったようです。

識字率が上昇して本や新聞の読者が増えると言っても、印刷技術の発達や紙の低価格化、人口の都市への集中、鉄道による配達網の整備、石油ランプや電燈の発明などさまざまな技術的な進歩がなければ、なかなか一般大衆が印刷物に接することは出来なかったはずです。
そうした中で特に面白いのが印刷機の進化。グーテンベルクから話すとあと50ページは必要なのでやめておきました。

画は国会図書館のWEB博覧会、「近代技術の展示場」から、ホー型10方給紙輪転機。10人の職人がタイミングよく印刷用の紙を挿入していく。凄い光景です。この後で本文にあるロール紙を使ったウォルター輪転機が登場して、大量印刷の画期となります。ロール紙の発明がいかに偉大なものだったか思いしらされます。

http://ndl.go.jp/exposition/s2/8.html

メディアの参考本はなかなか絞り切るのは難しいところです。ですが大学のテキストでもある「現代メディア史」佐藤卓巳、岩波テキストブックスは、一度は読んでおきたい本です。テキストだとは思えないほど興味深く読めます。

よく批判の対象となる朝日新聞とアジア・太平洋戦争とのかかわりあいですが、朝日新聞自身が『新聞と戦争 上下』朝日新聞取材班、を出版しています。一度読んでおくと良いでしょう。右寄りの人は朝日を攻撃するし、朝日も雑な仕事をするし、官僚的だし、決して褒められたものではないですが、朝日や毎日が政府に迎合するようになったら多分御仕舞でしょうね。そうした意味でDISられてなんぼ。

第1次世界大戦はメディアとプロパガンダが大きな影響力を発揮した戦争でした。40話前後でプロパガンダ合戦の典型的な事例としてルーヴァンの図書館炎上を扱いたいと思います。
映画ではオーソン・ウェルズの『市民ケーン』は新聞王ウィリアム・ハーストが題材。米西戦争の戦争発起の原因となったセンセーショナリズムというものを知ることができます。時間があればご覧ください。フツーに面白いです。

来週は19世紀後半の「グローバリゼーション」。穀物法の廃止から話を初めています。


2015年8月30日日曜日

「日本人のための第1次世界大戦史」第10回は「識字率と軍隊」


週刊エコノミスト連載の「日本人のための第1次世界大戦史」第10回は「識字率と軍隊」

そもそも「識字率」や「非識字率」は今日的な用語です、もともとは「文盲率」という単語があてられていましたが、これが毎日新聞社の基準で差別用語として使えなくなっています。

大砲や鉄砲が導入され、それを牽引する馬やその飼葉、火薬の管理などが必要となると下士官も中間管理職的な職務を担う必要が出てきました。そこで下士官に読み書きを教育したのが革命前のフランス陸軍でしたが、王様から見ればこれが裏目に出たというわけです。

またプロイセンはもともと風土として教育を重んじる気風がありましたが、それがナポレオン戦争による敗北によって、ますます重きをなすようになりました。小さな王国に分裂していたドイツでは細かい方言が多く、知識人は田舎言葉として言語的にフランス語に劣後しているという意識があったそうですが、制度や技術を重んじる民族性がその後の言語教育を充実させる方向に向かわせたのだそうです。

モードリス・エクスタインズの『春の祭典』(みすず書房)には一般の第1次世界大戦関連図書には登場しない文化面での詳細な分析というよりは記述が登場してきます。高価な本ですが音楽・美術好きにはとても面白いと思います。『春の祭典』はストラビンスキー作曲のバレエ音楽で、戦争の直前にこの公演はパリで物議を醸しだします。

日本人の識字率は確かに高かったし、それを見出したヨーロッパ世界は確かに驚きましたが、欧州先進国と較べるとそうでもなかったのが実情です。最近流行の「本当は凄かった江戸の日本」とかで取り上げられる高い識字率の出どころは。速水融さんの『歴史の中の江戸時代』(藤原書店)が多いようです。しかしこれは中身をよく読んでもらえば、識字率に関して推測を述べているだけで、学術的な分析が語られているわけではありません。

僕もこれがすべてだとは思いませんが、参考にした書籍としては、R.P.ドーア『江戸時代の教育』(岩波書店)、カルロ・M・チボラ『読み書きの社会史』(御茶ノ水書房)。論文では和泉司「旧日本軍における兵士の言語問題」慶應義塾大学日本語・日本文化教育センター紀要、斎藤泰雄「識字能力・識字率の歴史的推移‐日本の経験」広島大学教育開発研究センター、『国際教育協力論集』などが参考になりました。もちろん第9回で紹介した参考図書も密接に関係しています。


25日書いてアップするのを忘れていました。




2015年8月29日土曜日

インベスターZ


株式投資に関する人気漫画「インベスターZ」と学ぶ16歳のお金の授業という企画で3時限目を担当しました。題して「板谷敏彦先生に学ぶお金の歴史」

神宮前のダイヤモンド社に出向いてインタヴューを受ける形で1時間半ほどお話をしました。そして原稿が送られてきて、修正してお返しするという作業です。あんまり長くなったので前編と後編にわかれてしまいました。

前編
http://diamond.jp/articles/-/77164

後編


話題の投資マンガ「インベスターZ」とは

中学生が株式投資!? 世界一タメになるお金漫画、誕生!創立130年の超進学校・道塾学園にトップ合格した財前孝史。入学式翌日に明かされる学園の秘密、それは各学年成績1位のみが参加する「投資部」が存在することだった。少年よ、学び儲けよ!そして大金を抱け!! 投資部・財前の「株儲け」がいま、幕を開ける




2015年8月25日火曜日

パラダイム・シフト


日本のバブルがはじけた時には、国土の狭い日本の不動産は下がることが無いという神話が崩壊しました。土地担保で築き上げた信用構造の崩壊でした。レバレッジの効いた投資資金は融解してしまいました。

リーマン・ショックはアメリカの住宅価格は下がらないという神話をもとに土地担保債権によって幾重にも積み上げられた信用構造が一気に崩壊したことで危機を発生させました。

考えを整理するための枠組みとして、こうした相場の変わり目には、必ず何らかのパラダイム・シフトがあるという前提で今回の市場を考えると、これは間違いなく中国経済でしょう。

リーマン・ショック以降、2008年の4兆元の刺激策は世界経済の回復に貢献するとともに、低迷する先進国にかわって中国をはじめとする新興国群がこれからは世界経済をけん引するという実態が確かにありました。金融的には低金利なドルでファィナンスして金利が高く通貨も強い人民元に投資するようなキャリートレードがデフォみたいな状態が続いていました。金利も高く、通貨も強いというのは言い換えると中国経済の成長率は常に先進国を充分に上回り続けるに違いないというパラダイムです。

MSCIの本来の意図ではありませんでしたが、A株のインデックスへの組み入れを延期することで、これは先進国の投資家が思っているような「株」じゃないよと警告を発すると、無理が昂じていた上海株が暴落しました。これがミンスキー・モーメントだというのはその予兆の後に続く信用構造の崩壊を示す事象があるわけで、それは人民元の切り下げでした。人民元投資をサポートする外貨は停滞するでしょう。今回の切下げは投資家にとって中国の経済成長率が恒常的に先進国を凌駕する時代は終わったという証だったのではないかと思います。

従って体勢を立て直す間、中国が対応策をとって、パラダイム・シフトを認めたくはないがゆえに、それらが必ずしもうまくいかずに調整を繰り返す間、市場の揺らぎは長引くとおもいます。

グラフはリーマン・ショックを含めたSPとVIX.中国に助けてもらった相場でした。今回の下げが一過性かどうかはまだ判断は難しいが、大きなリスクが控えている可能性が残ります。




今後の投資対象は米国株と日本株。市場ごとアルファを取る戦術は、しばらくは困難。ゆっくりと個別銘柄の選定に集中するのが良いのではないでしょうか。今週中に底とか考えている人は、一度タイムをかけてキャッチャーと内野手に集まってもらうのが良いでしょう。


2015年8月16日日曜日

「日本人のための第1次世界大戦史」第9回「徴兵制度」


『週刊エコノミスト』連載「日本人のための第1次世界大戦史」
今週は第9回「徴兵制度」です。

江戸時代の終わり、既に武士という地位が必ずしも経済的特権に保護されたお得な地位では無かった時にでも、「武士」という身分にあこがれる人は多かった。新撰組などはその典型だし、長州藩やその他でも武士ではない人間が「兵隊」となって勇んで国事に参加した。
日清戦争においても、正規の軍とは別に徴兵の義務など無いにもかかわらず義勇軍が勇んで大陸に向かったりした。こうした自発的に兵隊になる例は世界中でみられるもので必ずしも日本だけには限られない。

国民国家が形成される過程では、お上からの押し付けやプロパガンダだけではなく、実際に国民自身が勇んで兵役に就き、国事に参加することが名誉だった時代があったのだ。

もちろん現在の日本人にとっての徴兵の記憶は、第2次世界大戦における無益な戦争に対する根こそぎ動員と、腐りきった内務班生活(理不尽ないじめが横行した)に直結し、絶対的に忌避されるべき制度として刻み込まれている。従って昨今の国家安全保障法案の議論に関する「徴兵制」への疑問は日本の過去に照らせば一面ではまっとうなものだ。

今週号では徴兵制の歴史について解説しておいた。近代的徴兵制は革命下のフランスが起源で、その軍隊に負けたプロイセンが人口ではかなわないので予備役兵制度の活用を発明した。もちろんそこには鉄道と電信の発明がからんでいたという話。

また歴史的な常備兵力の規模は全人口の1%程度が限度で、それ以上になると経済的な理由で維持できなくなってしまう。もちろん海洋国家や近代戦ではこの比率が当てはまるというわけではない。19世紀パクス・ブリタニカのイギリスは徴兵制もなく、フランス、ドイツ、ロシア、オーストリア、イタリアが陸軍常備兵力の維持コストに財務負担がかかっている状況で、金のかかる陸軍を軽くできた事が財政的優越を保てた一因でもあった。

また一般に考えられているよりは徴兵されて入営する人の割合は低いものだった。戦前日本でも男子適齢期人口の5%から15%、満州事変以前は男女40人学級でいえば、クラスでせいぜい2,3人というところ。みんなが兵隊になったわけではなかった。

経済的徴兵が話題になっているが、これは実は選択の問題でしかない。①まったく軍を持たないか、②例外なしの平等な徴兵制度にするのか、③金持ちや社会的地位の高い者の子弟は免除される徴兵制にするのか、④志願制にするのか。④は経済状況によってはいつでも「経済的徴兵制」になりうる。経済的徴兵はあらゆる工夫をこらして、志願した者が経済的に損にならないように、国民としての平等性を確保する必要があるが、もしこれを否定するのであれば、全く軍を持たないか、あるいは国民皆兵かというところから議論を始める必要があるだろう。2世議員が多く、政治家が世襲化する日本では、自分が兵役につかねばならない平等な国民皆兵は議題になりにくいだろう。

ベトナム戦争の映画プラトーンでは、本来兵役の義務が無かった大学生(チャーリー・シーン)が2等兵として戦争に参加する。当時のアメリカは徴兵制だったが、金持ちの息子が除外されるような例外規定が多く、配属された部隊はまるでアメリカ社会の底辺をはいつくばる、ならず者のような集団だった。ならず者に刃物と銃を与えて、殺人をおかしても罪にならない状況。現地のベトナム人達がどんな目にあったのかは想像にかたくない。

戦争の当初は反戦運動も起こらなかったが、例外規定が解除され大学生も徴兵されるようになると反戦運動は一気に盛り上がった。自分たちの問題になったからだ。それでアメリカは戦後に志願制となった。そして再び戦傷者の増加に伴って「経済的徴兵」が問題化している。つまり徴兵するのであれば平等にするか、あるいはできるだけ地上戦は避けるか、ということでアメリカによる大規模な陸軍兵力の展開はかなわなくなった。これが日本の防衛のあり方にも影響を与えようとしている。

戦前日本で徴兵率が徴兵適齢期の男子人口の15%程度であったころは、各人の適性を見極め高品質な兵を集め規律ある軍隊を編成できたが、日華事変頃から徴兵率が上昇し、街のチンピラみたいな者も混じるようになった。こうした兵に刃物と銃を与えて兵糧を現地徴発するように命令すれば何が起こるだろうか。

普通選挙権は兵役義務と持ちつ持たれつ。男子の選挙権が先行したのはこのためと考えられている。徴兵はジェンダー問題とも関連している。

徴兵制に関する参考書は、実に多い。近著ではアザー・ガットの『文明と戦争』(中央公論新社)に始まり、一連のウィリアム・マクニール作品、マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』(中公文庫)、ニーアル・ファーガソン『憎悪の世紀』(早川書房)、日本では、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)、戸部良一『逆説の軍隊』(中央公論社)、専門的な研究としては、加藤陽子『徴兵制と近代日本』(吉川弘文館)。その他「徴兵制」の問題は自伝や遺書なども含めてあらゆる戦争関連本に関係してくる。 









2015年8月15日土曜日

第2次世界大戦の終わった日

これは2013年8月のフジサンケイ・ビジネスアイに掲載された拙コラムです。


第2次世界大戦の終わった日


昭和20年8月15日、昭和天皇はラジオを通じて日本国民に太平洋戦争の敗戦を告げた。「玉音放送」である。

さかのぼる8月9日、日本ではポツダム宣言受諾をめぐり天皇陛下臨席の最高指導会議が持たれ、徹夜越しの10日には宣言受諾の「ご聖断」を仰いだ。直ちに中立国スウェーデンとスイスに向けて電報が打たれたが、これは条件付きの受諾であったので、連合国側による調整を経て日本の正式な宣言受諾の電報は14日となったのである。

しかし10日に発信した電報は、すでに英国BBCや米軍FEN、ロシア語放送によって世界に報道され、例えば上海ではこの日に敗戦を知った人は多く、日本人租界と隣接するユダヤ人地区では占領下に横暴な支配者として振る舞った日本軍人が、早々と道端で若者に囲まれて無抵抗で殴られていたそうである。

一方で14日に日本のポツダム宣言受諾の正式の電報を受け取った米国トルーマン大統領は、日本からのポツダム宣言受諾の全文をラジオ放送によって紹介した上で、「“VJ(Victory over Japan)デー”の布告は、日本が降伏文書に正式に署名するまで待たなければならない」と発言した。これは当然であって、宣言したから戦争が終結するわけではなく、降伏文書調印に向けて日本軍の武装解除と降伏条件履行のための交渉が持たれなければならなかったからだ。

日本は誤認防止のため、連合軍側に指示された通りに、白い機体にミドリ十字マークを塗装した一式陸攻2機を用意した。これでマニラにあるダグラス・マッカサー連合軍総司令部に向けて河辺虎四郎参謀次長(中将)を全権代表として送り込み、交渉の末8月20日に降伏文書を受領した。ところがこの時に連合軍総司令部からソ連は連合軍総司令部の指揮下にはないこと、ポツダム宣言はアメリカ、イギリス、中国によるものであって、日本はソ連とはアメリカなどの連合国とは別個に降伏手続きをする必要があることを通知された。しかし何故か日本はその後もソ連のマリノフスキー将軍に全権代表を送らず、現地での敗走に混乱する関東軍に全てを委ねてしまった。ソ連としては、関東軍はあくまで交戦中の現地軍であって国家の全権代表ではないと認識し(見方によればつけ込んで)戦闘行為を継続したのである。

京都大学の歴史学者山室信一氏は満州国研究の決定版ともいえる著書『キメラ』の中でこう指摘している。「日本政府が交渉を関東軍に委ねて明確な意思表示をしなかったことは、ソ連に絶好の口実を与え、旧満州では8月20日、樺太では8月26日、千島では9月5日まで作戦上の侵攻が続き、死傷者や抑留者の増大を招くことになりました」

9月2日、東京湾上の米国戦艦ミズーリ号で連合軍最高司令官マッカーサー元帥と日本政府全権重光外務大臣による正式な降伏文書調印式が行われ、ここに日本の敗戦とともに第2次世界大戦の終結が確定した。

日本の「終戦記念日」は玉音放送のあった8月15日となっている。ご存知の方も多いと思うが連合軍側では「対日戦勝記念日」を9月2日、あるいはその翌日の3日とする国が多いのである。

これは2013年8月のフジサンケイ・ビジネスアイに掲載された拙コラムです。


2015年8月5日水曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第8回普仏戦争


週刊エコノミスト連載、第8回『日本人のための第1次世界大戦史』は普仏戦争です。

19世紀、フランスの人口増加率は停滞しましたが、ドイツは人口が増加し続け、1870年頃にはちょうどフランスを追い抜く状態にありました。一人当たりGDPがほぼ同額でしたので、GDPでも同様の状況でした。それまでヨーロッパ最強の国だったフランスの覇権が人口でも経済的にもおびやかされていた時でした。



戦争は1870年7月19日のフランス側からの宣戦布告で始まり、翌年1月の休戦協定で終了しましたので戦闘期間は実質半年です。フランスはアルザス=ロレーヌを失い、賠償金50億フランを支払わされ、完済までドイツ軍の占領が続きました。
ナポレオン戦争以降、プロイセンを始めとするドイツ諸邦はフランスに恨みを持っていましたが、この戦争では今度は逆にフランスがドイツに恨みを抱くことになります。賠償金と領土と、そしてドイツ建国式典をあろうことかベルサイユ宮殿の鏡の間で執り行ったことでした。この復讐は第1次世界大戦に持ち越され、ドイツの降伏は鏡の間で行われます。

ドイツ統一が進展する間にイタリアも統一を果たし、これ以降ヨーロッパは、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア、ロシアの6か国によって均衡が保たれ、大きな戦争は発生せずに、第1次世界大戦につらなっていきます。その代わりに紛争の処理は衰退するオスマン・トルコの領土を割譲してヨーロッパ諸国のバランスをとっていくことになります。

この戦争以前にアメリカで南北戦争が生起して、鉄道利用や電信、装甲艦など様々な戦争の技術革新が発生しましたが、欧州の軍事史家は、ヤンキーの戦争にはあまり価値を見い出さず低く見下していましたので、歴史の流れの中では無視されがちです。かくいう私の連載も量的な問題で南北戦争を記述することは断念しましたが、実はみるべきものが多いのです。また南北戦争の終了で余剰となった大砲・小銃が世界にばらまかれ、当時幕末の日本にも持ち込まれたことは司馬遼太郎の小説にも登場するでしょう。

後に日本の戦争を主導する日本陸軍のエリートは、今でいう一貫教育の幼年学校→士官学校→陸軍大学のコースをとりましたが、幼年学校の語学教育はフランス語とドイツ語の2つだけで、後でロシア語が加えらましたが、驚くことに最後まで英語も中国語もありませんでした。帝国陸軍が中国に無理解で英米を忌避し、ドイツ留学に傾斜するのは当然のことだったのです。

今週号は合併号で来週は休み。さ来週以降は「徴兵制」、「識字率」、「メディア史」と続きます。

普仏戦争の参考書は横浜市立大学新叢書01『普仏戦争 籠城のパリ132日』松井道昭、春風社、2013年がお奨め。


2015年8月1日土曜日

【高論卓説】徴兵制の懸念は現実的か


【高論卓説】徴兵制の懸念は現実的か
フジサンケイ・ビジネスアイ 7月31日号

近代戦に素人無用、架空の話であおるな

 安全保障関連法案に反対する民主党は「徴兵制の復活」をテーマとするパンフレットを作成して有権者にアピールする戦術をとるそうだ。「いつかは徴兵制?募る不安」と題するこのパンフレットは、もともと女性が出征兵士を見送る絵柄だったが、党内の保守系議員からの反発で女性が子供を抱きかかえるイラストに変更されたという。安保関連法案は戦争法案であり徴兵制復活の危険性があると国民の感情に直接訴える戦術だ。

 近代的徴兵制はフランス革命に端を発している。王による専制政治から民主主義に目覚めたフランスに周辺の専制国家が干渉を加えようとした。それに反発してフランス国民が兵を挙げたのである。瞬く間に100万人の軍隊が集められ、ナポレオンが現れて今度は干渉を加えようとした周辺国家に攻め込みヨーロッパを席巻することになった。王のためではなく、フランス人民のために戦う国民国家意識に目覚めた軍隊は強かった。ナポレオンは占領地で課税したり徴発したりで巨大な軍隊の維持費を賄ったのである。

 このナポレオン軍にたたきのめされ、大いに反省し軍制改革に着手したのが隣国のプロイセンである。国民皆兵の徴兵制度を敷き、フランスに比べて少ない人口を補うために予備役の制度を考案し後に強力な軍隊をつくりあげた。経費のかかる現役兵の数を制限するアイデアであった。

歴史的にどれほどの戦闘国家であっても維持可能な現役兵の数は人口の約1%であるといわれている。北との臨戦状態にあり厳格な徴兵制度で知られる韓国でも、陸海空の兵力は65万人で人口の1.26%である。働き盛りの労働人口を兵役にまわすと、当然のことながら経済に影響がでる。人口2500万人の北朝鮮が約200万の現役兵を抱えた状態では最貧国から脱出するすべはないだろう。

 わが国は専守防衛で自衛隊に侵略のための規模も装備もない。財政赤字のかさむわが国が国民皆兵の徴兵制を実施する可能性はない。また言及するまでもないが、専門技術が要求される近代戦に素人は無用だ。素人が戦うのは国土が侵されたときである。

 安全保障関連法案は、日本が再び侵略国家とならないように歯止めをかける現実的な議論こそが必要である。

 大衆を無知なものと決めつけ、「徴兵制」という架空の話をでっちあげ、イメージだけで感情的にあおる手法は、その昔、他国からの侵略という架空の話を利用して国民を戦争へと誘った手法と同じである。政府側が徴兵制の議論をあえて取り上げて発言するのは、このイシューが民主党にとってネガティブな効果を生みだしているからだ。民主党にはもう少し真面目に正面からの知的な議論を期待したい。

作家 板谷敏彦

2015年7月29日水曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第7回


週刊エコノミスト連載の『日本人のための第1次世界大戦史』も早くも第7回となった。エコノミストの記事としては段々違和感がなくなってきた。かな?

鉄道を初めて戦争に利用して効果をあげたのは、1859年の第2次イタリア戦争(イタリア対オーストリア)の応援にかけつけたフランス軍である。鉄道以前であれば2か月かかる行程を11日間で12万のフランス軍を戦場にまで運んだ。この時対峙したオーストリア軍は新式の前装ライフル銃を装備して、新しい散兵方式でフランス軍の旧来の密集隊形と戦ったが、たまたま負けてしまった。気合が足りなかったのだと思う。その為にオーストリア軍はフランス軍に倣い再び古い密集隊形に戻してしまい、プロイセンとの戦争に臨むことになった。

弾丸の初速が速いライフル銃の銃創は酷く、この辺りの戦争から負傷兵の手足の切断手術が格段に増え、戦争の酷さが増すことになった。

シャルンホルストやクラウゼビッツを輩出したプロイセン参謀本部も、実戦を経験するまでは軍内では軽い扱いだった。モルトケが登場しその綿密に準備された調査や作戦の効果が将軍達に評価されることによってはじめて軍内の地位が向上した。いずれにせよ鉄道と電信がなければ参謀本部は効果を発揮できなかったことは間違いない。この頃の戦争は初動の動員にどれだけの兵力を集中できるかが戦争の帰趨を決定したのだ。

記事中の地図をみれば当時のドイツの国境線がわかるだろう。東のポーランドは併合されロシアと直接国境を接していた。来週は普仏戦争を説明したい。何しろ一話3千字の制約があるので書ける範囲には限度があるが、ダラダラ書かずにすむというメリットもある。

今から7年ほど前に、パリ北駅からベルリンまで寝台車に乗った。ベルリン中央駅が完成前で、旧西ベルリンの中心駅だった動物園前駅までの乗車だった。車両と運用はドイツ国鉄で、2人用の個室でシャワーもついていて、朝食は部屋まで届けてくれた。



後で気がついたことだが、列車はパリを出ると北東にハノーファーを目指し、そこから真東にベルリンに向かった。中央集権国家であるフランスの鉄道はすべての路線がパリを目指して敷設されている。一方で山がちの地形で鉄道黎明期に小さな国々に分かれていたドイツは、バラバラに鉄道が敷設されたので結果として東西南北のグリッド状に線路網がはりめぐらされることになった。このことが後の普仏戦争に大きく影響を及ぼすことになる。

続きは次回週刊エコノミスト


2015年7月22日水曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第6回 電信の発明


週刊エコノミスト連載の『日本人のための第1次世界大戦史』は今週で第6回です。今週のテーマは「電信の発明」。

フランスの腕木信号と日本の「旗振り通信」、電信以前の遠距離情報伝達方法には他にも狼煙やアフリカのトーキングドラムも有名です。狼煙は「来た―来ない」のような1ビットの情報ですが、ドラムは違います。これは文字を持たず口語だけの世界における遠距離通信方法で、したがって太鼓のたたき方がモールス信号のように文字に対応しているわけではありません。太鼓がまさに言語をしゃべるという役割で、つい最近でも奥さんから太鼓でヤム芋のお昼ご飯ができたから家に帰れとドラムでメッセージが届いていたそうで。その後すぐにドラムは通信の進化の過程をジャンプしていきなり携帯電話にかわってしまったのです。

電信が初めて戦場からロンドンまで繋がったのがクリミア戦争。実はザ・タイムズが従軍記者を初めて配置したのもクリミア戦争です。この記者ウィリアム・ラッセルは映画『遙かなる戦場』(1968年)にも登場してきます。また軽便鉄道が有効利用されたのもこの戦争ですが映画には出てきません。ちなみにクリミア戦争当時のクリミア半島の住民の80%はタタール人です。でもここはロシア人が血で購った土地でもあります。

電池の発明が1800年、発電機の発明はその半世紀後。リレーが出来て、モールス信号が発明されて電信は広く普及します。

モールスは当初アメリカで売れなかった電信の特許使用権をフランスの当局(腕木信号)に売りにいきますが、そこで問題にされたのが、「電線が切れた時にはどうしょうもないではないか」との言葉。欠点ばかり見て+思考ではなかったのですね。

電信を一番早く利用したのがロンドンとアメリカの金融市場。アメリカではエジソンのティカー・マシーンが広く使われました。この辺りは拙著『金融の世界史』にも書いてあります。

もうひとつ電信を鉄道とともに有効に活用した組織がありました。プロイセンの参謀本部です。次週からはビスマルクとモルトケの登場です。第1次世界大戦の理解にドイツ統一戦争は欠かせません。

参考図書は『インフォメーション』ジェームス・グリック、新潮社、2013年。『無線百話』若井登監修、クリエイト・クルーズ、1997年。などなど。



2015年7月14日火曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第5回 鉄道の誕生


今週の週刊エコノミスト、『日本人のための第1次世界大戦史』連載第5回は産業革命の中核である鉄道の誕生についてです。

鉄道と戦争の関係では、その機動力から進撃するイメージとともに攻撃兵器としての印象が強いかと思います。兵隊を陸続と輸送する。ところが本文で説明している通り、路線の敷設には時間がかかります。攻める側がどんどん線路を敷設できない以上、進撃には向いていません。むしろ兵站という側面からは、後方に線路が確保された防御側に有利な技術革新であったのです。大量の兵員が輸送され、機関銃や大砲ができて砲弾の使用量(トン数)は激増します。トラックなど自動車が未だ充分に普及しない以上、これこそが第1次世界大戦が塹壕戦になった最大の要因です。どちらも攻撃したとしても数十マイル進むと兵站が続かなかったのです。

一方で緒戦の攻撃部隊の国境配置には鉄道による速やかな動員は欠かせません。この具体的な例がドイツ統一戦争です。次回第6回は鉄道線路に沿って延伸された通信技術の発達の話でその後の7、8回でドイツ統一戦争を解説して鉄道の効用と電信、さらにはそれを活用したドイツ参謀本部の話に入ろうと思います。もちろん戦前日本を揺るがせた統帥権独立問題の根源はここにあります。

また日露戦争についても第18話で鉄道の話に触れることになります。18話でやっと日露戦争かといぶかる読者もいるかと思いますが、それまでに徴兵制と民主主義、兵隊と識字率、メディアの発達、経済のグローバリゼーション、兵器製造の産業化など、扱っておかなければならないテーマが数多くあるのです。鉄道で数十万人の動員が出来ても配る鉄砲が大量生産できなければ仕方がないでしょう。

ジュード・ロウ主演の第2次世界大戦の映画『スターリングラード』では鉄砲は3人一組に1丁の配給、最前線に到達するまでに70%ぐらいは死んでしまうだろうから一人に1丁配る余裕がなかったのです。鉄砲よりも人の命の方が安かった。もちろんこれはよそ事ではありません。

鉄道の軌間(ゲージ)の問題は世界中の問題で各国個別の事情を持っています。特に19世紀にイギリスやドイツからではなくアメリカから技術導入した国や地域で適当なゲージを使った形跡があります。後に都電になる日本の馬車鉄道もそれで、標準軌でもJRのゲージでも何でも無い馬車軌(1372㎜)といわれる今となっては日本独自のものです。

黎明期の首都圏の私鉄は東京市の市街地に最終的に乗り入れるつもりで線路を敷設したので多くはこの馬車軌を採用しました。かつては京成や京急、今でも京王(井の頭線を除く)、東急世田谷線、都電荒川線、函館市電などが採用しています。その中でも都営新宿線は京王電鉄との接続の関係で馬車軌を使用しています。そのために市川市本八幡では京成線と接続できなかったというお話を盛り込んでみました。

また狭軌を採用した軽便鉄道の話なども、北海道や近いところでは千葉県の県営鉄道の歴史なども面白い話がたくさんありますが、本題の趣旨ではありませんので書けませんでした。

鉄道の参考図書としてはジョン・ウェストウッドの『ビジュアル版 世界の鉄道の歴史図鑑―蒸気機関車から超高速列車までの200年』が定番でしょう。日本では青木栄一さんの『鉄道の地理学 』(WAVE出版)が面白い。また日露戦争関連では原田勝正さんの『増補 満鉄 』(日本経済評論社)はおすすめ、軌間変更の改軌の話はとても面白い。イギリスのクリスチャン・ウォルマーが『世界鉄道史』(河出書房)と『鉄道と戦争の世界史』(中央公論出版社)を出していて、いかにもそれらしいけれど、僕との相性はあまりよくないようです。

兵站関係では何といっても名著『補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO) 』(マーチン・ファン・クレフェルト、中公文庫)はもうこれだけ読めば十分という充実した内容。補強には『戦争の世界史(上) (中公文庫) 下』(ウィリアム・マクニール、中公文庫)、『ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫) 』(マイケルハワード、中公文庫)を読んでおけば充分でしょう。もちろんこの分野には凄いマニアが多くて、玉石混交ながらこれ以外にもムック本など良い本はたくさんあります。


2015年7月12日日曜日

ミンスキー・モーメント


ここのところ投資家の眼は中国市場の拙い株価維持政策に注目しがちだ。近年これほど分かり易い愚作も珍しいのでdisるにはもってこいなのだが、この事件の本質は株式市場が暴落したという事実にあることを見失ってはいけない。

今回おつきあいで買い出動してくれた人たちも、次回安値を下回るといつまでもいい顔をしてはいられない。この手の相場操縦で何が怖いのかと言えば、一度に集中的に出る売り物の分量を増やしてしまったことだ。

Market Hackの広瀬さんが今回の中国市場暴落の解説で「ミンスキー・モーメント」という市場用語を非常に控えめに使っていたけれど、僕も広瀬さんの意見に同感だ。今回も必ずそうなるという話ではなくて、せっかくのリーマン・ショックでの貴重な経験をすっかり忘れてしまうなんて「もったいない」話しだと思うからだ。でも多分ミンスキーをwikiで知らべてもよくわからないだろうから、お節介ながら株屋さんとして解説しておこう。これは僕が昔(2010年頃)書いたブログの焼き直しであることを断っておく。

効率的市場仮説(EMH)とハイマン・ミンスキーの金融不安定仮説(FIH)はお互いに相反する仮説というわけではないけれど、よく並べて記述される。2007年以降は、EMHの権化であるはずのハリー・マーコビッツがFIHの本を全然読んでいなかったことから、ピムコのポール・マカリーがからかったりしてよく並んで書かれてきた。

The Efficient Market Hypothesis EMH=効率的市場仮説
The Financial Instability Hypothesis FIH=金融不安定性仮説

EMHはご存知のとおり全ての情報は価格に織り込まれていることを前提とする。裁定が働いて市場は均衡状態にあると言う考え方でファィナンス理論は基本的にこの考え方をベースに構築されている。

FIHの方はリーマン・ショック以降に広く知られるようになった市場の不安定さを説明する仮説だが、それでもまだ一般的では無いだろう。しかし市場の大勢を考える上では単純ではあるけれども大切な思考フレームだ。 

第1定理
ヘッジ金融が多数を占める場合は安定した経済システムといえるが、投機的金融やポンツィが増えてくると不安定な経済システムとなる。
第2定理
長期にわたり安定が続くと不安定化する状態に移行する。 
要するに、市場が長い間好調だと不安定化するという、そりゃそうでしょうよ、というようなありがちな話だ。

ではヘッジ金融とかポンツィとは何なのかというと、ハイマン・ミンスキーのFIHでは経済活動において以下の3種類のユニットがあると考える。ユニットとは経済主体あるいは市場参加者と考えても良いだろう。

① ヘッジ金融ユニット:
キャシュフローで債務の支払が元本金利分とも可能なユニット。 つまり収入から必要経費を支払った残りで元本分+金利を充分に支払えるユニット。法人で言えば適正な借入金を持ち、利益を出しながら順調に事業を継続している会社、個人で言えば給料に見合ったローンを持っている状態、貯金も少しは積み上げている感じだ。

② 投機的金融ユニット:
ヘッジ金融から一段階すすんで、元本は返せないが、金利だけは支払っていける状態のユニット。 住宅ローンで元本はしばらく結構ですからとりあえず金利分だけ支払って下さい。と言う状態。 街金で言えば毎月毎月ジャンプしている状態。EMHではこの段階でユニットは市場から退場してしまうはず。今はつらいけれど、直(じき)に不動産価格も上昇して何とかなるさ、だから銀行さん貸し剥がしなんかしないで長い目で見てねという状態。

③ ポンツィ・ユニット:
通常の営業キャシュフローでは金利分すら支払えない状態。こうなると資産を売却するか、さらに借り入れを増やして利子の支払いの為に借金をしなければいけない状態。追い貸し。街金でいう多重債務者。「ポンツィ」はマドフ事件で有名になったけれど「ねずみ講」の意味。

ここでの各ユニットは一度どのユニットか決まってしまえば永久にそのユニットのままと言う訳では無く、ヘッジ⇒投機的⇒ポンツィへと移行しやすい性質を持っている。 逆向きは何か強制的な動きが無いと起こりにくい。それは例えば、借金棒引きとかすごいインフレとかが考えられるだろうね。

長い安定期間があると市場参加者はついつい見通しに甘くなって投機的な行動をとりやすい。資産価格が継続的に上昇していれば良いけれど、そうした上昇分は新しい拡張的な借金の担保に供されて借金総額を大きくしてきたはずだ。いうならば人間の持つ果てしない欲望が安定したビジネスから徐々に投機に走らせてやがて破綻するというありきたりの話でもある。日本の土地神話、アメリカのサブプライムも不動産価格の上昇を見込んでいた分だけ同じ仲間じゃないの、では中国だけは別物なのかという話だ。

一見単純そうに見えるミンスキーの仮説で一番大事なのはここからで、ポンツィ・ユニットが我慢の限界にきて資産を投げ売りし始めるとそれまで投機的ユニットであった者も資産価格が急落して一気にポンツィ化する。するとスパイラル的に資産価格が下落してヘッジ・ユニットまでがポンツィ化してしまうということにある。そしてこれはある出来事を起点として、徐々に浸透していって、ある日突然問題が表面化する。この臨界点にあたるある出来事をミンスキー・モーメントと呼ぶ。ピムコのポール・マカリーが1998年のロシア債務危機の際に名付けたのが始まりだ。

因みにリーマン・ショックの時のミンスキー・モーメントはBNPパリバがオフ・バランス・ビーイクルのひとつを凍結した2007年8月9日。当時はそんなこと誰もわからなくて、NYダウはその後何事もなかったように一度は切り返した。でも誰もわからなくては言い過ぎで、この時、巨大株式ファンドに大量のまとまった解約が出たことは市場関係者を震撼させた。今から振り返ればね。今回は中国の話。対岸の火事ならばよいけれど。





2015年7月8日水曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第4回


週刊エコノミストに連載中の『日本人のための第1次世界大戦史』も今週号で早くも第4回。今回は近代的戦艦の誕生第3話として船の推進装置である「スクリュー」と木造の帆船がいかにして鉄で装甲するようになったのかということで「装甲軍艦」について書きました。

ロバート・フルトンの発明した蒸気船は外輪船で、英語だとペダル・ボートと呼ばれるもので、遊園地にある足で漕ぐペダル・ボートと原理は同じで、水を掻き分けて推進力を得ます。しかしこれは露出している分だけ砲撃戦になると破壊されやすいし、構造的に船の横の本来であれば大砲を搭載したい部分の面積をとってしまいます。そこで喫水線下にあるスクリューの発明が、蒸気機関が軍艦に採用される大きな要因となったわけです。スクリューの発明とアッサリと書いていますが、その効率的な形状の模索は現代でも続いています。潜水艦のスクリュー音を消すための掘削装置のソ連への輸出がココム違反となった事件を憶えている方もいるでしょう。

雑誌の絵はフランスのナポレオン号、旧式な戦列艦から蒸気機関の煙突が立ち上がっている姿は奇妙なものですが、大きな外輪に比べて抵抗の小さなスクリューは帆走との相性も悪くなかったのです。

木造船に鉄板を貼って防御鋼板とすることが始まったのは、炸裂弾の発明とその実用化がきっかけです。ナポレオン号のような戦列艦の大砲の一部が前回解説したペグサン砲にかわって着弾すると爆発するようになりました。これの具体的な戦訓がクリミア戦争のシノップの海戦だったのです。この海戦の後各国海軍は従来の木造戦列艦の建造を一時停止しました。その後に登場したのが装甲を施した装甲軍艦と呼ばれる艦種で、フランス海軍のグロワール、これは鉄製の骨格の木造船に鉄板を貼ったもの、翌年のイギリス海軍のHMSウォーリアーはすべて鉄製の初めての大型軍艦でした。このHMSウォ―リアーはHMSヴィクトリーとともに今でもポーツマス軍港に保存されています。

今回はクリミア戦争にページを割けませんでしたが、この戦争は現代のクリミア半島、バルカン半島、ギリシャ問題などその歴史的背景が複雑に絡んだ戦争で、勉強しておくと世界史の知見に厚みが増すことは間違いありません。そもそも東ローマのコンスタンチノープルを中心としたキリスト教の中の正教はロシア正教を除けばイスラム占領下で生き延びたキリスト教です。カソリックやプロテスタントの欧州の国々と違う歴史を持つのは当然なのです。またこの1853年の時点におけるクリミア半島の住民の80%はタタール人であって、ウクライナ人もロシア人も本来の主役ではありませんでした。

オスマン帝国の最盛期は第2次ウィーン包囲戦でしょう。この後の大トルコ戦争の終結が1699年ですから17世紀と18世紀の世紀の変わり目と憶えておけば何かと便利です。ウィーンがイスラムに包囲された事実、コーヒーの普及はこれ以降だとか、モーツアルトの「トルコ行進曲」はトルコ撃退100年記念のトルコ・ブームの中で作曲されたとか色々と結びついて興味深いものです。

クリミア戦争(上) 下』オーランド・ファィジズ、白水社、2015年、は面白い本で、お奨めです。読後にクリミア、ジョージア、バルカンを語れば敵なしですよ。海戦の記述は少し物足りないかな。ともあれこの戦争を契機に軍艦が鉄製になったといっても良いでしょう。

2015年6月30日火曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』第3回


週刊エコノミスト連載『日本人のための第1次世界大戦史』も今週で第3回目。蒸気機関と炸裂弾の話である。ちょっと解説しておこう。

帆船同士の最後の海戦はギリシャ独立戦争におけるナヴァリノの海戦(1827年)であるが、これは停泊した船同士の撃ち合いだったので、艦隊決戦としてはトラファルガー(1805年)を最後とした。この海戦とちょうど同じ頃にロバート・フルトンが蒸気船を実用化した(1807年)。

フルトンはオールバニーまでの航路を開拓すると、今度はすぐにブルックリンとの間のフェリー・サービスを始めた。この時の船着場が今は観光名所となっているフルトン・マーケットで、フルトン・ストリートの名前も今に残っているというわけだ。ブルックリン・ブリッジが完成する1883年までこのフェリー・サービスは続いた。

蒸気船は民間ではどんどん発達したが、海軍での採用は随分後になってからだった。これは容易に変更できない規範を重んじる軍隊の保守性と関係があるが、本文にあるように技術的な問題もあった。アヘン戦争で活躍した「ネメシス」もイギリス海軍の艦船につけられるHMS(Her Majesty's Ship)の接頭辞はもらえていない。日本の軍艦でいえば菊の御紋章を頂戴できない軍艦で、ベンガル海軍の軍籍だった。当初の蒸気船はずいぶんと格下に観られていたのだ。
帆船時代のイギリスとインドの交通はインド洋のモンスーンの関係で1年間に一往復できただけだったが、1869年にスエズ運河できて蒸気船だけが通行可能だったために片道3週間にまで一気に短縮された。

ウィスキーで有名な高速帆船のティー・クリッパー、カティサークの完成は皮肉なことにこの1869年。帆船はスエズ運河を通してもらえなかった。美しい船だが悲劇の船でもある。個人的にはグリニッジにカティ・サークを見に行った時には火災事故の後で修復中でみられなかのが心残りだ。
今でも歴史映画で誤解があるのが大砲の砲弾だ。砲弾は鉄の塊で、着弾したら爆発するようになったのはようやく19世紀の中頃である。時代劇でどかーんと爆発しているのは単なる誤解である。南北戦争を扱った映画『グローリー』では鉄の塊が兵列に打ち込まれて、ころがる砲弾に兵士達がどのような被害を受けたかがリアルに映像化されている。また帆船同士の海戦を描いた『マスター・アンド・コマンダー』も観ておきたい映画だ。

砲弾の進化の関連資料には入手困難なものが多い。『シーパワーの世界史2』青木栄一は限られた時間しか開店していない神保町のマニアックな店の本棚でみつけた。『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』田所昌幸はアカデミックな論文集だが海軍砲の進化史が少しのっている。結局日本語の本では充分なものがみつからず、細かい問題はPeter Padfieldの『Gun at Sea』を入手してようやく解決した。実は大砲の進化には薩英戦争におけるアームストロング砲が大きく関係しているが、この話は後に出てくる。

2015年6月23日火曜日

『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門』読後感想文


リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門』、毎日新聞出版を読了。

これについてはさまざまなところで書評が出ているし、すでにベストセラ―になっているようだから、詳細は省くけれど、本書の「自ら筋道を立てて原理的に考察するための哲学的視座を提供することである」という目的は達せられていると思う。

例えば、集団的自衛権の是非が問われ、憲法学者の殆どが違憲だと主張したが、そもそも憲法9条を普通の日本語として読めば、これまでの、つまりは現状の憲法解釈でさえ違憲だということは子供でもわかる。というように原理的なことから物事を考えていこうとする思考の枠組みを与えてくれる本である。

最近読んだ三浦瑠璃の『日本に絶望している人のための政治入門』の視座に納得感があった。

さて、本としては工夫が見られて、冒頭はカントの「啓蒙」など、法哲学の基礎的な話題から入り、入口で読者の選別をわざと行っているように思う。難関を避け簡易につとめたとあり、その努力はよくわかるだけにこれは編集者が意図的に行ったのではないだろうか。読者は心配することなく読み進めば良い。案外読めるはず。

それと枝葉末節ばかりで恐縮だが、一番気になったのは、最後の最後の部分。



「私は、若いころ低血圧だったのに、グローバルな規模で不正がのさばっている現実に怒り、それに飲み込まれてゆく哲学の死に怒り、最近は高血圧化してしまって、降圧剤を飲み始めています。しかし、今の状況を見ていると、還暦すぎたからといって円くなっていられない。『怒りの法哲学者』として、角を立てて生きていきますよ。」

浅学ゆえの軽率の誹りを恐れずに指摘するならば、これはツッコミを待つボケにちがいない。でも残念ながら誰もツッコミを入れてくれそうもないので、毎朝軽い運動を習慣づけた方が良いだろう。

2015年6月20日土曜日

『日本人のための第1次世界大戦史』の連載第2回目


来週は週刊金融財政事情に「マーケットの風」という株式のマーケット・コラムを書いています。それに、まだ原稿を書き終えていませんがフジサンケイ・ビジネスアイにコラム。そして週刊エコノミストに『日本人のための第1次世界大戦史』の連載第2回目を書いています。

『日本人のための第1次世界大戦史』の第2回目から4回目までは初期の軍艦の歴史について触れています。時代的にはアヘン戦争と黒船来航からクリミア戦争でのシノップの海戦までです。

最初エコノミストの編集部と打ち合わせをした時に、第1次世界大戦の話なのにどうしてこんな古いところから話が始まるのかが大きな争点となりました。しかも読めば戦艦と鉄道の話ばっかり。

それは列強各国はやがて巨額の予算を戦艦建造につぎ込むことになるのですが、その必然性は命中すると火薬が爆発して火災を発生させる炸裂弾の発明の説明がなければ難しい事、またこれが理由で鉄鋼船ができたことなどを読者に知ってほしいからだと説得しました。こうした技術的な進化によって軍艦の建造費用が飛躍的に高価になります。ゼロ戦に比べてF35がもすごく高価な事と同じです。そしてこれが開戦に至るひとつの大きな原因となっていくのですが、そこには順序立てた理解が必要なのです。

日露戦争(1904~05年)で「三笠」と一緒に活躍した戦艦「富士」と「八島」は1891年の第2回帝国議会に予算請求が出されますが否決されてしまいます。続けて翌年の第3回、その翌年の第4回と否決され続けますがそれは当たり前なんです。

当時の日本の国家歳出が8千万円、その内軍事費が既に2600万円ですから残りは5400万円。そこへきて1隻1千万円もする戦艦を2隻買ってくれと頼むわけなんです。今でいうならばというのは、僕が一番大嫌いな質問なのですが、それでも敢えていうならば10兆円の戦艦を2隻買ってくれといってるわけなんです。これは清国北洋艦隊が85年にドイツから買った(就役した)「定遠」と「鎮遠」という2隻の巨砲を搭載した装甲軍艦が東シナ海の脅威になっていたのが理由です。対ロシア海軍では無かったのです。結局日清戦争には間に合いませんでしたけれどね。どうやって買ったのかは是非連載を読んで下さい。


英国ロイヤル・ソヴリン級戦艦


さてここで私は清国北洋艦隊「定遠」のことを戦艦と呼ばずに装甲軍艦と呼んでいます。一方で「富士」は戦艦なんです。マスコミも良く間違えますが「戦艦」というのはテクニカル・タームでbattleshipなんです。したがって「中国の戦艦が東シナ海に。。。」などという記述を時折見かけますが、中国海軍は清国の時代も含めて歴史的に戦艦を保有したことは一度もありません。「定遠」は装甲軍艦=ironcladなのです。なぜかというと戦艦ができたのは1890年のイギリス海軍HMSロイヤル・ソヴリン級からなのです。それ以前に事後的に名乗る艦もありますが、近代的戦艦はロイヤル・ソヴリン級が始祖。そして「富士」と「八島」は基本的にこのクラスです。日本は金も無いのに早い時期から戦艦を揃えようとしていたのです。どうして?トラウマがあったからです。だからペリーであり、アヘン戦争なのです。戦艦の構成要件は是非連載を読んで下さい。

またよく日英同盟(1902年)のおかげでイギリスは三笠などの最新の戦艦を日本に売ってくれたなどと解説されますが、実態はそうではないことがわかるでしょう。1891年にイギリスの最新型の戦艦の発注は日本にかぎらず可能だったのです。清国でも望めば、アメリカでもアルゼンチンでもドイツですらイギリスの最新鋭のヴィッカース製戦艦を買えたと思います。これはどうしてなのかという解説は日本ではみかけませんが、こうしたことも連載の中で説明してあります。そのためには1860年のコブデン=シュヴァリエ条約(英仏通商条約)成立までの理解が欠かせないのです。この条約は外国の経済史家の書いた本には必ず登場しますが、唯物史観の邪魔になるために日本の世界史の教科書には出てきませんから、あなたが忘れたわけではないので気にしないで結構です。

では第1次世界大戦が開戦するまで30話、約半年もありますから是非ゆっくりと連載を読んで下さい。


2015年6月19日金曜日

GEの舶用エンジン


社会人になったら日経新聞を読めといわれて、僕なんかは、なんだかんだで数十年に渡って随分と読んできた。

日経を通じて政治、経済はいうに及ばず、他の業界のことを知ることができる。というわけだ。この方法が一番効率的であることは現在も変わらないと思う。だから新社会人が毎朝日経を読むことはおすすめだ。

ところが造船業界にいた頃は、なるほど他の業界はこうなっているのかとは思っていた。ところが事、自分の業界になると、関連する記事を読むと初歩的な間違いが多くて、新聞記者って何もわかっていないなと思うわけだ。造船だけじゃなくてどの業界であれこういう風に思っている人は多いのじゃないかと思う。

これは証券会社に入っても同じこと。投資別主体の中身や、デリバティヴスや仕組債の理解でもそうだし、ことカストディやプライムブローカレッジなんかになるとものすごく知識のギャップを感じたものだ。もちろん読書家の記者もいてよくわかっている人もいるのだが、大体において記者は忙しすぎて、耳学問が多くて読書不足、大きな流れをつかめない人も多い。


今朝の(6月19日朝刊)日経の企業面のニュース「GEが船舶用エンジン」という記事。「米ゼネラル・エレクトリックは航空機向け技術を転用した船舶用エンジンを開発した」というリード文で始まる。


なるほどGEは航空機技術を利用して舶用タービンの市場に参入したのかと読める。いままで舶用のエンジンは開発していなかったかのような書きぶりだ。だけどGEは昔から舶用タービンの老舗中の老舗だ。ジェットエンジンは舶用や発電機用タービンの技術がなければ産まれなかった。これはリード文がミスリードしている例だ。

GEのHP より

GEの舶用エンジンHP


このGEの発表の目玉は、今回のエンジンはスクリューを回す推進用のタービンではなく、船に積んだ発電用のLNGガスタービンで発電機を回して、その電気を使ってモーターで船を推進するとともに、タービンを回した際の余熱で蒸気を発生させ、その蒸気でさらに追加的な発電用の蒸気タービンを回すというエコなシステムにある。
この2つを組み合わせることで、現在経済的な理由から主流にある舶用ディーゼルにとって替わる可能性があるという点がニュースのポイントだ。他にもエンジンルームを小さくできることから積載可能量も増える点と、シェール開発に伴うLNGの生産増加がこのエンジン・システムの普及後押しするということだ。
最後の舶用エンジンシェアもミスリードだ。これは舶用ディーゼルに限ったシェアだし、しかもブランド別の生産量でしかない。舶用の場合はライセンシーが生産している場合が多いからだ。例えばここで1位のMAN-B&Wの場合、生産量の99%が川崎重工などの世界中に散らばったライセンシー達なのだ。

日本舶用工業化の資料―エンジン・シェア

記事に負けないように本を読んでおくしかない。
今週刊エコノミストで連載中の『日本人のための第1次世界大戦史』を読んでおくとこの辺りのことには詳しくなるよ。






2015年6月11日木曜日

次回作『日本人のための第1次世界大戦史』の連載が始まります


昨晩遅く、最終のゲラ(印刷見本)が週刊エコノミスト編集部から届きました。

いよいよ来週月曜発売の週刊エコノミストから、次回作『日本人のための第1次世界大戦史』の連載が始まります。

次回作に関してのお話は出版社からいくつか頂戴していましたが、今回は週刊エコノミストでの連載という形態を選びました。全体の詳細なプロットが出来たのが昨年秋、それから打ち合わせを繰り返してきて今日に至りました。全65話のうち30話までをすでに書き終えています。

『日露戦争、資金調達の戦い』はありがたいことに高い評価を頂戴しましたが、実は買った人(親戚や知人)の約半分がよくわからない部分があったという感想を持っています。金融のところは噛み砕いたつもりでしたが、それでも難しかったようで指摘を受けて「そうか」と納得していた次第です。

今回は編集者がエコノミスト誌の平均的な読者の立場から、ここがわかりにくいとい点を徹底的に詰めていきながら執筆しました。内容は軍事産業史、特に近代的戦艦の誕生までの技術的過程と軍事ロジスティックスを絡めた鉄道史を中心に19世紀の経済史、金融、普通選挙と徴兵制度、識字率とメディアと石油の発見(石油ランプのおかげで夕刊紙が読めるようになった)など多岐にわたります。何故か個人的な趣味の問題で編集者の大反対にもかかわらずウィスキーもよく登場します。

そのために書き終えた30話ですら、実はまだ戦争は始まっていません。サラエボの銃声までたどり着いていないのです。戦争中の話は多分20話ほどですが、それが一番第1次世界大戦を理解する早道じゃないかと考えてのことです。

日露戦争の資金調達の後は、15年戦争から第2次世界大戦のファィナンスを書こうと、データも集めたし史料も読み込みましたが、その結論が「その前に、とりあえず第1次世界大戦を知っておこうよ」ということだったのです。

楽しんでいただければと思います。

2015年5月20日水曜日

【高論卓説】変わる歴史学、高まる日本外交への期待 


【高論卓説】変わる歴史学、高まる日本外交への期待 板谷敏彦
2015.5.20

 私は高校時代に世界史の勉強をしなかった。文科系のクラスにいたので授業は受けたと思うが、受験の選択科目に世界史を選ばなかったので担任の先生も教科書も思い出せない。その代わりと言っては少し変だが、高校時代から司馬遼太郎はほとんどすべて読んでいたので、もしも私が歴史観というものを持っているのだとしたら、司馬史観に大きく影響を受けているに違いない。司馬遼太郎が小説を通して描いた、日本の近現代史の延長線上にある世界史を「世界史」だと了解していたのである。こうした日本人は私の周辺にも存外に多い。

 司馬史観の問題点は『坂の上の雲』を思い出せば簡単に分かるが、日清・日露戦争の描写に朝鮮半島や中国北東部で暮らしを営んでいた民衆や細かく条約を締結していた清国や大韓帝国政府の描写がほとんどないことである。そのためだろうが、私が講演会などで受ける質問の中には、戦場となった満州には当時は誰も住んでいなかったと認識している人も結構いる。それも少ない数ではない。こうした歴史認識下で「日本は侵略したと思うか?」という質問を投げかければ、答えは自ずとバイアスを持ったものになるだろう。

 一方でこのような司馬史観にクレームをつける歴史学者たち、いうなれば日本の高校世界史の教科書をつくっている側も私に言わせれば妙なバイアスを持っている。私は著作を通じて昔の欧米の金融機関や金融市場をずいぶん調べたが、最近の英米の書籍で「金融資本」という用語とは出合わなかった。ちなみに英語の辞書で引いてもこれに該当する用語は出てこない。ところが日本では20世紀初頭の世界史の話で、この「金融資本」という用語が結構な頻度で登場してくる。

金融資本が世界経済を牛耳ったというシナリオで、そこで終わればよいのだが、これが多くはユダヤとくっついて「ユダヤ金融資本」となり、世界を動かす陰謀と一体化してユダヤ陰謀論へとつながっている。相変わらず日本では陰謀論を信奉する者が多い。陰謀論はよく調べたら、こうでしたという形態をとっているが、さまざまな複雑で分かりにくい事象の原因を何か一つの主体に押し付けてしまう思考停止の歴史観でしかない。

 では、なぜ日本でこうした陰謀論が目立つのかといえば、「金融資本」という言葉にみられるように、マルクス経済学の影響がいまだに大きいからだろう。唯物史観であり、いわゆる左翼のにおいがする、そして陰謀史観との親和性が高い。こういう認識の人も多いだろう。しかし現実の日本の歴史学は高校の教科書よりも随分と進化していることにも注意が必要だ。歴史学自体にも歴史がある。古い先生は去りつつあるのだ。

4月末、安倍晋三首相が日本の首相としては史上初となる米国議会の両議院総会での演説を行った。大成功であった。この1週間後に海外の日本研究者ら187人が、連名で「日本の歴史家を支持する声明」を発表した。中には反日的なメンバーもいるが、主体は歴史学のトップ・クラスの大物である。これは安倍演説の成功に付された日本への期待感であり、混迷する東アジア外交の打開策としての日本外交に対する支援である。真摯(しんし)に受け止めて、このあたりで社会科学(アカデミズム)にのっとって日本政府としての歴史観を整理してみる必要があるだろう。

作家 板谷敏彦

2015年4月14日火曜日

【高論卓説】EUと違う状況、参加に慎重な判断を


フジサンケイ・ビジネスアイ 4月14日号

【高論卓説】EUと違う状況、参加に慎重な判断を

 日本のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の参加の是非をめぐって議論が活発になっている。先月12日に英国が参加表明をした後でEUの主要国やロシア、韓国までが雪崩のように後を追って参加したために、わが国が参加しなかったことは政府の失策だと責める向きもある。だが、私は現状がそれほど悪いとは思わない。皆が参加したから参加するという選択はまっとうだし、ここは一息ついて慎重に損得計算をすればよい。

 AIIBは中国の国家政策である「一帯一路」と結びつけられる。これは陸の「シルクロード経済帯」と「21世紀海上シルクロード」の2つからなるユーラシア大陸を横断する壮大な構想で、中国政府は「シルクロード基金」を募ってこの広大な地域の基礎インフラ、資源開発、産業協力を遂行する原資とする。AIIBはここに融資するという流れである。融資であるからには常にリスクを伴うであろう、わが国が国内総生産(GDP)の規模による出資比率を求められるならば、参加は巨額な投資となるので安易に飛びつく必要はない。

 なぜならば(1)日本はアジア開発銀行を通じて既に中国に債権がある、つまり同種の資産配分を保有している(2)中国の公的債務は積み上がって、現状は先行きの不透明感が増している、つまり中国は新興国開発プロジェクトの資産管理能力が特に高いわけではない(3)設立の趣旨に中国の高成長を担ってきたインフラ過剰投資に悩む国内産業の新たな市場開拓の側面がある。つまり中国主導の開発計画では自国企業を優先し、わが国に出資分に応じた見返りがあるかが疑わしかったからである。

 このうち(2)と(3)に関しては英国をはじめとする欧州連合(EU)各国の参加によってAIIBのガバナンスが想定よりも改善される可能性が出てきた。従って皆が参加するから日本も参加するというロジックはまっとうなのである。それでも(1)については依然としてわが国は雪崩を打って参加したEU諸国とは別の要因を抱えているということである。慎重であってしかるべきだ。

 一方で経済的な判断とは別に中国が掲げる「一路一帯」構想は百数十年前に米国海軍のマハン大佐が提示した「海上覇権」の概念と、マッキンダーのいうユーラシア大陸を制覇する「ハートランド」を連想させる点では、地政学的で壮大なアイデアである。日本の昨今の思潮の右傾化も、中国がGDPで日本を抜き去るというような中国経済の伸長による圧迫感と無縁ではないだろうから、中国による世界覇権の奪取をほうふつさせる「一路一帯」は日本人にとって刺激的にちがいない。

 しかしこれもあまり感情に流される必要はない。いまだに世界の防衛支出の半分はアメリカが支払っている。財政面で中国が21世紀海上シルクロードを軍事的にコントロールすることは現実的ではないのだ。むしろわれわれは中国海軍の守備範囲が拡大することによって東シナ海への戦力配分が相対的に低下することを冷静に見守るべきだろう。


2015年3月14日土曜日

Born on third base


ウクライナで問題をおこしている鳩山さんを見ていると、昔大統領選挙キャンペーン中にブッシュ候補者(パパの方)がライバルに言われた有名なフレーズを思い出す。

“born on third base、thought he had hit a triple.”

「3塁ベースの上で産まれたくせに、自分で3塁打を打ったと勘違いしている野郎」というものだ。野球好きのアメリカらしい言い回しだね。

実際のプロ野球のデータに例えると人生でヒットを打てる人は4人に1人。本当は打席に立つこと自体が難しいのだけれどね。では3塁打は?というと実に200人に1人しかいない。(200打席でという意味ね)。

僕も昔草野球をやっていたけれど3塁ベースはとてつもなく遠い。飲んだくれのサラリーマンは息があがるし足がもつれる。しかもそこまでたどり着いても、これからホームを踏むという大仕事が待っているというわけだ。

ハァハァと見苦しくも吐きそうな中で。「おい、キャッチャー、お願いだからパスボールなんかするなよ!全力疾走はもう無理だぞ」「おい、バッター、中途半端な内野ゴロだけは止めてくれよ、滑り込むのはごめんだぞ」「おい、ピッチャー、絶対に盗塁なんかしないと約束するから牽制球なんか投げるなよ」と3塁上の中年サラリーマンのランナーは実はなにかと注文が多いものなんだ。

という思い出があるから3塁ベースの上で産まれたくせに、ふざけている野郎なんか絶対にゆるせないね。 僕は


2015年3月5日木曜日

武蔵発見のニュース


戦艦武蔵が発見されましたね。僕の世代にはWW2の日本の戦艦12隻をすべていえる人が結構多いのです。昔のサンデーやマガジン、キングなんかはこうした特集結構組んでいましたし、プラモデルブームもあったからだと思います。

超弩級巡洋戦艦として建造された金剛型は金剛が最後の英国製、残りの3隻は国産でした。。基本的に第1次大戦前の艦ですから非常に古い。何度も改装工事をくりかえしますが、その中でも金剛だけは鋼板が硬くて工作が難しかったといわれています。
金剛、比叡、榛名、霧島の4隻です

次の扶桑型から純国産で金剛型が超弩級巡洋戦艦でこちらが超弩級戦艦。同じ建造計画ですがイギリス製の金剛型をお手本に建造されました。設計上機関室のスペースが狭く馬力向上ができずに低速な戦艦として残ってしまい、正直に言ってWW2では使いものになりませんでした。
馬力増加の立方根分しか速度は増えません。これは戦闘機も同じで1000馬力最高速度500㌔のゼロ戦がエンジンを換装して1500馬力にパワーアップしてもほかの条件が同じなら速度は1.14倍の572㌔にしかならないのです。1500馬力のエンジンは直径が大きくなり重量も重くなりますから機体のバランスを大きくくずします。
この型は扶桑と山城の2隻。そして改扶桑型として伊勢と日向があり4隻セットともいえます。この4隻は扶桑以外は建造中にWW1のシェトランド沖海戦が生起します。25ノット程度しか出せませんでした。


次が長門と陸奥。実はこの2隻もWW1時の設計なんです。
ということは帝国海軍は近海における艦隊決戦とか言いながら12隻の戦艦のうちポスト・ネーヴァル・ホリデーと呼ばれる軍縮会議以降の戦艦は実は大和と武蔵の2隻だけでそれ以外はすべてWW1時の設計だったのです。

因みにイギリスの大和と武蔵に相当する戦艦は5隻。マレー沖で沈めたプリンス・オブ・ウェールズは当時の最新鋭でこの世代。チャーチルはこのニュースに激しくショックを受けましたが、日本海軍の中にもショックを受けた人は多かったはず。大和も武蔵も航空機の攻撃で沈むことが予想されたからです。イギリスはもう1隻ヴァンガードという戦艦を建造しますが完成は1946年になってしまいました。

アメリカはノース・カロライナ級が2隻、強化型のサウス・ダコタ級が4隻、42年8月には大和クラス6隻がすでに揃っていました。真珠湾で沈めたのは古い戦艦ばかりでした。さらにアイオワ級が6隻、43年から45年にかけてデリバリーされます。最後のケンタッキーは戦争が終わり工事が中断されています。アメリカは空母建造にシフトしてもこの結果でした。今は艦コレ・ブームだから詳しい人は多いでしょうね。

ただし大和と武蔵は世界で一番大きかったのです。