2015年5月20日水曜日

【高論卓説】変わる歴史学、高まる日本外交への期待 


【高論卓説】変わる歴史学、高まる日本外交への期待 板谷敏彦
2015.5.20

 私は高校時代に世界史の勉強をしなかった。文科系のクラスにいたので授業は受けたと思うが、受験の選択科目に世界史を選ばなかったので担任の先生も教科書も思い出せない。その代わりと言っては少し変だが、高校時代から司馬遼太郎はほとんどすべて読んでいたので、もしも私が歴史観というものを持っているのだとしたら、司馬史観に大きく影響を受けているに違いない。司馬遼太郎が小説を通して描いた、日本の近現代史の延長線上にある世界史を「世界史」だと了解していたのである。こうした日本人は私の周辺にも存外に多い。

 司馬史観の問題点は『坂の上の雲』を思い出せば簡単に分かるが、日清・日露戦争の描写に朝鮮半島や中国北東部で暮らしを営んでいた民衆や細かく条約を締結していた清国や大韓帝国政府の描写がほとんどないことである。そのためだろうが、私が講演会などで受ける質問の中には、戦場となった満州には当時は誰も住んでいなかったと認識している人も結構いる。それも少ない数ではない。こうした歴史認識下で「日本は侵略したと思うか?」という質問を投げかければ、答えは自ずとバイアスを持ったものになるだろう。

 一方でこのような司馬史観にクレームをつける歴史学者たち、いうなれば日本の高校世界史の教科書をつくっている側も私に言わせれば妙なバイアスを持っている。私は著作を通じて昔の欧米の金融機関や金融市場をずいぶん調べたが、最近の英米の書籍で「金融資本」という用語とは出合わなかった。ちなみに英語の辞書で引いてもこれに該当する用語は出てこない。ところが日本では20世紀初頭の世界史の話で、この「金融資本」という用語が結構な頻度で登場してくる。

金融資本が世界経済を牛耳ったというシナリオで、そこで終わればよいのだが、これが多くはユダヤとくっついて「ユダヤ金融資本」となり、世界を動かす陰謀と一体化してユダヤ陰謀論へとつながっている。相変わらず日本では陰謀論を信奉する者が多い。陰謀論はよく調べたら、こうでしたという形態をとっているが、さまざまな複雑で分かりにくい事象の原因を何か一つの主体に押し付けてしまう思考停止の歴史観でしかない。

 では、なぜ日本でこうした陰謀論が目立つのかといえば、「金融資本」という言葉にみられるように、マルクス経済学の影響がいまだに大きいからだろう。唯物史観であり、いわゆる左翼のにおいがする、そして陰謀史観との親和性が高い。こういう認識の人も多いだろう。しかし現実の日本の歴史学は高校の教科書よりも随分と進化していることにも注意が必要だ。歴史学自体にも歴史がある。古い先生は去りつつあるのだ。

4月末、安倍晋三首相が日本の首相としては史上初となる米国議会の両議院総会での演説を行った。大成功であった。この1週間後に海外の日本研究者ら187人が、連名で「日本の歴史家を支持する声明」を発表した。中には反日的なメンバーもいるが、主体は歴史学のトップ・クラスの大物である。これは安倍演説の成功に付された日本への期待感であり、混迷する東アジア外交の打開策としての日本外交に対する支援である。真摯(しんし)に受け止めて、このあたりで社会科学(アカデミズム)にのっとって日本政府としての歴史観を整理してみる必要があるだろう。

作家 板谷敏彦